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セントラリアの竜退治

「ッし!」

 

 鋭い呼気と共にがたりみしりと内側から爆ぜそうに暴れる氷の檻へと、思い切り振りかぶった大剣を叩きつける。

 ばきん、と澄んだ音がして分厚い氷が砕け、細かく散った氷の欠片がぴしぴしと腕を掠めていった。既に内側から崩壊寸前だった氷の檻が、大剣の一撃でボロボロと崩壊していく。

 叶うことならば中身ごと叩き斬る気は満々だったのだが、残念ながらそう上手くはいかなかった。ぎぃん、と硬い感触が手に返る。飛空艇やら壁やらモンスターやら、大概の相手をさっくり両断してきたこの大剣を弾くとは大した硬さだ。

 

 まるで繭の中から蝶が羽化するように、崩れた氷の檻の中から、抑えつけられ拘束されていた白銀の皮膜翼がばさりと伸ばされる。すらりと長い首が天を仰いで、耳を劈くような咆哮を上げる。

 

 氷の檻の中から姿を現したのは、吹き抜けのホールの中にギリギリ納まるような巨大なドラゴンだった。

 西洋型ドラゴンによくあるような下肢がでっぷりしたフォルムとは異なり、どちらかというと瑞獣麒麟によく似た形だ。馬に似たどちらかというと細身の体に、鬣のような鰭がその後頭部から尾までをうねり、背からは巨大な皮膜翼が伸びている。馬と違うのはその全身が真珠のような煌めきを帯びた鱗で覆われていることと、鬣が毛ではなく鰭だということぐらいだ。あと、大きさ。


「『竜化』スキルか……!」


 隣でイサトさんがつぶやく。

 その声にどこか羨ましそうな響きが混じっているのは、たぶん俺の気のせいではない。

 

 『竜化』というのは、いわゆる最強技の一つだ。

 RFCにおいて、専門職には各自最強スキルが設定されている。ある種の魅せ技だ。イサトさんが飛空艇を墜とすのに使った大魔法のよう、MP大量消費必須で連発が難しい上、中には一日の使用回数に制限がかかっていたりすることすらあるものの、いざ使えば最強の必殺技として炸裂するようなスキルだ。

 そういった最強スキルは各ジョブごとに設定されているのだが――…その中で少し特別なのが、『竜化』だ。

 この『竜化』スキル。

 自らをドラゴン化させて戦うというかなり他ジョブから見るとインチキだろうと言いたくなるような強力スキルなのだが――…、なんとエルフの召喚士しか手に入れられないスキルなのである。

 元々召喚魔法と精霊魔法はエルフとダークエルフにしか使えないスキルで、エルフが召喚魔法向き、ダークエルフが精霊魔法向きというステータスの差はあったものの、この「最強スキル」が導入されるまではそこまではっきりとした種族特性の差はなかったのだ。イサトさんのようなダークエルフで召喚士も少数派ではあったものの幾らかいたし、その逆にエルフの精霊魔法使いだっていた。

 おかげで、この「最強スキル」の詳細情報が判明したときのそういった捻くれたキャラメイクをして楽しんでいたある種の縛りプレイ組の阿鼻叫喚っぷりときたらそれはもう凄かった。

 おっさん(イサトさん)もその中の一人である。

 




---------------------------------------------------------


イサト:………………………………

リモネ:だから召喚士やるなら素直にエルフにしとけとあれほど。

イサト:だが召喚魔法特性持ってるのはエルフとダークエルフの

イサト:両方だったじゃないか!!!!!! 何故!!!!!

イサト:今更!!!! ここで!!!!

イサト:エルフとダークエルフの種族特性に差をつける必要が!?

アキ :どうどう落ち着けおっさん

イサト:これが落ち着いていられるかこんちきしょう

イサト:俺はダークエルフを辞めるぞォオオオオ!!!


