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おっさんの空間把握能力は死んでいる。


 次の日の朝。

 俺たちは宿での朝食を済ませた後、一度サウスガリアンの広場に一度寄ってから狩場へと向かった。

 よいせ、と俺が引き抜いた武器を見て、イサトさんが金の双眸を瞬かせる。


「それ、随分と久しぶりに見るような気がする」

「あの大剣手に入れてからは、そっちに切り替えてたからな」


 そう言いながら、軽く振るう俺の右手に握られているのは、いつもの大剣ではない。同じ「大剣」のカテゴライズに含まれるので、長さは同じほど。だが、形は随分と細身で、剣というよりも「刀」に近い。俺があの大剣を手に入れるまで愛用していた、一つ前の武器だ。

 

 一つ前、といっても、あの大剣を手に入れるまではこの長刀を使っていたのだ。つまり、クリスタルドラゴンの乱獲の際に使っていたのもこちらの長刀の方だ。大剣の方が攻撃力で少々上回っていたのであの幅広の大剣に持ち替えていたが、攻撃力で少々見劣りする分こちらは斬れ味が良い。斬りつけた敵に、確率成功とはいえ流血の状態異常を負わせることが出来るのだ。

 

「しばらくそっちに切り替えるのか?」

「黒竜王に備えておこうと思って」


 RFCに存在していたクリスタルドラゴンまでのモンスターであるのならば、この刀でも十分対応できる。こちらの刀もモンスタードロップには違いないので耐久値は回復することできないが、こちらは予備もいくつか倉庫に眠っている。

 あの大剣が必要となるとしたならば、それは間違いなく黒竜王戦だ。

 それまでは、温存しておきたい。


「もうちょっと時間に余裕があれば、私が鍛冶スキルとれたのに」


 悔しそうなイサトさんの言葉に小さく笑う。

 エレニの居場所がわかるのは、エレニの魔法の効果が続く「一週間ちょっと」の間だけだ。その期間が過ぎてしまえば、俺たちはエレニの行方を見失ってしまうことになる。もし、エレニの言葉に嘘があった場合、最悪北のヅァールイ山脈に着いた時にはもぬけの空で、黒竜王率いるドラゴンの大群がセントラリアに向かって出撃済みなんてことにもなりかねない。

 エレニと別れて、今日が五日目だ。

 今日の夜にはノースガリアに着いていたい。

 そんなことを考えながら、俺は視界の端でひょこりと動いたゴーレムに向かって長刀を振り下ろした。

 久しぶりに振るう長刀は、あの幅広の大剣に比べると幾分か軽くて物足りないような気もするが、こんなものだろう。大剣を手に入れるまでは随分長く世話になっていたのだ。きっとすぐに勘を取り戻せる。

 すぱり、と真っ二つに断たれたゴーレムが、光の粒子に分解されて消えていく。

 

 まずは、これで『ガラスの欠片』を一つ、ゲット。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりに使う長刀の肩慣らしも兼ねたゴーレム狩りは本日も順調で、昼前には目標の数を達成することが出来た。

 これで、ポーション作成に必要なアイテムの大部分が揃ったことになる。残るはノースガリアで手に入る『神秘の泉の水』だけだが、そちらは現地に行けば汲むだけで終わる。予定通り、午後にはノースガリアに移動することが出来そうだ。

 後は……


「精霊魔法使い装備を手に入れに行くんだっけか」

「そうだな。ひとまず、ダークエルフが守護する遺跡に向かおう」

「了解」

 

 荒野のど真中でピクニックよろしく昼食を終えた俺たちは、イサトさんの召喚したグリフォンの背に乗り、ダークエルフの遺跡へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――…」

「…………」


 覚悟は、していた。

 エルフも、ダークエルフも、随分と昔に滅んでしまったとはこの世界にやってきてすぐに聞かされていたはずだった。

 だけれども、こうしていざ人のいない寂れた遺跡を目の前にすると、初めて来る場所であるはずなのに、不思議と寂寥感に胸を締め付けられる。

 

 ダークエルフの遺跡は、サウスガリアンの奥地にあった。

 赤茶けた荒野の果て、取ってつけたように生い茂る大森林。

 目に鮮やかな緑が生い茂り、うねり横這いに絡み合うような木々に守られてその遺跡は静かに眠っていた。

 

