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おっさんと竜

 

 セントラリアに潜むヌメっとしたイキモノの始末を引き受ける。

 それは、声に出して宣言すると今後の指針としては随分としっくりきた。

 今まで俺たちは、「元の世界に戻る」ことが一番の目的だった。

 そのために動く中、偶然にも行き遭ってきたヌメっとした連中をぶちのめして、ここまでやってきたのだ。

 今度は、その順番が少し逆転するだけだ。

 ヌメっとした連中をぶちのめしながら、元の世界に戻るための方法を探す。

 今までと、そう変わらない。

 俺の宣言に、黒竜王はゆったりと笑みを浮かべたようだった。


『そう、か。そなたらにならば――……、任せられそう、だの』


 それは、好好爺じみた声音だった。

 穏やかな凪いだ金の双眸が、俺たちから外されてエレニを見やる。

 

「陛下、」

『―――』


 視線の交わりは一瞬。

 名を呼びかけたエレニの声を振り切るように、黒竜王は突如身体を起こした。

 ジャラララララララッ、と激しく金属の擦れる音がする。

 黒竜王の身体を戒める無数の鎖が、その艶やかに煌めく鱗の上を滑る音だ。幾重にも重なり、不協和音を響かせる金属音を上書きするように、ぐんと身体を伸び上げた黒竜王が咆哮をあげる。

 

「っ……!!」

「な……ッ!」

「陛下!!」


 それはもはや生き物の声、と認識できる音の範囲を超えていた。

 轟音。雷鳴。むしろ、振動。

 びりびりと身体を揺すられて、平衡感覚すら危うくなる。

 そんな中、見上げた先で黒竜王の身体を戒めていた太い鎖が玩具のように爆ぜるのを見た。ばちん。ばちん。ばちん。ただ伸びあがって吠えるというだけの所作で、厳めしい鎖が弾け飛んでいく。


「く……ッ、」


 じゃ、と滑った黒蛇のような鎖が勢いよく撓ってイサトさんに迫るのを見てとった瞬間、俺は大きく踏み込んで片腕でイサトさんの華奢なウェストをぐいと腕内に攫った。同時に、今度こそインベントリより引き抜いた大剣の腹で、飛来したぶっとい鎖を弾く。固く、重いものがぶつかる衝撃にぎぃん、と柄を握る手に痺れが走った。見れば、鎖は一つの輪が子供の頭ほどもある。こんなもの、生身の人間が当たれば普通に死ぬ。


「イサトさん、俺から離れんな!」

「わかった……!」

「エレニ!」

「―――」


 俺はエレニの名を呼ぶ。

 エレニが簡単に死ぬとは思えないが、あの野郎もイサトさんと同じ魔法職だ。身体を使っての戦闘を不得意としていたっておかしくはない。

 だから、呼び寄せようと思った。

 俺の手が届く範囲であれば、ある程度は守ってやれる。

 それなのに、エレニは俺の声など聞こえないというかのように、ただ茫然と立ち尽くしていた。何が起きたのかわからないといった顔で、猛る黒竜王を見上げている。その視線の先で、煌、と眩い光源が生まれるのを捕らえた。


「ちょ、嘘だろ……!」

「そんなッ!」


 悲鳴のようなイサトさんの声が耳を打つ。

 こんな狭いところでブレスなぞ吐かれた日には、避けようがない。

 『家』に逃げ込めば、と慌てて懐に手を突っ込んだときにはもう、視界が眩く真白に包まれて―――





 ごぉん、と世界が砕けるような轟音が、響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ、……!」


 短い間、俺はどうやら意識を失っていたようだった。

 目の前には、泣きだしそうに顔をくしゃくしゃにしたイサトさんの顔。

 

 あ、れ。

 

 何が、どうなっている。

 イサトさんが口をぱくぱくと動かしているのが見えるものの、その声が聞き取れない。嘘のように、俺の世界は静謐に包まれている。

 遅れて、身体のあちこちに鈍い痛みが走った。

 黒竜王のブレスが炸裂した瞬間、俺はどうしたのだったか。


「……、……!」


 あ、き、ら、と俺の名前を呼ぶようにイサトさんの口が動く。

 キィイイイインと耳の奥で軋むような音がして、俺の世界に次第に音が戻るのと同時に俺は状況を把握していた。

 あの瞬間、俺はイサトさんを押し倒したのだ。

 咄嗟に己の身体の下に庇うようにして、身を伏せた。


「イサト、さん。無事か?」

「……っ、良かった、もう、君はまた無茶をして!」

「適材、適所」


 ぽたり、と滴った赤が、組み敷いたイサトさんの頬に落ちる。

 あ、汚してしまったと手を伸ばして、その頬を指先で拭うと、ますますイサトさんが泣き出しそうな顔をした。

 

