おっさんと虚ろの王
その次の日。
俺とイサトさんは、シオンがこれまでに作成してくれたマップを片手に昨日見つけた魔法陣の下へと再び戻っていた。
地下の広場には、昨日から変化は見られない。
相変わらず薄闇に溶けるように、広場の地面には黒々とした魔法陣が描かれている。それを通路から眺めつつ、俺はもう一枚の地図を広げた。
こちらは、地上のセントラリアを描いた地図だ。
昨日、シオンが気付いたのだ。
シオンはこれ気付いて、地図を広げたところで襲われた。
二枚の地図を、地下通路の起点であるマルクト・ギルロイの屋敷が揃うようにして重ねる。
「…………大聖堂の真下、か」
「怪しいな。おそらくだが――……、この魔法陣こそが、女神の力を掠めとるための仕組みなのではないだろうか」
「その可能性は高い、よな」
俺たちが目にした範囲では、セントラリアの人々の信仰心が衰えているようには感じなかった。むしろ、人々は困難を目の前にして助けを求めるべく大聖堂へと足しげく通うようにすらなっていたぐらいだ。
それなのに、女神の力が衰えていっていたのはこの魔法陣のせいではないのか。
「イサトさん、これどうにかできるか?」
「うーん」
「難しい?」
「真っ当な方法では難しいな。スキルとして魔法を使うことはできるけれど、学問として魔法の知識があるわけじゃあないからな。こう、魔法陣を描き換えて、とかそういう方法で効果をキャンセルするのは無理だ」
「……聞くのがちょっと怖いけど、真っ当じゃない方法っていうのは?」
「物理破壊なら任せろ」
きっぱりと言い切られた。
また何かテロリストのようなことを言い出すイサトさんである。
「物理って……それ大丈夫なのか?」
「間違いなく大丈夫じゃない。ある程度強力な攻撃魔法を叩きこめば、地盤ごと魔法陣を破壊し尽くすことはできるだろうけれど――……まあ、大聖堂は崩落するだろうし、私たちは生き埋めになる」
「却下。超却下」
何故許可が出ると思ったのか。
俺の却下に、イサトさんはわざとらしく残念そうに唇を尖らせる。
「他に方法は?」
「ん―……、あとは地味に魔法陣そのものを倒す、ぐらいだろうな」
「魔法陣って倒せるのか?」
「普通は倒すようなものじゃないだろうが、この魔法陣ってヌメっと製だろう」
「ああ、なるほど」
ぽん、と手を打った。
この魔法陣を描いているのは、ヌメっとした物質だ。
だからこそ足を踏み入れたシオンに反応し、襲いかかりもした。
魔法陣そのものを破壊するのではなく、魔法陣を描くヌメっとした物質を倒してしまえば良いというわけか。
と、そこでまるでそれが極々自然の流れであるかのようにイサトさんがしゃらんら☆を俺に向かって差し出した。
「…………」
「…………」
無言の攻防。
そっとイサトさんが俺の手を取ろうとする。
その手をやんわりと押し返す。
「……?」
「その顔やめろ」
「ひどい」
「ひどいのはイサトさんです」
なんだその、思いがけず善意を断られて呆然としつつ傷つきました、的な顔は。
芸達者すぎるだろう、イサトさん。
「そもそもなんで俺なんだ、イサトさんがやれば良いじゃないか」
可愛らしく可憐にピンクな魔法少女に変身してくれたら良いと思う。
俺はしっかり見ているから。
そんな俺に対して、イサトさんはふう、と息を吐く。
まるで聞き分けのない子どもに対して言い聞かせるような仕草だ。
「私がやったら、大聖堂崩落コースだぞ?」
「」
思わず言葉を失った。
イサトさん、それはあくどすぎやしないか。
俺の眼差しからそんな抗議を感じ取ったのか、イサトさんがぷいと唇を尖らせる。
「だってほら、神職じゃないから聖属性の魔法攻撃使えないじゃないか。だから、私が浄化しようと思うと攻撃魔法にしゃらんら☆で聖属性を追加させる――……、という形になるわけなのだけども。地面に描かれた魔法陣に攻撃魔法を叩き込み続けるのってどう考えても地盤崩落すると思わないか」
「ぐぬ」
確かに、言われてみればそう、ではある。
いかに手加減していたとしても、魔法陣の描かれている地面ごと攻撃魔法を打ち込み続ければ、崩落の危険性がないとは言えなくなる。
だが。
だがそれでも。
「…………」
「はい、どうぞ」
そっとしゃらんら☆を押し付けられる。
仕方なく、渋々それを受け取った。
脳裏に浮かぶのは、エレニの身に起きた悲劇だ。惨劇だ。
あれを繰り返してはならない。
もともと魔法スキルなんて持ってはいないが、絶対に使ってたまるかの心意気で俺はしゃらんら☆を受け取ると魔法陣の描かれた広間へと足を踏み入れた。とたん、足元で直接踏んではいないものの魔法陣の表面がざわりとさざめくのがわかる。
