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キレる若者とおっさん

流血描写、グロ(微)描写あるのでご注意。

0901修正。

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1117修正

 日暮れ前に俺たちがたどりついたのは、砂漠の東端にあるカラットという村だった。

 

 辺境の村らしく、俺たちのような冒険者が訪れるのは珍しいのだといってわいわいと俺たちを物珍しそうに囲んでくれた。

 

 それをキリの良いところで振り切って、俺とイサトさんは宿屋へと引き上げていた。部屋は当然二つ。隣同士並んで二部屋借りた。

 

 一泊200エシルで、朝食つきだ。たまに行商の商人が訪れる他は、わざわざこんなところまで来る冒険者もいないため、宿といっても万年休業状態なのが常だからこそのこの値段なのだそうだ。

 ゲーム的な感覚で言うと、初心者エリア故の安価といったところだろう。

 

 自分の部屋に荷物を置いたイサトさんが、俺の部屋へとやってきたところで作戦会議だ。


「……イサトさん、カラットって村知ってる?」

「知らないな……。砂漠エリアといったら始まりの街エルリアとあと砂漠のダンジョンぐらいしか知らない」

「俺も同じく」

「でも言葉が通じたのはありがたかったな」

「本当に」


 何気なく笑顔でしれっと対応していた俺とイサトさんだが、二人とも村に入るまでははたして言葉が通じるか、と結構ハラハラしていたのは内緒である。

 

 いざとなったら私が頑張って言葉を覚えてみせる、と言い切った男前なイサトさんの覚悟は次回に使いまわしたい。


「一瞬RFCの世界じゃないのかとも思ったけど……、エルリアのこと知ってたよな?」

「うんうん」


 エルリア。

 砂漠のオアシス、灼熱の砂漠都市、始まりの街。

 RFCを始めたプレイヤーは、最初エルリア近くの砂漠へと転送される。

 

 そこからチュートリアルが始まり、その指示に従ってモンスターを倒す中で武器や回復アイテムの使い方や武器や防具の装備の仕方を学び、ワープポータルの使い方を覚え、実践しているうちにエルリアにつく、という流れなのだ。

 

 だから俺は、砂漠をさまよった結果にたどりつくのはエルリアか、ピラミッドのどちらかだと思っていた。ピラミッドというのはこの砂漠エリアにおける現時点では高レベルダンジョンである。

 

 RFCでは、中央都市セントラリアを中心に、東西南北にそれぞれ都市国家が発達している。北のノースガリア、東のエスタイースト、南のサウスガリアン、西のトゥーラウェスト。

 

 エルリアはトゥーラウェストに属している。そしてそこからエリアにわかれていくわけだ。エリアは大体特徴の似ているフィールド3つと、ダンジョン一つと、プレイヤーが休むことができる休息ポイントの5つから構成されている。

 

 俺たちがいる砂漠エリアも、初心者向けのフィールドが3つと、ある程度レベルが上がったプレイヤー向けのピラミッドダンジョン、そして始まりの街エルリアから構成されていた……はず、なのだ。

 

 カラット、という俺もイサトさんも知らない村にたどりついてしまった時、俺は地味にショックを受けていた。

 

 RFCの中に入ってしまった、のだったらまだ救いがあると思っていたからだ。

 

 俺はRFCならばサービス開始時から遊んできた古参だ。レベルだって、ほぼカンストに近い。たとえそれが現実になったとしても、俺にはこの世界に対する知識がある。ステータスが反映されているならば、それなりに戦うことも可能だろう。

 少なくとも、『生き抜く』ことぐらいは出来るはずだ。


 だが、ここがRFCとは異なる世界だったなら。

 

 俺の知識は頼りにならない。ステータスもどこまで信じられるかわからない。

 

 そう考えたとき、急に立っている大地が底なしの泥沼に変わったかのような恐怖を感じてしまったのだ。己の知識や常識が全く通じない異世界に、寄る辺なく放り出されてしまった心細さは尋常じゃない。

 

 エルリアに行きたかったんだけどな、と呟いた俺の声は、きっと乾いて震えていた。それに対して、俺たちを案内してくれた宿屋の娘は顔をくしゃくしゃにして笑ったのだ。


「お客さん、エルリアの街なら正反対の方向ですよ」


 と。


「レトロ・ファンタジア・クロニクルの世界観に良く似た異世界……、ってことなんだろうかなあ」

「いろいろ確かめないとまずいよな。そもそも俺、まだこれが現実かどうかも実感が正直わいてない」

「それは私もだよ。まだどこかで……、そのうち目が覚めるんじゃないか、って思ってる」

「……だよな」


 俺やイサトさんが二人とも妙に冷静に適応していられるのは、まだこれが現実だという実感がわかないから、なのかもしれない。


「ダメだな、俺。もっとしっかりしないと」


 現実を認めなければ。

 目の前の現実をしっかりと認めなければ。

 こんなにのんびりとしていては、何かあったときに動けないかもしれない。

 ここはもうゲームではない……、かもしれないのだ。

 それに、リアル(・・・)の方の問題だってある。

 俺たちは今こうして、MMORFCによく似た見知らぬ世界にいるわけだが、今この瞬間俺たちがもともといたはずの世界では何が起きているのだろう。


これがただの、恐ろしいほどにリアルな夢だというのなら、それはそれで構わない。

 けれど、もし本当に異世界に来てしまっているとしたら。


 ここにいる俺は肉体を伴った俺なのか、それとも肉体を置き去りに魂だけでここに迷い込んでしまっているのか。それによって、危険度は変わる。もし肉体ごとここに来てしまっているのならば、俺が覚悟すべきは家族によって失踪届あたりが出されてしまうことだ。一人暮らしの大学生であり、実家への連絡がそれほどマメでない俺なので、俺がリアルから姿を消してしまっていることに家族が気づくまでは猶予がある。その間に元の世界に戻ることが出来れば、現実復帰へのリカバリーは可能だ。だが、もし魂だけでこちらに来てしまっている場合。家族が俺の異変に気付くまでの時間が今度は命取りになりかねない。


