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セントラリアの未来

 レブラン氏の店の破れたショーウィンドーを応急手当でざっくり塞いだ後。

 くれぐれも無茶はしないようにと言い置いて、俺たちは教会へと向かっていた。


 教会といっても、レティシアや貴族たちが避難している大聖堂の方ではなく、マルクト・ギルロイの一件以来、獣人たちの集団生活の場となっている教会だ。

 

 大聖堂の方は、王族やら貴族の避難場所となっていることからもおそらく騎士団が詰めているはずだ。だが、城下の、それも獣人が多く集まる教会ともなれば後回しにされていたとしてもおかしくはない。

 

 最近は少しずつ獣人への偏見も緩和されてきたとはいっても、俺とイサトさんがこの街にきた当初、街の騎士団は獣人のエリサやライザがチンピラに絡まれているところを見て見ぬふりをしたという前科がある。その現場を見ているだけに、大聖堂よりも、教会の方が気がかりだったのだ。


 イサトさんが混乱の中様子を見に行ったときには、大人たちが力を合わせて周辺住人の避難を行っていたとも聞いているのだが……。

 無茶をして怪我などをしてはいないだろうか。

 俺やイサトさんからしてみれば雑魚と呼べるモンスターでも、黒の城(シャトー・ノワール)で手こずっていていた彼らからしてみたら十分強敵だろう。

 

 自然速足になった道行き、辿りついた先の教会は静まり帰り、その入り口を固く閉ざしていた。

 ただ、内側からはどこか緊張した気配が漏れでてきている。

 大勢の人間が、息を殺してその「静けさ」を意識して作っているような不自然な沈黙、といったらいいのか。

 扉近くに吊るされたランタンの投げかける明かりの下へと足を踏み入れ、ドアをノックしようとしたところで。


「あ、アキラ!」

「お?」


 何やら高いところからエリサの声が降ってきた。

 見上げる。

 玄関横の高い小窓から身を乗り出したエリサがこちらに向かって手を振っているのが見えた。


「ごめん、そっちのドア今使えねーんだ、裏っ側の窓に回ってくれ!」

「おう、わかった」


 返事を返すと同時に、ひょこりとエリサの頭が小窓から引っ込む。代わりに顔を出したのはエリサに比べるとまだ少し幼い少年だ。少し緊張した面持ちで、俺たちに向かって小さく頭を下げて見せる。


「見張りかな?」

「そうみたいだな」


 玄関先にやってくるものを、小窓より確認して誘導するなり大人を呼ぶなりするのがきっと彼ら年長者組の役割なのだろう。

 

 言われた通り教会の裏に回ると、先回りしていたらしいエリサが薄明りの灯った窓を開けて手を振っているのが見えた。どうやらモンスターの侵入を防ぐために、教会への出入りを一か所に絞っているらしい。明かりが漏れているのはその窓だけで、それ以外の窓は、ぴったりと固く鎧戸が閉ざされている。


 その唯一薄明りの灯った窓に向けて、俺は窓の下で中腰の姿勢になると膝を壁に押し当て、地面と腿とが平行になるような体勢をとった。この窓、女性が腕力だけで身体を引き上げるには少々高すぎるのだ。


「イサトさん、俺が足場になるから先にどうぞ」

「ありがと、助かる」

 

 まずはイサトさんに手を貸して先に窓枠を乗り越えて貰うとしよう。

 それ自体は純粋な好意に過ぎなかったわけなのだが。


「よっと……!」


 ヒールを避けたブーツのつま先部分が、ぎゅ、っと俺の腿を踏んでイサトさんの身体がぐいと持ち上がる。そのままイサトさんは前のめりに上身をひとまず先に窓枠の向こうへとやって――…そうなると、こちらに残されたのはイサトさんの下半身である。

 

 俺の目の高さに残された、くびれたウェストからよく張った腰までの艶やかなライン。ぱつんと張った生地が、むっちりとした太腿の付け根の辺りまでをかろうじて覆っている。




 イサトさん、見えそう。




 何が、とは言わない。言えない。

 ナース服のスカートはただでさえ短いのだ。窓枠を乗り越えようとイサトさんが身じろぐ度に、持ち上がったスカートの裾がかなりのぎりぎりのラインで小さく揺れる。あと数ミリ持ち上がれば。あと少し角度がつけば。なんてけしからん。いいぞもっとやれ。あと少し。あとほんの少し――……


