動き出せないウサギと動き出す世界
それから日を改めてマルクト・ギルロイの屋敷を探索した俺たちであったのだが、そこで見つけたのは地下道へと繋がる穴だった。
壁の向こうにぽっかりと開く、まるで奈落にでも繋がっていそうな地下通路だ。湿った黴のような、ほのかに甘い腐臭のような臭いが混ざりあって穴の奥から香る。
イサトさんの生活魔法で光を灯して、少し中に足を踏み入れてもみたのだが……どうもよろしくない。少し進んだところで分かれ道に出くわした。どうやら、この地下道はあちこちに分岐しながら、ぐにゃぐにゃと曲がりくねって続いているらしい。喩えるならばアリの巣だ。下手に進むと、自分たちがどこにいるのか、方向感覚を失いかねない。
最悪、俺たちならひたすら垂直に地上に向けて穴を掘りながら脱出する、という手も使えなくもないが、そんな穴ばかり開けまくっていては地下の探索が済むより先に地上が崩落する危険性が高いし、いきなり地面から俺たちにコンニチハされてしまう善良なセントラリアの市民の心臓にも悪い。
ありったけの食材をインベントリに詰め、力技で強引に地下ダンジョンを踏破するという作戦も浮かびはしたものの、薄暗く劣悪な環境に何日間も閉じ込められるというのはぞっとしない。
「アリアドネの糸作戦はどうだ」
「アリアドネ?」
「ミノタウロスの迷宮に挑んだ英雄が使った手だ。でっかい糸巻きを用意して、糸の端を入り口に結んでから洞窟探索。糸をたどれば入り口には帰れる」
「それ、地下からは確実に出られるようにはなるけど、どこをどう調べたかがわからなくなりそうじゃないか?」
「……確かに」
一度の分岐ぐらいならなんとかなるが、分岐した道がさらに分岐、その先でさらに分岐、なんてことになっていた場合、糸をたどって戻ったりしたらどこまで調べたかがわからなくなりそうだ。
今度は俺から提案してみる。
「右手法は? 右手法ならある程度しらみつぶしに探せるような気が」
右手法、というのは、迷路における壁の切れ目は入り口かゴールだ、という理屈に基づき、ひたすら右手で壁を触って進めばゴールか入り口のどちらかにはたどり着く、という方法である。
「でもそれ途中では戻れなくないか」
「……確かに」
右手法で挑む場合、ゴールか入り口のどちらかにたどり着くまでずっと地下通路にいなければいけない。さらに自分で提案しておいてなんだが、この右手法には壁の切れ目を探す、という理屈である以上、迷路が立体になるとあっさりと詰む。
どうしたものか、と思い悩んだ末に、俺たちはこの世界における冒険者経験の豊富なクロードさんに意見を聞いてみることにした。
クロードさんたちが狩りを終え、教会に戻ってくる夜を狙って訪ねてみる。
俺たちの話を聞き終えると、クロードさんは悩ましげに視線を彷徨わせつつ、口を開いた。
「あー……そういうことなら、うちにぴったりの奴がいることは、いる」
「ぴったり?」
「いることはいる?」
なんだか複雑な言い回しだ。
言葉に迷うように、クロードさんはわしゃわしゃとその赤い髪を掻き混ぜる。
それが、何か悩んでいたり戸惑っているときの癖だということはこの短い間にも俺は学んでいた。
「何か、問題があるのか?」
「や、問題、というか…………そいつは腕の良いマッパーなんだが」
「マッパー!」
「まっぱ?」
まっぱ、との響きで俺の中で思い浮かぶのは真ッ裸であるわけなのだが、「うちに腕の良い全裸がいる」とクロードさんにこのタイミングでカミングアウトされるのはさすがにわけがわからないし、それにイサトさんが嬉しそうにしているのもよくわからない。
怪訝そうな顔をしていた俺に、イサトさんが小さく笑って教えてくれた。
「マッパーっていうのは冒険者の中でも地図を作る技能がある人のことを言うんだ。ちなみに地図を作る技能そのもののことはマッピング、って言ったりするよ」
「なるほど」
マッピングをする人、でマッパーか。
良かった。
全裸の技術者を薦められたわけではなかった。
「ただどうも……、少しだけ問題を抱えていてな」
「問題?」
「腕の良いマッパーなんだが……若干アイツ自身が現状人生の迷子と言うかなんつーか」
人生の迷子。
思わず俺とイサトさんは顔を見合わせる。
クロードさんは少し言いにくそうに口ごもって、それからそっとその詳細を口にした。
「……マルクト・ギルロイの件で家族を失ってるんだよ。そのせいで、どうもまだ自分がどうしたいのかがわからねェみたいでな」
「―――、」