-------------------------------------------------------


 

 

 

 あの頃のおっさん(イサトさん)はかなり本気でキャラを作り直すかどうかを悩んでいた。実際、ダークエルフで召喚士をやっていた人の多くが、そのタイミングでキャラを作り直していたように思う。

 そんな中で、おっさん(イサトさん)は悩みに悩み、結局ダークエルフで召喚士を貫くことにしたのだ。

 そんな経緯があったからだろう。

 おっさんの変態エルフが『竜化』したドラゴンを見る目には、どこか羨望の色が滲んでいる。 


「竜化したエルフが相手なら、私もここに残ろう」


 イサトさんが、スタッフを携えて俺に肩を並べる。

 が、俺はそれに首を横に振った。


「大丈夫、ここは俺一人でなんとかなる」

「でも……」

「任せろって」


 広間の外から響く混乱の喧騒は、未だ止まない。

 きっと街の中も、酷いことになっているのだろう。

 俺だって、出来ることならイサトさんとの別行動はなるべく避けたい。

 出来ることなら、俺の守れる範囲にいつだっていて欲しいとは思っている。

 けれど、脳裏に浮かぶのは俺たちがこの街にやってきてから関わってきたセントラリアの人々の顔だ。

 エリサ、ライザ、レティシア、レブラン氏やその家族、宿屋の女将にいつも食べにいく食堂の主人。

 そんな彼らの身に、今危険が迫っている。

 それを助ける力が俺たちにはある。

 それに――……、ちらりと俺は左手の薬指に嵌る銀環に視線を落とす。

 別行動をフォローするための手段も手に入れた。


「何か危ないことがあったら、すぐ連絡くれ」


 長くなりそうな追加事項は、指輪越しに伝える。


「(イサトさん、自分が紙装甲なの忘れるなよ。基本は敵の攻撃範囲に入る前に撃ち落とす方向で。ちょっとでもダメージ喰らったらすぐに戦線を離脱して小まめに回復するように。ポーション使い惜しんだりもするなよ。また集めに行けばいいだけなんだから。無理厳禁。イサトさんの手に負えないようなのがいたり、万が一ヌメっとしたのが出てきたらすぐに連絡くれ。こっちの戦況がどうだろうがすぐ駆けつける)」

「(…………)」


 何故か、微妙に呆れたような気配が伝わってきた。


「……君本当、過保護だよなあ」

「だから誰のせいでこうなったと」


 イサトさんがこれまでやらかしてきた前科の数々を思い起こしていただきたい。

 本当なら、本気で別行動なんて不安で仕方ないのだ。

 

「君の方こそ、無理はしないように」

「了解」


 イサトさんがたっと身体を翻す。

 それに反応したようにドラゴンが鋭く踏み込み前足を振り上げるものの、その鋭い爪がイサトさんに届くより先に導線に飛び込んで大剣で爪を弾いた。ぎぃん、と鈍い音が広間に響く。


「お前の相手は俺だっての……!」


 そんなことを言いつつ、前脚を弾いた大剣の返す刀でその足の付け根へと斬撃を叩きこんだ。が、当たりは浅い。巨躯が嘘のように身軽に飛び退る。と言っても、俺にとっては広々としたホールもドラゴンにとってみれば手狭だ。逃げ場が少ないという意味ではお互い様だが、小回りが利く分俺の方が有利だ。

 お互いの距離は2メートル前後。

 その距離で、ドラゴンが身を低く伏せて天を仰ぐ。


「ッ……!」


 その体勢には見覚えがある。

 ブレスか、咆哮か。


「グァアアアアアオオオオオオオオオオウ!!」


 耳を劈く咆哮。

 音、であるはずなのにそれがまるで物理的な衝撃を伴っているかのように体が斜めに傾ぎそうになる。キィンと頭の奥が痺れて、眩暈を感じる。身体が動かない。咆哮に状態異常系の効果を乗せているらしい、と気づいたときには、もう目の前にドラゴンの牙が迫っていた。避けるタイミングは外した。爛と燃える灰蒼の眸に浮かぶのは、血に飢えた獣の嗜虐性。大きく開いた顎が俺を捕えようと迫る。ぶわりと熱い息が肌に届く。そして、その鋭い牙が俺の身体に届かん、というところで。


