おっさん、エルリアに行く
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「ひょえあああああああああああああ」
からりと晴れた砂漠の青空に、間の抜けた悲鳴が木霊する。
悲鳴の主はアーミットだ。
「…………」
「…………」
それに対して、沈黙を守っているのは俺とイサトさん。
ただし、それぞれの沈黙の持つ意味合いは結構違っている。
イサトさんはいわゆる「悲鳴をあげ損ねた」という以前本人が言っていたような状況だろう。
ちらっと覗いた表情はそれなりに取りつくろっているが、身体はがちごちに強張っている。
そして、俺が黙っているのはそんなイサトさんの様子を窺っているからだ。
「……大丈夫かよ、イサトさん」
まだアーミットのように叫んだ方が、精神衛生上よろしいような気がする。
なんというか、俺はゲーム時代のイサトさんに対して有事にも動揺しないのらくらした喰えないおっさん、という認識でいたのだが……。
もしかすると単純に思ったよりもどんくさいだけなのかもしれない。
何かあったときに冷静なように見えるのは、うっかり叫んだり驚いたりするタイミングを逃し続けているだけで。実は地味にパニくり、周囲が盛大に慌てているのを見ているうちに落ち着き、しれっと対処しているだけなのではなかろうか。それならば外から見てる分には冷静で何事にも動じない、という態を保てるだろう。
「……だいじょうぶだ」
「…………」
俺の想像はあたっていたらしい。
イサトさんの返事は、まるで時間稼ぎするかのようにいつもよりゆったりと間延びしていた。
普段のイサトさんを知らなければ、この状況にも物怖じしない豪傑、として周囲からは思ってもらえることだろう。
そして「この状況」というのはずばり――……、イサトさんの召喚したグリフォンの背にアーミット、イサトさん、俺という順で騎乗して高速で砂漠の空をかっとばしている、という状況である。グリフォンというのは猛禽の頭と翼を盛った獅子という伝説の獣の一種で、大きさとしては三人乗っても大丈夫、というあたりで察していただきたい。昨夜見たフェンリルと同様に、それだけ大きい獣だというのに、リアルな獣臭さは全く感じなかった。だからといって生き物としての気配がないというわけではないあたり、やはり「召喚モンスター」として普通の生き物とは一線を隔しているというのがよくわかる。毛並は短毛ながら滑らかで、つい撫でてしまいがちだ。うなじ、というか首の付け根のあたりだけもっふりと毛足が長くなっているところが獅子っぽい。
そんなグリフォンの上で、一番小柄なアーミットを先頭に、一番でかい俺が背後を固めて二人を腕内に収めるような形で手綱を握っている。そのおかげで、俺はイサトさんの身体ががちがちに強張っているのを感じ取れたのだ。そうでもなければ、俺もイサトさんの外面に騙されていたかもしれない。覚えておくことにしよう。
ちなみに、本来なら召喚士であるイサトさんの命令しか聞かないはずのグリフォンなのだが、今回は例外的に使役権を俺に譲渡されている。とはいっても、単に手綱を任されているだけで、イサトさんの監督のもと、という条件で例外的に俺の指示を聞いているだけにすぎない。
時をさかのぼること三十分ほど。
村長さんからわるさをする許可を得た俺とイサトさんは、まずはエルリアを目指すことにしたのだ。
わるさをするためにはいろいろと材料がいる。
そのためにはまず、エルリアの街に行き、俺たちがゲーム時代に貯めたもろもろの資材を使うことが出来るかどうかを確かめるのが一番だからな。
なければないで、あるものでなんとかするなり、素材を集めるところから始めればいいだけの話だ。
アーミットはその道案内として自ら立候補してくれたため、今回俺たちに同行することになった。得体のしれない旅人である俺らにまだ子供でもあるアーミットを預けるというのは、村長としてはかなり悩んだ末の決断なのではないだろうか。
そして実際にエルリアに向けて出発するぞ、という時になってイサトさんが足として提案してきたのが、イサトさんの召喚モンスターであるグリフォンだったのである。
ゲーム内では一人乗りの騎獣扱いのグリフォンだったが、異世界であるこの世界ではグリフォンを納得さえさせれば騎乗する人数に制限はかからないらしい。確かに昨夜召喚していたフェンリルも、グリフォン同様にゲームの中では一人乗りの騎獣扱いだったが、アーミットとその母親を同時に乗せていた。物理的に可能な積載量であれば……、召喚モンスターの気持ち次第では乗せてくれないこともない、というような感じだろうか。その辺の微妙な兼ね合いは、今後探っていくことになるだろう。
イサトさんが召喚したグリフォンは、俺やアーミットに対して「こいつらも乗せんのかよ」とあからさまに嫌な顔をした――ように見えた――が、主であるイサトさんにお願いね、と軽くぽんと首筋を叩かれるとおとなしく頭を垂れて言うことを聞いた。