 そんな状況だと言うのに、俺には実感がない。


 漠然とした正体不明の焦りは感じているものの、死ぬかもしれない環境に追いこまれているという危機感に欠けている。

 こんなザマでは……。

 

「……あんまり気負うものではないよ、アキ青年」


 眉間に皺を寄せて考え込んでいた俺の肩を、イサトさんがぽんと叩いた。


「イサトさん」

「人間なんてな、放っておいても目の前の環境にはなんだかんだ適応できるんだ。皆が呆れるブラック企業で気づいたら一年耐久した私が言うんだから間違いない」

「……ブラック企業勤めだったんです?」

「だったんです。一年で根をあげてフリーになったけれど、私以外で一週間以上持った人はいなかったので……、まあ酷い環境だったんだろうな」


 他人事のように何かすさまじいことを言ってるぞこの人。


 俺とイサトさんはゲームの中での付き合いしかなかったこともあり、俺はイサトさんのリアルの話をほとんど知らない。

 そういえばリモネがよく「あいつは規格外」と言っていたっけか。


「昔なー、私がまだ大学生だった頃なんだが」

「はあ」

「私はその日ゼミが終わったらもう授業がなくてね。私の友達連中は皆次に授業が入ってたんだ。そういうことって、あるだろ」

「あるな」


 同じゼミにいれば大体似たような講義をとっているが、それでもそういった差異は出てくる。


「それで私は一人で帰ることにしたんだ。授業を行っている建物の小脇にある雑木林の中の小道をてくてく歩いていて……、そこでヘビを踏んだ」

「は?」

「ヘビ」

「え? え? ヘビ?」

「そう、ヘビ」


 重々しく繰り返して、イサトさんはこっくりとうなずく。


「大丈夫だったのか?」

「普通に考えてヘビ踏んだら反撃されるよな」

「さ、されるだろうなあ」


 嫌な予感しかしない。


「見事かまれました」

「うわあ」

「私な、その時驚きすぎてなー」

「そりゃ驚くよな」

「悲鳴をあげ損ねたんだ」

「悲鳴を上げ損ねる?」

「なんというか、タイミングを外した、というか。

すぐ隣の建物は授業中で、他の友達は皆授業に出てて、私だけ小道でヘビに咬まれてる、っていう。超シュールだろ」


 絵面で想像すると相当シュールだ。


「私はなんだかものすごく冷静でな。

自分の脛のあたりに咬みついてるヘビを見下ろして、この色と形ならたぶんアオダイショウだなー、毒はないだろうから平気だなーって考えてて。

でもヘビはものすごい私の足に絡みついててな。もうなんなの。

最新ファッションなの、っていう」


 叫ぶタイミングを逃し、一人呆然と小道にたたずむイサトさん。その足にしっかりと絡みつくアオダイショウ。


「結局どうしたんだ」

「仕方ないから咬みついてるアオダイショウの頭を掴んで、ひっぺがして、そしたら今度は腕にからみついてくるから、ものすごい勢いで腕を振ってぶんなげたよな」

「ぶんなげたんだ」

「ぶんなげました」


 ヘビの方から襲ってきたわけではなく、先にうっかり踏んづける、という形ででも攻撃をしかけてしまったのは私だったからな、なんてイサトさんはしみじみ思い出を語っている。


「その日は私、ジーンズだったんだ。だからヘビの牙も肌に届いてなくて、何事もなかったんだが……、とにかくあっけにとられる出来事だった」

「そりゃ驚くよ」

「だから」

「だから?」


 そういえばなんでこんな話になったんだっけか。


「人間、予想もつかない出来事に直面したときってな、意外とパニックにならないんだ。たぶん脳みそがブレーキをかけてるんだと思う。私たちが今妙に冷静に淡々と対応していて、異世界トリップの実感がわかないのも、そういう防衛機構だと思っておくといい。君がのんきで頼りないわけじゃない」

「イサトさん……」


 そう繋がるわけなのか。


「そのうち嫌でも実感がわいて、どんよりする時がくる。それか、もしくは向こうのおふとんで目覚めてああやっぱり夢だったんだ、って思う時が」

「……後者だと嬉しいんだけどな」

「確かに。そんなわけだから……、あんまり今はあまり落ち込まず、やれることからやっていこう。いつもと変わらず」

「……そう、だな」


 実際にはここは俺たちにとっては現実で、画面越しに見てきたRFCとはいろいろと勝手が違う部分だって多い。でも、それでも。いつもと同じように、二人で話し合って、やれることから片づけていこう。

 