「おいアキラ」

「はい」


 思わず身体が傾ぎかけたところで、やたらドスの利いた声でエリサに名前を呼ばれた。ただそれだけだというのに、条件反射のようやたら素直な返事と同時にびしりと姿勢を正して視線を逸らす。

 

「?」

「ナンデモナイデス」


 不思議そうに振り返ったイサトさんにはカタコトでしらばっくれつつ、エリサにも口止めめいた視線を送る。エリサは心底呆れたような半眼をこちらに向けつつも、密告は勘弁して貰えたようだ。ものすごい勢いでエリサの中で俺の株が暴落したような気がしないでもないが、男なのだから仕方ない。仕方ないったら仕方ない。

 

 最後にもうひと押し、というよう足場として差し出していた腿をぎゅむと黒革のブーツが軽やかに踏んで窓枠を乗り越えて行く。イサトさんがとん、と室内に降りるのを見届けてから、俺もようやく立ち上がってひょいと窓枠を乗り越えた。

 

 外からモンスターを惹きつけてしまうことを恐れてか、部屋の明かりは最小限だった。暗くて見えにくいが、どうやら以前話し合いに使った部屋であるようだ。薄暗い影に溶けるよう、何人かの人影がぼんやりと浮かんでいる。万が一モンスターが窓からの侵入してきた場合に備えて控えているのだろう。暗さに慣れても、俺にはぼんやりと物の形がわかる程度なのだが……、夜目の利く獣人にはこれぐらいの明るさでも十分なのかもしれない。


「他の人たちは?」

「聖堂の方にいる。こっちだ」


 エリサに案内されて、聖堂の方へと向かう。

 直接外に明かりが漏れない聖堂に向かうにつれて、光源が増えて明るくなっていった。

 

 揺れる蝋燭の明かりに照らされた聖堂の中には、多くの人が避難してきているようだった。いつかの、黒の城(シャトー・ノワール)から帰ってきた直後の光景を思い出す。あの時も、大勢の獣人たちが疲れたように聖堂のあちこちに固まって座っていた。

 

 あの時と違うのは、未だ臨戦態勢が解かれていない、ということだろうか。


 ここでもやはり、窓の近くには武器を持った男たちが控えており、そこから離れたちょうど聖堂の中心にあたる場所に子供や女性、老人といった戦う力を持たない弱い立場の人たちが固まって座っていた。その中に混じって座り込んでいる男性陣は怪我をしているのかもしれない。


「エリサ、怪我人がいるのか?」

「逃げる途中で転んだり、ちょっとモンスターに引っかかれたり咬まれた人がいるぐらいだ。あんまり酷い怪我をした奴はいねーよ」

「そっか」


 少し安心する。

 重傷者がいないのは何よりだ。

 そう思いつつ周囲を見渡して、ふと気づいた。

 人、多くないか。

 記憶の中にある獣人たちの数よりも、今ここに集まっている人数は随分と多いように思える。それに気づいてから改めて周囲を見渡して、俺は驚くことになった。


「人が、いる」


 そう。

 人だ。

 人間だ。

 獣人ではなく、人間。

 武装した獣人の男たちに囲まれ、聖堂の中心で不安そうな顔をしている者の大多数が爪や牙、獣の特徴を持たない人間だった。獣人の女性は、そんな中をテキパキと動きまわり、怪我人の手当をしたり、ちょっとした食事や飲み物を配ったりと忙しく歩き回っている。

 

 子どもは、とその姿を探してみれば、ライザやライザと同年代の獣人の子どもたちが、彼らよりももっと幼い人間の子どもたちをあやすように遊び相手を務めているのが目に入った。ただ遊んでいるだけのように見えるものの、きっとそうすることで小さな子供たちがパニックに陥るのを防いでいるのだろう。そんな風、子どもたちの相手をしているライザの横顔は、エリサや俺たちと一緒にいるときと違って随分と「お兄ちゃん」をしているように見える。


「秋良?」

「いや、ちょっと驚いた」


 イサトさんから、大人たちが周辺住民の避難を手伝っていたとは聞いていた。

 だが、それはあくまで教会周辺に暮す獣人たちに限ったことなのだとばかり俺は思ってしまっていたのだ。まさか、セントラリアで略奪者(ルーター)として迫害されていた彼らが、人間を助けるとは思っていなかった。