そんな魔法陣の表面に、これでもかとばかりにしゃらんら☆を叩き込んだ。
びちゃり、と黒い泥が跳ねる。
跳ねて、飛び散って、しゅおおおお……、と細く煙を吐きながら消えていく。
「良い感じだ」
「本気かイサトさん」
むしろ正気か。
イサトさんは上機嫌にそんなことを言っているが、今イサトさんの目の前で繰り広げられているのは、黒ずくめのごつい男がドリーミィピンクのマジカルステッキを禍々しい魔法陣に叩きつけてまわるというおぞましい絵面だ。地獄絵図だ。
時折波打ち、俺を死角から捕らえようと伸びる触手じみたヌメっとした魔法陣の一部は、少し離れたところから攻撃魔法を放つイサトさんの援護のおかげで俺には届かない。
ばしゅん、と風の刃で切り刻まれた触手が地に落ちて再び魔法陣に同化する前にしゃらんら☆でぶん殴る。吹っ飛んだ黒泥はべちゃりと壁に貼りつき、そこでしぅうう、と細い煙を吐いて消えた。
俺の足元を中心に、次々と魔法陣の紋様が破壊されていく。
魔法陣のおよそ二割程度が俺の自棄っぱちな破壊活動の犠牲になった頃だろうか。急に、生ぬるい風がぞわりと広間を吹き抜けた。
足元の魔法陣にも、まるで音叉を水に近付けたときのような波紋が浮かんでいる。
「イサトさん」
「秋良、魔法陣の中心だ」
イサトさんも気付いていたらしい。
注意を呼びかけるつもりで名前を呼ぶが、逆にその異変の発生源を教えられる。
視線を向けた先には、いつの間にか黒い人影が三つ並んでいた。
がっしりとした長躯の影が二つと、それに挟まれるようにして、枯れ木のように細い影が一つ。
細くやつれた影が手を持ち上げると同時に、びゅぼッと音がして一気に広間が明るくなった。広間の壁に沿って、魔法で生じたのだと思われる火の玉がゆらゆらと揺らめき、あたりを明々と照らし出す。
白茶けた地面に描かれる、禍々しい黒の魔法陣。
そしてその中央に立つ人影たちは、こんな地下で見るには不釣り合いな恰好をしていた。なんというか、王族、貴族、といった風貌だ。特に中央に立つ病的なまでに痩せこけた男が纏っているのは、王城での舞踏会にて陛下が羽織っていた豪奢なガウンにとてもよく似ている。
ただ、それを纏う男自身が華奢を通り越して枯れ木のように痩せ細っているせいで、そんなガウンすらずっしりと重い拘束具のように見える。
そんな細い男の右に控えていた長躯が、ずいと一歩前に踏み出した。
左に控える男が初老と言って良い年齢なのに比べて、こちらは俺と同じぐらいか、少し上、といったぐらいだろうか。その男は朗々と響きわたる声でもって俺たちに向かって喝、と怒鳴った。
「陛下の城に無断で足を踏み入れるとは無礼にもほどがあるぞ!」
「城」
「城」
思わず俺とイサトさんは顔を見合わせて復唱する。
どう見たって、ここは城と呼べるような状態ではない。
それを城、と呼ぶだけでも異様だというのに、やがて明かりに慣れてきた俺たちは対峙する三人組のおかしさをより強く認識し始めていた。
男たちの身なりは、確かに貴族、王族めいて整っている。
だが、よくよく見るとその服は古く色あせ、ところどころ傷み、ほつれていた。
何かが、おかしい。
貴族としての男たちの立ち振る舞いがおかしい、というわけではない。
俺は別に貴族の作法に詳しいわけではないが、この三人の振る舞いは陛下や、聖女、団長さんのそれと印象が重なる。おそらく、実際高貴な立場にある者として間違ってはいないのだろう。
だが、着ているものや場所が、その違和感のなさを裏切る。
狂人が高貴な立場を騙っている、のではなく。
実際その立場の人間が狂っている、というような。
右の男に続いて、左の男が一歩前に出る。
「ええい、頭が高いぞ! セントラリアの正当なる最期の王に対して不敬な!」
「……正当なる最期の、王?」
何か、とんでもなく不穏な言葉を聞いたような気がする。
「叔父上、敬愛する陛下のためにもこの不敬者をさっさと排除してしまいましょう」
「ああそうだな、我が誇らしき息子、素晴らしき王のためにも愚かなるものどもに思い知らさねばなるまいな。近衛兵!!」
年老いた左の男がそう声を張り上げるとともに、ざっざっざっと俺たちがまだ調べていない広間の奥から、無数の足音が重なって響いてきた。
会話の合間にも距離を詰めていたイサトさんへとしゃらんら☆を預け、俺はインベントリより黒竜王の大剣を取り出して構える。
やがて足音が近くなるにつれて、大量の兵士が広間へと雪崩こんできた。
……いや、これは兵士、なのか?