 この世界のことも、俺たちの元の世界のことも、考えなくて良いわけではない。けれど、今はヒントが少なすぎるし、考えたところで解決法に至る可能性は少ないような気がした。それなら、悩んで危機感や絶望に追い詰められるよりも、多少は鈍感でも、今出来ることだけを考えるようにした方が良い。


「それじゃあまず、自己紹介していいか?」

「え?」

「こんなことになったわけだし、やっぱり一緒にいる相手のことは知っておきたいもんじゃない?」


 俺の言葉に、イサトさんは意外そうに目をぱちくりとさせている。


「俺は遠野秋良とおの あきら。季節の秋に、良い悪いの良いって字で秋良あきらだ。大学二年の二十一歳。改めてよろしくな、イサトさん」

「…………。……私は」

「無理しなくてもいいよ」

「え?」

「俺は、俺のことを知ってて欲しかったから名乗っただけだからな。イサトさんがリアルの情報を俺に知られたくないって思うならその気持ちだって尊重する」


 そりゃちょっとは寂しいけどな! 残念だけどな!!


「や、そうじゃないんだ。ちょっといろいろ事情があって」

「うん」

「これで自意識過剰だったらクソ恥ずかしい」

「何が」

「……私は、玖珂くが伊里いさと


 ここで、一度イサトさんは言葉を切って俺をちろ、と上目遣いに見やった。

 可愛い。


「イサトさん、まさかの本名プレイだったのか」

「逆に本名だと思う人もいなかろうと思って」

「確かに」


 「いさと」という音自体、名前としてはそう多いものではないような気がする。

 本名、というよりもペンネームやハンドルネーム、芸名にありそうだ。

 って。あれ。ちょっと待て。待てよ。玖珂伊里、って名前を俺は知っている。


「玖珂伊里って、あの玖珂伊里!?」

「……たぶん、その玖珂伊里だ」


 玖珂伊里。最近ちまたで話題になっていた少女漫画の原作担当の名前だ。女性の心をときめかせ、様々な年代の女性のハートをがっつり掴んだ結果、今年の暮れには実写映画化も決まっていたはず。今目の前にいるダークエルフ美女がその玖珂伊里!?


「玖珂伊里ってアレだろ、マスコミに絶対出てこなくて最近だと実在しないんじゃないか、とまで言われてる……」

「はっはっはー」


 いました。実在しました。


「そんなわけで、私は玖珂伊里。まあ、ネトゲの時と変わらず気軽にイサトと呼んでくれ。……といっても君はずっと私のことをおっさんと呼んでいたわけだが。おっさん、でも構わないよ」

「呼べるか」


 拗ねた調子で言葉を返す俺に、イサトさんはくつくつと楽しそうに喉を鳴らして笑っている。


「職業は文字書きだ。で、年齢は25。君より4つ上なわけだな」

「はー……」


 言葉が出ない。

 ネトゲでつるんでいたおっさんが美女だったあげくに、そんな時の人だったなんて。

 

 でも少し納得した。おっさんは暇な時はちょこちょこネトゲにインしているが、忙しい時は本当に出てこない。死んだんじゃないか、なんて不謹慎な噂が流れるほどに音信不通になる。きっとああいうときはいわゆる修羅場に突入していたんだろう。


「改めてよろしく、秋良」

「……よろしく、イサトさん」


 そうして、俺たちは改めて握手をかわしたのだった。














 その日は、そんな自己紹介と、インベントリの使い方をお互いに確認する感じで終わった。お互いざっと現在のインベントリ内にあるものを報告しあったが、予想通りイサトさんのインベントリはほとんど空だった。ただ、例外を言うならば召喚アイテムだろうか。

 

 イサトさんは本人の戦闘力よりも、召喚対象を育てることに全力を注いでしまった系残念ダークエルフだ。何が残念って、ダークエルフは「召喚」こそ出来るものの「召喚」向きではないあたりが、残念極まりない。

 

 RFCでは召喚という特殊スキルが使える種族としてエルフとダークエルフという二種類が用意されている。どちらも召喚スキルを使えはするのだが……、種族特性がエルフとダークエルフでは異なっているのだ。

 

 エルフは召喚をメインに、本人の覚える魔法は大地や自然の力を借りて召喚モンスターを癒したり、自身を回復するようなサポート系の能力を覚える。

 

 一方のダークエルフは、同じ精霊魔法でもより攻撃的な魔法スキルを覚えることができる。結果、召喚士としてモンスターを相棒に戦いたい人はエルフを、強力な広範囲精霊魔法を使いたい人はダークエルフを、といった形で使い分けが行われていた。

 

 そこでイサトさんである。ダークエルフで、召喚士。


 無理ではないが、いろいろと残念である。


 何故とめなかったのか、とリモネに聞いたところ、止めても聞かなかったんだ、と遠い目をされた。


 そんなわけで、イサトさんは残念な召喚士なのである。


 ちなみに、召喚スキルはエルフしか使えないとはいえ、召喚するだけなら俺もできる。騎乗も、出来る。なので俺も、それなりに育てた騎乗用のモンスターが手持ちにいたりもする。

 

 では、召喚士というジョブが俺と何が違うかというと、モンスターのレベルが上がりやすいということと、あとはモンスターに命令出来るということだ。召喚士ではない俺がペットとしてモンスターを連れている場合、俺が戦闘に入ったとしてもモンスターが攻撃に参加する割合は一割から二割程度だ。

