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壮大な誤解

 それから数日が過ぎて。

 俺は、いよいよその『セントラリアを救った英雄と聖女が結ばれる儀式』とやらを迎えていた。


 例によって例のごとく、俺の身体に自由はない。


 大聖堂の奥にて軟禁されている間はまだ喋ることも許されていたものの、儀式当日である今日に至っては当然のように口すら利けないレベルでぎちぎちに精神干渉で縛り上げられている。


 本当、これが終わったら俺、真面目に魔法防御のステータスを育てようと思う。


 そんなことを現実逃避気味に考えている間にも、儀式は着々と進んでいく。

 会場となる大聖堂には、大勢の人たちが詰めかけていた。

 何列にも並ぶ信徒席の前列には王族や貴族、そして有力者たちが座り、その次からはセントラリアの街の人たちの中でも席をとることができた幸運な人々が並んでいる。

 赤い絨毯の上を聖女と腕を組んで入場した際に、自然に目に入る範囲で知った顔がいないかを探してみたが、どうやら俺の知る人々はいないようだった。


 ……まあ、そうだろう。


 俺の知り合い、ということはすなわち俺とイサトさんの知り合い、だ。

 彼らからしてみれば、俺は聖女との婚姻に目が(くら)み、大事なパートナーを捨てた男、ということになる。そんな男の結婚式に、好き好んで参列したがるような物好きはいないだろう。


 知り合いに見られずに済む方が、俺としても精神的に楽、ではあるのだが。

 そうも言っていられないのがシェイマス陛下である。

 なんといっても、この儀式を進める司祭の役を務めている。

 俺たちの婚姻は陛下により承認され、陛下の目の前で俺は婚姻の証として黒竜王の大剣を聖女へと捧げるのだ。

 よどみなく仰々しい祝詞をあげ、朗々と神事を進めるシェイマス陛下。


「セントラリアを救いし英雄よ、剣を」

「……はい」


 陛下に促されて、俺はインベントリより取り出した黒竜王の大剣を白い花々の敷き詰められた祭壇の上に置く。遠目から見ても十分な威容があったのか、ざわりと背後で参列者たちが小さくどよめくのが聞こえた。


 もしここで俺の身体が少しでも動いたならば、すぐさまあの大剣へと手を伸ばし、隣に立つ幸せそうな花嫁と一戦交えてでも逃げ出したいところだ。


 大剣を前に、陛下は俺たちへと結婚の意思を確認する。

 全力で首を横に振りたいのに、俺の身体は勝手に隣の聖女を伴侶として一生愛することを誓っている。死にたい。


 俺と聖女が、祭壇の手前で向かいあう。


 本日の聖女はいつもの巫女服ではなく、いかにも結婚式というような純白のドレスだ。あまり華美ではないものの、清楚(せいそ)なドレスは見た目だけならとてもよく似合っている。長い黒髪をシニヨン風にまとめ、その上には白い薔薇をあしらった髪飾りが添えてある。首から腕にかけては肌色を微かに透けさせつつもレースのボレロが巫女らしい慎ましやかさを演出している。

 中身がアレだと知らなければ、そのはっとするような美しさに見惚れるようなこともあったかもしれない。

 うっすらと頬を紅潮させ、俺を見つめる彼女は傍から見たら、英雄と結ばれる幸せな花嫁そのものだろう。


「この婚姻に異議を唱えるものがいるのなら、今この場で前に出よ」


 形式上のセリフを陛下が参列客へと問う。

 当然、物言いをつけるものなどいない。

 では、と陛下が儀式を続行し、誓いの口づけを、などと恐ろしいことを言い出そうとしたところで。


「異議ありィ!!」


 高らかに叫ぶ声と共に、





 ガシャンパリーン!!