「俺たちが街の連中を助けるなんて、思ってなかっただろう」

「あ……」


 横合いから響いた声にそちらへと視線を投げかける。

 苦笑交じりに俺の傍らにやってきたのは燃えるような赤髪に黒い▲耳を持つ獣耳の男性だった。狩りチームのリーダー格にして、エリサとライザの父親、クロードさんだ。野性味溢れる凛々しい顔立ちの、ツンと尖った眦のあたりがエリサにとてもよく似ている。


 図星を指されてバツの悪そうな顔をした俺に、クロードさんはくく、と喉を鳴らすように笑って言葉を続けた。


「俺らも、最初はそんなつもりはなかったんだ。ここにいる仲間だけ、身内だけ護れりゃそれでいいって思ってた」

「…………」

「でも、ライザがなあ」

「ライザが?」

「ライザが、街の連中も守ってやれねえかって言い出したんだよ」


 そう語るクロードさんの横顔には、息子の我儘に困らされる父親の困惑と、それでいてどこか誇らしげな色が滲んでいる。


「それだけならただの子どもの正義感かもしれねえけどな。アイツはちゃんと、俺たちが街の連中に何をされたのかもわかってた。自分じゃあ何も出来ねえのもな。全部わかった上で、申し訳なさそうに、謝りながら、それでもアイツは街の連中を助けられねえかって言い出したんだ」

「――、」


 俺は短く息を吐く。

 正しいことをただ正しいと主張することは簡単だ。

 俺たちは人に優しく、正しい行いをして生きるべき(・・)なのだろう。

 けれど人には情がある。

 優しくしてくれた人に対しては正しく優しくあれても、自分に酷い仕打ちをした相手に対して同じことをするのは難しい。

 

 だからこそ、俺やイサトさんも決して正義の味方を名乗ろうとは思わないのだ。

 俺たちは、俺たちのしたいことをする。

 誰に対しても公平に優しく正しくあることが出来るわけじゃない。

 そうあろうとも思わない。

 

 そして、ライザは全てわかっていた。

 自分たちが虐げられたことも、皆の中に、もしかしたら自分自身の中にも積極的に復讐するほどではないとしても、消すことの出来ない人間たちへの怒りが燻っていることも。

 そして、自分自身には行動を起こすだけの力がないことも。

 わかった上で、ライザはその状況で声を上げたのだ。


「強いな」


 思わず、そんな言葉が零れていた。

 俺がライザの立場だったら、果たして街の人たちも助けてほしい、なんて言えただろうか。

 

 ……難しい気がする。

 

 自分一人で行動を起こした方がよほど気が楽だし、もしそれだけの力がなかったならば、諦めて口を噤んでしまいがちだと思う。

 それでも、ライザは大人たちを動かそうと声を上げた。


「強いよ、アイツは」


 短く、クロードさんが応える。

 その言葉には、息子の成長を喜ぶ父親の嬉しげが隠し切れていない。


「そんな風に言われて気づいちまったんだよな」

「何にですか?」

「俺らの中にある、復讐心っつーか」

「ああ」

「本当に助けられねえのか、助けたくねえのかがわからなくなった」


 自分たちのことだけで手いっぱいで、他の人々を助ける余裕がないから仕方なく見捨てようとしているのか。

 それとも、人間への復讐心から見殺しにしたのか。

 きっと、その違いが分からなくなってしまったのだ。

 

「復讐するにしてもよ、そんなの格好悪すぎるだろ」


 苦い声が、呟く。

 

「……あんまり格好悪いとこ、息子には見せらんねえよな」


 しみじみとしたその短い言葉の中に、クロードさんの複雑な気持ちが全部詰まっているような気がした。けれど、その横顔はどこか晴れやかで、街の人々を守ったことを後悔しているようには見えない。


「…………」


 俺は再び周囲へと視線をやる。

 武器を携え、警護に回る獣人の男たちは皆クロードさんと同じ顔をしている。

 忙しそうに動きまわって避難してきた人たちの世話を焼く獣人の女性たちも同様だ。よくよく見れば不安そうに、どこか所在なさげな顔をして座り込んでいるのは人間たちばかりだ。

 

 きっと今頃彼らは、どうして獣人が自分たちを助けてくれたのかを考えているのだろう。自分たちが迫害した獣人たちが、どうして自分たちを助けてくれたのかがわからないからこそ、不安で、身の置き場がないように感じているのだろう。 