「君、怪我してる」

「ん。でも、そんな酷くない」


 おそらく、岩か何かが掠めたといったところだろう。

 肌の表面を浅く切ったというところだ。

 俺は様子を窺いながら、ゆっくりと顔をあげて―――……そのまま固まった。

 周囲の風景はすっかり変わってしまっていた。

 俺たちはエレニに案内されて、ダンジョンの抜け道を通って黒竜王の待つ洞窟へと足を踏み入れたはずだ。

 

 だが、今俺たちがいるのは外だった。

 

 びょう、と吹きすさぶ風が、足もとにちらほらと舞う雪を舞いあがらせる。

 ぼんやりとした一面白い空の向こう、地平線のあたりにうっすらと赤く沈みゆく夕日が見える。一瞬、ワープでもしたのかと思った。けれど、違う。相変わらずふわふわと粉雪が降り続けているというのに、俺たちの足もとの地面は未だ雪に覆われていない。つまり。黒竜王の放ったブレスが洞窟の岩壁を、天井を、何もかもを吹き飛ばしてしまったのだ。

 

 山の形が変わった、なんてものじゃない。

 

 俺の身体の下で、同じく身体を起こして身を捻ったイサトさんも俺と同じものを見ているのか、茫然としたようにその金の双眸を瞬かせている。

 

 そして、そんな俺たちから少し離れたところに黒竜王が佇んでいた。

 

 黒々とした鱗が薄朱の光を弾き、まるでその身体が淡く光を纏っているかのようにも見える。その傍らに立つのは、同じく淡い桃色の光を纏ったエレニだ。

 黒竜王は長い首を垂れてエレニの腕内へと頭を寄せ、エレニは、その鼻先に顔を寄せ、慈しむように黒竜王の横顔を撫でている。

 

 なんだかその姿は竜と人の絆を象徴する一幅の絵画のようだった。

 優しく、美しい光景であるはずなのに、何故か胸が締め付けられる。

 何のつもりなのか、と問いたださなければいけないはずなのに、上手く声を出すことが出来ずにただただその光景を見つめることしか出来ない。

 そのうち、エレニと黒竜王の方が、俺たちの様子に気づいたようだった。


『手荒なことをして、すまなかったの』


 黒竜王が、笑う。

 岩がすれ合うような、風が吹き抜けるような、そんな声が確かに笑う。

 その声を切っ掛けに、俺とイサトさんはようやく立ち上がった。

 身体にダメージの名残はない。

 黒竜王のブレスは俺たちに向けられたものなのではなく、その身を閉じ込める牢極めいた岩壁をぶち抜くために振るわれたものだったのだろう。

 とは言っても、うっかり死んでいたっておかしくない所業だ。

 俺は黒竜王を睨み据えて、口を開く。


「どういう、つもりですか」

『我は、もう長くは持つまいよ』


 それは、酷く凪いだ声だった。

 柔らかな夕日の色に包まれた竜種の王は、穏やかに語る。


『あの陽が沈む頃には(コトワリ)に呑まれ、この地を飛び立つだろうな』

「……っ」


 それが意味するのは、黒竜王によるセントラリア襲撃だ。

 女神の加護は、果たして黒竜王のブレスからも街を守ってくれるだろうか。

 それとも。

 

「陛下」


 なんと言ったらいいのだろう。

 やめてください、というのは何か違う気がした。

 そうじゃない。

 誰も、そんなことは望んでいない。

 黒竜王は、俺とイサトさんをその双眸に映してやはり小さく笑ったようだった。


 

 

『勇ましき人の子らよ、我は、我が我であるうちにそなたらへと挑もう』




 頭のどこかでは、それしかないのだとわかっていた。

 黒竜王は、俺たちの目の前でもすでに二度、正気を失いかけている。

 この短い間に二度、だ。

 イサトさんの貸したしゃらんら☆の力を借りてエレニが無理矢理その狂気を抑え込んではいるものの、おそらくそれも長くはもたないだろう。

 そのうち黒竜王は、完全に(コトワリ)に呑まれてセントラリアに向けて飛び立つだろう。一度飛び立ってしまえば、黒竜王を止める術はない。

 だから、そうなる前に止めなければいけないというのはわかっていた。

 けれど、それでも。

 じゃあ殺します、と斬りかかれるほどには割り切れなかった。

 