 と、何か、すごい音が響いた。

 キラキラと、細かく砕けた天井のステンドグラスがまるで光の雨のように参列客へと降り注ぐ。

 ばりばりとなおも天井を破る音が響く中、その下にいた参列客たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。


 俺はその破壊音の主を見上げて、息を呑んだ。

 まず目に入ったのは、黒銀を帯びた鱗を美しく煌めかせるドラゴンだ。そしてそのすらりと伸びた優美な首の後ろにまたがる、凛々しくも美しい竜騎士のような――イサトさん。

 長い銀の髪を靡かせて俺たちを見下ろすその姿は、あんまりにも格好が良すぎた。このシチュエーション、つくづく逆が良かった。普通囚われのお姫様を助けに行くのは騎士の役目ではなかろうか。自分が囚われポジションであることに、盛大な不服を訴えたい。


「っ……、あのものを捕らえなさい!」


 聖女が叫ぶ。

 警備の騎士たちが何事かと駆けつけるものの、竜と共に乗り込んできたのがイサトさんであることに気付くと、彼らはその場で動きを止めた。


 陛下も、セントラリアを救った英雄の片割れでもあるイサトさんが相手では頭ごなしに命令するわけにもいかず、困惑を隠しきれていない。


 それでも、イサトさんへと問い返したあたりが流石だった。


「そなたは何故に異議を唱える」

「何故なら彼が本当に聖女を愛しているとは思えないからだ。

 婚姻とは神聖なもの。虚偽をもって成立してはならないはず」


 イサトさんは一度そこで言葉を切ると、聖女の隣に立ち尽くす俺をまっすぐに見つめた。


「彼には、他に好きな女性がいる」

(……っ)


 自由が利かないせいで表立っての反応は乏しいものの、俺は内心息を呑む。


 イサトさんに、俺の気持ちがバレていた?

 死にたいほどに恥ずかしい。


 だけど、同じぐらいにこうして俺の気持ちを信じて助けにきてくれたことが嬉しくて仕方がない。

 イサトさんは、立ち尽くす俺に向かって全てちゃんとわかっているのだというような、包容力に溢れた優しい笑みを浮かべて見せた。


「秋良青年、そんな呪縛はさっさと振り切ってしまってくれ。

 君が心から愛する――……レティシアのためにも!」







 …………。

 ………………。

 ……………………。





「はあ!!!!????」







 思わず渾身のツッコミが炸裂した。

 同時に、それまで身体を縛めていた不可視の束縛が解けて、ガクン、と体がつんのめるような衝撃とともに四肢が自由になった。


「な、何故……!」


 聖女が動揺したよう声を上げる。

 俺だって聞きたい。

 意外性の勝利というところだろうか。

 問題は、イサトさんが本気だということだ。

 イサトさんは本気で、何故か俺がレティシアに想いを寄せていると思い込んでいる。何故だ。どうしてそうなった。


「秋良!」


 イサトさんがするりとエレニの首から飛び降りてこちらへと駆け寄ってくる。

 俺は祭壇の上に置かれていた黒竜王の大剣を(つか)み取って、聖女から距離を取ろうとするものの……それよりも早く、聖女がまるで全身で飛びつくようにして大剣を抱きかかえた。


「アッ……!?」


 まるで焼き(ごて)を押し当てられたかのように身をよじって聖女が悲鳴を上げる。

 手のひらはもちろん、腕や、抱きかかえた大剣に触れる首筋などにまでぶわりと黒い鱗が浮かんでは聖女を(さいな)む。


 黒竜王の呪いは健在だ。


 それでも聖女は大剣を手放さない。

 地下の枯れ木男と、今目の前にいる聖女が同一人物であるというのなら、もしかしたら聖女は地下での戦闘を通してこの大剣の危険性を認識しているが故なのかもしれなかった。


「あ、あ……っ、あああッ!」


 細い悲鳴を上げながらも、聖女はきつく大剣を抱きしめる。

 たおやかなドレス姿に押し付けられる大剣が、柔らかな布地に食い込み――…やがてそのままずぶずぶと聖女の身体へとめりこみ始めた。


「な……ッ!」


 息を呑む。

 大剣を抱きしめて前のめりに身を折る聖女の姿は、()しくも地下で戦った枯れ木男の最期によく似ていた。


 ぶびゅりッ、と白いドレスの背が爆ぜて、どろりとヌメる黒が現れる。

 それすらも枯れ木男の触手によく似ていたものの……そのヌメりを帯びた黒は、そのままじわじわと聖女の身体を包みこみながら形を変えていく。


 やがてそこに現れたのは、聖女の姿など原型すら止めぬ漆黒の禍々しいドラゴンだった。黒竜王にどこか似ているような気がしないでもないものの、その表面はヌルリとした不気味な光沢に覆われている。


 ギャアアアウウウウアアアアオオオオッ!!!