一糸乱れぬ統率で姿を現した大勢の人影たちは、その振る舞いだけを見るのなら確かに近衛兵のようでもあった。隊列を組み、三人の背後に控え、俺たちを捕らえよという指示を待っている。
だが、貴族めいた二人とは異なり騎士の鎧を身に纏っているのは極々少数だ。
ほとんどの者は襤褸切れを纏い、鎧どころか剣すら持っておらず、棒切れを握っているだけの者も多い。中には、女性や、子供すら交じっている。
そこまできて、ようやく俺は彼らに対して抱く薄気味悪さの正体に気付いた。
これは――……マルクト・ギルロイの坊やと同じモノだ。
ぞわぞわと怖気が走る。
死んだ人間の身体を使って行われる、壮絶に薄気味悪い人形遊び、なんて言葉が頭に過った。
でも、だとしたならば、操っているのは誰だ?
この狂った人形劇の中心にいるのは。
―――二人の側近に守られて、傅かれて、大勢の兵士の人垣の奥に隠された枯れ木のように細い男がゆらりと顔を上げる。
青白い顔だ。
血の気の失せた、死体のような肌色。
かさつき、痩せこけた身体は男を取り囲む誰よりも死者じみている。
だが間違いなく、その男の落ち窪んだ眼窩の中にこそ妄執の光があった。
この男が、この地下の王だ。
「イサトさん、操ってるのはあいつだ!」
そう叫ぶと同時に、枯れ木男が細い腕を振りかざす。
無手だったはずのその手の中に、豪奢な杖が現れた。
きらきらと過剰に飾り立てられたそれは、いわゆる王や教皇が持つという宝杖と呼ばれるものに良く似ている。
だが、この場面でそれを持ち出すということは……この男、魔法使いか!
男の周囲にうっすらと光る魔法陣が現れ、力場が渦を巻き始める。
「アレの相手は私に任せろ、君は周囲の雑魚を!」
「わかった……!」
羞恥心を捻じ伏せ、イサトさんがしゃらんら☆を携え男の魔法に対抗すべくスペルを唱え始める。
煌々と明かりに照らされる地下の広間に、ドリーミィピンクの光が炸裂して魔法少女☆イサトさんが爆誕する。銀のツインテールを靡かせ、しゃらんら☆を翳す横顔はひどく凛々しい。
男と、イサトさんの魔法が放たれるのは同時。
二つの魔力が空中にてぶつかり、かき消しあい、わずかな余波を残して消滅する。良かった。このあたりの仕組みは、RFCと変わらないらしい。
RFCにおいて魔法スキルにはランクが設定されており、同ランクの魔法をぶつけあった際には魔法の種類に関係なく互いにかき消しあうのだ。例えば炎系Aランクの魔法にAランクの雷系魔法をぶつければ相殺することが出来るし、炎系のAランクの魔法に同じ炎系のAランクの魔法で対抗しても良い。ただ、一応弱点属性は設定されているので、炎系のAランクの魔法であればBランクの水魔法で相殺することも可能ではある。
相手が魔法攻撃系のモンスターであればその予めわかっている弱点属性で相殺、というのも可能だが、相手がどんな魔法を繰り出すのかがわからないプレイヤー同士のバトルにおいてはとりあえず相手と同じランクの魔法をぶつけあって互いに相殺しあう、というのが魔法職同士の戦闘だ。
高レベル且つ高威力の攻撃魔法は攻撃範囲が広く、純粋な身体能力では回避できないが故の設定だろう。いわば互いに打ち消しあう固定砲台だ。
お互いに魔法職を含むPT同士でプレイヤーバトルとなった場合には、魔法職には相手の魔法攻撃を相殺し続ける、という役割が与えられるし、前衛には己がチームの魔法職を守りつつ、相手陣営の魔法職を先に潰す、というのが戦略のセオリーとなる。高威力広範囲の魔法攻撃は、一撃でも食らえばPTが全滅したっておかしくはないのだ。
なのでこの場合もその戦略はほとんど変わらない。
俺はイサトさんを守りつつ、あの枯れ木男を守る人形どもをぶちのめす。
ただ少し違うのは、あの枯れ木男を倒したからといってその他の人形どもをイサトさんの攻撃魔法で一掃するわけにはいかない、という点だ。
そんなことをしたら、間違いなく大聖堂が崩落する。