 彼らは、その理由をよくよく考えるべきだ。

 そして、その切っ掛けとなった勇気ある小さな子どもに感謝するべきだ。


 俺は子ども達の相手をするライザの方へと一歩を踏み出した。


「ライザ」

「アキラさん……!」


 顔をあげたライザの顔に、ぱあ、と喜色が滲む。


「外、もう大丈夫なんですか?」

「大体はな。それでこっちは大丈夫なのかと思って様子を見に来たんだ」

「お父さんたちが頑張ってくれたおかげで、みんな無事です! ……ちょっと、怪我をしちゃった人もいるけど……」

「そっちは私に任せろ」


 横合いからひょこ、と顔を出したイサトさんが力強く言う。


「イサトさん!」

「少々狭いが、我慢してもらうとしよう」


 なんて冗談めかした声で言いながら、イサトさんは片手に携えたスタッフをトーン、と高らかに床に打ち付けた。スタッフの周囲に波紋のよう赤々とした焔が走り――…その中央から美しい紅蓮の翼をなびかせた朱雀が生じる。


「……っ!」

「ひ!?」


 驚いたような声が周囲から上がるものの、すぐにそれは見惚れるような感嘆の息に変わった。

 

 一般的な建物よりは多少天井が高く造られてはいるものの、ほぼグリフォンとサイズの変わらない朱雀が顕現するには室内は手狭だ。それでも朱雀が窮屈そうに羽ばたくと同時に、仄明るい朱色の光が座り込む人々を包むようにサークルを描き出した。黒の城(シャトー・ノワール)でも活躍したエリアヒールだ。

 怪我人の傷が見る間に癒えていく。

 

「傷が治っていく……」

「女神の奇跡、なのか……?」

「違うよ、あの人が治してくれたんだ」

「まああたしたちにとっちゃ女神みたいな人だけどね」


 戸惑ったような声を上げる人々に対して、その世話を焼いていた獣人の女性たちが誇らしげに言う。

 実際、聖堂の中ほどに立って傍らに降りた朱雀の喉元を撫でやるイサトさんは、朱雀の放つ紅蓮の薄明りに照らされて神々しい女神のようだ。

 

 そんな女神のようなイサトさんのパンツを覗こうとしていたなんて、改めて罪深い。

 

「良かった、みんな助かって」


 ほっとしたように、ライザが呟く。

 きっと、誰よりも怪我人の心配をしていたのはライザだろう。

 おそらくライザが言い出さなければ、獣人の男衆たちが街の人たちを助けるために危険を冒すようなことはなかったはずなのだから。


「あのな、お前の父さんから全部聞いた」

「っ……!」


 俺の言葉に、ライザがびくりと肩を竦ませる。

 余計なことをしてしまったのだろうかと不安そうに揺れた濃い赤の瞳が俺を見上げる。なんだかそれがおかしくて、俺は思わず小さく笑ってしまった。


「あ、あの……アキラ、さん?」

「よくやったな」

「え……」

「すごいと思う」


 女神に守られているはずの街の中で突如発生した大量のモンスター。

 そんな非常事態の中で、ライザは優しさを発揮するだけの強さを見せた。

 ライザの言葉が、獣人の大人たちを動かした。

 もしかしたら、この夜を切っ掛けにセントラリアにおける獣人と人の関係は、もっともっと良いものになるかもしれない。

 それだけのことをやり遂げたライザが、俺を相手にあんまりにも不安そうにしているものだから、そんな顔をしなくても良いのだと告げる代わりにライザの紅い髪をくしゃくしゃと撫でてやる。


「……っうん!」


 嬉しげに頷いて、ライザの顔に笑みが広がった。

 まだ目元に涙こそ浮いているものの、それは随分と男らしい笑顔だった。

 最初出会った頃、姉であるエリサの影に隠れて涙ぐんでいただけの子どもとはもう違う。顔立ちはまだ幼げで、姉であるエリサよりも柔和さが目立つのに、その瞳にはどこか父親と良く似た強い色が浮かんでいる。

 

 子どもの成長は早い、と言う大人の言葉を聞いてはいたけれど、一月もしないうちにこんなにも変わるのかと思うと、改めてなんだかとても眩しいような気がした。


 と、そこで。

 ガンガンガン、と聖堂内の空気をぶち壊すような音が鳴り響いた。

 