「――…う、らァ!!」


 気合一閃、くん、と跳ねあげた大剣でもってその上顎を下から薙ぎあげる。

 硬い鱗に覆われた表皮とは異なり、ぞぶりと大剣の先が肉にめり込む感触が柄を握る腕にも伝わってくる。このまま深々と貫いてやりたいところだが、そこで相手が身を引けば大剣を奪われかねない。ドラゴンにダメージを与えられるレベルの武器に他にも持ち合わせがあればそうしてやっても良かったのだが。

 先ほどの咆哮とは違い、純粋に苦悶の声をあげながらのけぞるドラゴンに向かって、にんまりと口角が持ち上がった。


「残念だったな」


 俺はこれまで二度、あの変態エルフの幻惑魔法にひっかかっている。

 だからこそ、こいつはきっと俺にその牙が届くと確信していたはずだ。

 実際これまでの俺なら、竜化した変態エルフのステータスで繰り出される状態異常に抵抗することは出来なかっただろう。

 状態異常で動きを止めてからの咬みつき。

 これがきっと、あの変態エルフの必勝パターンだ。

 けれど、俺にはイサトさんから貰った指輪があった。

 俺自身の魔法防御の底上げと、幻惑魔法への耐性を付加するこの指輪のおかげで、動きを止められたのは一瞬。すぐに体勢を立て直して反撃に出ることが出来た。


「(ありがとな、イサトさん)」

「(へ?)」


 おっと。

 今は伝えるつもりのなかった言葉まで、うっかり伝わってしまった模様。

 これ、連絡を取り合うのには便利だが、上手く調整しないと考えていることがダダ漏れになりかねない。


「(大丈夫か?)」

「(おう)」


 気遣わしそうなイサトさんの声に頷いて。

 俺はのけぞり、苦鳴の声をあげるドラゴンへと鋭く踏み、前脚を薙ぐように大剣を振り抜いた。ぎぃん、と弾かれるのは初撃と変わらないものの、打撃のダメージに白銀の鱗が白く濁ったように曇っているのが見てとれる。こちらの攻撃が全く通っていないというわけではないのだ。


「っと……!」


 鋭いターンと同時に、振り回された白銀の尾が眼前に迫る。

 慌ててバックステップと同時にのけぞって避けるものの、たなびく尾鰭の掠めた頬に熱感が生じた。触れた指先に、ぬるりとした感触。痛みを感じるのはそこでようやくという切れ味の良さに、思わず口元が引き攣った。

 尾鰭が掠めただけでこの有様だ。

 流石はドラゴン、一発でもまともに喰らえばこちらが細切れにされかねない。

 ああでも、そのスリルにぞくぞくと背骨が熱くなる。

 喰うか喰われるか。

 たぶん、今俺は笑ってる。

 尾鰭が過ぎた後、前のめりに身を低く構えての疾駆。

 足もとに飛び込んで、ドラゴンの軸足を強かに薙ぎ払う。

 

「ギャォオオオオオオオオオオオロウ!!」


 悲鳴にも似た雄叫びに空気がビリビリと震える。

 苛立ちのままに踏み鳴らすようなスタンピングが来ると同時に飛び退って足元からの退避。鋭い爪に踏みしだかれた床はすでにボロボロだ。

 まずは、あの爪から貰おう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★☆★

 

 

 

 

 

 

 

 夜、目が覚めたら街がとんでもないことになっていた。

 どこもかしこも煩くて、窓から見える夜空がぼんやりと赤く染まっている。

 何かが焼ける嫌な臭いがする。


「お姉ちゃん……?」

「ライザ、起きたのか」

「うん」


 まだ少し眠い目をこすりながら、僕は身体を起こす。

 お姉ちゃんや、大人たちは最初からまだ眠っていなかったのかバタバタと慌ただしげにしている。部屋の隅では、小さい子供を抱いたおばさんたちがうずくまっている。何か怖いことが起きたのだということだけが、わかった。