枯れ木男には魔法を使わせず。
こちらも魔法は使わず物理で制圧する必要がある。
俺はぎり、と黒竜王の大剣を握りしめる。
一方枯れ木男の方は、魔法攻撃で片がつくと思っていたらしい。
呼び出した近衛兵たちに己を守らせながら何度か攻撃魔法を放ち、そのことごとくをイサトさんに相殺されるに至って、枯れ木男が魔法の詠唱を止める。
ゆるり、と首を傾げて、零れたのは掠れた笑い声だ。
長い間声を発していなかったような、錆び付いた声帯が軋るように笑う。
「ふ、は……はは、ダークエルフの娘、か。それだけの力量があれば、私の花嫁に相応しい……」
「お・こ・と・わ・り・だ!!」
思わず、プロポーズされた当人より先に俺が咬みつくように吠えていた。
「えっ」
イサトさんが思わず素に戻りました、というような間の抜けた声を上げる。
「えっ」
俺もイサトさんの反応に似たような声をあげる。
えっ。えっ。
「えっ、イサトさん、まさかその気があるのか。受けるつもりがあるなら」
「えっ、まさか応援してくれるのか」
「いや思いとどまるように必死に説得する」
「あ、良かった安心した」
俺も安心した。
それにしても、この世界の人々は何故ことあるごとに「嫁になれ」やら「子を生せ」などと迫ってくるのか。
いや、より優秀な血を己の血脈に取り入れたいのだろう、とは思うのだが。
自由恋愛が広まって久しい現代日本出身の俺には共感しかねる感覚だ。
と、そこでいきなり。
唐突に、枯れ木男が破裂した。
いや、破裂したかの勢いで喚き出した。
「何故だ!!! 何故お前も私を選ばない!!? 私の身体が弱いからか!!? 従兄上や父上のように武に長けていないからか!!」
手にした宝杖を振り回し、地団駄を踏み鳴らして喚く。
ひび割れた声音は酷く聞き取りにくいものの、滴るような怨嗟が籠っていることだけは俺たちの方にまでひしひしと伝わってくる。
「私には魔力がある!! 従兄上の武にも劣らぬ魔力が!! それなのにどうして私を認めない!!!」
ぜひぜひと喉を枯らして絶叫しながら、枯れ木男は腕を振り回している。
どう見ても、狂人だった。
どう贔屓目に見ても、会話による平和的交渉が出来る相手ではない。
それを慰めるのは、枯れ木男の両脇に控えていた男たちだ。
「何を言う、私はお前を誰よりも認めているぞ、愛しく誇らしい息子よ」
「ええ、陛下は私などよりも優れていらっしゃいます」
二人は大仰な言い回しで、枯れ木男を褒め称える。
その言葉に、ぞわッと背中が粟立った。
身なりこそ良いものの、あの二人も周囲にぞろぞろといる近衛兵たちと変わらず枯れ木男が黒い汚泥を元に作りあげた人形だろう。
何か、おぞましい物語が俺の中で形を成していく。
枯れ木男を認めなかったという「兄上」と「父上」。
やたらわざとらしいまでに枯れ木男を褒め称える、その彼らと同じ役柄を務める二体の死体人形たち。しかも、他の近衛兵と違ってこちらはちゃんと服装も役柄に合わせて整えられているときた。
それだけ、思い入れが深いだけとも言える。
だが。
もしかしなくとも。
その二人だけは、――本物、なのではないのか。
本物の兄と、父の死体を元に作り上げたものではないのか。
二人がどうして命を落としたのかは、あまり想像したくはない。
「イ、イサトさん、アレ、言葉が通じないタイプのイってしまわれている方だぞ……!」
「あかん」
「あかん」
俺はとりあえず黒竜王の大剣を携え、イサトさんの前に出る。
迎撃担当だ。
ただし、この人形たちがマルクト・ギルロイの坊やと同じものであるのならその中に潜んでいるのはヌメっとした泥だ。俺の振るう通常攻撃では倒すことはできないだろう。俺が斬り捨て足止めし、イサトさんに隙を見て止めを刺してもらうしかない。
……キツいな。
枯れ木男が魔法攻撃を繰り出してきた場合、イサトさんはその相殺に力を割かれる。そうなると、周囲の雑魚を倒しきれない、というのはなかなかに痛い。枯れ木男のMPが切れるまでの、膠着戦になる。