 威嚇するように、苦悶の声を上げるように、ドラゴンが吠える。

 一拍遅れて、これまで呆然とことの成り行きを見守っていた参列客の間から悲鳴が上がった。


「みんな逃げろ……! セントラリアから出るんだ! 団長さん、街の人たちの誘導を頼む!」

「ッ、わかりました!」


 イサトさんの乱入、聖女のドラゴン化と一連の流れに呆然としていた団長さんが、俺の声にハッとしたように参列客を大聖堂の外へと追い立てていく。周囲の騎士たちも団長さんに倣い、慌てて参列客の誘導を始めた。


 隣にやってきていたイサトさんが、ヌメっとしたドラゴンを牽制するようにスタッフを構えつつ気遣わしげに俺へと声をかける。


「秋良青年、平気か?」

「うん、なんとか。助けに来てくれてありがとう、助かった」


 身体の自由を奪われ、良いように操られたりもしたが逆を言うとそれだけだ。

 何も身体的な危害は加えられていない。


 SAN値的には結構削られたような気がしないでもないが。


 とんとん、と身体の調子を確かめるように軽くその場で跳んでみる。

 うん。何もおかしなところはなさそうだ。


「そうか、それなら良かった」


 そう言って、イサトさんは口元に満足そうな、嬉しそうな笑みを浮かべる。


「――……信じてた」


 ぽつり、と小さく呟かれた言葉に、かあ、と胸の中が熱くなる。

 操られていたとはいえ、俺自身の口から聖女との結婚を決めた、と告げられたはずなのに、それでも俺のことを信じてイサトさんはこうして助けてくれたのだ。


 もしイサトさんが、俺が口にした別れの言葉を本気にしてしまっていたら、と考えると背筋がぞっと冷える。きっと俺はあのまま身体の自由を奪われ、ときには意思すらも奪われ、「従兄(あに)上」の代理をさせられ続けていたのだろう。


「ありがとうな、イサトさん」


 俺を信じてくれて。

 ただ、何がどうして俺がレティシアのことを好きだなんて誤解が生じているかについては小一時間ほど膝を詰めて話し合いたいところではあるが。マジで。


「それで秋良青年、これが黒幕か?」


 イサトさんが、ふ、と視線をヌメっとしたドラゴンへと向ける。

 そうだ。今はイサトさんの誤解についてを問い詰めている場合ではない。

 まずはこの聖女の成れの果てをどうにかしなければ。


「……黒幕っていうか、地下にいたのと同一人物だよ。元はあの枯れ木男だったのが分裂して、一人は地下に。一人は地上で聖女やってたらしい。目的は女神に成り代わることらしい」

「おお……」


 俺のざっくりとした説明に、イサトさんが呻く。

 女神に成り代わる、という目的が壮大すぎてピンと来ないのだろう。

 だが、困惑したように視線を彷徨わせたイサトさんは、とある一点で目を留めると「なんとなく、わかったような……?」と頷いた。


「へ?」


 俺もそちらへと目をやる。

 そこにあったのは、大聖堂に飾られていたなんの変哲もない女神像だ。


 いや、違う。

 その顔が、俺たちの知る女神とは異なっていた。

 聖女だ。

 聖女と、同じ顔をしている。


「……どうりで大聖堂で祈っても女神に祈りが届かないわけだ」


 思わずそんな言葉が口をついて出た。

 これまで俺たちは、大聖堂に何度か足を踏み入れているが、実際にセントラリアの人々が祈りを捧げる場まで訪れたことはなかった。


 だから、これまで気付かなかった。


 この大聖堂において、信仰の対象になっていたのは女神ではなく聖女。

 地下の魔法陣、そして長い年月をかけて行われた信仰対象の()り替えが、じわじわと女神に寄せられる信仰の力を奪っていったのだ。


 ギャウウルゥウウアアアアア!!