 

 騎乗している場合に限り、反撃だけはオートで行ってくれる。

 

 が、召喚士の場合、連れているモンスターにターゲットを与え、攻撃をさせることができるのだ。ちなみにペットは自らが攻撃してモンスターを倒した場合でないと経験値を獲得しない。連れ歩くだけではダメなのだ。なので、騎乗型のモンスターの場合は、アクティブモンスターが大量に湧くポイントに突撃することでレベルあげすることもできるが……、それ以外のモンスターの場合は召喚士以外だとなかなかレベルを上げることが難しい。

 

 イサトさんが現在手元に持っているのはグリフォンとフェンリル、それと朱雀だった。西洋風の世界観でいきなり和の要素が入ってくることに違和感を覚えるかもしれないが、そのあたりRFCはわりとチャンポンである。日本人プレイヤーの心をがっつり掴むという目的と、クールジャパン的な何かを狙っていたのかもしれない。

 

 グリフォンとフェンリルは物理攻撃に特化しており、朱雀はフェニックスと要素をだぶらせているのか回復や復活といったサポート系のスキルを持っている。戦闘目的でどこかに出かけるときの、イサトさんの定番だ。


 ここが本当にRFCの世界ならば、どうしたらスキルが発動するのかといった仕様面についての確認をいろいろしたいところではあったのだが……。


 さすがに村の中でモンスターを召喚したり、俺の大剣スキルを実践するわけにはいかない。


 そのあたりはおいおいこの村を拠点にして、砂漠の方でモンスターを相手に実践してみよう、という話になった。


 そこで、今日はおしまい。


 お互いそれぞれの部屋に戻って、眠りにつく。

 次目覚めたら自分の部屋だったら良いな、なんて夢を抱きつつ。

 そして。

 そんな夢が打ち砕かれるのは、きっとある種の御約束なんだろう。

 

 夜中、俺を目を覚ましたのは目ざまし時計のせいでもなければ、日本の自分の部屋でもなかった。


「お客さん、起きてください!! 起きて!!」


 だんだんだん、と激しくドアが鳴る。

 甲高い悲鳴じみた声は、俺たちを部屋に案内してくれた宿屋の娘さんのものだろうか。


 身を起こすと、窓の外が異様に明るいのに気付く。


「……なんだよ」


 嫌な予感を打ち消すように、呟きながら寝具から抜け出してドアへと向かう。ちなみにベッドではなく、布団……、というよりも寝袋に近いタイプのものがこのあたりでは一般的らしい。

 

 鍵をあけると同時に、バタンとすごい勢いで外からドアを開けられた。


「お客さん逃げてください……! 盗賊です……!!」

「おうふ」


 これが現実だと認識したがらない脳は、御約束キタコレこのタイミングでかよ、などというリアクションを俺にとらせる。実際にはもっと緊張感にあふれていなければならない状況であるはずなのだが。


「イサトさん……、俺のツレは?」

「お母さんが呼びに行っています!」

「よし」


 それだけ確認すると、俺はベッドの傍らに置いてあった大剣だけを手に取った。


 さすがに寝るときは邪魔だからと防具関係は外してしまっていたのだが、きっと今それを身につけるだけの時間はないだろう。着ることを諦めて、それらはぽいぽい、っとインベントリの中にしまっておく。ふと思いついて、普段ゲームの中でやってるようにインベントリ画面で防具をダブルクリックしてみた。


「おお」


 早着替えだ。

 いかにも最初から着てましたよ、という態で俺は防具を装備していた。脱ぐのも同じように一発で出来たら便利なんだが。


「お客さん、急いで!」

「あ、ごめん」


 ついこんな時に仕様を確認してしまっていた。剣を腰にさして部屋から出ると、同じように宿屋の女将さんに起こされ、腕をひかれて部屋を出てきたイサトさんと合流することができた。

 

 イサトさんは寝起きをそのまま引っ張り出されてきたのか、まだぼんやりと眠そうな顔をしている。問題は着ているのが召喚士装備(上)だけだということぐらいか。例の彼シャツ状態だ。俺のマントはどこいった。


「イサトさん、俺のマントは?」

「いんべんとりー」


 眠たげに間延びした声で応えられた。普段よりもふにゃふにゃとした喋り方が可愛い。が、今はそれどころではない。俺たちは宿屋の母娘に先導されて階段を降りながら、小声で言葉を交わす。


「起きろって、イサトさん。盗賊だって、盗賊」

「とうぞく……、どろぼう?」

「そうそう、泥棒。でもどっちかっていうと強盗みたいだ」


 逃げろ、ということは盗むだけでなく、こちらに危害を加えられる可能性が高いということなのだろう。


「そんなイベント、やったことないぞ……」

「俺もないよ。ほら起きろって」


 少しずつイサトさんの喋りがはっきりしてくる。


「……起きた」

「それなら良かった。で、どうする?」

「王道的展開ならここで私たちが本気出して無双」

「そうじゃないなら?」

「小市民的にそそっと村人にまぎれて避難」

「俺らは?」

「小市民コースじゃないか」

「……だな」


 まだスキルが使えるのか、自分たちにどれほどの戦闘力があるのかもはっきりしていないのだ。その状態で盗賊相手に喧嘩売るほど俺もイサトさんも神経がずぶとくはなかった。

 