「我が敬愛する陛下を馬鹿にした報いを受けよ、愚かものめ!」
罵声をあげながら、俺の目の前にやってきたのは「兄上」だ。
「父上」が枯れ木男の傍に控えているのと違って、こちらは積極的に枯れ木の敵を倒すために前に出るタイプであるらしい。
こんなのも、生前の性格を真似ているからなのだろうか。
そんな風に考えると、余計に胸糞が悪くなる。
「とっとと、成仏しやがれ……ッ!」
く、と奥歯をかみしめつつ、俺は目の前にやってきた「兄上」の胴を思い切り薙ぐ。兄上の武が云々、と言うほどなので手ごわいかと思いきや、俺の大剣はいともあっさりと「兄上」の胴に吸い込まれていった。人の形をしているものを斬り捨てる不快感はあるが、そんなことに今は拘っていられない。
ずぶりと水の塊を叩いたような感触が腕に伝わり、眼前に迫っていた「兄上」の身体が両断されてずるりと滑る。
そのまま地に落ちたところで、どうせまた黒い泥から人の形に再生するのだろうと時間稼ぎでしかないことを覚悟していたのだが……。
思いがけないことに、俺に斬り捨てられた「兄上」はそのまま断ち切られた断面からぼろぼろと黒い霞のように崩れていった。
「……!」
「従兄上……!? 従兄上!!」
枯れ木男が叫ぶ。
その動揺が他の木偶にも伝わったのか、こちらに迫っていた近衛兵たちも立ち尽くし、ざわめくように揺れる。
だが、驚いているのはこちらも同じだ。
「なんで……」
「……もしかして」
「ん?」
「…………即死効果がついているのでは」
「あッ」
即死属性武器であるのなら、斬った相手に再生の余地を与えず殺しきるのもわかる――…いやわからねえよこんな効果抜群の即死属性武器があってたまるか。凶悪過ぎるわ。
即死効果、というのはRFC内に存在する状態異常の一種だ。
即死効果のついた武器で敵を攻撃すると、稀にその効力が発揮されて本来なら死には至らないはずのダメージでも敵を倒すことができるのだ。
ただし、その発動は極々稀だ。
狙って発動させられるものでもない故に、それほど重要視もされない。
それが即死効果だ。
それが即死効果であるはずだった。
が、この黒竜王の大剣ときたら――
俺は、すぐ傍らに迫っていた近衛兵もどきに向かって大剣を振るう。
あっさりと斬り捨てられた男の身体は、大剣に薙がれた傷口からさらさらと塵に還るように崩れて消えていく。
――この有様だ。
「ますます呪われた武器じゃねえか!!」
「黒竜王陛下の執念が偲ばれる……」
執念籠もりまくりである。
ヌメっとした連中にのみ発生する即死効果なのかもしれないが、もしこの剣をライオネル何とかとの小競り合いで使っていたら、なんて思うと今更ながらに怖くなる。手加減したつもりの峰打ちでも即死効果発動、なんてことになっていたら洒落にならなさすぎる。
枯れ木男の動揺がそのまま反映されているのか、ぎくしゃくとした動きで襲いかかってくる近衛兵たちを、俺は次々と斬り捨てていく。
近づいてくる傍から、斬り払い、薙ぎ、突き、消滅させる。
「なんだ、なんなのだその剣は! 厭だ怖い! 近寄るな! 私にそれを近づけるな!!」
枯れ木男は子どものような悲鳴を上げ、傍らの「父上」へとしがみつく。
その背を、慈しむような仕草で撫でる「父上」。
もはや枯れ木男はイサトさんと攻撃魔法を打ち合うような余力もなく、他の人形を操ることもできなくなったのか近衛兵モドキたちの動きも止まった。
がらんと広い広間に、虚ろな目をした人々が呆然と立ち尽くす。
こうして動きを止めると、ますます彼らは精巧に作られた人そっくりの人形のようにしか見えなくなった。
「なんで、なんで、なんで……! 私はただ認めてほしかっただけなのに、なんでなんで、何も悪いことなんてしてないのになんでこんな怖いことが起きるんだ!」
怯えた悲鳴が周囲に響く。
追い詰められた故の悪あがき、というわけでもなく、その悲鳴にはただただ切実な怯えだけが籠もっている。