「!?」

「なんだ、モンスターか!?」


 慌てたように獣人の男性陣が武器に手をかける。

 音の発生源は、長い信徒席をたてかけて作ったバリケードの向こうにある正面扉だ。すわ討ち漏らしたモンスターが人の気配に惹かれて突っ込んできたのかと聖堂内に緊張が走るものの――…


「違うよ、守護騎士だよ!」

 

 それに異を唱えたのは、玄関脇の物置から顔を出した獣人の少年だった。先ほど小窓から俺たちに会釈して見せた子だ。おそらく、物置にある小窓から外の様子を見張っていたのだろう。


「騎士だと?」

「騎士がこんなとこに何しに来たんだよ」

「仕方ねえ、開けるか」


 訝しげに眉根を寄せつつも、クロードさんの出した指示に従って何人かの男たちがバリケードをどかして玄関の扉を開ける。

 

 もう夜明けが近いのか、縁が薄明るくなりつつある紺色の空を背負って教会へと足を踏み入れてきたのは、見覚えのある男を先頭にした数人の騎士たちだった。先頭に立つ男は横柄な態度で「この当たり一帯の被害を報告しろ」などとクロードさんへと命じている。

 

 なんだこいつ。

 この腹の立つ感じ、覚えがあるぞ。

 

 少し考えてすぐに思い当った。

 あの男だ。

 セントラリアについてすぐの頃、マルクト・ギルロイと組んで俺たちに嫌がらせに来た騎士だ。

 何やら名乗られた記憶はあるものの、名前は欠片も覚えていない。


「…………」

「…………」


 俺とイサトさんは、ちらっと顔を合わせた後、そろそろっとなるべく騎士の視界に入らないように引っ込もうと試みた。別段後ろ暗いことがあるわけではないのだが、あの時俺は彼らをハメている。ここで因縁をつけられても面白くないし面倒なだけだ。

 

 そう思っていたのだが……


「怪我人なら、あちらの方に治していただきましたから」


 あっさりとクロードさんが騎士へと報告してしまった。


「あちらの方、だと?」


 騎士が俺たちの方を見る。

 そして、あからさまに苦虫を噛み潰したような顔をした。

 おそらくクロードさん的にもさっさと騎士を追い返してしまいたいが故の言葉だったのだろうが、それが思いっきり裏目に出てしまったような気がしてならない。


「…………」

「おい、あれ……、竜を追い払ったっていう冒険者じゃないのか?」

「じゃあ一緒にいるのは飛空艇を墜としという魔女か?」


 ざわざわと顰め面をした騎士の背後で他の騎士たちがざわざわと言葉を交わす。

 どこか畏怖が滲んだその声も、逆効果なんじゃないのか。

 どんどん先頭に立つ騎士の眉間の皺が深くなってる気がするぞ。


「ふん」


 ほら、やっぱり。

 一際偉そうな騎士は、忌々しそうに鼻を鳴らした。

 それから、ずかずかと俺たちの前までやってくるとにやりと口元を引き上げて口を開く。その笑みが多少引き攣っているように見えるのは、気づかないふりしてやるのが優しさというものだろう。


「セントラリアの守護騎士として、街の防衛への助力は感謝しよう。だが……所詮は旅の冒険者、優先順位がわかっていないと見える」

「……ぁア?」


 まてまてまてまてまて。

 メンチ切るの待ってクロードさん……!

 緩く弧を描いた前傾姿勢、下から睨みつけるようにして騎士への距離を詰めるその姿はまさにYA☆KU☆ZA。

 このままではせっかくライザが繋いだ人と獣人の間の絆をクロードさんがその騎士の顔面ごと拳で粉砕しかねない。俺は慌ててクロードさんの視線を遮るように斜め前へと一歩足を踏み出した。

 そんな様子にもフンと鼻で笑って騎士は言葉を続ける。

 