「お姉ちゃん、何があったの?」

「……、」


 言葉にするかどうかを迷うようにお姉ちゃんの瞳が揺れる。


「お姉ちゃん」


 きっと、知るのは怖い。

 何か怖いことが起きている。

 けれど、僕も強くなりたい。

 お姉ちゃんに守られているだけじゃなくて、お姉ちゃんを守ってあげられるぐらい、強くなりたい。

 お姉ちゃんはなおも迷うように少しの間黙っていたけれど、やがて覚悟を決めたように口を開いた。


「街の中にモンスターが入ってきてる」

「え……なんで、女神様に護られてるから、街の中にモンスターは入ってこれないって……!」

「わかんねえよ、そんなこと!」


 街の外にさえ出なければ安全だって、ずっとお父さんやお母さんにも言われてきた。街の外には恐ろしいモンスターがいるから、街の中にいなさい、って。でも、その恐ろしいモンスターが街の中にまで入ってきてしまったのなら、僕たちはどうしたら良いのだろう。どこに隠れたらいいのだろう。


「みんなは?」

「父さんと母さんたちは教会の方で万が一に備えてる。オレたちは危ないから奥にいろって」

「大丈夫なの?」

「ここまでは入ってこれねえみたいだ」

「そっか」


 ほっと、胸を撫で下ろす。

 お父さんとお母さんがついてるなら大丈夫だと、そう思うことが出来た。

 お父さんもお母さんも、この街では一番の狩人だ。

 誰よりもモンスターのことをよく知っていて、その戦い方を知っている。

 街を守る騎士たちなんかよりも、ずっとずっと。

 

「…………」


 窓の外から、怖がって、怯えて、泣く子供の声が聞こえた。

 なんだかじっとしていられなくて、僕は立ち上がる。

 窓辺から覗いた先に、逃げる途中で両親とはぐれたのか泣きじゃくる小さな女の子の姿が見えた。僕よりも、小さな子だ。わんわんと泣きじゃくっている人間の女の子。見てるだけで、ぎゅうと胸が苦しくなる。

 ふらふらとした歩みで、廊下に出る。

 教会では、大人たちが緊迫した顔でいつでも手が届くところに武器を置いて待機しているのが見えた。教会の扉は、硬く閉ざされ、その前にがバリケードが積み上げられているのが見えた。

 外で、泣いているあの子がいるのに。


「…………」

「ライザ?」


 どうしよう。

 どうしよう。

 これでいいんだろうか。

 こうして、外で恐ろしいことが起きている中、僕はこうしてみんなに守ってもらうだけで良いんだろうか。

 僕は身体も強くないし、お姉ちゃんみたいに素早く動けるわけでもない。

 でも。

 それでも。

 だからって、何もしなくて良いんだろうか。

 じりじりと胸が熱くなる。

 何か、したい。

 出来ることを、したい。

 

「っ……!」

「おいライザ!?」


 僕はお姉ちゃんの声を振り切って駆け出した。

 

「お父さん、お母さん……!」

「ライザ!?」

「子供は奥の部屋でおとなしくしていなさい……!!」


 叱り飛ばす声に、びくりと身体が竦みそうになる。

 お父さんやお母さんだけでなく、その場にいた大人たちの視線が一斉に僕に集中する。きっとこんなことを言ったら怒られるだろうって思う。もしかしたらお父さんやお母さんは、僕に呆れてしまうかもしれない。自分では何も出来ない癖に、と思われてしまうかもしれない。

 震えそうになる足を踏ん張って、僕はきっと顔をあげてお父さんとお母さんを見つめ返した。


「あの、ね」

「ライザ、ここは危ないから」

「エリサ、ライザを連れて奥の部屋に」


 肩に、促すようにお姉ちゃんの手がかかる。

 でも、動かない。

 震える声で、口を開いた。

 