 かつては聖女だったドラゴンが、ぬらりと光る灰色の双眸で天を仰いで苦悶の咆哮をあげる。

 最初は黒竜王にも似たフォルムを保っていたはずのドラゴンは、今や不自然なまでにその形を歪めていた。まるで内側から何かが生まれようとしているかのように、ぼこりぼこりと煮立った湯のようにその表皮が粟立つ。


 やがてぶつりとその肌を喰い破り、ずるりとその体内から生えてきたのは二本目の竜の首だった。ただし、こちらの竜の双眸は、燃え盛る燭のような鮮やかな金の色をしている。


 ―――黒竜王だ。


 黒竜王と同じ色の()を持つ竜の首は、先にあった灰眸の首へと容赦なく喰らいついた。ぎちり、と牙の食い込む音がこちらにまで聞こえてくる。


 ギャゥン!!


 悲鳴のような咆哮が響き、それに応じるように、新たな灰の眸をした竜の首がぬぷりぬぷりと生じては、金眸の首へと襲い掛かっていった。


 何本もの竜の首が生じては喰らい合い、引き千切られては汚泥へと変わり果ててぼたりぼたりと周囲へと飛沫(しぶ)く。


「イサトさん……!」


 俺は慌ててイサトさんの身体を庇うように引き寄せる。

 アレがどんなものだかわからないが、人体に触れて良いものだとはとても思えない。実際、こちらまで飛沫(しぶ)いた汚泥はびちゃりと白く滑らかな石で作られた床に落ちると、しぅうう、と細い煙をあげてその個所を腐食していった。 


 床だけではない。

 汚泥の塊めいたドラゴンの身体から立ち込める瘴気は、じりじりと周囲を汚染していっている。祭壇の上で慎ましやかに咲いていた白い花々は、とっくに(しお)れ、腐り落ちている。


 俺たちだからまだなんとか正気を保っていられるものの、一般の参列客が残っていたらきっとアテられてしまっていただろう。


 と、そんな中でふらり、と動く人影があった。

 白く(なび)く巫女服。

 ウレキスさんだ。


「ッ、……ウレキスさん!」


 慌てて呼びかけるものの、ウレキスさんはふらふらと取り込んだ黒竜王の大剣の力を制御できずに悶え苦しむ聖女の成れの果てへと近づいていく。


 なんで避難してないんだあの人……!


 慌てて駆け寄ろうとした俺の耳に、ドラゴンへと必死に呼びかけるウレキスさんの声が響いた。


「姉さま……! 今助けます! 今、助けますから……!!」


 ――……ああ、そうか。そうだった。


 ウレキスさんにとって、聖女は大事な姉なのだ。

 苦しむ姉を、かつては自分の命を救ってくれた姉を、ウレキスさんが見捨てられるはずがなかった。


 だが、アレはもうウレキスさんの姉ではない。

 いや、最初から違うのだ。

 次代の聖女として大聖堂の奥、周囲から隔絶されたあの(いおり)に足を踏み入れた時にもう、彼女は亡くなっている。


 ギュグルァアアアア!!


 灰眸の竜が吠えると同時に、ばきばきと床をへし割って黒くヌメる触手が逆氷柱(さかさつらら)のように伸びあがってウレキスさんへと襲いかかる。


 その身体が貫かれる寸前、といったところでウレキスさんの身体を地上より(さら)ったのはエレニだ

った。歯牙の切っ先にウレキスさんの襟首をひっかけて、空高く引き上げる。


「グッジョブ、エレニ!!」

「離してください……! 私は姉さまを……! 姉さまを助けなければ!!」

「ウレキスさん、残念だけど本物のウレキスさんのお姉さんはもう亡くなってる!! アレはその姿を借りただけのバケモノだ!!」

「ッ、そん、な……!!」


 空中で身をよじり、エレニから逃れようと抵抗していたウレキスさんの身体からがくりと力が抜ける。


「エレニ、ウレキスさんを連れて逃げてくれ!!」

『君らは二人で大丈夫なわけ……!?』

「なんとかする……!!」


 大丈夫、とは言えなかった。

 だが、ここまできたらなんとかするしかない。

 なんとかしなければ、ここで世界が終わる。

 とは言いつつ、愛用していたクリスタルドラゴンの大剣は折れた。

 代わりに手に入れた黒竜王の大剣は、聖女の腹の中だ。

 今は黒竜王の呪詛がヌメっとしたドラゴンもとい、腐竜を蝕んでいるが……アレもどれぐらい持つことか。おそらく、黒竜王の呪詛(じゅそ)だけでは腐竜を殺しきることはできないだろう。