 ゲーム時代であれば、遺跡の入り口には色鮮やかな装束を身に纏ったダークエルフの青年が立っていた。彼に誰何を問われ、旅の冒険者だというと、軽く遺跡の案内をしてくれるのだ。遺跡を取り囲むように、テントのような集落が立ち並び、アイテムの販売してくれたり、クエストを受け付けてくれる村人がいる他、立ち話をする女性たちや、その近くで遊ぶ子供たち、糸をつむぐ老人といった光景が長閑に広がっていた。

 

 それはすべて、ゲーム時代に見知った光景だ。

 村人たちはすべて二次元のドットで表現され、決して血肉の通ったリアルな人として俺たちの前に存在していたわけではない。

 それでも、ゲームで見たままの遺跡を中心に、崩れ、廃墟と化し、かつて何かがあったのだろうと申し訳程度の痕跡を残す村の風景には随分と胸に来るものがあった。


「……こういうの見ると、なんだか切なくなるなあ」

「……うん」


 ここにいた村人たちは、一体どうして姿を消してしまったのだろう。

 エルフやダークエルフに、一体何があったのだろう。

 そう思う一方で、もし同じことがセントラリアにも起きようとしているのなら、なんとしてでも止めたいと思う。

 

 俺は沈みがちな気分を切り替えるよう、努めてなんでもない風にイサトさんへと声をかけた。


「で、精霊魔法使い装備ってどうやって手に入れるんだ?」

「ええと……確か遺跡に近くに、ストーンサークルがあるんだ。そちらで、精霊の加護を受けるのに相応しいかどうかの試練を受けられたはずだ」

「案内してくれるか?」

「こっちだよ」


 俺を案内すべく、イサトさんは廃墟と化した遺跡を突っ切って歩きだす。

 周囲はひたすらに静かだ。

 木々の揺れる音と、俺たちの足音と。

 虫や鳥の声が、驚くほど豊かに聞こえる静けさだ。

 人の営みの気配だけが、この場所からは消えてしまっていた。

 自然の奏でる音が豊かに響くが故に、かえってそれがこの空間に満ちる静寂を際立たせている。


「さて。じゃあ少し、待っていてくれ」


 そう言って、イサトさんがストーンサークルの中に足を踏み入れる。

 とたんに、ごう、と周囲に旋毛風めいたものが吹き荒れた。

 何の変哲もない石をただ地面に突き立てただけ、という風だったストーンサークルを中心に、周囲に何かきらきらとした気配が満ちる。それは、精霊なんていう存在とは馴染みの薄い俺にも、わかりやすいほどに濃厚な気配だった。

 濃く香る花のような、雨上がりの土のような、吹き抜ける風のような――…自然の中で感じることの出来る匂いを雑多に取り混ぜて濃縮したような気配だ。それが、サークルの中にいるイサトさんを取り囲むようにめぐるましく瞬きながら、ごう、と壁のように吹き荒れたのだ。


「……っ、イサトさん、平気か!?」


 軽い爆発めいた衝撃を受けてたたらを踏みつつ、風の向こうにいるイサトさんへと声をかける。


「平気、だけども――…これは驚いたな」


 多少驚いてはいるようだが、イサトさんの声はいつもと変わらない。

 どうやら何か俺の助けを必要とするような緊急事態が起きているわけではないらしい。咄嗟に腰の長刀に伸ばしかけていた手を戻す。


「随分と精霊たちが騒いでる。長い間、誰も来なくて寂しかったらしい」

「大歓迎、ってことか」


 エルフやダークエルフがこの世界から姿を消してからの数百年。

 密林の奥に眠る密やかな遺跡は、その長い年月の中、人々の記憶の中から抜け落ちていってしまったのだろう。

 訪れるものを試し、加護を与えていたはずの精霊も、きっとさぞ退屈していたに違いない。


 少しずつ、吹き荒れていた風が鎮まっていく。


 その中心に立つイサトさんは、イサトさん自身が精霊そのものであるかのようにも見えた。

 

 なめらかな褐色の肌に、美しい銀の髪。

 柔らかに伏せがちの双眸は、甘い蜜のような金の色をしている。

 共に行動するようになって久しいはずなのに、未だにイサトさんの容姿には慣れることが出来ない。口を開けば、わりと残念なのは十分わかっているはずなのだけれども。

 