 先導する二人の後について、俺たちは避難する。村のあちこちにが赤々と照らされているのは火を放たれたからなのだろう。


 そう。そこは主張したい。俺たちはちっとも暴れる気なんてなかった。村人たちには悪いが……、命さえ助かればそれで良いと思っていたのだ。

 


 命さえ、助かれば。




「こっちです……! こっちに……!」


 そう言って俺たちを先導して走り出した宿屋の娘さん。


 たたっとかろやかに足音を響かせ、通りに出ようとしたとたん。

 

 俺たちから見えぬ物陰から突き出された白銀の刃が、さくりとその顔から臍の下あたりまでを一刀のもとに切り捨てていた。


「……っ!?」

「アーミット!!」


 女将さんの絶叫が響く。

 ああ、あの娘の名前はアーミットというのか、だとか。


『お客さん、エルリアの街なら正反対の方向ですよ』


 と言ったくしゃくしゃな笑顔だとか。

 そんな彼女に纏わる記憶が一気に鮮明に眼裏に蘇って。

 ぐしゃりと割れて血を溢れさせる彼女の顔と重なる。

 むせかえるように立ち込める濃厚な血の香り。金臭い。

 くらり、と少女の身体がバランスを失って揺れるのと、赤黒い鮮血を滴らせるシミターをぶら下げた男が物陰からのそりと姿を現すのはほぼ同時だった。


 恐れよりも、まず最初に感じたのは怒りだった。

 ああでも、この怒りを俺はどうぶつけたらいい?

 どうしたら、どうしたら。


 殺す?


 その選択肢は驚くほどするりと俺の脳裏に浮かび上がった。

 殺す。命を奪う。可愛いあの子を殺したこの男を殺し返す。命の贖いは命で賄ってもらおう。殺そう。こいつ、殺そう。


 大剣を握る手に力がこもる。


 す、とすり足で相手に向かって踏みだしかけ――…。


「秋良援護!」

「……ッ!?」


 俺より先にそう叫んで飛び出したのはイサトさんだった。


 砂をけり散らす豪快なスライディングで、イサトさんは男の足元に崩れかけていたアーミットの身体を抱きとめる。血まみれのアーミットの身体を抱いたイサトさんは、すぐさま空中に手を滑らせ……そんなイサトさんに向かって、傍らに立っていた男が再びシミターを振り上げる。びちゃりとシミターから散った鮮血がイサトさんの顔を汚す。その血に汚れた顔が、俺を振り返る。強い色を浮かべた金色の眸。

 

「……ぁ」


 小さく、息が零れた。

 まっすぐに俺を見つめるイサトさんへと、男の持つシミターが振り下ろされる。

 目の前が赤くなる。

 体が熱くなる。

 熟した果実のように肌の内側に詰まっていたいのちを散らして崩れ落ちたアーミットの姿が、俺を見つめるイサトさんに重なる。

 

 イサトさんが、死ぬ?

 

 そんなことは認められない。

 許せない。

 イサトさんが、顏を伏せる。

 ただしそれは、己へと振り下ろされる凶器に怯えたからではない。その証拠にイサトさんの指先は虚空を滑っている。インベントリから何かを取りだそうとしているのだ。今にも自分に向かって振り下ろそうとされているシミターのことなど、考えもしていないとでも言うように。

 

 いや、違う。

 

 イサトさんはなんと言った?

 

『秋良援護!』


 イサトさんは、俺に援護を頼んだのだ。

 俺は何だ?

 騎士だ。

 前衛だ。

 前衛の務めは――……。


「させるかよ!!」


 今度こそ俺は大きく踏み込み、腰の大剣を引き抜きがてらその抜刀の勢いでイサトさんに向かって振り下ろされたシミターをはじく。


 否、はじこうと思ったのだ。


 そのつもりで俺は大剣をシミターに当てに行ったのだが……、結果どうなったのかというと、俺の大剣はいともやすやすと男のシミターをすっぱりと切断してしまっていた。


 ほとんど腕には感触すら伝わらなかった。そのまま俺は返す刀で男を男がアーミットにしたように脳天から袈裟斬りにしてやろうと大剣を振り下ろす。

 

 恐怖にひきつった男が助けてくれと叫ぶ。

 

 頭の中がふつふつと煮えたぎっているのに、その一方で俺は妙に冷静だった。

 

 お前はアーミットに命乞いを許したか、というのが、必死の命乞いに対して抱いた感想だった。

 

 人を一人殺そうとしているのに、そんなことしか俺は思わなかった。思えなかった。俺の振り下ろした刃が、男の顔面に、肉に沈みかけ。


「殺すなよ!」


 背後からかかったイサトさんの声に、俺はぴたりとその手を止めた。男の顔がどろりと血で汚れていくのが見えたので、おそらく2ミリくらいはイってしまったような気がする。恐怖で意識を失ったのか、男がどしゃりと膝から崩れて地面に倒れた。それを見届けてから、剣を引く。


「なんで」

「ひとごろしは、なるべくしない方向で」

「あいつは殺したのに?」

「殺してない」

「助かった?」

「ああ」


 振り返る。

 イサトさんの腕に抱かれた血塗れのアーミットが、何が起こったのかわからない、といった様子で緩く瞬いている。血塗れではあったものの、無残に断ち斬られた傷跡は微かにも残っていない。その代わり、何故かアーミットの顔は液体に濡れていた。

 

 ……ポーション、飲ませたんじゃなくてかけたのか?