 俺はインベントリにしまってあった長刀を引き抜こうとして――…


 そ、と。

 イサトさんが、そんな俺を制止するように腕に触れた。

 そして差し出されるのは、そろそろ見慣れた可憐なドリーミィピンク。

 しゃらんら☆だ。


「ええー……」

「聖属性で直接ぶん殴らないと駄目だろう、アレ」

「……それはそうなんだけども」


 渋い顔をする。

 ここまで来て、俺はまじかる☆しゃらんらで戦わなければならないのか。


「ッたくしまらねェな!!」


 景気付けのように低く唸って、俺は瘴気の塊めいた腐竜へと走る。

 行く手を阻むように床を突き破って生える触手を避け、蹴散らし、腐竜の巨躯を横合いからぶん殴る。


「セット Ctrl(コントロール)1、(ファンクション)2!」


 頭上から俺を襲うように降り注ぐ汚泥は、イサトさんの放った雷がバチバチと弾いて灰塵(かいじん)へと帰した。


 黒竜王戦と同じだ。

 俺が至近距離からしゃらんら☆を振るって腐竜へと直接ダメージを叩き込む。

 イサトさんはその援護をしつつ、俺に指示を出す。

 違うのは、俺への指示が肉声だということぐらいだろうが。

 たった小さな指輪だというのに、左手の薬指にそれがないというだけで妙に寒々しい気がする。


「秋良ッ、私が道を作る!!」

「了解!!」

(ファンクション)1! (ファンクション)2! (ファンクション)3!!」


 目の前が白むほどの至近距離で炸裂する雷光。

 その光は俺の露払いだ。

 ほんの数瞬の間をおいて、俺はその光に飛び込むようにして腐竜の懐へと接近して、しゃらんら☆で殴りつける。


 グガァアアアアアア!!


 咆哮が鼓膜をびりびりと震わせる。

 ぬとりと光る一対の灰の眸が俺を見下ろし、喰らいつこうとして――……横合いから伸びる金眸の竜の首がその喉首を喰い破った。


 びちゃびちゃと降り注ぐ汚泥からの逃げ道を確保するのもイサトさんだ。


「セット Ctrl(コントロール)1、(ファンクション)1! (ファンクション)2! (ファンクション)3!!」

 カッと周囲を照らす白光が触手を散らし、汚泥を灼き払ったのを目で確認するよりも先に身体を動かす。


 イサトさんが道を作る、と言うのなら俺はそれを信じるまで。

 イサトさんの魔法こそが俺の道標だ。


 思い切り振りぬいたしゃらんら☆で汚泥のぱんぱんに詰まった水袋めいた腐竜の身体をぶん殴る。

 その最中、頭上でぬぷりぬぷりといくつもの灰眸の首が生じるのが見えた。

 金眸の首はすでに満身創痍だ。

 きっと、これ以上長くは持たない。


「ウルァアアアア!!」


 込み上げる焦燥を散らすように、俺は声を上げる。













 一方その頃。


 エレニは巫女を背に乗せ、セントラリアの上空を舞っていた。

 ばさりと羽搏(はばた)いて、大聖堂の上を旋回する。

 大聖堂の周囲にはもうほとんど人の姿はなかった。

 大勢の人の群れは、この非常事態だというのに比較的速やかに避難が進んでいるようだった。そんな人々の最後尾を守るのは、白銀の鎧を纏う騎士たちだ。


 そして、人のいなくなった街中を素早く駆け回る影には獣のような耳と尾がついていた。おそらくは逃げ遅れた人々がいないかを確認して回っているのだろう。


 そんな街の様子を見下ろして、エレニは己もまた街の外へと向かう。

 エスタイーストへと向かう街道沿いのなだらかな草原に、セントラリアから脱出した人々が集まっているのを見つけた。


 己が一度セントラリアを襲撃しているのを見られているもので、あまり人込みには近づきたくないのだが……背中に乗せている巫女のことを考えればそんなことも言っていられない。