「私は、冒険者のイサト・クガ。精霊の加護を得るためにやってきた。試練を受けさせて欲しい」


 イサトさんに応えるように、ちかちか、とストーンサークルの上を光が踊る。

 そして――……







「おい」

「…………正直私が悪かった」








 イサトさんは見事に精霊の試練に大失敗した。

 もう、それはもう見事な失敗ぶりだった。

 口を開けばわりと残念、言ったな。アレは嘘だ。口を開かなくてもわりと残念だった。

 

 精霊から課される試練、というのは端的に説明すると、全方位キャッチボールといったものだった。RFC内で言うのなら、プレイヤースキルを試されるミニゲーム、といったところだろうか。周囲を取り囲むストーンサークルから次々と打ち出される様々な色を纏った光の珠を、プレイヤーは一定数以上キャッチしなければいけないのだ。


 イサトさんはといえば、もう最初から駄目だった。

 

 後方からのびやかにぽぉんと射出された光の珠は、見事にイサトさんの後頭部にぽこん、と間抜けな音を立ててヒットした。それに慌てたように振り返ったところで、今度は真横からきた光の珠が側頭部にヒット。それにまた慌てて体勢を変えようとして、斜め右からやってきたボールに顔面を討ち取られる。

 ぽこんぽこん、と一打一打のダメージはクッションがぶつかる程度にしかないようなのだが、もうなんていうかきりきり舞いだった。ふるぼっこだった。


「イサトさん…………」


 目頭が熱い。

 この人、こんなに反射神経死んでるひとだっただろうか。


「殺気が! 殺気がないから!」

「あったら困るだろ」


 真顔で突っ込む。

 装備を手に入れるための試練で死んでたまるか。

 騎士ですらせいぜいが模擬戦だ。

 職業ごとに適した装備を手に入れるためには、どの職でも試練がそれぞれ用意されているのだが……騎士装備のための試練では、モンスターとの模擬戦が用意されているのだ。基本は通常の戦闘と変わらなずに進むのだが、戦闘終了後にはステータスがすべて戦闘開始前の状態に戻される。モンスターを倒しても経験値は手に入らない代わりに、例えその戦闘中に死んでも戦闘前の状態に戻されるだけで、死に戻り、と呼ばれるような現象は発生しないのだ。

 精霊魔法使いの試練はどんなものだろう、と物見高い気持ちでいたのだが……


 それにしても、困った。

 

 イサトさんはストーンサークルの中心でぺたりとへたりこみ、ぜい、と荒い息を整えている。この様子と、先ほどのふるぼっこっぷりを見た感じだと、数をこなせばやれるようになる、という感じでもないだろう。


「イサトさん、ゲームの時はどうやってこれクリアしたんだ?」

「ゲームのときはほら、画面が俯瞰だろう」

「ああ、なるほど」


 確かに、ゲーム画面として見るとき、プレイヤーの視点は上空辺りから自分のキャラクターを見下ろすような感じだった。アレなら、例えキャラクターの真後ろから発射された光の珠でもプレイヤーとしては完全な不意打ちにはならないだろう。


 ふむ。

 つまり、見えてさえいればイサトさんはあの光の珠を捕まえることが出来るのだろうか。


「イサトさん、それ何個以上捕まえたら合格なの?」

「ええと、20中15個だな」

「……前だけ見てろ作戦は駄目か」


 見えないところ、後方から飛んでくる分に関してはもう見なかったことにして、目の届く範囲だけに集中してみてはどうかとも思ったのだが。

 ……って。

 ストーンの数を数える。

 イサトさんを取り囲むように、全部で石の数は12。それが、等間隔に整然と土に埋められている。

 

「よし、イサトさんもう一回やってみよう。俺も手伝うから」

「手伝うって……」

「イサトさんはさ、後ろから飛んできた光の珠に気づかないで当たって、それから振り返っている間に次の光の珠が出て、って感じじゃないか」

「う、うん」

「だから、光の珠が出ると同時に俺が指示を出せばどうにかなるんじゃないかと思って」


 ストーンサークルの石から射出される光の珠は、決して剛速球というわけではない。どちらかというと、ぽぉんと弧を描く柔らかなアンダースローに近い。それならば、俺の指示で振り返ってからでも受け止められる可能性は高いのではないだろうか。


「なんとかなりそうな気がしてきた!」

「よし!」


 そしてイサトさんの二回目の挑戦が始まり――……

 やっぱり惨敗した。


「イサトさん」

「はい」

「なんで三時の方向との指示で正面を向きやがりましたか」

「長い方の針かなって」


 まさかの長針だった。

 何故長針だと思ったのか。

 それ正面しか指示出せないよな???