この男は、本当にそう思っているのだ。
誰かにアピールするためだとか、言い訳をしているのでもなく。
本当に、どうしてこんなことになったのかがわかっていない。
「怖い、怖い、来るな! 私に近づくな! 来ないでよお!! 父上助けて、父上えええ……!!」
そう泣き叫びながら「父上」に縋りつく枯れ木男の姿に、俺とイサトさんはどうしたものかと顔を見合わせる。
「何かこれ、俺の方が悪役っぽくないか」
「非常に」
片や怯えて泣きながら父親に縋る、枯れ木のような男。
片や抜き身の呪われた大剣(絶対殺すマン)を携えた人相の悪い黒尽くめ。
ここだけ切り取ったならば、どう考えても俺が極悪非道の悪役だ。
何より、そうやって泣き叫びながら「父上」に縋りつく枯れ木男の姿は、あの夜のマルクト・ギルロイの姿を彷彿とさせてげんなりとする。
だが、だからといってこの男をこのまま放置しておくわけにもいかない。
殺すかどうかはさておき、何とかして無力化してこの魔法陣を破壊する必要がある。
「おとなしくしていてくれたら、ひとまず怖いことはしない。とにかく、落ち着いてくれないか」
優しく言い聞かせるようなイサトさんの言葉に重なるように、ぎちぎちずべずべと奇妙な音が響いた。
「なん……」
「……っ!」
そしてその音の正体を知って、俺とイサトさんは息を呑む。
「怖いよお、助けてよお……父上ぇ……」
そう、べそべそぐずぐずと泣きながら、枯れ木男がその腕をずぶりと「父上」の背中に突き立てたのだ。びくん、と「父上」の身体が声もなくのけぞる。
父親を慕い、助けてと乞いながらも枯れ木男は「父上」の身体をぞぶぞぶと喰らい、取り込んでいく。
所詮は枯れ木男によって作られた木偶、だ。
「父上」は悲鳴を上げるでもなく、抵抗するわけでもなく、ただただおとなしく枯れ木男の中へと取り込まれていった。
「父上」を取り込み終えた枯れ木男の背が、ぐぅ、と膨らむ。
色あせた豪奢なガウンに包まれた背がみちみちと膨らみ、がくん、と枯れ木男が項垂れる。だらりと力なく垂れ下がる腕が、それこそ人形のように見える。
そして……その背がばびゅると弾けた。
膿のように飛び出したのは黒い汚泥だ。
枯れ木男の背から生じた黒い触手は、うねりながら伸びては手あたり次第にその場にいる者、つまりは近衛兵だったものを取り込んでいく。
えげつない。
あまりにも、えげつない。
クトゥルフであったなら間違いなくSAN値チェックタイムだ。
しかもこれ、ダイス判定でセーフだったとしても1D10ぐらい減るヤツだ。
判定に失敗したら即死が待っている。
『邪魔は……させな、……いいい……』
ひゅうひゅう、と掠れた声音が呻く。
年老いた老人のように体を丸めた姿勢のまま、枯れ木男は背から生じた触手を翼のように広げて何かスペルを唱え出す。
ぶつぶつ、と掠れた音が響くにつれて足元に広がる魔法陣。
「く……ッ、相殺する! 秋良はアイツを!」
「わかった……!」
イサトさんがしゃらんら☆を構えて応戦する。
轟、と渦巻く魔力の奔流がちりちりと肌を焼くような感覚。
先ほどまでの打ち合いとはレベルが異なる。
言うならば、これはイサトさんが飛空艇を墜とすのに使ったのと同じレベルの魔法のぶつけあいだ。
MPポーションでドーピングを試みれば何度かは相殺出来るだろう。
だが、少しでもタイミングがズレたら。
間に合わなければ、俺たちだけでなくセントラリアごと吹っ飛びかねない。
俺はまっすぐに前だけを見据えて、大剣を携え踏み込む。
枯れ木男までの距離は、軽く見積もって10メートルあるかないか。
その距離を詰めて、魔法を発動する前に斬り伏せる。
定石通りの戦略だ。
前衛が、魔法職を潰す。
走る俺に降り注ぐのは、男の背から生える黒い触手だ。
俺を貫き、串刺しにしようと降り注ぐそれをサイドに避けて、逆に薙ぎ払う。
ばつり、と斬り落とされた触手がそこから黒い霞となって消えていく。だが、すぐにまた代わりが生える。