「陛下、何か他に方法が……!」

『なんだ、そちらからは仕掛けてこないのか』


 拍子抜けしたように言いながら、黒竜王が俺たちに向かって距離を削る。

 小山のような巨躯が相手ともなると、遠近感がどうにも狂いがちで、どこからが黒竜王の間合いなのかがよくわからない。

 どうしたものかと迷っているうちにも、黒竜王の巨躯は意外なほど軽やかに俺たちへと距離を詰め――…最初の一撃は様子見のような前足の振り下ろしだった。

 つい呆然とそれを見上げてしまっていた俺をそのままぐしゃりと潰しかけたその一打を、危ういところでバックステップで避ける。けれど当然ながらそれで終わりではなかった。踏み込んだ前足を軸に、黒竜王がぐんと身体を回転させる。太く長い尾が鞭のように撓り俺とイサトさんをまとめて薙ぎ払おうと迫る。それを地面へと転がるように身を投げてなんとか避けた。尾の先端に生えた鋭い剣のような棘が、易々と地面を抉る。深々と地面に刻まれた痕こそが、黒竜王が本気なのだということを告げていた。


「……っくっそ、イサトさん、下がってろ!」

「わかった!」


 今の二発をイサトさんが避けられたのは、運が良かったからだ。

 元より接近戦に向いていないイサトさんをいつまでも俺と並んで前に出しておくわけにはいかない。

 

 慌ててイサトさんが後方に飛び退るのを横目に、俺はその時間を稼ぐように黒竜王と対峙する。

 

 長い首が一度後ろに撓むよう下がったかと思いきや、次の瞬間バネが爆ぜるような直線で俺へと向かう咬みつき。それを、これまたギリギリで回避。がちん、と耳のすぐ横で聞こえる牙と牙がぶつかりあう音にぞくぞくと背筋が冷えた。ほんの少しでも判断を誤れば、俺は死ぬ。ここで、死ぬ。


『どうした、反撃はせぬのか』


 愉しげにそう言いながら、黒竜王はゆったりと俺との距離を保ったまま円を描くように歩む。四足のその姿は理知的な竜種の王というよりも、獰猛な獣そのものだ。少しでもその姿から目を離したら、きっとあっと言う間に引き裂かれる。


「秋良」


 迷うように、イサトさんが俺の名を呼ぶ。

 俺も、まだ迷っている。

 本当に、戦うべきなのか。

 他に、道はないのか。


「――…戦って、くれ」


 その声は、祈るように響いた。

 しゃらんら☆の桃色の光を纏った冗談のように美しい男が、懇願の色を乗せて言葉を続ける。


「頼む。陛下に――…俺の、養父に、英雄に敗れる栄誉を与えてくれないか」


 いいのか。

 本当に、それで良いのか。


「このまま時間がたてば、陛下に待つのは自滅だ。なんの意味もない終わりだ。それどころか――…最悪あの忌々しい汚泥に囚われる」

「…………」


 そうだ。

 (コトワリ)に呑まれセントラリアを襲撃したとしても、女神がそうしろと望むようにヌメっとしたイキモノを滅ぼせる可能性は限りなく低い。セントラリアを守る女神の加護を、黒竜王はそう簡単には超えられないだろう。

 そうなれば待つのは、ブレスによる自壊だ。

 何も為すことも出来ぬまま、セントラリアを目の前に黒竜王は滅ぶ。

 そしてきっとブレスの連打により弱った黒竜王をあのヌメっとしたイキモノは逃さないだろう。黒竜王の身体は、命は、その身に蓄えた女神の力は、あのヌメっとしたイキモノに奪われる。

 

 そんな終わりを厭う気持ちは、酷く理解できるような気がした。

 ここで俺たちに斃されれば、黒竜王は不本意な終わりを避けられるだけでなく――…その身に溜めた女神の力を俺たちに繋ぐことが出来る。

  俺が黒竜王でも、きっと同じ道を選ぶ。

 ぐ、と大剣を握る手に力を込めた。


「(イサトさん、援護、してくれるか)」


 一拍、間が開く。

 それから、イサトさんは覚悟を決めたように頷いたようだった。


「(わかった)」


 戦おう。

 それが、黒竜王の選んだ道だというのなら俺たちに出来るのは、その気持ちに応えることだ。全力でもって黒竜王を打倒し、その意思と力を継ぐ。

 そうと、決めたならば。

 