 エレニは少しだけ離れた場所へと、静かに降り立つ。

 それでも、人々の合間には恐れをなしたような悲鳴交じりのざわめきが広がった。

 背に乗せていた巫女の襟元をそっと咥えて、エレニは彼女を大地へと下ろしてやる。エレニの口に女性の姿があることに、ますます人々の間の動揺は大きくなり、やがて抜き身の剣を構えた騎士たちがエレニの眼前へと飛び出してきた。


 面倒くさい。


 その一言に尽きる。

 人の騎士など相手にしている場合ではない。

 エレニは、早くあの場に戻らなければいけない。

 養父である黒竜王を死に追い込んだ責任を、あの竜の形をしていることすら許せない汚泥の塊に取らせなければならないのだ。


 とりあえず手っ取り早く威嚇して追い払おうと牙を剥きかけたエレニの前で、騎士たちからエレニを庇うように腕を広げたのは巫女だった。


「おやめください……! この竜は私を助けてくれました! 害意のある者ではありません!」

「……ッ!」


 彼女の言葉に、今にも斬りかからんとしていた騎士たちの動きが止まる。


 よし。それで良い。


 エレニは、巫女が十分に距離を取ったところで再び空に舞い上がろうと翼を広げかけるが……そこで再び何者かが、止めようとする騎士たちの腕を擦りぬけて飛び出してくるのを見た。

 燃えるような紅蓮の髪に、同じ色をした獣の耳を持つ子どもたちだ。

 おそらくは姉弟(きょうだい)だ。

 そして、エレニにはその姉の方に見覚えがあった。


 いつか、イサトとアキラにちょっかいを出すために廃墟に訪れた際に、気まぐれを起こして言葉を交わした獣人の少女だ。

 彼女には、目の前にいるドラゴンがあの時の男だとはわからないだろう。

 だが、それでもその少女は、獣人など爪の一振り、ブレスの一吹きで殺してしまえるであろう竜を相手に怯まずに叫んだ。


「アンタ!! イサトとアキラのところに戻るんだろう!!」

『…………』


 そのあまりにも必死さの滲む声に、エレニは小さく顎を引いて頷く。


「なあ、オレたちに出来ることはねえのかよ!! いっつも、イサトとアキラに護ってもらってばっかりでさ!!」


 それは悔し気な叫びだった。

 小さな獣人の少女に、出来ることなどないのだと、きっと本人が誰よりもよくわかっている。それでも、彼女は叫ばずにはいられなかったのだろう。

 何もできないことへのもどかしさの滲む赤い双眸の目元が、薄っすらと濡れているのがわかる。

 その少女の言葉に同調するように、騎士たちがぐ、と剣の柄を固く握りしめた。


「ドラゴンよ、私も知りたい。私たちでは彼らのために何もできないのだろうか」


 騎士の一人が声を上げる。


「オレも同感だ。何か出来ることはねェのか」

「私に出来ることはないのか」

「私にも、何かさせてください」


 獣人姉弟の身内だと思われる長躯の獣人が。

 その傍らで同様に声を上げたのは、どう見ても戦闘要員には見えない商人風の男と、いかにも両家の子女というような少女だった。


 わらわらと彼らに囲まれて、エレニはぐるりと喉を唸らせる。

 さっさとこの場を飛び立って大聖堂に戻りたい気持ちはある。

 だが、何か手はないのだろうか。

 こうして力になりたがる彼らを使った起死回生の案が。


 アキラは言っていた。

 あのバケモノは、『女神に成り代わりたい』のだと。

 事実、エレニはセントラリアを守護する聖女が黒竜王の大剣を取り込み、見るに耐えない醜いバケモノへと姿を変える様を見ている。


 女神の力を掠めとっていた紛いモノ。

 女神に成り代わりたいバケモノ。

 そいつに対抗するために有効な手はなんだ?