再生しているのではない。
斬り落とされた触手は死ぬ。
だがまた新しいものが生えてくる。
この触手の一本一本が、一つのヌメっとした人型と同じものだということなのだろうか。この男が、黒い汚泥を吐いては人型をこしらえ、カラットに、マルクト・ギルロイの屋敷に、この世界のあちこちに、送り続けていたのだろうか。
「……ッ、お前が、マルクト・ギルロイに『種』をやったのか……!!」
低く唸る。
妻と息子を失い、呆然と立ち尽くすマルクト・ギルロイの下に忍び寄り、『種』を与えた黒いローブの男。
お前か。お前がやったのか。
時折身体を掠める黒い触手に肌が裂け、鋭い痛みが走るが今はそれを気にする余裕もない。ただ、前へ前へと走る。
ドォン、と空気が爆ぜるような音を立てて男とイサトさんの間で魔力がぶつかりあうのがわかった。互いに相殺されて不発に終わったはずなのに、その余波だけで身体が大きく煽られる。足元が、ぐらつく。
これが、一発目。
何とか踏ん張って体勢を立て直した視界の先で、男の周囲にはすでに次弾である魔法陣が展開されている。
イサトさんは、大丈夫だろうか。
振り返りたい。
あの触手が、イサトさんにも襲いかかってはいないだろうか。
振り返って無事を確認したい。
けれど、そんな間すら惜しんで俺は前へと進む。
俺はイサトさんを信じる。
イサトさんが、相殺する、と言ったのだ。
それが後衛であるイサトさんの役割であるならば、俺は俺の務めを果たさなければいけない。
俺の行く手を阻むように伸びる黒い触手を避け、斬り払い、突き進み――…俺はついには男の前に躍り出た。
『……あ』
自身の身体を抱くようにうずくまっていた男が顔を上げる。
不思議そうな顔だった。
何が起きているのか、この期に及んで状況をわかっていないような、どうして俺が目の前にいるのかわかっていなさそうな顔だった。
『どうし』
て、と最後まで言わせずに、俺は大剣を振り下ろす。
黒竜王の大剣が、うねる触手の発生源である男の背を貫いた。
手ごたえは、悲しくなるほどに薄い。
何か、かさかさに乾燥しきった干し草にでも突き刺したような。
ばひゅり、と古びたガウンが空気を孕んで膨らみ、その下から黒々とした塵がぼろぼろと零れて地面に落ちていく。
その塵すら、すぐに見えなくなっていく。
何も、残らない。
黒竜王の大剣の下に残るのは、ボロボロに色あせた豪奢なガウンだけだ。
それを見届けて、俺はイサトさんへと声を上げる。
「イサトさん、もういい!」
「――、」
振り返った先で、イサトさんががくりと膝をつくのが見えた。
それと同時に、ふッと広間が闇に沈む。
「イサトさん!」
焦る。まだあの男が生きていて、何か仕掛けてきたのか。
大剣を構えて油断なく周囲を警戒していると、ほう、と小さく、淡く瞬く光がイサトさんの姿があった辺りに灯った。
慌てて駆け戻る。
「大丈夫か!?」
「ん、平気だ。ちょっと、疲れた」
「この明かりは……って、そうか、さっきまでのはあの男がつけたんだもんな」
壁のあたりで煌々と周囲を照らし出していた光は、あの男が魔法で生み出したものだった。あの男が死ねば、当然その光も消える。
へたりこんだイサトさんは、顔色こそ疲労を滲ませてあまり良くないものの、怪我をしている様子はない。おそらく、MPを消費しすぎたのだろう。
顔を上げたイサトさんは、俺の姿を見ると眉尻を下げる。
「秋良、君、怪我をしてる」
「掠り傷だ」
じくじくと痛むが、それだけだ。
ポーションを飲めばすぐに治るし、ポーションを使わずに普通に手当てしたとしても、数日で治る程度だ。
労るように、イサトさんがそろりと俺の肩を撫でる。
そして、ぽつりと呟いた。
「私には、君がいてくれて良かった」
「……え?」
「あの男と私、力量としては大して違いはなかったと思う。あれだけの大型の魔法をポンポン重ねられるあたり、もしかしたらMP量でいったらあっちの方が優っていたかもしれない」