「エレニ……! お前も手伝え!!」

「もう手伝ってるよ! 誰が陛下の正気を繋ぎとめてると思ってるんだ……!」

「ち!」

「おい舌打ち!」


 残念ながら、エレニは戦力外だ。

 イサトさんの援護に期待するとしよう。

 大剣を腰だめに携え、俺は黒竜王の足もとへと接近する。

 まずは様子見をかねての一撃をその前足へと横薙ぎに浴びせかける。

 

「ッづ、」


 ぎぃん、とひたすらに固いものをぶん殴ったような衝撃に手が痺れた。竜化したエレニもなかなかに堅かったが、黒竜王はそれ以上だ。簡単には、歯が立たない。

 これはもしかすると、まずいかもしれない。

 この大剣が最後まで持ってくれれば良いのだが。



『グルァアアアアア!!」

 

 

 ダメージこそそれほど通っているようにも思えない癖に、黒竜王が苛立ったように後ろ脚で立ち上がる。ずお、と俺の上に影が差す。まずい。近すぎて、挙動が読めない。何だ? 何が来る? おそらくは前足によるスタンピングだ。けれど、どっちの? 右か、左か。黒竜王の巨躯故に、攻撃の届く範囲は広い。タイミングを合わせて避けなければ、こちらの動きを呼んでカウンターを浴びせられかねない。


「くそ、」


 短く毒づいて大剣の柄を握る手に力をこめる。

 いざとなったら大剣で受けるしかないわけだが――……、はたしてこの巨躯から繰り出される打ち下ろしを流せるかどうか。

 

 まあ。

 上位ポーションがある以上、死ななきゃ安い。

 

 そんな覚悟を決めたところで、声が響いた。

 

「(右!)」

「……!」


 咄嗟にその声の指示通り右に飛んで、目の前に黒竜王の爪が迫ってきた瞬間には死んだ、と思った。これは直撃コースだ。


「ッ、」


 やべえ、と息を呑むのと、イサトさんの呪文が響くのはほぼ同時。


「セット Ctrl(コントロール)2、(ファンクション)1!!!」


 早口に縺れそうな声が引き攣り気味に呪を紡ぎ、黒竜王の顔面にて紅蓮の炎が炸裂する。それによって黒竜王が仰け反ったおかげで、その隙に俺は黒竜王の前足の下を潜って打ち下ろしの直撃コースから逃れる。


「イサトさんなんで今右って言った!?」

「君こそなんで右に飛ぶんだ!!!」


 叫びあったところで、黒竜王から見て斜め後方にいる俺に向かって鋭い棘の生えた尾が振り抜かれる。タイミングをずらして自らその尾に向かって飛び込み、一度地面に肩から着地して一回転。その頭上をぶおんと鋭い風切り音をたてて鞭のように撓る尾が過ぎてゆく。すぐさま身体を起こして大剣を構え、その尾の付け根に思い切り大剣を振り下ろした。がいん。ぶっとい金属の塊でも叩いたような反動に手が震える。


「右からくるって言いたかったんだ!!!」

「なるほど!!!??」


 危うく大事故だった。

 

「君たち何やってんの!!!?」


 エレニの呆れたような声が響くが、俺たちだって好きで漫才やっているわけではないのである。

 鋭く振り返り、横薙ぎに振るわれる黒竜王の前足から背後にバックステップで飛び退る。

 

 どうも、やりにくい。

 

 ゲーム時代にやりこみ、倒したことのあるモンスターなら、攻撃のパターンを知っている。モンスターの持つ攻撃のパターンというものは、その動物の持つ固有の必勝パターンともいえる。それを理解し、覚えてしまえば攻撃を避けることもだいぶ楽になるし、攻撃の隙を見つけることも容易くなる。

 そうでなくても、相手の全貌が視界に収まってさえいれば、その挙動から次にどんな動きが来るのかを読んで合わせることもできるものなのだが……行動のパターンが把握できていない上に、馬鹿でかい黒竜王は挙動を読むのも難しい。


 ああ、そうだ。

 俺に、見えないのならやはり、頼れるのはイサトさんしかいない。


「(イサトさん、指示頼む!)」

「(ええええ、また事故るぞ!?)」

「(次は、大丈夫だから……!)」


 遺跡のときの逆だ。

 あの時俺は、イサトさんには見えていないボールがどこからくるのかを、時計に例えて指示を出した。

 今度は、イサトさんにそれをして貰えばいい。

 イサトさんが俺に教えてくれるのは、どこに逃げるかではなく、どこから攻撃が来るか、だ。

 