「……外に!」

「ライザ……?」

「外に、モンスターがいるんだよね?」

「……ああ。でも大丈夫だ、父さんたちがここにいるから」

「……うん。でもね、でもね」


 僕は泣きそうになりながら言葉を続けた。


「お父さんたちがここにいたら、誰が外にいるあの子を助けてあげられるんだろ」

「……っ!」


 周囲の大人たちが息を呑む。

 この街で一番強いのは、騎士たちなんかじゃないって僕は知っている。

 僕たちを守るために、ずっと街の外でモンスターを相手に戦い続けてくれた、本当に強い人たちを僕は知っている。

 

「ごめん、なさい」


 ひくり、と喉が鳴る。

 ちゃんと話そうと思うのに、声が震える。

 凄く、勝手なことを言ってると思う。

 お父さんやお母さんに危ないことをさせようとしてる。

 ここにいたら皆無事に助かるかもしれないのに、わざわざ僕はみんなを危険に晒すようなことを言っている。

 でも、僕には出来ないことでも。

 お父さんやお母さんになら出来るかもしれない、って思ってしまったから。

 

「みんなに、危ないことしてほしくないって思うけど……っ、でも僕、何も出来ないのがすごく、悔しくて」


 僕の声に応えるように、誰か大人の声が苦く呟くのが聞こえた。


「…………街の連中も、助けるべきだってお前は思うのか?」


 誰の声なのかはわからない。

 あんまりにも苦くて、掠れていて、薄闇の中から響くその声は、僕の知っている誰の声でもないような気がした。


「……もし、助けられるなら」


 僕は、うなずく。


「アキラさんや、イサトさんが言ってた。

 街の人たちが僕たちに意地悪をするのは、僕たちが怖いからだって。僕たちが強くて、僕たちが怖いから、抑えつけて安心したいんだって」


 あの日、サンドイッチを食べながら二人が教えてくれたことを思い出す。

 あの時、僕はあの繰り返しは嫌だと思った。

 僕たちが抑えつけられるのも、僕たちが抑えつけるのも。


「僕たちには、爪があって、牙もあるけど……でも、手だって繋げるし仲よくなれるって言いたい」

「…………」


 ぬ、と僕の前に影が差す。

 お姉ちゃんがぎゅっと僕を庇うように強く肩を抱く。

 おそるおそる顔をあげる。

 僕を見下ろすお父さんの顔は影になって、どんな顔をしているのかがよくわからない。それが、すごく怖かった。


「街の連中に良いようにされてる間、ずっといつか思い知らせてやるからな、なんて思ってた。この爪が、この牙が、お前らが恐れるそれがどれほどのものなのか、いつか思い知らせてやるぞ、ってな」


 低く唸るような声だ。

 周囲の大人たちの影が、無言で同意するように頭を垂れる。

 僕は目を伏せる。

 やっぱり、駄目なのだろうか

 今更街の人たちを助けたいなんて思うのは、みんなの気持ちを裏切るようなことだったんだろうか。


「…………」


 ふ、っと笑うような気配がした。

 お父さんの手が、僕の頭の上にぽんと乗った。


「お父、さん?」

「今こそ、その時かもしれないな」


 そう言ったお父さんは、にんまりと強い笑みを浮かべた。

 それから、「強くなったなあ」と笑って、くしゃくしゃと僕の髪をかき撫でた。


「……っ!」


 それだけで、泣いてしまいそうなほどに嗚咽がこみ上げる。

 でも、今は泣いてる場合じゃない。

 僕はぐっと口をへの字にして、目元を腕で擦った。


「おい、希望者だけ俺について来い。モンスターを倒そうとは思わなくていい。ただ、逃げそびれてる連中をこっちに誘導するぞ」

「でもそれでこっちにまでモンスターが入ってきたら」

「そうならないように出入りは最小限に抑えるしかないだろうな」

「それなら奥の窓から出入りしたらどうだ」

「ああ、それなら……」


 大人たちが、わいわいと言葉を交わし始める。

 なんだか、嬉しくなった。

 僕はばたばたと走って奥の部屋に戻ると、イサトさんから貰ったままになっていたアイテムを抱えて皆の元へと戻った。僕たちがギルロイ商会の連中と戦えるようにとイサトさんが渡してくれたものだ。あの時は、ほとんど使うことが出来なかったけれど。


