氷の刃を向ける青年
陽の光すら差し込まなくなったカフカの谷を見下ろし、バーニング・レジーナは峠の頂上で再びため息をつく。この峠を越えれば、故郷のフレイ王国だ。
だが、その故郷にバーニング・レジーナがもたらした知らせは、最悪とも言っていい知らせだ。
(王子と王女が死んだこと、言った方がいいのか……)
フレイ王国に入るまでは上り坂だったので上を向いて歩かなければならなかったバーニング・レジーナだったが、王国に戻った後は自然に首が下に垂れてくる。
普段のように、勝ち誇ったような表情をかすかに浮かべる女勇者の姿は、峠を下るバーニング・レジーナにはなかった。
やがてバーニング・レジーナは、峠のふもとに広がる小さな集落に辿り着いた。
ここからフレイ城まではおよそ30km。辺りが完全に暗くなったので、バーニング・レジーナはここで一泊しなければならなかった。
集落の名は、ヒルフロント。バーニング・レジーナがわずか二日前、メサイヤとの勝負に向けて最後の休息を取った場所だ。
女勇者がカフカを目指すことは、ヒルフロントじゅうの誰もが知っていた。
そして、誰もがバーニング・レジーナの炎で王子と王女を取り戻すことを信じているはずだった。
夜が遅いのだろうか。明かりがついていない。
(なんか……寂しそう……)
バーニング・レジーナの足は、ヒルフロントの街の門を抜けるとき、わずかに竦んだ。だが、そこで止まるわけにもいかなかった。
「バーニング・レジーナ……?」
泊まる宿を探そうと、首を左右に一度回しただけで、バーニング・レジーナはすぐに街の住人の声を聞いた。
「……誰?」
バーニング・レジーナが力なく返事をすると、そこには黒髪の青年が立っていた。ひょろひょろで、立っているのもやっとのように、バーニング・レジーナには映った。
バーニング・レジーナは、その青年といつどこで出会ったかも分からなかった。だが、フレイ王国では絶対の存在と知られる女勇者だから、顔が知られているのもおかしくない。
やがて黒髪の青年は、息絶え絶えに言った。
「ど……、どうなったんだ……。王子と……王女を……救うとか……、言ってたやつは……?」
(尋ねられた……)
バーニング・レジーナは、力なく首を横に振った。
死んだ、とかすかに呟いた。
しばらくの間、バーニング・レジーナと青年との間に沈黙が漂った。
「そうか……。なるほど……、な……」
「何……?」
バーニング・レジーナの見せた、力ない返事を信じることができないのだろうか。バーニング・レジーナには、青年の一言が予想もしないほど、悪意に満ちた言葉に聞こえた。
「負ける……とはな……」
疲れきった足を引きずるように、ゆっくりと近づいてくる黒髪の青年。戦闘で滅多に足を引くことのないバーニング・レジーナは、気がつくと一歩、また一歩と後ろに下がっていた。
それでも、青年は近づく。いつの間にか、黒髪の青年は1メートルほどのところまで近づいていた。
「所詮……、バーニング・レジーナも……、そんな程度の炎しか放てない……」
この凍りついた返事は何なのよ!
事ここにきて、バーニング・レジーナは再び首を横に振り、青年に状況を説明することにした。
「私は、懸命に炎を解き放った。けれど、私の力じゃ、あの谷のメサイヤには……遠く及ばなかった」
「それは……、バーニング・レジーナが弱い……って、いうことなんだよな……」
次第に、青年の右手が天に伸びていく。何か力を集め始めるようなしぐささえ見せる。それでも、バーニング・レジーナは、叫ぶようにこう言った。
「私は勇者よ!バーニング・レジーナよ!……私だって、負けたくて負けたわけじゃないっ!」
「バーニング・レジーナ……。あまり……、こういうことは……、言いたくないけどな……」
天に伸ばした青年の右手に、白と青の光が集っていく。ヘル・ブリザードほどの力ではないが、青年は吹雪の魔術を、バーニング・レジーナに向けて解き放とうとしている。
「結果が……、全てなんだよ……っ!」
(……くっ!)
黒髪の青年の右手が勢いよく振り下ろされ、バーニング・レジーナに向けて、刃にも近い、青と白の光の筋が一気に解き放たれた。
「バーニングファイヤー!」
バーニング・レジーナはすかさず炎を解き放ち、襲い掛かる氷を寸前で弾き返した。だが、メサイヤとの戦闘で疲れ切った体で放った炎があまりにも弱々しいことに、バーニング・レジーナはすぐに気がついた。
そして同時に、氷の刃を見たバーニング・レジーナは、青年の名を思い出した。
(もしかして、アイシア……)
アイシアとは、バーニング・レジーナは一度だけ勝負したことがある。もう一年ほど前の話だ。
力試しに挑戦状を叩き付けられ、バーニング・レジーナは挑戦に応じた。結果は、氷の刃をいとも簡単に打ち砕いたバーニング・レジーナの圧勝。
そのアイシアがいま、王国の王子と王女が失われ、憎しみを押し出しているような一撃を解き放っている。
あの時よりも、今のアイシアははるかに力が上回っていた。
アイシアは、バーニング・レジーナが炎を解き放った瞬間、氷の刃を放つのをやめた。バーニング・レジーナも、アイシアが氷を収めたのを見て、すぐに右手から放った炎を消した。
だが、お互いに魔術を消した直後、アイシアはかすかに笑うように言った。
「今の……、俺なら勝てそうだな……。バーニング・レジーナ……、いや……、最下層の女……、レジーナ・アルメルトよ……」
「な……、今更……、何よ……!」
レジーナ・アルメルト。
それは、バーニング・レジーナが最も聞きたくない名前だった。