「イサトさん」

「はい」

「そこ、正座」

「はい」


 膝を詰めての反省会。

 ついでにその辺で拾った木の枝でガリガリと地面に時計の図を書いてやる。

 何故そこでようやく合点がいったという顔をしやがりますか。


「私は自慢じゃないけど空間把握能力が死んでるんだ」

「本当に自慢にならないからな、それ」


 半眼で睨めつけつつ、短針だからな、短針と念を押す。

 神妙な顔でイサトさんも頷く。

 よし。


「これで今度失敗したら、イサトさん罰ゲームな」

「えっ」

「罰ゲーム」

「…………何をしたら?」


 何故やる前から敗北覚悟なのか。

 俺はうーん、と考えるように視線を上に向け。


「……セーラー服装備ってあったっけ?」

「よーし気合込めていくぞー! っしゃおらー!」


 イサトさんの答えは非常にわかりやすかった。

 俺としてはわりと本気でセーラー服装備が愉しみだったりしたのだが、イサトさんとしては断固拒否したいところであるらしい。

 どれぐらい拒否したいのかというと、見事次の一発で精霊からの試練を乗り越えるほどに、といったらきっとどれだけイサトさんが必死だったのかわかっていただけると思う。


「やったー!!!!!!」


 既に役目を終え、光を失ったストーンサークルの中心でイサトさんが雄々しくもたくましいガッツポーズを決めている。そんなにセーラー服装備が厭か。

 先ほどまでは赤ずきん装備だったのだけれども、今その身に纏っているのは精霊魔法使い装備だ。

 

 緑からオレンジへの色鮮やかなグラデーションを多く使われたその見た目は、異国の踊り子のようでもあり、見知らぬ神に仕える巫女のようでもある。


 濃い茶の上着は首元で止めて後は前開き。その内側から覗くのは、インナーのダークグリーンだ。開かれた胸元は襟ぐりが丸く開き、下品ではない程度に胸元が露わになっている。上着の袖は手首に向かって円錐形に大きく広がり、そのだぼりと下がる袖が、着物の袖を彷彿として巫女のような印象になっているのかもしれなかった。その大きく広がった袖から伸びる手首から手の甲までをこれまたインナーのダークグリーンが彩っている。

 下の方も、基本はタイツのようにぴったりとしたダークグリーンが隙なく足もとまでを包みこみ、基本的に肌の露出は少ない。ただ、ぴたりと肌に馴染むようなインナーが身体のラインを強調しているのがなんともエロやかだ。

 そしてそんな艶から人の目を逸らすかのよう、腰より伸びたパレオのような布が優雅に右の足首までを隠すように揺れている。鮮やかなグリーンからオレンジへとのグラデーションのかかったそれは、布というよりも南国の色鮮やかな鳥の翼のようにも見える。

 

 これはこれでとても素晴らしいのだが。

 セーラー服も見たかった、なんて言ったら殴られるだろうか。

 ……殴られるだろうなあ。


「それじゃあ、これでノースガリアに出発して平気か?」

「ンむ、もうやり残したことはないと思う」


 最後にもう一度だけ、緑の中に微睡むような遺跡を振り返って。

 俺とイサトさんは、かつてのダークエルフの里を去ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グリフォンが、一面の白の中に静かに着陸する。

 ぶわりっと雪の粉が煽られて宙を舞う。

 まだ昼だというのに空は昏く澄んだ紺色だ。

 一年を通して、ノースガリアの空はこの色をしている。

 かつてはエルフの女王によって維持されていた国は、今はもう亡い。

 もふりと雪に沈みそうになる足を踏み出して、かつてはクリスタルパレスと呼ばれたエルフの国があった場所へと踏み込む。

 

 そこは、水晶で出来た巨大な温室のような国だった。

 透明な澄んだクリスタルで街一つが覆われており、大理石とクリスタルとを基調に建てられた世にも美しい国だった。

 ゲーム時代、初めて足を踏み入れた時にも思わず息が零れたのを覚えている。

 

