おっさんと作戦会議
目が覚めた時、周囲は真っ暗だった。
一瞬状況がわからなくて緩い瞬きを挟む。
「ええと……?」
ゆっくりと身体を起こす。
窓の外に広がるのは夜景だ。つまり夜だ。が、それがいつの夜なのかがよくわからない。確か聖女のもとを後にして、宿屋に戻ってきたのが昼過ぎだった……、はず。それからベッドに倒れるように爆睡して今に至るわけなのだが、今はいったいいつの夜なのか。
いや、さすがに次の日の夜まで寝倒したという可能性はないと思いたい。
寝すぎた後の、若干腫れぼったいような気のする重い瞼を何度か擦って、身体を起こす。腹時計に聞いてみれば何かわかるかとも思ったわけだが、回答はシンプルに「めっちゃ腹減った」なんていう一言に尽きた。
思えば最後に食事をとったのは、大聖堂に向かう前の朝食だ。単純に考えても、昼と夜の二食分をすっとばしている気がするし、その最後の朝食にしたって寝不足と疲れが祟って普段ほどの量も食べきれていなかった。疲れているうちは食欲もマヒしていたのか、それほど空腹も感じていなかったのだが……こうして十分な休息をとった後だと、とたんに腹の虫が騒ぎ出す。
立ち上がって、ぐうと大きくノビをする。
それから軽く身支度を整え、下の食堂兼酒屋を覗きにいってみることにした。女将さんさえいれば、何かしら食べ物にありつけるだろう。
廊下に出てみると、階下から響く賑やかな喧噪が耳を打った。ほっと一息つく。酒場に客が入っているということは、まだそれほど夜も深くない時間帯ということだ。女将さんもまだ厨房にいるだろうし、頼めば何か簡単な食事を作ってもらうこともできるだろう。そこまで考えて、ふと隣のイサトさんの部屋へと視線をやる。
まだ寝ているようなら、疲れているのだし寝かせておいてやりたいとは思う。
だが、ここは便利なコンビニのある現代日本とは違う。ある程度夜が遅くなり、一番遅くまで開いている酒場がしまるような時間帯になると、どこもかしこもしまってしまって、食事をとれるような場所が一切なくなってしまうのだ。24時間いつでも気軽に買い物ができる環境に慣れ親しんでいる現代っ子にはなかなかに不便だ。
「イサトさん、起きてるか?」
こんこん、とノックをしてみる。
もし反応がないようなら、何か時間が経った後でも食べられるようなものを女将さんに作ってもらえないか声をかけておこう、なんて頭の中で段取りをつけていると――……
「…………………」
がちゃりとドアが開いて、何か妖怪じみたオーラを纏ったイサトさんがぬぼーっと姿を現した。目が半分ぐらい開いてない。日ごろからどこか眠たげに見えるイサトさんだが、今は三割増し、というかほとんど寝ているように見える。
「あきら、せいねん」
「はい」
「ねむい」
「見てわかる」
そんなツッコミを口にしつつ、俺は眠たげの塊めいたイサトさんから、そっとさりげなく視線を逸らした。
寝起きのイサトさんは、別れ際と同じ格好をしていた。きっと、イサトさんも俺と同様ベッドに倒れこむなり死んだように睡眠を貪ったのだろう。その結果、ナース服が着乱れてわりと大変なことになってしまっている。普段はぴっちりと太腿のあたりまでを隠す黒革のブーツもキャストオフしてしまっているし、もともと深めの襟ぐりは、第一ボタンが外れているせいで余計に胸元のチラリズムがチラリじゃすまなくなりつつある。ポロリだ。
「ええと」
「ぅん?」
「――……なんでもない」
お胸がポロリしかけてますとはさすがに言えない俺を、へたれと呼びたければ呼ぶが良い。
「俺、飯食いにいくけどイサトさんどうする?」
「たべる」
即答だった。
普段わりと寝汚く、起こしてもなかなか起きないイサトさんがドアの外から声をかけたぐらいで起きてきたあたり、空腹で眠りが浅くなっていたのかもしれない。
イサトさんは口元を隠した手からはみ出そうなほど大きな欠伸をしながら、もそもそと部屋の中へと戻っていく。
「ちょっと、支度して降りるので。君は先、行っててくれ」
「了解」
良かった。
そのままの格好で出てこられたら、全力で部屋に押し戻すところだった。