「うん」
「でも――……、勝ったのは私たちだ」
「……そう、だな」
あの男は叫んでいた。
魔力でなら誰にも負けない、と叫んでいた。
実際、俺たちを倒すためにあの男が選んだ手段も、高威力広範囲の殲滅魔法の叩きつけ合いだった。
純粋に魔法使い同士の戦いとして挑んでいたのならば、イサトさんが言うようにあの男が勝つ未来もあったのかもしれない。
もしくは、純粋な前衛職である俺とあの男だけで戦ったのなら。
けれど、俺にはイサトさんがいて、イサトさんには俺がいた。
あの男は、最期まで一人だった。
もしあの男が、他の木偶を取り込まずにいたのなら、結果はまた違ったのだろうか。あの男が、前衛を信じて役割を任せるようなことがあったのなら。
「……無理、だろうなあ。自分以外誰も信じられないみたいだったもんな」
「自分一人だけの王国、か」
かつて自分を認めなかった者たちに似せて作った木偶に囲まれて。
かつて自分を認めなかった者たちによく似た死体に美辞麗句を囁かせて。
たった一人の王国を作りあげた死者の王。
彼はそのために女神の力を欲したのだろうか。
自分に優しい、自分だけの世界を作り上げるためだけに多くの犠牲を出し、こんな地下に巣食っていたのだろうか。
だとしたならば――……酷く、空しい。
「これで、終わったのかな」
「どうだろう。とりあえず、少し休んだらあたりを調べてみよう。あと、この魔法陣も壊さないといけないしな」
「それじゃあイサトさんは休んでてくれ。俺はちょっと魔法陣壊してくる」
「ん、ん。わかった。お願いする」
おとなしく頷いたあたり、イサトさんはよほど疲れていたらしい。
よろよろと立ち上がり、一度安全な通路側まで下がってまた座りこんでいる。
俺はイサトさんから魔法の光源を借りて、その辺りに未だ部分部分が残る魔法陣へとざくざくと大剣の切っ先を突き立てていく。ヌメっと製であるからか、効果は抜群だ。大剣に断たれた部分から、黒々と地面に描かれていた魔法陣もさらさらと塵と化していく。
それが済んで俺が通路に戻るころには、イサトさんの体調もだいぶ回復したようだった。MPポーションの空瓶が傍らに置かれている。
「具合はどう?」
「もう大丈夫だ。君の方こそ、ポーション使ったらどうだ」
「なんかこれぐらいで使うのもったいないような気がして」
「…………口に無理やり突っ込むぞ」
「飲みます」
インベントリからポーションを取り出して口に運ぶ。
黒竜王と戦う前には三桁作っておいたはずのポーションがこの短期間でずいぶんと目減りしているのがわかるだけに、つい貧乏性になってしまうのである。
それから、回復したイサトさんがいくつかの光源を魔法で生み出し、広間を明るく照らし出した。白茶けた地面に、もうあの禍々しい魔法陣が残っていないことを確認してから、その辺りを二人で見て行く。
広間の奥につながる通路の先は、行き止まりの小さな空間になっていた。
人が生活していたような痕跡は何もない。
ただ、その空間の片隅に、ガラクタで作った椅子のようなものだけが置かれていた。
「これ、って……」
「……玉座のつもり、だったのかもしれないな」
「っ……」
イサトさんの言葉に、胸が苦しくなる。
それは玉座と呼ぶには、あんまりにも貧相だった。
粗末で、矮小で、他愛もないただの椅子だった。
こんなものを守るために、こんなものを作るために、あの男は大勢の人々を犠牲にしたのだろうか。
黒竜王は、こんな男を斃すために命を賭したのだろうか。
最期まで何が悪いのかも理解することなく、不思議そうな顔をしたまま逝った男のことを想う。
俺たちは、彼の名前すら知らない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
Pt、感想、お気に入り登録、励みになっております!
次の更新は8/6日を予定しています。