なんと言っていいのか、言葉を失う。
「オレたちを助けようとしなかったセントラリアの連中にも、アイツは怒ってる。でも、家族との思い出が残る街を離れる気にもなれねェ。それで、どうしようもなくなっちまってるんだろうな」
「……亡くしたのは?」
「両親と小せェ妹が一人だ。アイツ、借金は全部自分が背負うから、って言ってセントラリアに一人残って、両親と妹をエスタイーストに逃がした――……つもりだったんだよ」
「…………遺品は?」
「あのくそったれな地下で見つかったよ」
「そっか」
……辛い。
助けたと思っていたはずの家族が、己の知らないところで犠牲になっていたと知ったときの胸の痛みはいかほどだっただろうか。
想像するだけで、俺まで苦しくなる。
「俺としては、その人が仕事を受けてくれるなら是非頼みたいとは思ってる。でも、そういう事情なら無理強いはしたくないな。イサトさんは?」
「同感だ。まだ、家族を失って間もないのだし――……、別段もうしばらく悲しみに浸っていても問題はないのでは?」
「ああ、こっちとしては問題はねェ。ただ……、アイツが一人で孤立していくのが見てられなくてな」
「孤立……?」
何か意外な言葉を聞いたような気がした。
獣人たちはそれ以外のセントラリアの人々に迫害されていたこともあり、俺たちから見ていても結束力の強い種族だ。家族や親族といった枠を超えて、獣人同士で身を寄せあい、力を合わせて生活しているように見える。
「アイツがオレたちから距離を置きたがるんだよ。…………アイツからすると、商人や騎士となれ合ってることが裏切りに見えるのかもしれねェな」
「……そう、か」
つい眉尻が下がる。
クロードさんは、団長さんにはっきり宣言したように「許してはいない」。
「許してはいない」し、きっと「許せない」のだ。
それでも、クロードさんは獣人たちがセントラリアの民として不自由なく生活できる未来のために努力して共存の道を選ぼうとしている。
それが、同じ獣人の目から見て裏切りに見える、というのはなんだか酷く苦い現実だった。
「変な話だがな」
ぐしゃ、とクロードさんが鮮やかな緋色の髪を掻き混ぜる。
「オレや、オレの仲間のほとんどはあんまり怒る気持ちがねェんだ。や、ねェ、っていうわけでもねェか。許せねェとは思うし、きっと今でもマルクト・ギルロイの野郎が目の前にいたらぶん殴ってやりたいとは思う。でも……、殺してやりたいとは思わないんじゃねェかって思う」
どこか溜息交じりに語るその声は、俺たちに向かって話して聞かせるというよりもどこか独り言のようにも響く。
「……アレを見ちまってるからだろうなあ。あの、真っ黒なバケモノ」
――どろり、とヌメりを帯びた黒い人型。
マルクト・ギルロイに「坊や」と呼ばれたおぞましい異形。
あの夜、黒の城にて追い詰められていた獣人たちが目にした、マルクト・ギルロイを狂わせたモノだ。
「あんなモノに魅入られたら、誰だって狂っちまう。あんなモンに憑かれたら――…自分だって何をするかわからねェな、って思っちまったからなんだろう」
そう、か。
クロードさんや、クロードさんと共にアレを見た獣人たちの中では、もう怒りの対象がマルクト・ギルロイではなくなっているのかもしれない。
あのヌメっとした人型こそが、マルクト・ギルロイを狂気へと誘い、個人的な悲劇を大勢の獣人たちをも巻き込む惨劇へと変えてしまった真犯人だ。
クロードさんはそれをわかってしまったからこそ、マルクト・ギルロイの扇動に乗せられて獣人たちを迫害した人々に対する「許せない」という気持ちはあっても、復讐しようというような激しい怒りに心を支配されることがないのかもしれない。
ふ、と重く沈みがちな空気を切り替えるようにクロードさんが息を吐く。
「んじゃ、そいつにちょっと声かけてみる。もし断られたらアレだ、あの商人のツテで誰かいねェが聞いてみとく」
「ああ、わかった」
「ありがとう、助かる」
クロードさんに礼を言って、俺とイサトさんは教会を後にする。
てくてくと宿に向かう道すがら、しばらくの間、俺とイサトさんは無言だった。
やがて、イサトさんがぼんやりと空を仰いで呟いた。
「難しいなあ」
「……うん」
しみじみと頷く。
悪いヤツをぶちのめしました。
めでたし、めでたし。
そう終わることが出来たのなら、どれだけ楽だろう。
けれど、現実はそこで終わらずに続いていく。
人々の営みは続いていく。
だからこその難しさだ。