「先、イサトさんの分も頼んでおく?」
「ん、お願いする」
「俺と同じので良い?」
「んん、それで頼める?」
「おけ」
短く頷いて、俺は先に階下の酒場へと向かう。
適当に空いている席を確保して、女将さんへと手をあげて二人分の食事を注文する。本日のスープに、パン。それと、本日の肉料理をつけてもらう。一応他にも献立があることもないのだが、基本夕食はここで取ることが多い俺たちは、たいていの場合は「本日の」メニューを選ぶことにしている。
ぼんやりと、周囲の会話を聞くともなしに聞く。
その内容からしてどうやらまる一日爆睡していた、というわけではないようだ。皆、ドラゴンの襲撃や、それに伴ったモンスターの大量発生を昨夜のこととして話している。酒の肴になっているのは、いかに恐ろしい目にあったかという話だったり、逆にいかに勇敢にモンスターを追い払ったかなどだ。襲撃のあった昨日の今日で、こうして盛り上がれるあたり、結構図太い。
やがて俺の目の前に女将さんが料理を運んでくる。運ばれてきたのは、ミネストローネを彷彿とするトマトを使った真っ赤なスープと、厚切りのパン、そして美味しそうな鳥の香草焼きだった。二人分を一皿にまとめたのか、二枚の皿にパンと鳥肉とが結構な量が乗っている。ふわりと鼻先を掠める香辛料の香りが食欲をそそる。すぐにでも齧り付いてしまいたくなるのだが、ここはイサトさんを待ちたい。
……って。
ふと、気づいた。
日本のファミレスと違って、この世界においての肉料理は特別に部位を指定していない限り、わりと当たりはずれがある。あまり偏りすぎないように店側で調整もするのだが、おいしそうな腿肉の塊があれば、その隣にはほとんど骨しかないような手羽の先が転がっていたりするものなのだ。
それなのに、今俺の目の前にある二人分の肉料理を乗せた皿には、そんなハズレが全く見当たらない。ぶつ切りにされた肉はどれも脂ののった柔らかな部位ばかりだ。
俺の視線に気づいたのか、女将さんは楽しそうにその双眸を笑みに細め、口元に人差し指をあてた。内緒、のポーズだ。
「お客さんにはお世話になっていますから。たくさん食べてくださいねえ」
「ありがとう、ございます」
なんだか、胸の内が温かくなった。
俺たちがしたくてしたことだから、誰に感謝されなくても良いとは思っていても、やはり感謝されて嫌な気などしないのだ。
にこにこ笑いながら去っていった女将さんとほとんど入れ違いのようにしてイサトさんが席までやってくる。
ナース装備からゆったりとしたカラット村でもらった服に着替えたイサトさんは、ラフではあるもののしっかりと余所行きの顔をしていた。ポロリの名残などどこにも見当たらない。つい先ほどまで寝癖にほつれていた銀髪にも綺麗に櫛が入れられ、多少結んでいた名残のうねりは見られるものの、それがまるで計算づくの緩いパーマのように見える。
「…………」
「ん? どうした秋良?」
「………いや、別に」
なんだか、キツネにでも化かされたような心地がするから不思議だ。
イサトさんは俺の正面に腰を下ろすと、さっそくイタダキマスと手を合わせた。一拍遅れて、俺もそれに倣う。
「なんだか今日の肉料理、豪華だな」
「女将さんからのサービスみたいだ」
「サービス?」
「俺らが昨日頑張ったから」
「ああ、なるほど」
俺とイサトさんが、セントラリアを襲ったドラゴンを撃退したという話はきっともう出回っているだろうし、あの直後にはこの宿の無事を確認しにきたりもしている。そういったことに対しての、女将さんなりの感謝の示し方がこの美味しそうな本日の肉料理、ということなのだろう。
ありがたく、そんな料理をいただくことにする。
トマトを一緒に煮込んだ少しピリ辛のスープと、レモンと香草の香りに誘われてパンが進む。もぎゅもぎゅと歯ごたえのあるみっちりとしたパンを頬張って、最初の一切れを食べきったあたりでようやく人心地がついた。
見やれば、イサトさんも同様のようだった。
ほう、と幸せそうに緩んだ息を吐きだしている。
美味しいものを、一緒に美味しそうに食べてくれる連れというのは良いものだ。