 

 そんなことを思いつつ、俺は「はー……」と深く息を吐いた。

 良かった。本当に良かった。アーミットは助かった。死んでいない。傷跡も残らなくて良かった。女の子の顔に傷が残るのはよろしくない。

 強張っていた体の力が緩むのに合わせて、俺は持っていた大剣を地面に突き立てて、深々と息を吐いた。それから顔をあげて、女将さんへと振り返る。


「女将さん、アーミットを連れて避難してください」

「あ、あなたたちは……っ!?」

「無双モードです」


 きっぱりとイサトさんが言い切った。

 でもそれ、おかみさんには間違いなく絶対通じない。


「ここは俺らがなんとかします。女将さんは早く逃げてください。安全なところまでは、俺といさとさんで援護しますから」

「いや、ちょっと待った」

「イサトさん?」

「護衛ならちょうど良いのがいる」


 こんなすぐに試すことになるとは思わなかった、とぼやきながら、イサトさんがすっと中に手を滑らせる。それと同時にその手の中に現れたのは、妙に禍々しいスタッフだった。

 

 確かあれは南の方のエリアボスドラゴン、ダークロードのドロップ品だ。この禍々しさがたまらん、とおっさんが愛用していた。見ないと思っていたら、インベントリにしまっていたらしい。

 

 イサトさんは、トーン、と軽やかにスタッフの柄を地面に打ち付けた。そして、ゆるくスタッフを一閃。それはいつも、ゲーム画面で見ていた動作だった。


「――…フェンリル」


 呼ぶ声に応じるように咆哮が響きわたる。

 魂を揺さぶるような、人間の本能に根差した恐怖や警戒心をかきたてる声だ。

 ふっと一陣の風が吹き抜けると同時に、だしん、とその図体にしては軽やかな音をたてて白銀の毛並を持った巨大な狼がどこからともなく俺たちの目の前に降り立った。月明かりをはじく銀の毛並みも美しい、イサトさんお気に入りの魔狼だ。ゲームの中ではおなじみの存在だったが、こうして現実として目の前に立たれるとものすごい威圧感を感じる。喰われる心配はないとわかっていても、身構えてしまいそうになった。大きさとしては日本で一番有名な山犬サイズ、といったところだろうか。ちなみに息子たちの方ではなく母親の方だ。これだけ大きいのだから、獣臭さを感じるかと思いきや、意外なことに生きている動物めいた匂いは感じなかった。流石は召喚モンスターだ。


「……これだけ格好つけて、失敗したらどうしようかと思った」


 なんて言いつつ、イサトさんはすり寄ってくるフェンリルの首筋をわしゃわしゃと撫でてやっている。ふかふかと柔らかそうな毛並に、つい目が吸い寄せられるが今はそんな場合ではない。


「フェンリル、ちょっとこの二人を護衛してやってくれないか。目的地までついたら、戻っておいで」

「くふん」


 返事はちょっとかわいらしい鼻鳴きだった。

 驚愕を通り越して呆然自失としている女将さんとアーミットを二人がかりで、大人しく伏せたフェンリルの背に乗せる。


「よし」


 GO、と軽くその首筋をイサトさんが叩くと同時に、フェンリルは二人を乗せて走りだす。


 それを見送って、ふとイサトさんが俺をなんともいえない目で見ていることに気がついた。


「……何」

「君は……意外とキレやすい男なんだな」

「む」


 キレやすい、といわれるとなんだか触るもの皆傷つけちゃう系男子のようだ。

 そんなつもりはないんだが。


「あんなナチュラルに相手を殺す覚悟を決められる人を、私は初めて見たぞ」

「ええー」


 うーむ。もしかしなくとも、イサトさんにどん引かれてしまっただろうか。

 怖がらせてしまったか?

 少しだけ、ひやりと指先から体温が逃げたような気がした。

 そんな俺の腕を、ぽんとゆるくイサトさんが叩く。

 きっと、それが俺の抱いた疑問に対する返事なのだろう。

 触れられたところから、じんわりとイサトさんの体温が伝わってくるような気がする。落ち着く。人の体温。命のぬくもりだ。


「イサトさん、フェンリル戻ってないけど大丈夫なの?」

「ふっふっふ、こう見えて私は一応ダークエルフなのだ」

「こう見えてというかダークエルフにしか見えないけどな」

「うるさいな」


 イサトさんが、すちゃりとスタッフを構える。

 先ほどの俺と盗賊Aの戦闘からわかるとおり、おそらく俺らはこいつらよりはるかに強い。こいつら相手にならば、イサトさんの精霊魔法もむしろやりすぎなレベルで効果があることだろう。


……と。


「秋良青年は木の棒な」

「えええええ」


 ぽい、と無造作にイサトさんが拾った木の棒を俺に向かって放り投げてきた。

 

 いろいろ不満はあるものの、確かにあの大剣を振り回して相手を殺さずにすむ気がしない。打ち合ったところからそのまま相手を剣ごと切り捨ててしまいそうなのだ。

 

 仕方ないので、大剣をインベントリにしまい、木の棒を握る。まさかこんなところで「ひのきのぼう」を装備することになるとは思わなかった。

 