「回復魔法が使えるのならば、高貴な方の多い大聖堂から先に行くべきではないのか。尊きお方をお守りすることこそが、力あるものの義務だろう」

「…………」


 ぐる、と唸る不穏な喉音は周囲(・・)から響いた。

 やばい。

 クロードさんだけじゃない。

 周囲にいる獣人たちが皆して臨戦状態だ。

 見ればエリサやライザまで鼻梁に皺を寄せ、顔を顰めて騎士を睨みつけている。

 ここにいる獣人たちは、セントラリアの街の人を守るために戦った英雄だ。

 それを後回しにして当然だなんて言われれば当然腹も立つだろう。

 なんて俺は考えていたのだが。

 そんなのは、あっさりクロードさんの言葉で裏切られた。


「この人たちにケチつけるようなことは許さねぇぞ」

「……っ」


 思わず、え、と声が漏れてしまいそうになった。


「……そこ、なのか」


 隣でイサトさんも驚いたように小さく呟いている。

 どうやら、俺とイサトさんは同じ勘違いをしていたらしい。


 彼らは、獣人が軽んじられたことに対して怒っているのではない。

 あのクソ偉そうな騎士が、俺たちに難癖をつけ始めたからこそこんなにもあからさまに敵意をむき出しにして、怒ってくれているのだ。


 正直、嬉しい。


 が、この状況を放っておくわけにもいかない。

 この騎士はいけ好かないし、クロードさんたちがこの騎士を袋叩きにしたいというのなら加勢に入りたいぐらいには俺だってこの騎士が嫌いだ。

 俺たちにしたように、きっとこの男はマルクト・ギルロイの手先となって大勢の獣人を陥れてきたはずだ。その中には、もしかすると地下に残されていた遺品の持ち主だっていたのかもしれない。

 

 けれど、それでも、今獣人たちは再び街の人たちと寄り添って生きる道を選ぼうとし始めている。


 それを、俺たちと騎士との因縁によって駄目にしてしまいたくはなかった。

 俺はばちばちと一触即発な空気を漂わせている獣人たちと騎士の間の空気を変えようと口を開こうとして――…

 

 

 

「それは尊いものの前には我ら市民の安全など気に掛ける価値もない、という意味ですかな、ライオネル・ガルデンス殿」

「……ッ!?」




 それより先に、そんな声が響いた。

 俺でも、クロードさんでも、そして騎士でもない。

 それは、聖堂の中心で座り込んでいた一人の男の上げた声だった。

 ゆっくりと立ち上がった男が、騎士を取り囲むようにしていた獣人たちをかき分けて騎士と対峙する。


「……あ」


 思わず、小さく声が漏れた。

 その尊大に踏ん反り帰り、騎士を睨みつける恰幅の良い姿には見覚えがある。

 黒の城(シャトー・ノワール)で獣人たちを率いていた、ギルロイ商会の商人だ。獣人たちより先に『家』へと避難しようとして、イサトさんの怒りを買った男の一人。セントラリアに戻り、マルクト・ギルロイの所業を知って以降は比較的協力的だったのだが……なんだってその彼がこんなところにいるのだろう。こういった非常事態の際には、真っ先に大聖堂に避難していそうなタイプだと思っていたのだが。

 

「……、お前はギルロイ商会の」

「まだ私の顔を覚えてくれていたとはありがたいですね」


 苦虫を噛み潰したような声で、騎士――ライオネル・ガルデンスが言う。

 そういや、そんな名前だった。

 俺の知る限り、このライオネル・ガルデンスという騎士はギルロイ商会の私設騎士団が如き振る舞いをしていたものだが……、今のやり取りを見た感じ、その蜜月っぷりは既に過去のものになっているようだ。

 マルクト・ギルロイの所業が明らかになった今、今後ギルロイ商会と通じていたところでこのライオネル・ガルデンスに旨味はない。むしろ、さっさと手を切ってしまいたい相手、というところなのだろう。

 商人を見やるライオネル・ガルデンスの双眸には明らかに厄介者を見る色が浮かんでいる。

 が、それに気づいていないわけでもないだろうに、商人の方は飄々と言葉を続けた。


「……それで、どうなんですかな。セントラリアの守護騎士であるライオネル・ガルデンス殿は、尊き方の安全のためなら市民はいくらでも犠牲になっても良いとお考えだと?」

「そうは言っておらん!」

「では、どうして私があの恐ろしいモンスターに襲われているところを助けてくださらなかったのです?」

「……!」


 言いよどむ騎士に向かって、商人は滔々と言葉を続ける。

 