 そこは、今は完全に雪に沈んでいた。

 空を覆うクリスタルは、今はもうない。

 破れ、中途半端に雪の中から尖った先端を見せる残骸だけが、かつてそこに雪から街を守るが存在した外壁の名残のように残っている。


「――……」

「…………」


 二人して、小さく息を吐く。

 もこもこの耳宛つきの帽子をかぶったイサトさんが、ほう、と同じく暖かそうなミトンに包まれた両手に向かって息を吐いた。

 地味に、俺もイサトさんとほぼ似たような格好である。

 


 

 ―――今から遡ること数時間前。

 

 


 北に向かって飛び始めてからしばらく。

 俺たちがノースガリアを舐めていたことに気づいたのは、足もとに広がる大地にちらほらと白いものが混じり始めたころだった。


 寒いのだ。


 まだイケる。

 まだたぶん大丈夫。

 そんな風に思っているうちに身体がガタガタと壊れた玩具のように震え出し、歯の根が合わなくなった。

 おそらく、きっと、俺たちはこの寒さの中でも凍死することはないだろう。

 確かノースガリアの寒さの中では、防寒装備を用意しない限り緩やかにHPが減り続けるというステージ効果が発生していたが、俺たちのHPからすれば微々たるものだ。ゲーム時代、ノースガリアに向かうだけではわざわざそんな装備を用意したりはしなかった。どうせすぐに、街につくのだ。街についてしまえば、そんなわずかなダメージなどあっと言う間に自然回復してしまう。

 だから、たぶん死にはしない。

 でも、ものすごく寒かった。


「アアアアあきらせいねん、くま、くま、狩ろ」

「くま 狩る おけ」


 何かもうカタコトだった。

 そんなわけで急遽緊急着陸。

 一面真っ白な雪原に降り立ち、そこをのそのそと動きまわるクマの姿を探す。


 いた。


 雪原に溶け込むような白の保護色、ほわほわとした毛並が非常に暖かそうだ。

 このモンスターの正式名称は、グゥインベア。

 ぽわぽわとした毛玉のような姿は、実際のところは熊というよりもペンギンに近い。ただ、ペンギンであれば可愛らしい平たいヒレめいた前足の先には鋭い爪がしっかり生えている。

 白熊とペンギンを足して2で割ったような生き物だ。

 そして何よりも。

 

 

 

------------------------------------------------- 

【グゥインベア】

白くふわふわとした獣毛に被われたモンスター。

全長は2~4メートルほど。

全体的なフォルムはペンギンにも似るが、

クマのような鋭い爪と、強い腕力を持ち合わせるため

接近戦には要注意。

毛皮は暖かい。(・・・・・・・)


    RFCモンスター辞典より抜粋

--------------------------------------------------




 そう。

 こいつの毛皮は暖かく、防寒装備の素材となるのだ。


「け、毛皮寄越せええええええええ!!!!」

「ぬくもりを! ください!!!!」



 俺たちが錯乱しまくった叫びを上げつつ、可哀想な通りすがりのグゥインベアから追い剥ぎしたのは言うまでもない。

 

 

 ――回想、ここまで。


  

 その後、速攻でイサトさんに防寒スキルのついた外套を仕立てて貰い、身に着けて今に至る。

 完全に着替えるのでなく、今着ている装備の上から羽織る形だ。

 もっふりとしたファーをあしらったロングコートが死ぬほど暖かい。

 ちらり、と横目にイサトさんを見やる。

 お揃いのグゥインベア装備ではあるのだが、俺のはトレンチコート仕立て、イサトさんのは裾がスカートのようにふわりと広がっている。可愛い。

 

「……よし。とりあえずポーション作ろう、ポーション」

「そうだな」


 上位ポーションを作るための最後の材料は、神秘の泉の水だ。

 神秘の泉自体はここからそう遠くはない。かつてはエルフの女王が御座した玉座のある水晶宮を抜けた森の中だ。俺はわっさわっさと雪を蹴散らしながら、水晶宮を目指して進み始める――と。

 

「…………」

「イサトさん?」


 イサトさんが立ち止まったままだ。

 俺は訝しげにしつつ振り返る。

 振り返った先、イサトさんはどこか哀しげな顔をしているように見えた。

 どきり、とする。

 セントラリアを出発した時にイサトさんが見せた顔に、少し似ていたような気がして。


「イサト、さん」


 もう一度呼ぶ。

 イサトさんは物憂げに銀の睫毛を伏せて、口を開く。


「足が、埋まった」


 視線をイサトさんの足もとに下ろす。

 ブーツに包まれた足が、膝のあたりまでずっぽり雪に埋まっている。

 グリフォンの背から降り立って、そのままめり込んでいた模様。


「…………」

「…………」


 よし、担ごう。

 

