 そこで、ふと口を開いたのはエレニを庇った巫女だった。


「私たちは……、恐ろしい過ちを犯しました。

 女神へと捧げるべき祈りを、おぞましい魔物に捧げ、その結果自らこの世界を歪めてしまったのです。ならば、今私たちに出来るのは、正しく祈ることではないのでしょうか。我々に代わり、魔を討たんとする英雄のために。彼らに女神の加護があらんことを」

『――……ああ、それだ』


 ニィ、とエレニの口角が裂けるように持ち上がった。

 竜が人の言葉を話したことに、驚いたように人々がざわめく。

 エレニは、ゆっくりとその双眸を閉ざすと、竜化のスキルを解いた。


「お、お前はエレニ・サマラス!?」

「そうそう、エレニ・サマラスだよ」


 以前セントラリアを潰そうと潜入していた時の顔見知りがいたらしい。

 ひらひら、とエレニは気のない様子でそちらへと手を振る。


「俺を疑うならば疑えばいい。だが、今も大聖堂でこの世界のために戦う彼らのために何かしたいと思うのならば、俺に協力するといい。もしくは、せめて邪魔はするな」


 人の形はしていても、エレニはエルフであり、竜だ。

 誇り高き黒竜王の息子だ。

 薄く灰がかった蒼の双眸に射竦められたように、エレニを警戒するように声を上げた何人かの人間が口を(つぐ)んだ。


 果たして、どれぐらいの人間が乗ってくれるだろうか。

 エレニは、青ざめた顔で、それでも気丈に己を見据える巫女の下へと歩み寄る。


「俺には、ドラゴンに化ける他にも手に職があってね」


 自分でも、もうほとんど忘れていた。

 祖国が滅んで以来、その役割を果たすことはもうないのだと思っていた。



 そんなエレニの本来の役職は――竜神官。



 女神の威光の象徴である竜に仕える神職だ。


「随分と久しぶりだから……、まあ、少々音を外しても大目に見てくれよ」


 ふ、と小さく一度苦笑交じりに呼気を()がしてから、すぅ、と息を吸った。

 そして、エレニの口から漏れたのは低い旋律だ。

 セントラリアではもう、歌われなくなって久しい女神へと捧げる聖歌。


 その調べに、あ、と気づいたように声を上げたのは獣人たちだった。

 紅蓮の髪の姉弟が。

 その父が。

 商人が。

 そして騎士たちが。

 次々とその旋律を追いかけるように歌を口遊(くちずさ)む。

 最初のうちは小さな(さざなみ)のような声だった。

 旋律も危うげに揺れている。

 けれど、同じ旋律を何度も繰り返すうちに、少しずつ声は大きくなる。

 聖歌を口にする人々が増えていく。

 寄せては返す波が、次第に大きくなっていくように。

 歌声は次第に大きなうねりとなって、セントラリアの郊外に広がっていく。

 女神の加護を願い、女神を称える歌はまさしく女神への祈りだ。



 レティシアは歌う。

 モンスターに襲われた飛空艇、死を覚悟したその時、颯爽(さっそう)と現れて助けてくれた二人の英雄のために。


 エリサとライザは歌う。

 獣人への迫害のもと、両親から引き離されて辛く苦しい思いをしていた自分たちを救い、対等に接してくれた二人の友人のために。


 今もまたセントラリアのために戦う二人を知るものたちは、歌う。

 二人に命を救われた獣人たちが。

 宿屋の女将が、宿屋の常連たちが。

 仕立屋の老主人が、その息子家族が。

 ニレイナであることを捨て、ニーナとして新しく歩み始めた少女が。

 迷いながらも少しずつ答えを見つけて歩きだそうと決めたウサギの青年が。

 深い悔恨を抱く商人が。騎士たちが。

 声を一つに朗々と歌う。


 女神よ、どうか。

 この地を守るべく戦う彼らに祝福を――






ここまでお読みいただきありがとうございます!

Pt、感想、お気に入り登録、ありがとうございます!

感想でいただいた、「ラスボス属性盛りすぎ」とのコメントにものすごい笑いました。

ありがとうございます!


次回の更新は8月9日になります。

そしておそらくそれでおっさんは大団円を迎えます!

最後まで応援していただけますとうれしいです!

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