腹具合が少し落ち着いたところで、二枚目のパンはもう少し味わって食べることにする。
「イサトさん、疲れはとれた?」
「ああ、おかげさまで。若干寝すぎたような気がして腰が痛いけれども」
「わかる」
人間疲れすぎると寝返りすら儘ならないのか、同じ体勢で寝すぎて腰が痛くなるのだ。俺も先ほど目を覚ましたとき、ベッドに倒れこんだままのうつ伏せの姿勢そのままだった。
「君は?」
「俺の方も似たようなもん。けど今日はもう何もないし、これ食べたらまた休むだろ?」
「さすがに今から黒の城やらどこやら押しかける気にはなれない」
「同じく」
イサトさんの冗談めかした言葉にうなずく。
明日からに備えて、今日はもうゆっくりと休みたい。
「明日には疲れも抜けてるだろうし……動くとしたら明日から、だな」
「そうなると問題はどう動くか、ということになるよなあ」
ぼやいたイサトさんが、時間稼ぎのようにもぎゅりとパンを齧る。
つられたように、俺もパンを齧る。
もぐもぐとお互いにパンを咀嚼する間の沈黙。
その間に明日からの方向性についてを少し脳内で検討してみるが、どうにも考えがまとまらない。
「……とりあえず、北に向かうことにはなる……よな?」
「そうなる、な」
エレニは、事情を聞きに黒竜王に会いにいけと言っていた。
聖女は、セントラリアを救うためにも黒竜王を斃してほしいと言っていた。
方向性は真逆であるものの、二者に共通しているのは黒竜王が鍵となっているという点だ。どちらに転ぶともしれないとはいえ、両者の事情をはっきりさせるためにも、とりあえず北に向かうのは確定といっても良いだろう。問題は、その後のことだ。黒竜王の立ち位置が、もし本当に聖女の言っていた通りだった場合――…黒竜王の言う「世界を救う」という言葉と、俺たちの思い描くそれは相反してしまっている可能性がある。
そうなった場合、どうするのが俺たちにとっての正解なのだろう。
そもそも、俺たちは何のためにこの世界にやってきたのだろう。
ただの事故、弾みによるものなのか。
それとも、女神によって何か思惑があってこの世界に導かれたのか。
もし後者であったのなら、俺たちは女神により課せられた役目を果たさない限り元の世界に戻ることが出来ないのかもしれない。
その現実と直面したとき、俺たちはどうするのだろう。
黒竜王とともに、この世界の人類を終わらせてでも元の世界に戻る?
それとも、黒竜王を倒してこの世界で人とともに生きる道を選ぶ?
「もし、聖女の話が本当だったら……イサトさんは、どうしたい?」
聞いてみる。
イサトさんは、この世界において唯一俺と境遇を同じくするパートナーだ。
そのイサトさんが現状をどのように考えているのかが知りたかった。
「――……」
俺の問に、イサトさんがゆっくりと視線を持ち上げる。
思案の淵に沈むような金色が、俺を映して瞬いた。
「寝る前に少し話していたのだけれど――…覚えてる?」
「えっ、中国語?」
「何を言ってるんだ君は」
変人を見るような目で見られた。
覚えてないのかコノヤロウ。
いろいろとツッコミを入れてやりたくはあるものの、それでは話が進まないような気がしてならないもので。今は仕方なくツッコミを飲み込んでイサトさんの言葉の続きを待つ。
「私の個人的な意見としては聖女の理屈には穴があると感じているのだよな」
「そういえば、そんなこと言ってたな」
中国語云々の発言の破壊力にうっかりさておいてしまっていたが。
「俺は、仮説としては十分説得力があるように聞こえていたんだけど」
「まあ、ある程度はな。ただ、彼女の話には『ヌメっとした連中』の要素が抜け落ちているんだ」
「――あ」
そういえば、そうだ。
飛空艇の一件や、今回の騒動に関していえば確かに主犯はエレニだが、そこに絡んできたヌメっとした連中の存在は決して無視して良い存在ではない。飛空艇に現れたヌメっとした人影は、セントラリアにて獣人を排斥しようと暗躍しつつも、セントラリアを襲撃したエレニへと襲い掛かった。