「セット Ctrl(コントロール)1、(ファンクション)1!」


 イサトさんの声と同時に、今度は天空より落ちた雷属性の矢が黒竜王の翼へと降り注ぐ。ばちばちと荒れ狂う雷鳴に、グオオオ、と苦鳴の声を上げて黒竜王が前足を上げて仰け反った隙に俺はざりと雪化粧の施されつつある地面を蹴って、黒竜王の足もとへと接近。身体を支える後ろ足に向かって下から斜めに斬りあげるような斬撃を浴びせる。

 もちろん、一撃でダメージが通るとは思っていない。

 だが、軸足を掬いあげるような一撃に黒竜王の身体が揺らめく。

 その隙をついたように続いて響いたのはエレニの声だ。


「ダァトフィールド……!」


 ばしゃりと黒竜王の足もとが急に水気を帯びてぬかるむ。

 しかもただの泥たまりじゃない。

 どろりと粘度の高い泥は、黒竜王の足を絡め取ろうとじりじりと這い上がる。使いどころは難しいものの、見事獲物をハメることに成功すれば効果がデカいのがサポート魔法だ。

 鎮静魔法だけで手いっぱいかと思っていたが、やってくれる。

 煩わしげに黒竜王がもがくものの、そう簡単には泥の沼からは脱することが出来ない。その間もイサトさんの放つ攻撃魔法が次々と頭上より降り注ぎ――…その足元では、俺も大剣のスキルを発動させてその軸足へと斬りつける。

 左下から跳ね上げて∞の字を描くよう、何度も重ねられる斬撃。

 スキルの発動が終了すると同時に、俺は一旦黒竜王の間合いから離脱する。

 ………つもりだったのだが。

 

『ウルグァアアア!!!』


 黒竜王の咆哮と同時に生まれた鎌鼬が、しぱぱぱぱッ、と身体のあちこちに深い切り傷を刻んでいった。

 くっそ、魔法まで使えるのか。


「秋良……!」

「大丈夫だ!」


 動けないほどではない。

 俺が負傷したのを見てとるや否や、イサトさんが朱雀を召喚する。

 今回はエリア回復でなく、ピンポイントで俺単体への回復魔法であるもので効きも早い。あっという間に手足に刻まれていた裂傷が癒えていく。

 

「さぁて、まだまだ行くぜ」


 ちろりと唇を舐めて、再び大剣を構える。

 下手に使えば折れかねないが、相手にとって不足はない。

 出し惜しみなく、とことんやってやる。

 ひたひたと夜の帳が迫りくる中、俺は強く地を蹴って再び黒竜王の間合いへと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれくらいの間、俺たちは戦っていただろう。

 それはなんだか、不思議な戦いだった。

 お互い相手を殺すつもりで武器を振るい。爪を振るい、攻撃魔法の花を咲かせているというのに、そこに憎悪はなかった。

 鋭い前足の打ち下ろし、スタンピングを掻い潜って浴びせる斬撃。

 回避が間に合わず、大剣で受けた薙ぎ払いでそのまま吹っ飛ばされたりもした。

 たぶん、肋骨の何本かは折れたと思う。

 それを朱雀の回復魔法で無理くり癒し、それだけで足りなければポーションでもドーピングを重ね、すぐにまた戦線に復帰して前衛をこなす。

 無傷で済んでいないのは俺だけではない。

 後方支援に努めてはいても、黒竜王が魔法まで駆使する以上イサトさんやエレニにも攻撃は及ぶ。後方に向かって雷撃が放たれたと思ったその後、振り返った先でイサトさんの腕が焼け爛れていたときには卒倒するかと思ったし、黒竜王の放った炎にエレニの姿が包まれたときは死んだと思った。


 それでも、なんとか死なずにここまでやってきた。


 お互いに満身創痍だ。

 といっても、物理的な傷を負っているのは黒竜王だけだ。

 何せ俺たちは黒竜王の攻撃を二回喰らったら死ぬ。

 一度でも傷を負わせられたならば、速攻で回復しておかなければ次は持ちこたえられないのがわかっている。

 それ故に、ぱっと見は無傷ながら、俺たちの方のダメージも決して軽くはない。

 すぐに癒えるといっても、怪我を負ったときの痛みは変わらなければ、失った血まで補えているわけでもないのだ。

 それに、イサトさんとエレニのMP消費も激しい。

 イサトさんは攻撃魔法と、朱雀を通しての回復魔法、エレニは鎮静魔法とサポート魔法との両方を使い続けている。

 