 わっしわっしとイサトさんを俵担ぎで運搬し、神秘の泉でこれまでに集めた素材を片っ端から材料に投入して上位ポーションを作成した後。

 俺たちは、かつて宮殿だった場所でたき火を囲んでいた。

 室内であれば、底冷えはするものの雪や風は防げる。

 しんしんと冷え込む空気の中、炎に手をかざして暖を取る。

 休むのであれば、『家』に引き上げた方が快適なのはわかっていた。

 『家』の中の季節は不変だ。

 俺がそう設定しない限り、暖房も冷房も必要ない過ごしやしすい気温で保たれている。

 お互いそれがわかっているのに、なんとなく『家』に入る気になれなかった。

 気になっていることが、あるのだ。

 



 ――最果ての、洞窟。




 俺とイサトさんが、ゲーム時代最後に挑んでいた新規マップ。

 その前人未到の洞窟にて、俺とイサトさんは偶然に偶然が重なった結果たった二人で最深部まで辿りついてしまった。

 そして、これまた偶然を重ねるような戦闘の果てに、ボスの取り巻きのうちの一体を倒すことに成功した。

 

 今まで誰も成し遂げたことのない、快挙だった。

 もしかしたら、運営の狂気とまで言われたダンジョンボスを倒すためのヒントを掴んだ瞬間だったかもしれない。

 

 けれど、そこでドロップしたエメラルドグリーンのジェムが俺とイサトさんの運命を変えてしまった。

 

 俺がうっかり転移ジェムと間違えてクリックしたそのアイテムは、俺とイサトさんをゲーム内の安全圏へと転移(・・)ではなく、この世界へと転送(・・)してしまった。

 

 ずっと、この世界に来て以来思っていた。

 あのアイテムが原因でこの世界にやってきたのならば、同じアイテムをもう一度使えば、元の世界に戻ることが出来るのではないか、と。

 

 

 そんな洞窟が、すぐそばにある。

 

 

 そわそわと、落ち着かない。

 元の世界に戻るための唯一の手がかりめいた場所が、すぐ近くにある。

 グリフォンに乗って飛べば、おそらく30分もかからないだろう。

 装備が揃っていないから。

 準備が出来ていないから。

 これまでそう理由をつけて遠ざけてきたゴールが、今は手の届く位置にある。

 上位ポーションならば、大量に用意した。

 イサトさんの装備も、整った。

 今なら、挑めないこともない。

 

 ぎゅ、と強く手を握る。

 

 今はまだ帰れないとわかってはいるのだ。

 セントラリアのことが片付いていない。

 俺たちが今ここですべてを投げ出して元の世界に帰ってしまえば、セントラリアで出来た友人と呼べる人たちが不幸になる可能性が高い。だから、今は帰れない。彼らを見捨てられない。


 それでも一目見に行きたいと思う気持ちを抑えることはなかなかに難しかった。そしてそれと同じだけ、俺には見に行くだけで終われる自信もなかった。


「…………」

「…………」


 ちょろりと視線を持ち上げてイサトさんの様子を窺う。

 ゆらゆらと揺れる焚火の陰影に照らされたその顔は、何時にも増して表情が読みにくい。

 

 今、イサトさんは何を考えているのだろう。


「なあ、秋良」

「ン?」


 俺の視線に気づいたように、ふとイサトさんが口を開いた。


「見に、行ってみるか」


 どこに、とは言わなかった。

 それだけの短い問いで、イサトさんが長いこと俺と同じことを考えていたのだとわかってしまった。

 だから、俺も短く問う。


「見に行くだけ、で止まれると思うか?」

「――……」


 イサトさんは、少しの沈黙を挟んで。

 それから、勢いよく迷いを断ち切るかのように立ち上がった。

 俺に向かって、手を差し出す。


「私は、君と一緒なら正しい選択が出来るって信じてる。だから、行こう」


 俺と、一緒なら。

 そう言って、イサトさんが向けてくれる信頼が随分と心強かった。

 イサトさんが信じてくれるのなら、俺はきっと選択を間違えない。


 


「行こう」




 ゆっくりと手を伸ばしてイサトさんの差し出してくれた手を取った。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

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