「いえ、わかっているのです。守護騎士であるあなた方には、大聖堂の護衛という任務があったということは」

「そ、そのとおりだ……!」

「では、決してセントラリアの街に取り残された住人を見捨てたというわけではないのですね?」

「当然だろう!」


 大声でそう言い切ったライオネル・ガルデンスに向かって商人はにっこりと笑って見せた。


「それなら良かった。では、ライオネル・ガルデンス殿は彼らに感謝なさるべきなのでは?」

「感謝、だと?」


 訝しげに、ライオネル・ガルデンスの視線が俺とイサトさんを見る。

 が、それに対する商人の反応は首を横に振るという大げさな仕草だった。


「違いますよ、感謝すべきは彼ら(・・)です」


 そう言って、商人が示したのは商人と、騎士とのやり取りを見守る大勢の獣人たちだった。


「先ほどの混乱の中、逃げ遅れた我々を助けてくれたのは、ここにいる獣人の方々です」


 獣人の方々(・・)なんていう丁寧な言い回しに、周囲の獣人たちも戸惑ったように顔を見合わせる。

 それもそうだろう。

 この商人は、ギルロイ商会の人間として散々獣人を略奪者(ルーター)と呼び、差別対象としてこき使っていた男だ。

 それが、今まるで彼ら獣人を庇うよう、騎士の前に出て、彼らとの間に立っている。

 騎士、そして獣人たちと、戸惑う両者に挟まれた中、そんな空気を気にした様子もなく商人はつらつらと言葉を続けていく。

 まさに独壇場だった。

 

「本来の役目である住人の守護を、彼らは手が回らなかった守護騎士に変わってしてくださったのです。どうか、守護騎士であるライオネル・ガルデンス殿からも感謝の言葉を述べては如何でしょう」

「……っぐ」

「さらに言わせていただくのならば――……、こちらのお二方についても同様です。守護騎士の方々が大聖堂に詰めていらっしゃるのなら、旅の冒険者の二人ぐらい、こちらに回ったとしても何も問題はないでしょう」


 ああ、それとも、と商人はにこやかな外面の下に滴るような毒気を添えて言葉を続けた。


「まさか、守護騎士団だけでは大聖堂の護りに不安がある、なんてことはおっしゃらないですよね?」

「な……、失礼な!」

「ああ、良かった! では何も問題ないではないですか!」

「ぐ……っ」


 騎士が喉奥で潰れたような唸り声を上げる。


 おお。

 見事だ。

 流石商人、と言うべきか。

 すっかり反論を封じ込めてしまった。

 獣人相手に偉ぶってみたり、黒の城(シャトー・ノワール)での醜態からロクでもない男だとばかり思っていたものの、商人としては有能だったようだ。いや、そうか。そうでもなければセントラリアを牛耳っていたギルロイ商会の中で、その稼ぎ頭でもある獣人の狩りチームの管理を任されていたはずもないのだ。

 

「まだ他に何か御用が?」

「……もう良い!」


 吐き捨てるようにそう言うと、ライオネル・ガルデンスは騎士たちをぞろぞろと引き連れて教会から引き揚げて行った。

 それを見送って、教会の扉が閉まるのを見届けたところで――わっと歓声が上がった。


「あの野郎、何も言えなくなってやがった!」

「ざまあ!」

「やるじゃねえか」


 などなど、静まり返っていた教会の中に再び活気が満ちる。

 さすがにこれまでのこともあってか、正面から商人に声をかける者はいない。

 だが、獣人たちはどこか嬉しそうに言葉を交わしながらちらちらと商人に視線を送っている。

 

 相手はこれまでさんざん自分たちを苦しめてきた、獣人たちにとってはマルクト・ギルロイ以上にギルロイ商会の代表めいた商人だ。それ自体は不本意であっても、自分たちが今夜行った行動がこのような形で報われたこと自体はきっと嬉しいのだろう。

 

 そんな獣人たちの中から一歩商人に向かって踏み出したのは、クロードさんだった。


「………………良かったのか」


 そう、ぽつりと商人へと問いかける。

 複雑そうな視線を商人へと向けつつも、視線は決して合わないようにしたぶっきらぼうな問いかけだった。


「……いいんだよ」


 さっきまでの毒気が滴るような愛想はなんだったのかと思うほど、商人も愛想なく応える。


「…………」

「…………」


 二人の間に、沈黙が落ちる。

 周囲の獣人や、人間たちは皆何気なくそれぞれのことをしているように見せつつも、二人の様子が気になって仕方がないというように時折ちらりちらりと視線を送っている。当然、俺たちもだ。