――……俺と、イサトさんにも続きがあるんだろうか。
ふと、そんなことを思った。
物語であれば、元の世界に戻ることが俺たちの結末だろう。
元の世界に戻った後、俺とイサトさんにはどんな続きが待っているのだろう。
ちらりと窺ったイサトさんの横顔は、どこか物憂げに見えた。
クロードさんの紹介で力を貸すことにした、と言って一人の青年が俺たちに会いにきたのはその次の日のことだった。
「……マッピングでご協力させていただくことになったシオンです」
そう言って軽く下げられた青年の頭には、柔らかそうな蜂蜜色の髪からにゅっと白いウサギの耳が生えていた。
ウサギ系の獣人であるらしい。
「俺はアキラだ。手伝ってくれてありがとな」
「私はイサトだよ。これからよろしく」
「よろしくお願いします」
淡々とそう挨拶をした彼は、俺より少し若い程度の年齢に見える。二十歳前後、といったところだろうか。淡い水色の双眸は酷く醒めた色を宿していて、挨拶をした後はただ静かに伏せられている。
「クロードさんから、話は聞いてるか?」
「ええ。……マルクト・ギルロイの屋敷を探索すると聞いています」
「正確にはそこから繋がる地下通路、だな。迷路みたいに入り組んでいて、俺たちだけじゃどうしようもなかったんだ」
「改めて言っておくと、何が待ち構えているかわからないし、もしかしたら危険な目にも遭わせてしまうかもしれない。それでも大丈夫か?」
「はい」
返事は即答だった。
迷いもなく、彼は頷く。
自棄というほど荒んではいないものの、どこか投げやりな空気を感じる。
本当なら、こんな状態の彼をどんな危険が潜んでいるとも知れない地下に連れていくのは避けた方が良いのだろう。
けれど、昨日のクロードさんの言葉を思い出す。
クロードさんは、マルクト・ギルロイの真実を知ったことで、己のうちにある怒りをコントロールすることが出来たのだと言っていた。
それならば、俺たちと行動を共にすることで……もしかしたら、彼もまた、何か自分の中にある胸のつかえを整理することが出来るかもしれない。
「それじゃあ、行くか」
「よし!」
「…………」
努めて明るく上げた声にも、彼はただ静かに双眸を伏せるだけだった。
彼とともに地下を探索するようになって数日が過ぎた。
クロードさんが俺たちに紹介するだけあって、彼は実際に優秀なマッパーだった。細かくマス目の描かれた方眼用紙には、俺たちが歩んだ道のりが次々と描かれていく。
おかげで俺たちの探索は迷うことなく着実に進んで行っていたのだが……まあ、問題があるとしたら、すこぶる気まずいことぐらいだろうか。
彼は、俺たちと会話をする気がないようだった。
最初はマッピングに神経を使っているのだろうと思って俺たちもなるべく静かにしていたのだけれども、昼食などで挟む休憩の間も彼は俺たちと会話を楽しもうとはしなかった。
声をかければ、必要最低限の返事は返ってくる。
だが、それだけだ。
会話のキャッチボールが成立しない。
ただただ静かに、淡々と、黙々と、彼は自分に課せられた仕事をこなし続ける。
その一方で、セントラリアの人々と獣人との関係はわかりやすい形で変化が見え始めていた。
俺たちは地下の探索を終えると、彼を教会まで送っていくのだが……。
最初は獣人たちしかいなかった教会に、ちらちら騎士たちの姿が交ざるようになっていたのだ。
どうやら、獣人と騎士と商人の間では正式に契約が結ばれたらしい。
毎日三人一組の騎士が教会に派遣され、狩りチームに同行して護衛を務めるようになったのだそうだ。
その効果はなかなか良好らしく、狩りの効率がよくなったと獣人たちはもちろん、レティシアや商人もほくほく顔をしていたし、騎士たちはより良い剣を作製するための素材を手に入れられて嬉しそうにしている。
最初はまだ少しぎこちなかった彼らだが、最近では俺たちが教会を訪ねる頃には騎士と獣人が交ざって酒を飲んでいる、というような光景を見かけることも増えてきた。
そんな光景に、彼、シオンは酷く複雑そうな顔をしていたのだが……。
ある日のことだ。
俺たちがいつものように探索を終えて教会を訪れると、そこでは何か大騒ぎが起きていた。
教会の中から、男たちの野太いどよめきが聞こえている。
「……何かあったのか?」
「何か悪いことが起きた、というような感じではないけれど」
「…………」
イサトさんの言うとおり、どよどよとざわめきは賑わっているが、怒鳴り声や悲鳴といった風ではない。あえて近いものをあげるとしたら、スポーツバーの喧騒に似ているかもしれない。