 ワンピースのように召喚士装備(上)を靡かせ、禍々しいスタッフを構えるイサトさん。


 丈がぎりぎりなのが、余計にもともとそういうコスチュームであるかのようで、それなりにハマっている。月光を織りあげたような銀髪を靡かせ、金色の双眸で索敵にいそしむ様はいわゆる悪墜ちしたヒロインのようだ。

 

 一方その傍らの俺ときたら、木の棒を握っているだけだというのだからどうにも格好がつかない。


「くっそう……」


 唸っていると、傍らのイサトさんがそっと手を伸ばして俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でてくれた。


「今度は私が君に木刀を買ってあげよう」

「100エシルの?」

「そう、100エシルの」

「仕方ない、それで手を打つか」


 そんな会話をのんびりとして。

 俺とイサトさんは盗賊殲滅戦に赴くのだった。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 盗賊殲滅戦は、限りなく順調に進んでいた。


「イサトさん、そっちに一匹いった!」

「盗賊のカウントは匹でいいのか」

「畜生にも劣る、的な?」

「なるほど?」


 ぶんっと何気なく振るわれたイサトさんのスタッフが、したたかに正面から盗賊の横っ面を殴り倒した。それほど威力があるように見えない一撃だが、喰らった盗賊は立ち上がれなくなっている。効果は抜群だ。


 この世界に迷いこんで初の戦闘ということもあり、最初はお互い気を配っていたものの、盗賊どもの戦闘力がわかるにつれて次第に緊張は程よく緩んでいた。今ではお互いに雑談を交わしながら、ひょいひょいと盗賊の無力化を続けている。


 精霊魔法使いであり、召喚士であり、物理戦力としてはカウント外になりがちなイサトさんの物理攻撃が十分通用しているあたりで、盗賊どものレベルはお察しである。あえて試そうとは思わないものの、攻撃を喰らったところでもダメージは皆無だろう。


 そんな中、ふとイサトさんが顏をあげた。


「秋良青年、盗賊は君に任せても良いか」

「イサトさんは?」

「私は火消しに走ろうかと」


 火消し、なんて言われると何の不祥事が炎上しているのかと思ってしまうものの、俺も顔をあげてすぐに納得する。


 暗い夜空に、再びぱちぱちと火花が細かく踊っていた。


 盗賊らは最初、混乱に乗じて攻め入るつもりで村に火を放った。そちらは戦闘が始まってすぐに、イサトさんによって消火済みだ。そして、今再び上がり始めた火の手。きっと、盗賊らが逃げる隙を作るために悪あがきをしているに違いない。


「一人で大丈夫そう?」

「危なくなったら君を呼ぶよ」

「そうしてくれ」


 イサトさんの物理攻撃で倒せる相手とはいえ、何があるかはわからないのだ。

 くれぐれも危ないことはしてくれるなよ、と念を押した後、俺とイサトさんは二手に分かれて行動を開始した。


 イサトさんがいる所を中心に、その周辺から盗賊連中を狩って行く。

 どれくらいそうしていただろうか。


「……?」


 視界の端を、何かが動いた気がしてそちらへと目を向ける。

 そこにいたのは、黒衣のローブを目深に被った男だった。


「あんたも盗賊の一味か」

「…………」


 男は答えない。

 ……なんだろう。

 特に武器を構えているというわけでもないのに、目の前にいる男からは得体のしれない気持ち悪さを感じた。威圧されている、というのとは違う。怯まされているわけではない。ただ、なんとなく近寄りたくないと感じる。生理的な不快感とでも言えば良いのだろうか。特に何が原因というわけでもないのに、その黒ローブ姿の男を薄気味悪いと思ってしまうのだ。

 

 さっさと他の盗賊連中のように気絶させて、捕まえてしまおう。

 

 考えるのは後に回して、俺はさっさと行動に出ることにした。

 一息に男の元へと踏み込み、手にしていた木の棒で意識を刈り取るべく打ち込んで……、


「……っ」


 俺は息を飲んだ。

 男は、俺の振り下ろした木の棒を苦痛の呻き一つなく、腕で受け止めていた。

 木の棒を握る手には、生木を殴ったような反動が伝わってきている。


 こちらも殺してしまわないようにとある程度力加減はしていたが、それでも当たれば意識がトぶ程度の力はこめている。それを生身の腕で受け止めて、声一つあげないなんてことがありえるだろうか。こいつ、やっぱり気持ち悪い。


 俺は、素早く一歩退いて男から間合いを取る。

 ローブの下から覗く口元は、ただただに無感情だ。苦痛に呻くどころか、表情一つ変わっていない。


「……気持ち悪ィ」

 

 声に出して呟いて、俺は再び木の棒を構えた。

 本当ならば大剣に持ち替えたいところではあるのだが、さすがにいくら不気味な相手だとはいえ、丸腰の相手にあの大剣は使えない。かくなる上は木の棒で死なない程度にうまく無力化して、捕まえるのみだ。