そのことからも、あのヌメっとした連中がエレニと同じ派閥に属しているとは今は考えられないし、だからといってエレニと対立するヌメっとした連中がセントラリアを守る正義の味方側だと思うこともできない。奴らがマルクト・ギルロイを使ってセントラリアでやらかしたことを俺は忘れてはいないし、忘れることもできない。
「それに、彼女がエルフやダークエルフの次は人かもしれない、と言っていたの覚えてる?」
「ああ、言ってたな」
「それって、おかしいと思わないか?」
「……おかしい?」
首をかしげる。
エルフやダークエルフといった種族が姿を消し、一度はセントラリアの大消失などという原因不明の災害も体験しているのだ。
次は自分たちが消える番かもしれないと怯えるのは自然な流れであるようにも思えるのだが……。
「だって、エレニはエルフの復興を願う側だろう」
「……あ、そうか」
聖女の言いようだと、女神の意思に添って動く黒竜王により、エルフやダークエルフが滅ぼされ、さらに今その粛清の対象に人間が選ばれた、というように聞こえていたが――…その黒竜王の陣営には、エルフの唯一の生き残りであると思われるエレニがいるのだ。
黒竜王が女神の意思を受けてエルフやダークエルフを滅ぼしたのならば、エルフの復興こそを望むエレニがその陣営に加担するわけもない。
「ただ、エレニが騙されているパターンや、人間を滅ぼせばエルフを復興させてやる、なんて甘言に踊らされている可能性も無視はできないけれども」
「うーん……」
聖女は、ことを「人とドラゴン/人と女神」の対立構造なのではないかと俺たちへと語って聞かせた。けれど、もしそこに見落とされている第三勢力がいるのならば――…そのヌメっとした連中こそが、諸悪の根源である可能性だってある。
というか、俺からするとそうであってほしいと思いたい。
女神の味方をして人を滅ぼす未来も、人を守るために元の世界に戻る可能性ごとドラゴンを葬る未来も、どちらもぞっとしない。
「まあ、これだけ話をしても、結局は北に向かわないといけないんだけどな」
「デスヨネ」
今ここで話したのは、すべて今ある情報を元に組み立てた推論に過ぎない。
幾つかある可能性を並べてみただけ。
実際にどうするのかを決めるためには、やはり北に向かうしかないだろう。
「ただ、最悪黒竜王との戦闘が発生すると考えると、備えてはおきたいよな」
「ポーションはもちろん、装備もそろえたいな。イサトさん、クリスタルドラゴンは倒せたっけ?」
「君と組んでなら討伐経験あり。単独では無理だったな。リモネのサポートありなら、何度か死につつなんとかといったところ」
「……………」
ふむ。
ヅァールイ山脈のボスであるクリスタルドラゴンを基準に考えるのならば、前衛の俺、後衛のイサトさんという組み合わせで挑めば勝てる可能性は高い。が、相手はゲーム時代のNPCであり、戦闘能力は未知数だ。ドラゴンを束ねる竜王としてクリスタルドラゴンよりも高位とされている以上、クリスタルドラゴンより強いと考えておいた方が良いだろう。そんな黒竜王相手に、ポーションの備えがある、というぐらいではかなえり心もとない。
「どっちみち、ポーションの素材のためにもサウスとノース、両方めぐるつもりだったわけだし、ついでにイサトさんの装備揃えられないか?」
「召喚士装備は入手イベントのトリガーが女王との謁見だったから、女王がいない現状手に入れるのは難しそうなのだけれども――…精霊魔法使い装備なら、精霊の加護で作れたはずなので何とかなる可能性が高いな」
「よし。それじゃあ、明日からはとりあえず北に向かう支度をするということでいいかな」
「それで良いと思う」
元より、ポーションやイサトさんの装備を揃えたら、俺たちがこの世界にやってくる切っ掛けとなったダンジョンに挑むつもりでもあったのだ。黒竜王に備えて用意したとしても、無駄にはならない。
そんなわけで今後の方向性を決めた俺たちは、本日は十分に身体を休めるべく、食事を済ませた後はおとなしく解散して部屋に戻ったのだった。
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