首を傾げつつ教会の中に足を踏み入れれば、騒ぎの大本はすぐに目に飛び込んできた。アルテオだ。目が爛々と輝き、興奮しきったように頬が紅潮している。彼は俺たちに気付くと、まるで飛びかかるかのような勢いで駆け寄ってきた。
「アキラ様!!!!!」
「お、おう?」
「これ、見ていただけますか!!!!」
そう言って突き出された手の中には、ころん、と白い牙のようなものが転がっている。
「これは……、ダークバットの牙、か?」
確か、アルテオが作りたがっている剣の素材の一つがそれだったはずだ。
俺の問いに、アルテオは首がもげるんじゃないかという勢いでぶんぶんと頭を縦に振る。
さて、それがどうしたのだろう。
剣の素材が手に入ったから、というのには興奮しすぎだ。
「これ……ッ、自分が手に入れたんです!!」
「……は?」
「え?」
イサトさんと声がハモる。
自分が、手に入れた。
その言葉と、アルテオのこの興奮しっぷりから考えてそれが意味するのは……
「まさか、アルテオが倒したダークバットが落とした、ってことか?」
「はい!!!!」
すごい勢いで肯定された。
アルテオの耳を確認する。
俺と同じ、至って普通の人間の形をした耳だ。
念のために、本人にも問う。
「アルテオ、お前、人間だよな?」
「はい!! 自分、人間です!! 両親、祖父、曾祖父の代から人間です!!」
「…………」
「…………」
思わずイサトさんと目を合わせる。
つまり。
それは。
人間であるアルテオに、女神の恵みが与えられた、ということでいいのか?
それでようやく、周囲の大騒ぎっぷりに納得した。
これまで人間にはほとんど女神の恵みが手に入れられない、と言われてきていたのだ。そんな中で、偶然とはいえ女神の恵みが手に入ったともなればここまで大騒ぎになるのもわかる。
「良かったな、アルテオ」
「はい!! きっと獣人の皆さんが力を貸してくださったおかげだと思います! あ、女神にも感謝をしなくては!!」
嬉しそうにそう言って、アルテオは聖堂へとすっ飛んでいく。
有言実行、さっそく女神へと感謝を祈るのだろう。
そして――……それが、きっかけだった。
アルテオを皮切りに、狩りに同行する騎士たちが女神の恵みを手に入れることがぽつぽつと増えてきたのだ。
増えた、とは言っても量としてはわずかなものだ。
一日狩りに同行して、騎士のうちの一人が一つ手に入れられるかどうか。
だがそれでも、これまで「人の身では女神の恵みは得られない」と言われるほどだった確率に比べれば驚くほどの獲得率だ。
「もしかしたら――……、黒竜王の魂が世界に還元されたから、なのかもしれないな」
「ああそっか。女神の恵みが手に入らなくなったのは世界を廻る女神の力が失われたからだって言っていたもんな」
黒竜王がその身にため込んでいた女神の恵みが世界に還ったため、人である騎士たちにも女神の恵みが再び与えられるようになった、というのは筋の通った仮説だ。
そんなことをイサトさんと話す傍らで、俺たちが気にかけていたのは獣人たちの反応だった。
これまで、「獣人しか女神の恵みを手に入れることができない」ということが獣人たちにとっては迫害の理由でもあり、それと同時に強みでもあった。
その優位性を失うことについての、危機感はないのだろうか。
教会の片隅で、仕事あがりのビールを美味しそうに傾けているクロードさんと商人へと聞いてみる。
……というか、お前ら教会で酒飲んでいいのか。
「まあ、確かにライバルが増える可能性がある、というのは問題だな。だが、そういったことにも対処してこそ商人だろう。レスタロイドの末娘だって、その辺はしっかり考えている」
商人のおっさんは、ほろ良い気分でうっすら頬を赤く染めつつも強気だ。
その傍らでクロードさんも、
「別にいいんじゃねェか。もともとオレらしか手に入れられない、ってのがおかしかったんだ。これで他の連中も狩れるようになりゃあ略奪者なんて呼ばれずにすむしな」
なんて満足げだ。
クロードさんにとっては、女神の恵みの独占、なんていう歪んだ利点よりも、いかにセントラリアに溶け込み、共存を成立させるか、の方が大事なのだな、としみじみ思う。
そんな連日のお祭り騒ぎの中で、シオンだけが思いつめたような色をその表情に滲ませていた。
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