 荒い息を整えながら睨み据える先で、黒竜王がばさりと皮膜翼を広げる。

 

 よろしくない兆候だ。

 ぼんやりと薄赤く染まって遠くの地平線も、今は紺色に包まれつつある。

 夜が、迫ってきているのだ。

 

 そう。

 もう、時間がない。

 

 俺たちと戦いながらも、黒竜王はこれまでにも何度も空に逃れようとしていた。

 しゃらんら☆で強化した鎮静魔法で持ってしても、もうその衝動を抑えることが出来ていない。


「行かせて、たまるか……!」


 飛び立とうとする身体を最後まで支える後ろ脚に向かって一息に駆け寄り、斬りつけようと試みる。ここで引きずり落とさなければ、逃げられる。セントラリアに向かわれてしまう。


「落ちろ……!」

 

 掠れた声を上げつつ、大剣を振るう。

 が、当たりは浅い。

 バランスを崩すには至らず、逆にばさりと黒竜王が羽ばたく度に吹き付ける強風に身動きが取れなくなる。


「イサト、さん……!!」


 叫ぶ。

 指輪で繋がっているのだから、いちいち声に出して叫ばなくても届くとわかっているはずなのに、咄嗟の時にはつい声が出る。


「セット Ctrl(コントロール)1 (ファンクション)1! (ファンクション)2! (ファンクション)3!!」


 間髪入れずに炸裂するイサトさんの攻撃魔法。

 麻痺効果があることを期待してか、イサトさんのチョイスは雷撃系の魔法ばかりだ。ばちばちと火花のように薄青い光が黒竜王の傷だらけの鱗の上を跳ねまわる。けれど、それすらを振り切るように黒竜王はさらに羽ばたきを重ねる。地を蹴った後ろ足がそのまま宙に浮き、ゆるやかに、しかし確実に地面から遠ざかっていく。


「グリフォンで追う!」

「乗せてくれ……!」


 イサトさんが召喚獣を朱雀からグリフォンに入れ替える間に、俺はイサトさんの元へと走る。その間にも、黒竜王の姿はますます高度をあげており――……



「グルゥラアアアアアアアアアアアア!!!!!!」



 その声が響いたのは、俺とイサトさんがグリフォンの背にのって飛び立った直後のことだった。吠えたのは黒竜王、ではない。黒竜王に比べると随分と小柄に見える白銀のドラゴンが、遥か上空より一条の矢のよう黒竜王へと接近し、そのままの勢いでその喉笛に喰らいつく。


「エレニ!?」

「竜化か……!」


 俺とイサトさんが黒竜王を引きずり落とそうと躍起になっている間に、竜化を済ませ空に昇って待ち構えていたのだろう。

 黒の竜と白の竜、体格に大きな差があるとはいえ、それを補うようエレニは自重と勢いを乗せての体当たりだ。これにはさすがの黒竜王もバランスを崩し、二匹の竜は縺れあうようにぐらりとバランスを崩して地面へと落ちていく。

 

「……!」


 その姿を追うようにイサトさんがグリフォンの手綱を駆って地表へと向かおうとするが、俺は背後から手綱を取ることでそれを阻止した。


「イサトさん、黒竜王の真上に向かって!」

「ッ、……了解!」


 高度は維持したまま、イサトさんがグリフォンの手綱を引いて旋回する。

 ぐら、と傾いた身体が絡みあう白と黒のドラゴンの真上にきたあたりで、俺は大剣を携えてグリフォンの背から飛び降りる。

 高さとしては数三、四メートル。

 落ちて死ぬ高さではない。

 たぶん、きっと。


「エレニ、どけ!!」


 叫ぶ。

 狙いは、黒竜王の首元。

 だが、このままではエレニが邪魔だ。

 白銀のドラゴンが、俺を微かに振り仰ぐ。

 黒竜王とよく似た黄金の目に、剣を携えまっすぐに迫る俺の姿が映る。


「――…、」


 その黄金の目に宿る、逡巡は一瞬。

 大剣の切っ先が白銀のドラゴンの眼を貫く寸前、エレニが竜化のスキルを解く。

 軽くなる拘束に黒竜王が身体を起こそうとするものの――遅い。

 

 ガキィン、と耳を劈く金属音が響いて、大剣の切っ先が黒竜王の喉首の鱗に突きあたる。拮抗の瞬間は、随分と長く続いたような気がした。ぎち、と固い鱗を切り裂いて大剣の刀身が黒竜王の体内へと滑り込む。