そんなわけでさっそくグリフォンの背にのって砂漠飛行となったわけだが……。
いやあ、これがなかなかすさまじい。
超はやい。ちょっぱやである。
現代人的な感覚から言わせてもらえれば、時速60km~80kmぐらいは出てるんじゃなかろうか。
俺はまだバイクを乗り回していたこともあり、生身でのこの速度に対する慣れがあるが、慣れていない人間にとってはなかなかに怖いものだろう。
それにバイクがまだ地上を走っているのに比べて、グリフォンは飛んでいる。
下を見てしまうと、スピードには慣れている俺ですらぎょっとしてしまうのだから、イサトさんやアーミットにとっては安全ベルトのついてないジェットコースターに乗ってるようなものだ。
少しでも安定感を、と俺は二人を抱えて手綱を握る腕に力をこめる。
「二人とも大丈夫か?」
「わたしはへいきだ」
「アキラ様ぁああああああああああ!」
……あんまり大丈夫じゃないな、これ。
そんなことを思いつつ、俺たちの初グリフォン騎乗の旅は続くのだった。
エルリアの街が見え始めたところで、俺たちは砂漠に降りてそこからは徒歩に切り替えることにした。
まあ、グリフォンのような高位のモンスターが街の人たちに見つかったら間違いなくパニックに陥るだろう。
アーミットに聞いたところ、旅の冒険者や商人が稀にモンスターを使役していることがあるらしいが、せいぜい比較的気性の穏やかな、動物とほとんど区別がつかないようなものに限るらしい。
イサトさんが使役して見せたようなフェンリルやグリフォンは、神話や伝説にしか出てこないのだそうだ。
「イサト様もアキラ様も、まるで物語に出てくる冒険者様たちみたいです……!」
グリフォンから降りたアーミットは、くりくりとした瞳を輝かせて俺たちを見ている。
「伝説の冒険者、ねぇ」
「伝説の冒険者ってどんなものなんだ?」
「知らないんですか?」
「私たちは遠いところから来たもので、その辺のことはよく知らないんだよな」
「伝説の冒険者っていうのは……、あ、その前にイサト様ちょっと」
アーミットは上機嫌に話しだそうとして、それから何かに気づいたようにイサトさんを呼び止めた。
不思議そうにしているイサトさんの手首に巻かれていた飾り布をふわり、と解いて広げる。そしてそれをイサトさんにかぶせると、器用に布の余りを結んでフードにした。
……なるほど、あの飾り布はこうして砂漠に出た先に日差しや砂をよけるのに使うためのものだったのか。アーミット本人は、ごそごそと肩からかけていた小さなポシェットから同じような布を取り出して羽織る。
「なあ、それ俺にはないのか?」
「え?アキラ様は男なのにルーシェを使うんですか?」
「…………」
あの飾り布は「ルーシェ」というらしい。
まるで「スカート穿くんですか?」というようなノリで言われた言葉に、俺はがっくりと肩を落とした。
どうやら、このあたりの風習では砂漠で布をかぶるのは女性だけのようだ。
男だって暑いものは暑いし、砂が目に入ったら痛いと思うのだが。
「……行くか」
ステータスのおかげでそれほど砂漠の日差しでダメージを食らうということはないものの、それでも暑いし、白く乾いた砂がはじく日光が目に入ると痛い。いつまでもこんなところで立ち話をする気にはなれなかった。
ざくざく、と砂を踏んで街へと向かいながら、俺とイサトさんはアーミットから『伝説の冒険者』の物語を聞く。
「ずっとずっと昔、私たちが生まれる前に、この世界は女神さまによってつくられたんだそうです。それでも力が余っていたので、女神さまは動物や植物をこの世界におつくりになりました。それでもまだまだ力が余っていたので、女神さまは次に自分に良く似た生き物、私たち人間を作り出しました。ですが、それでも女神の力は有り余っていました。それで女神は、この世界に女神の試練を課したのです」
「女神の試練?」
「すなわち――……、モンスターだな?」
「はい」
「イサトさんなんで知ってんの?」
「むしろ私は秋良が何故知らないのか聞きたい」
「え」
「……RFCの設定だぞ」
「えー……」
言われてみれば、そんな話をチュートリアルの時に聞いたような気がする。
が、俺がチュートリアルをやったのは今から3、4年も前の話だ。そんな細かいところまで覚えていない。普段モンスターを狩ってレベルをあげたりスキルを覚えたりして遊ぶ分にはそんなに関わってこない設定だしな。
あ、でもなんかシナリオイベントで『女神』がどうのこうの、というのは毎回見ていたような気がする。
「モンスターたちは、私たちの間では『女神の恵み』とも『女神の試練』とも呼ばれています」
「『女神の試練』はまだしも……、なんで恵み?」
「モンスターは女神の余剰な力が淀み、形となった存在なんだそうです。そのモンスターを倒すことで、女神の余剰な力の恩恵を受けることが出来るんですよ」
「それってもしかして……」
俺はちらり、とイサトさんを見る。
イサトさんはその通り、というように頷いた。