「お父さん、これも使って!」

「……!」


 僕は僕のやれることをしよう。

 アキラさんや、イサトさんに胸を張って報告できるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★☆★











 それはいきなりのことだった。

 いつも通りの夜だったはずなのに、いきなり街のあちこちでモンスターが阿呆のように発生したのだ。


「くそ、くそ、くそ……!」


 毒づきながら男は走る。

 異変に気づいて、家族を教会に避難させようとしたところまでは良かった。

 だが、どうしても四つになる息子が見つけられなかった。

 屋敷の中に秘密基地を作って遊ぶことに夢中になっていた息子は、その日も母親が寝かしつけた後に部屋を抜け出してその秘密基地とやらに隠れてしまっていたのだ。何も起きなければ、笑い話で済む話だった。次の日の朝、母親が起こしにいって、あなた、あの子がまたいなくなってしまったの、なんてわざとらしい声で嘆いて。それからみんなで探して、見つけて。そんな子供のころの思い出の一つで終わるはずだった。何も、起きなければ。

 妻に長女を託して先に逃がした後、ようやく空き部屋のベッドの下で眠る息子を見つけたときにはもう手遅れだった。

 街のいたるところでモンスターが蠢き、行く手を阻む。

 モンスターはどうも、彼の目指す教会のあたりに多く集まっているようだった。

 それもそうだろう。

 街中の人間が女神の加護を求めて教会に集まっている。

 餌になる獲物を求めて、モンスターが教会に集中するのも当然だ。

 教会までたどり着ければ、神殿騎士に守ってもらえる。

 街の騎士たちのほとんども、神殿こそを要として防衛ラインを敷いている。

 教会にさえ、辿りつければ。

 腕の中に怯えた息子を抱きかかえて、男は走る。

 こんなところで死にたくなかった。

 特に、息子を抱いたままでは死んでも死にきれない。

 せめて息子だけでも、助けたい。


「おとーさん、こわいよ……っ」

「大丈夫だ、大丈夫だからな」


 怖いものなど何も見えないように、己の肩口に息子の顔を押し当てるようにして男は走る。

 そうして走りながら、罰が当たったのかもしれないと思った。

 男は、ギルロイ商会の商人だった。

 あの夜、薔薇園にもいた。

 長いことボスだと思ってついていった男が、とっくに正気を喪っていたことにも気づかない自分の見る目の無さをあの夜思い知らされた。

 そして、自分たちが目先の欲に踊らされていた結果何が起きていたのかも。

 暗く淀んだ地下室に閉じ込められ、昏い目をした獣人たち。

 部屋の隅に無造作に積み上げられた遺品。

 自分たちの犯した罪を、見せつけられた。

 自分たちが何をしてしまったのかを、ようやく理解した。

 

 ああ、けれど。

 

 もしも女神が罪に値する罰を与えるというのなら、それは自分だけで良いはずだ。罪を犯したのは自分なのだから。どうか、罪のないこの子を巻き込む痛みを罪の対価にすることだけはやめて欲しい。この子だけはどうか。

 そんな思いを抱えて男は走る。

 いつしか、背後を追う足音が近く聞こえていた。

 がしゃりがしゃりと舗装された道を鋭い爪がひっかく音が男を追い立てる。

 生臭い吐息が首の裏にかかるのすら、感じられるような気がする。

 心臓がガンガンと熱を吐き、耳の奥が痺れるように鳴る。

 縺れる舌で、大丈夫だから大丈夫だからと繰り返しながら走る。

 いや、もう走れているのすか危うい。

 ただ、のたのたと追い立てられて前に進む。

 ぜひゅ、と喉を鳴らして呼吸に喘いで見上げた先に、人影を見た。

 両手に銀の刃を構えた細身の人影。

 誰だ。

 いや、何だ。

 その人物の輪郭は、歪だった。

 頭部にぴょこりと揺れるのは獣の耳だ。

 その腰からにょろりと伸びるのは獣の尾だ。


「じゅう、じん……?」


 そこでようやく気付いた。

 追われて逃げ惑っているうちに、男はいつの間にか獣人たちが暮らす区域に迷い込んでしまっていた。普段なら決して一人では足を踏み入れない場所だ。自分たちがいかに彼らに恨まれているのかはわかっているつもりだった。ずっと心のどこかで、いつか復讐されてもおかしくないと思っていた。だからこそ、余計に厳しく辛く獣人たちに当たっていたのかもしれない。