「うらぁあああああああ!」

『グガァアアアアアアアアアア!!!』


 苦悶の咆哮がビリビリと空気を震わせる。 

 のたうち、もがく黒竜王の喉首へと俺は大剣をなおも強く黒竜王の中へと捻じ込む。肉を切り裂き、骨に当たる感触。びきりと響いた厭な音は、骨を断つ音か、それとも別の何かか。


『ア、ア、…………ッ、』


 次第に、黒竜王の上げる咆哮が小さく、弱弱しくなっていく。

 代わりにその口元からごぷりと溢れたのは喉を貫いた傷からの出血だった。

 地面を引っ掻き、なんとか立ち上がろうとしていた四肢からも力が抜けていく。


『……、ハ、』


 吐きだした呼気はあえか。

 ぐったりと大地に身体を横たえた黒竜王の身体から、生気が抜けていく。

 黒竜王は、ゆっくりと瞬く。

 喉元に跨る俺や、傍らに立ち尽くすイサトさんやエレニを順に移して、その金の双眸は最期に酷く凪いだ笑みを浮かべたように、見えた。

 

『エレ、ニ』


 しわがれた声が、エレニの名を呼ぶ。


「はい、陛下。ここに」

『……エルフの再建を、見届けてやれんですまなんだなあ』

 

 優しい、声だった。


「本当、ですよ」


 エレニがぼやく調子で言う。


「孫、ひ孫の顔まで、陛下には見て欲しかったのに」

『――、』


 黒竜王は、小さく笑ったようだった。

 それが、彼の最期の言葉だった。

 穏やかな色を浮かべた金の眼から光が失せ、中途半端に降りた瞼がその曇りを帯びた金を隠す。

 

「…………」


 エレニは、そっと手を伸ばすと慈しむように黒竜王の横顏を撫でた。

 それから、その瞼を下ろしてやる。

 

「……、陛下」


 もう、返事はない。


「……エレニ」


 呼びかけて、何を言おうとしたのかが自分でもわからなかった。

 謝ろうとしたのか、慰めようとしたのか。

 深く項垂れていたエレニが、ゆっくりと顔を上げる。


「……ありがとう。君たちのおかげで、父は無為な死を迎えずに済んだ」

「…………」


 俺は、まだ手をかけたままだった大剣の柄に額を預けるようにして顔を伏せる。

 俺がしたことは、エレニの感謝に値するようなこと、なのだろうか。

 確かに、命がけではあった、けれど。


 ふ、と。

 

 何か、光るものが顔をの脇を過ぎたような気がした。

 それに誘われてのろりと顔を上げる。

 最初は、風に巻き上げられた雪の粉だとばかり思った。

 けれど、違う。

 雪のように、冷たくはない。

 仄淡く金色を帯びた燐光は、どこか陽の光を想わせて暖かだ。

 一体、どこから。

 出所を探して再び見下ろした視線、その柔らかな燐光は黒竜王の喉を貫く傷口からふわふわと溢れだしていた。それはやがて、その全身へと広がっていく。


「これ、は……」

「陛下を模っていた女神の力が、還ってるんだ。また巡り、そのうち新たな黒竜王が誕生する」


 少しずつ、少しずつ、黒竜王の身体が崩れてゆく。

 幻想的な光景に見惚れているところで、からん、と乾いた音がした。


「……げ」

「わあ」


 そちらへと視線をやった俺とイサトさんの声がハモる。

 俺たちの視線の先には――……、中ほどからべっきり折れた大剣の先端部分が転がっていた。俺の手の中に残されているのは、柄からの半分までだ。すっかり軽くなってしまった手ごたえに、眉尻が下がる。


「……さっき、感触おかしかったんだよなあ」


 戦闘の途中で折れてしまわなかっただけ、随分マシ、ではあるのだが。

 随分と長いこと己の相棒として活躍してくれていた大剣であるだけに、なかなかショックが大きい。

 しばらくは予備の長刀を代わりに使いつつ、余裕があれば隙を見てクリスタルドラゴン狩り、といった感じになるだろうか。

 きらきらと光りの粒子に分解された黒竜王の身体が世界に還る様を見送りながら、そんなことを考える。


 ――と。

 