「ドロップ品のことだな。女神の余剰な力がモンスターとなり、そのモンスターを倒すことで、人々はその力の恩恵を手に入れる」
「なるほどな、そういう理屈なわけか」
「そういうことだ。強いモンスターほど良いアイテムをドロップするのも、その理屈に基づいてる」
「ほー……」
貯めこんだ女神の余剰エネルギーが多ければ多いほど強力なモンスターとして形になり、当然そのモンスターを倒すことで得られる恩恵も大きくなる、というわけか。MMOとして定番の設定に、こんな理屈があったとは知らなかった。いや、たぶんチュートリアルで一度は聞いたと思うんだが。
「ですが……」
アーミットの声が沈んだ。
「ん?」
「私が生まれるずっとずっと前に、私たちは女神の恵みを得ることが出来なくなってしまいました」
「ああ、村長が言っていたやつだな」
食べ物がなければドロップ品で食いつなげばいいじゃない、と言った俺に対し、村長はそんな確率の低い賭けには頼れないと言っていた。つまり、この世界の人々にとって、モンスターを倒してドロップ品を得る、というのは滅多にないことだということになる。
「モンスターを倒しても、それだけです。血肉も、恵みも、何も残らないようになってしまったんです」
「そりゃあ……、冒険者上がったり、だなあ」
モンスターを倒す旨みが何もない。
「物語の中に出てくる冒険者は、アキラ様やイサト様のみたいにとても格好良いんですけど……、実際の冒険者は、村や町の護衛として近辺のモンスターを駆除するだけの人になってしまいました」
「モンスターを倒しても、身入りがないわけか」
「それはロマンに欠けるな」
俺とイサトさんはお互いに顔を見合わせる。
街や村を守る、というとそれはそれで別種のロマンがあるような気がしないでもないが、それは国を守る騎士や兵士の領分だ。
冒険者といったら、やはりお宝を求めて未開の地を切り開き、モンスターを相手に戦いを繰り広げていただきたい。
そして、俺やイサトさんの装備のほとんどはドロップ品そのものだったり、それらを素材に作られたものだったりする。その大本であるドロップという供給がなくなってしまえば、俺らが当たり前のように使っているアイテムのほとんどは再現不可能だろう。
……そりゃあ冒険者が地味になるわけだ。
しょっぱい顔をしている俺に、イサトさんがさらに追い打ちをかけてくる。
「ドロップアイテムがないというだけでそんな顔をするのは早いぞ、秋良青年」
「ん?」
「『女神の恵み』が発動しないということは、下手するとドロップ品が手に入らないどころか、経験値すら入らない可能性が」
「まじか」
悲惨極まりない。
モンスターを倒すことで、概念的な経験値は手に入るかもしれないが、それが強さにつながらないRPGというのはなんともえげつない。実装されたゲームだったらユーザーがサジを投げる。モンスターを倒しても、プレイヤースキルが上がるだけでご褒美もなければステータスの成長もないなんて、なんの苦行だ。ひたすらプレイヤーのスキルが求められるFPSあたりならまだしも、RPGの世界でそれはない。
「なんで『女神の恵み』が発動しなくなっちゃったんだろうな」
「イサト様のような特別な民だけ……、ってわけじゃないんですよね?」
「違うだろうな。俺は人間だが、アイテムドロップ手に入れられるし」
俺は手をわきわき、と動かしてみる。
そのあたりは、昨夜の盗賊討伐および砂トカゲ駆除戦からも確認済みだ。
俺が倒した砂トカゲからも、ゲーム時とほぼ変わらない確率でパフェはドロップしていた。少なくとも、俺は違いがあるようには感じられなかった。
経験値の方はゲーム時と違って、数値でわかるわけじゃないので実感がないが。
「エルフやダークエルフが姿を消したのと、『女神の恵み』が発動しなくなった時期っていうのはどうなってるんだろうな」
むぅ、と悩ましげにイサトさんが呟く。
つい忘れがちだったが、この世界においてはエルフやダークエルフはもう滅んだ古の種族ということになっているのだ。
アーミットの口ぶりからして、それら一連の物事つい最近のこと、といったわけではなさそうだ。
「わからんことだらけだ」
「まあ、異世界だしな」
それを言っちゃおしまいです。
なんとなく見知ったゲーム内にトリップしたつもりでいるので危機感が薄いが……一応これでも異世界トリップなのだ。
まだこの世界に到着して二日。
わからないことが多いも当然か。
「アキラ様!イサト様!」
アーミットに呼ばれて顔をあげる。
思えばこの短時間で、名前を様付けで呼ばれるのにもだいぶ慣れた。
……癖にならないといいな。
「つきました、エルリアです!」
そして――……、俺たちはようやく、はじまりの街エルリアに着いたのだった。
本業が多忙極まりないうちに間が空いてしまいました。
楽しみにして下さる方がいたら、申し訳ないです。
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