 背後のモンスター、前方の獣人。

 どちらに命を奪われたとしてもおかしくない。

 男はいつも獣人たちを率いて狩りに出かけては、彼らを虐げていたのだから。

 この騒動のに乗じて、獣人たちに復讐されるならばそれは己の罰として受け入れようと思った。


「でも……、むすこ、だけは」


 息子を抱いた腕を空に捧げる。

 頭上から己を見下ろす獣人の男に向かって、子供だけは助けてくれと乞う。

 背後から自分に喰らいつこうとしているモンスターに引き裂かれても構わない。己を睥睨する獣人の男に刺し殺されたとしても、それだけのことをしたという自覚もある。


「むすこ、だけは……!!」


 その声に弾かれたように、獣人が軽やかに跳躍した。

 鋭い銀の刃が見上げる男の眼前に迫る。

 縦に裂けた細い瞳孔が、ぎらりと男を見据える。

 そして。


「ぼさっとしてんじゃねえ、走れこのウスノロ!」


 口汚く、罵られた。


「……え」


 獣人の着地点は、男の背後だった。

 たん、と着地すると同時に振るわれた刃が、男の背に喰らいつこうとしていたモンスターの牙を弾く。


「その先にある教会が避難所になってる! 急げ!」

「あ、ああ」


 助けられた?

 獣人に?

 頭の中に多くの疑問符を浮かべながらも男は言われた通りに走る。

 確かこの辺りに今ではもう使われなくなった古い教会があったはずだ。

 心臓が破れても良い。

 この子を安全なところに。

 そんな一心で男は走る。


「こっち……! 急いで!!」


 高い子供の声がした。

 見やれば古びた教会の小窓から身を乗り出した獣人の少年が男に向かって手を差し伸べている。


「この子を……!」


 腕に抱いていた子を差し出す。


「いや……っ、おとーさんいや……!!」

 

 ぐずり、離れてたまるかとばかりにむしゃぶりつく細い手足を乱暴に引き剥がして、目の前の少年へと託す。ずるりと息子の身体が小窓の奥に引き込まれるのを見届けて、ようやくほっと息を吐くことが出来た。

 良かった。

 息子は助かった。


「おじさんも早く!!」


 鮮やかな赤毛の少年が、男へとも手を差し出す。

 その手を取る。

 小さな、子供の手だ。

 人に比べれば幾分か鋭い爪を備えてはいるものの、未だ幼げな小さな子供の手だった。それが懸命に男の腕を掴み、部屋の中へと引き込もうとしている。


「あッ!」


 ずるりと少年の身体が滑る。

 男の重さに負けて、逆に少年の身体が教会の中から滑り出てしまいそうになる。

 そして、その背に向けて急降下する影とぎちぎちと鳴る不快な牙の音に気付いた瞬間、男は力いっぱいその少年の腕を強く引き寄せていた。

 

「ライザ……!!」


 窓の奥から悲鳴が聞こえる。

 自分の息子でもない、しかも人間ですらない獣人の子を背に庇うよう胸に抱きこんで男は蹲り――…カッと蒼光が炸裂した。モンスターの牙が突き立てられることを覚悟した背に降りかかるのは、冷気。

 