「秋良青年!」


 俺の注意を惹くように、イサトさんが声をあげた。

 何事かとそちらへと視線をやる。

 もうほとんど、形を残さず光の粒へと姿を変えた黒竜王の骸の中心に、何かが突き立っているのが見えた。


「…………?」


 そちらへと、歩みを進める。

 そこに突き立っていたのは、一振りの大剣だった。

 大きさは、折れてしまったクリスタルドラゴンの大剣とそう変わらない。

 ただ、あの幅広の大剣が直線的なラインで構成されていたのに対し、こちらはシャープな曲線が多く使われており、背の部分は炎のように揺らぐラインが描かれている。何より印象的なのは、その刀身の色合いだ。まるで黒竜王の鱗の色合いを彷彿とするような漆黒に、呪でも刻むように鮮やかな紅でラインが描かれていることだ。

 

「……イサトさん」

「はい」

「これはもしかして、いわゆるドロップ品、というものなのでは???」

「はい」


 自分の目にしている光景が信じられなくて、思わず疑惑に満ちた口ぶりになる。

 確かに、ドロップアイテムというのはこの世界の多くの人に比べたら俺たちにはまだ馴染みのあるものだ。だが、己のほしいもの、己にとって必要なものが一発で出るなんていうのは俺らにとっても充分レアな事象である。しかも、今回のように愛用の武器が壊れたタイミングでそれと同じ分類の武器が出るなんて幸運には滅多に恵まれるものではない。 

 そろっと手を伸ばして、その大剣の柄を握る。

 それはまるで俺のために誂えられたかのように、しっくりと手のひらに馴染んだ。持ち上げてみる。腕にかかる程よい重さが心地良い。

 

「おい、エレニ」

「どうかした?」

「これ、俺が貰っても良いか」

「そんな殺してでも奪い取る、みたいな顔をして聞くの辞めない?」


 大真面目にそんな風聞き返された。

 が、俺としても三人がかりで倒すことに成功した黒竜王の遺したものを、独り占めするつもりはないのだ。そもそも、もしかしたらこれは黒竜王がエレニのために残したものであるのかもしれない。

 エレニと黒竜王の間にある絆を思うと、断りなくこの大剣を自分のものにしてしまうのには抵抗がある。

 物欲と、人間としての道理の狭間で揺れつつも道理を取った俺の苦渋の問いかけに、エレニはふ、と軽い調子で肩を竦めた。


「それは、君たちに遺されたものだと思う。セントラリアに巣食う混ざりモノを君たちに託さざるを得なかった陛下からの――…贈り物だ」

「そう、か」


 それなら、ありがたく受け取ろう。

 この大剣でもって、俺は黒竜王の遺志を継ぐ。

 セントラリアを救おうと決めたのは俺たち自身の望みでもあるが……こうして託されたものがある以上、これはもう、俺たちだけの「我儘」でもない。


「あ」

「ん?」

「大剣だけじゃ、ないみたいだ」


 イサトさんが屈んで、黒竜王の骸のあった場所から何か別のものを取り上げた。

 それは、大剣のデザインととてもよく似たブレスレットだった。炎のような曲線のラインを組み合わせたもので、漆黒の色合いや、そこに走る朱色のラインが大剣と良く似ている。


「これは……ただの防御力や攻撃力を上げるアクセサリーってだけじゃなく、召喚アイテムにもなってるみたいだな」


 ブレスレットを手にとり、まじまじと眺めながらイサトさんが呟く。

 召喚アイテム、というのは、召喚獣を呼ぶためのトリガーとなるアイテムのことだ。特に身に着けている必要はなく、基本的には所持していることが召喚の条件となることが多い。たとえば朱雀であれば朱雀の羽が。グリフォンであれば太陽石と呼ばれる石がその召喚アイテムとなっている。イサトさんは常に、召喚する確率の高い召喚獣の召喚アイテムをインベントリに入れて持ち運んでいるのだ。


「…………」

「…………」


 俺とイサトさんは、じ、とそのブレスレットに視線を注いだ後、二人そろってエレニへと視線をやった。無言の訴え。


「…………わかった。わかったから。そんな目で見るのやめて。そっちのブレスレットも君らで使って良いから!」


 ぐ、とガッツポーズ。

 エレニが何かヒネた猫のような半眼で俺たちを見ているわけだが、ここは気にしなくても良いところだろう。

 俺は、ぽん、とエレニの肩を叩いた。

 イサトさんが、俺の反対側からエレニの腕を取る。


「…………なに」

「いいや、なんか美味いもん食いたくないか」

「私は鍋が食べたい」

「あ、鍋良いな」


 わかりやすく、慰められるのは嫌う男だろう。

 だから、せめて。

 せめて今夜は、暖かくて美味いもんでも一緒に食べようと、そう思った。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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