「………………礼は言わねえからな」

「言われた方が、困る」


 それは、そんな短い会話だった。

 それだけ言うと、クロードさんはすたすたを商人の元から歩み去る。

 クロードさんを皮切りに、教会の入り口近くに集まっていた獣人たちもそれぞれの元居た場所へと戻っていく。

 その後ろ姿を見送って、商人はどこか悄然とした様子で視線を落とした。

 ぐっと拳を握りしめて、喉元まで出かけた言葉を呑みこむような背中に何と声をかけたら良いのかがわからない。

 

「…………」

「…………」

「…………」


 しばらく沈黙が続いた後、イサトさんが静かに口を開いた。


「謝らないんだな」

「…………謝って、済むことじゃないからな」


 またしばらく、沈黙が続く。


「貴方は、もっと厭な男だと思っていた」

「厭な男だよ、あんたに軽蔑されて当然だ」

「でも……、それに気づいたのなら私が思っていたより随分と上等だ」

「そんな男だったよ、今夜までは」


 商人はふと、聖堂の方へと視線をやる。

 見張りを続ける獣人の男性陣、その間を忙しげにこまこまと動きまわる獣人の女性陣、そしてその中ほどで幼い人間の子供をあやす獣人の子供たち。

 それから商人の視線は正面に掲げられた女神像を見上げた。


「私は、今になっても獣人は私たちとは違うのだと思ってた」


 懺悔のように、淡々とした声音は続く。


「マルクトさんがしたことは許されることじゃない。そうは思う。それはわかってる。だが、私にとって獣人はやっぱり『私たちと似てはいても違うモノ』だった。だから、きっと私は彼らに対してあんな仕打ちが出来たんだ」


 自分たちとは、違うモノ。

 違うからこそ共感することなく、相手を追い込むことが出来る。

 家族、友人、隣人には出来ないことが出来てしまう。


「違うからこそ、私たちは『女神の恵み』を手に入れる術を持つ獣人を恐れ、その力を抑えこもうとしたんだ。で、あんなことになった」


 自嘲するような笑いが、微かにその呼気に滲む。


「あの夜以降も、私は力関係が変わるだけだと思っていた」

「力、関係?」

「『人』と『獣人』、あくまで違うモノ同士の関係が変わるだけだと」

「…………」


 なんだか、わかる気がした。

 彼にとって、『獣人』はあくまで異邦者なのだ。

 理解の及ばぬ違うイキモノ。

 今まで下に見て抑えつけていたけれど、その方法が過ちであったことこそ理解した。けれど、それはなんというか……言い方は悪いものの、俺たちが元の世界で虐待された動物に抱く憐憫のような感覚に近いのではないだろうか。

 

 なんと、いうか。

 サーカスを娯楽として愉しんでいたいたセレブが、一部のサーカスにおける動物の虐待すれすれの仕込みを知って、動物愛護に目覚めるような。

 象牙製品を愛好していた金持ちが、残酷な方法で殺され象牙を奪われる象の姿を見て反省するような。

 

 彼の中でやっぱり『獣人』は『人』である自分たちとは全く異なる存在でしかなかった。


「それが、あんたの中で変わったのか」


 俺の問いかけに、商人はゆっくりと視線を女神像から俺へと戻した。

 笑っているような、泣いているような、それは奇妙な顔だった。

 男の視線が、自分の掌へと落ちる。


「手が」

「……手?」

「手が、温かかったんだ」


 ぐ、とその掌を男は強く握りしめる。

 その手に未だ残るぬくもりを引きとどめるかのように。

 きっと。

 彼は『手が温かい』なんて些細なことを切っ掛けに、獣人と人との間にそれほどの違いがないのかもしれない、と気づいたのだ。


 その姿に、なんとなく、本当になんとなく、きっとセントラリアは大丈夫なんじゃないか、と思った。


 ライザのように、酷い目に遭ってもなお、人に対して手を差し伸べようとする優しい獣人の子供がいて、その想いに応える立派な獣人の大人たちがいる。そして、そんな彼らに触れることで、こうして変わり始めた人の男もいる。

 

「…………」


 イサトさんが、とん、と俺の横に寄り添った。

 肩口に、わずかに預けられる頭の重み。


「……変わると、良いな」

「……うん」


 しみじみとした言葉に頷く。

 変わると、良い。

 人と獣人の関係が。

 セントラリアの街が。

 もっともっと良い方向に。

 彼らには、きっとそれだけの力がある。

 朝焼けの光が少しずつ差し込みつつある聖堂を見つめて、そんなことを強く思った。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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