「…………?」


 おそるおそる顔をあげた先に、美しい魔女がいた。

 鷲の頭と翼に獅子の身体を持つ獣に跨った白を纏う魔女。

 薔薇園でも彼の命を救うと同時に、妖しく冷たく艶やかに笑って、彼の命に何の価値などないのだというように見捨てようとした。

 冴え冴えつ煌めく銀の髪を結いあげ、手首に咲くのは薄ら燐光を放つ淡い蒼の薔薇。その魔女が彼を見下ろして……ふっと口元に笑みを浮かべた。


「良かった、間に合って」

「イサトさん……!」

「ライザも無事か?」

「うん……!」


 男の腕の中で、赤毛の少年が嬉しそうに笑う。

 とん、と騎獣の背から降り立った魔女が彼の肩をいたわるように叩いた。


「ありがとう、ライザを助けようとしてくれて」

「…………」


 ぽかん、と目が丸くなる。

 憎まれているのだと思った。

 恥ずべき人間だと思われているのだと思っていた。

 じ、っと男は手を見下ろす。

 

「おじさん、早くこっちに」

「あ、ああ」


 先に窓を身軽に上って教会の中へと戻った少年が、再びなんでもないように彼へと手を差し出す。その手をしっかりと握り返して、男はようやく安全な空間へと逃げ込むことが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★☆★

 

 

 

 

 

 

 


 

 イサトさんから連絡が来たのは、そろそろドラゴンとの戦闘も佳境に入ろうかという頃だった。

 爪は合計八本ぐらいはへし折ってやった。

 ほとんど原型をとどめないぐらいに破壊尽くされた広間のあちこちに、真珠色の爪が無残にも転がっているのが見える。

 皮膜翼の片方も根本のあたりから折れている。アレではもう、飛べないだろう。

 ……といっても、俺も全くの無傷というわけにはいかないのだけれども。

 先ほど爪が掠めた左腕は感覚がない。

 だらだらと滴る鮮血が、床に赤い染みを作っている。

 ……いや、ポーションを使えば良いのはわかっていたのだけれども。

 なんとなく、意地になってしまったのだ。

 タイマン勝負、というか。

 ポーションやイサトさんの力を借りずに、俺の力だけであの変質者を叩きのめしたかった。


「(秋良? おーい)」

「(……あ?)」

「(おいこら、秋良青年無事か)」

「(あー……無事無事)」


 嘘である。

 ドラゴンも俺も満身創痍もいいところだ。

 今はお互い睨み合いつつも、次の手を考えている。


「(そっちはどうなってる?)」

「(街の方のモンスターはほとんどは駆除できたと思う。今は騎士たちがモンスターを炙り出して集団で叩いてる)」

「(……了解)」


 どうやら、外の方はそろそろ始末がつきそうだ。


「おい、残念だったな。セントラリアはまだまだ、終わりそうにないぞ」

「…………」


 忌々しそうにドラゴンが低く唸った。

 折れた皮膜翼を無理矢理にはためかせる。

 ぶわりと吹き付ける強風に、顔をしかめた。

 まだ飛びやがるかコノヤロウ。

 逃げられないように、もっと丁寧に完膚なきまでにへし折ってくれる。

 俺はぐっと右手に力を入れて大剣を引き寄せて構えて――…


 じゃッ、と。


 奇妙な音がしたのはその時だった。


「!?」

「……ッ!?」


 それは完全に不意打ちだった。

 罅割れ、あちこちが陥没した床を滑るように漆黒の蛇が白銀の竜へと襲いかかる。俺に集中していたドラゴンの傷ついた背や足に、ヌメっとした質感の蛇が次々と喰らいつき、みちみちとその肉を噛み裂いて行く。


「グルゥウウウウオオオオッ!!」


 竜が、咆哮をあげる。

 狂ったように暴れ、咬みついた蛇を振り落とそうとするものの、黒い蛇はちっとも剥がれる気配がない。暴れ狂うドラゴンの背が壁をぶち破り、のたうちながら庭へと墜ちて行く。なんだこれ。状況が分からないまま、腹の底でぐるりと渦を巻くのは真剣勝負に水を差された凶暴な怒りめいた感情だ。


「くっそ、邪魔しやがって」

「(イサトさん)」

「(どうした?)」

「(ヌメっとしたのが出てきた。こっち、来れるか)」


 返事は、ばさりと頭上で響いた羽ばたきだった。


「――もう、来た」

ここまでお読みいただきありがとうございます!

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