 ふ、と短く息を吐いて俺が踏み込むのと、男が身を翻すのはほぼ同時だった。


「この…ッ!」


 逃がしてたまるか、と俺は追いすがり、その背へと向けて木の棒を振り下ろす。


 逃げる相手を背後から攻撃するなんて如何なものか、なんてちらりと思ったが、背に腹はかえられない。


 が、そこで俺は再び度胆を抜かれた。

 振り下ろした木の棒が背中に当たる寸前、男がこちらを振り返ったのだ。

 それだけなら別に問題はなかった。逃げることよりも迎撃を優先したのか、で終わる。


 では何が問題なのかと言うと、男は足を止めなかったのだ。つまり、下半身は変わらず前方に向かって逃げながら、上半身だけがぐりんと回転して俺を振り返った――…ように見えた。


 それぐらい、上半身と下半身の動きが不自然だった。

 後ろを振り返りながら走ることも不可能ではないだろう。

 だが、全く影響を受けずに走り続けることが出来るか、と言われればノーなのではないだろうか。


 少なくとも、俺にはそんな動きは無理だし、出来る人間がいるとも思えない。

 男は目を瞠っている俺に向かって、ニタリと嗤った。

 口が裂けたかのように吊り上る。

 そして、腕が一閃。


「く……ッ!?」


 長くしなる、鞭のようなものが伸びてきた。

 慌てて木の棒でその攻撃を浮けようとしたものの、相手のトリッキーな動きに惑わされたこともあってガードが間に合わない。がつ、と木の棒に掠めるような衝撃を感じた次の瞬間には、頬に熱が生まれていた。 



 ―――届いた。



 俺は目を瞠る。 

 相手の攻撃が、俺に、届いた。

 微かに肌を切ったのか、頬にはチリとしたあえかな痛みが残っている。

 ダメージとしては無視しても構わないほどの微量。

 けれど、『俺に攻撃が届いた』という事実は無視出来なかった。

 

 RFCにおける俺は、前衛として攻撃力はもちろん防御力にも力を入れたキャラメイクを行っていた。敵の攻撃から味方を護る壁もやりつつ、先頭に立って敵を殲滅する。それが、俺の役割だった。だから、俺はそれなりに硬いし、この辺りのモンスターが俺の防御力を超えた攻撃力を持っているわけなどないとたかをくくっていた。



 ―――でも、届いた。



 この世界で初めて感じた攻撃される痛みに、俺の感情がぐらりと揺れる。

 ありえないはずの出来事に対する怒りなのか、自らの命を脅かされることに対する恐怖なのか。


 例えもし本当に異世界に飛ばされたのだとしても、ゲーム内のステータスをそのまま引き継いでいるのならば、なんとかなると思おうとしていた。元の世界よりも死ににくく、強くなったぐらいなのできっと大丈夫だ、と。


 けれど、その前提が崩れる。


 こんな初心者向けのエリアに、俺に攻撃を通すことの出来るモノがいる。

 不用意に手を出して良い相手ではない。

 そう判断して俺は深追いはしないでおこうと思いかけるものの……


「……あ」


 小さく、声を上げた。

 俺相手にダメージを与えられるということは、こいつの攻撃はイサトさんには確実に通る。

 あの人は紙装甲極まりないのだ。

 こいつは、イサトさんを殺す可能性を秘めている。


 

 ここで仕留めよう。



 俺はぽいと木の棒を捨てると、インベントリから大剣を取り出して腰だめに構えたまま男を追う。


 男が逃げる先にあるのは燃え盛る家だ。目くらましに使うつもりなのか。そこに逃げ込まれてしまえば、俺は後を追えなくなってしまう。一瞬脳裏にポーション連打のゴリ押し戦法もよぎったわけだが、追跡で通り抜けるだけならまだしも、万が一敵と燃え盛る家の中で戦闘になった場合を考えると、その手は使えなかった。どう考えてもポーションが途中で尽きる可能性の方が高い。


 だから、相手が火に紛れる前に決着をつけたい。


「……ッ逃げんな!」


 唸るように低く吼えて、その背に向けて一太刀浴びせる。

 その寸前、微かにイサトさんの「殺すな」と言った言葉を思い出したような気もしたが、俺は迷わなかった。躊躇いなく、男の背に大剣を打ち込む。


 俺の振るった大剣はやすやすと相手の胴体をぶった切り――…というわけにはいかなかった。ち、と舌打ちを一つ。盗賊の剣を切り飛ばすだけの切れ味を誇るこの剣ですら、斬り伏せられないあたり、やはりこの男は油断ならない。男の身体が衝撃にのけぞり、よろけ……そのまま崩れかけた燃え盛る家の中へと転がり込んでしまった。くそ。俺が相手を火の中にぶちこんでどうする。


 せめて男をこちら側に引き戻すことぐらいは出来ないかと思うものの、近づいた俺を威嚇するように、ばちりと炎が爆ぜた。そして、思わず身を引いた俺の目の前でぽっかりと口を開けていた入口が焼け落ちる。ぶわっと舞った熱気と火の粉に、俺は腕で顔を庇いつつ一歩後退った。この炎の中に飛び込んで、生身の人間が生きていられるとは思えなかった。それ以前に、俺が最後に浴びせた一撃のダメージもある。普通の人間ならそこで死んでる。


 そう思うのに……何故か俺の眼裏には、黒ローブの男が無表情のままむくりと身体を起こして歩きだす姿が鮮明に浮かんでいた。

 

 ああ。

 きもちわるい。


いさとさんは本当に変な人だよなあ、と思ってる秋良も、わりとアレな人でした。

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