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おっさんとダンスの練習を

 と、いうわけで。

 早速次の日から舞踏会の支度に取り掛かることになった俺たちは、レティシアに連れられて仕立て屋を訪れていた。

 

 なんでも、舞踏会までそんなに時間がないため、急いで衣装を仕立てなければならないらしい。いっそ衣装が間に合いませんでしたので、なんて理由で欠席できないのかと主張してみたわけなのだが、レティシアにあっさり却下された。

 一週間という期間は生地から選ぶような完全オーダーメイドには足りないものの、既製品からのリサイズ程度なら十分に間に合う時間であるらしい。

 レティシアは若干申し訳なさそうにしていたものの、俺にしろイサトさんにしろ衣装を生地から選ぶような知識はない。むしろそこから選べと言われた方が頭を抱えていた。

 顔見知りの仕立て屋を呼びに行く、とレティシアが奥の部屋に入っていくのを見送って、俺は小さく息を吐く。


 なし崩しでここまで来てしまったわけだが。

 それにしても、イサトさんがドレスなのはまだ想像がつくが……俺はスーツ?

 

 スーツなんて大学の入学式で着て以来だし、その時にだって散々周囲にはザワザワされたものである。人相がよろしくない上にガタイも良いため、スーツなんぞ着てしまうと、なんかこう研ぎ澄まされたチンピラ感が発揮されてしまうらしい。高校から一緒だった友人ら曰く、「どこぞの鉄砲玉かと思った」「なんかどっかの若頭っぽい」「(ぼん)って呼ばれてそう」などなど。つらい。

 

 ちなみに、童話で見るようなカボチャパンツだったならば全力で拒絶する。

 アレはアレでちゃんとした伝統的な衣装なのだろうが、俺があんなものを着た日にはイサトさんが笑い死ぬ。俺も死ぬ。たぶん割腹する。

 なのでお互いの命を守るためにもカボチャパンツだけは絶対に避けたい。

 

 俺が真剣にそんなことを思い悩んでいる間にも、イサトさんは「ふんふん」と左右にちょっと揺れつつ周囲に並んだマネキンや、作業途中だったのか大きなテーブルに広げられた布や型紙を興味深げに眺めていた。この世界にやってきて、こうして一緒に過ごす時間が増えて知ったのだが、イサトさんは珍しいものが好きだ。今まで自分の知らなかったものを眺めるのが楽しくて仕方ないらしい。好奇心に瞳をきらっきらさせて、視界から得られる情報を分析しているように見える。そういう時のイサトさんは好奇心を満たすことしか考えていないため、ものすごく隙が多い。この人が初めての場所でやたら迷子になるのはたぶんそのせいだし、その結果好奇心が満たされて満足しちゃうからいつまでも懲りないのである。

 

「…………」

「……!」


 じーっと見られていることに気付いたのか、イサトさんははっとしたように表情を取り繕った。ふんふん、と楽しそうに揺れていたのもぴたりと止まる。


「――…何か」

「何も?」


 しれっとしらばっくれると、言い訳の機会すら得られなかったことに悔しそうにイサトさんがぐぬぬと呻いた。


「あれだ。ほら。こういう店普段来たことないから珍しいんだ」

「うん」


 見ていればわかる。


「イサトさんさ」

「ん?」

「気づいてないかもしれないけど」

「何が」

「耳」

「耳?」


 イサトさんがかくりと首を傾げる。

 本当に自覚してないんだろうな。


「たまーに何かに夢中になってると耳動いてる」

「え」


 ぴこり。

 また揺れた。

 

「え、耳って動くの?」

「実際動いてるけど」

「ええええ……」


 イサトさんは半信半疑というように髪の間からにゅっと飛び出した耳の先端を指先で抑えてみる。が、そうして意識してしまうとかえって動かないものらしい。しばらくそのままでいたものの、動く気配が感じられなかったのか、イサトさんは訝しげな視線を俺へと向けた。


「動かないぞ」

「それ、自分では動かせないのか」

「………………」


 眉間に皺を寄せ、集中することしばし。

 結局自分の意志で動かせなかった模様。

 まあ、もともとはイサトさんだっておそらくきっと普通の人類なので、エルフ耳の取り扱い方など感覚として身についていなくても仕方ないだろう。本人の意図しないところで勝手に動いていると考えるとなかなか面白い。


「エリサやライザはあれ、自分で動かせるんだろうか。今度聞いてみよう」


 名残惜しそうに、イサトさんは指先でむにむにと長い耳の先をつまんでいる。

 と、そこへレティシアが仕立て屋の主人と共に戻ってきた。

 なんとなく女性のイメージがあったのだが、意外なことに仕立て屋の主人は老齢の男性だった。鼻頭にひっかけられた眼鏡や、気難しげにへの字になっている口元が、いかにも熟練の職人といった雰囲気を漂わせている。


「まったく、レスタロイド家の末娘ともあろう人が無茶を言う」

「すみません……こんな急にお願いしてしまって」


 奥から出てくるまでに少し時間がかかったのは、もしかしたらレティシアが彼を説得するのに時間がかかっていたからなのかもしれない。


「私の服は一人一人のために仕立てるものだということを貴女ならご存知だと思っていたんだが」

「はい……」


 レティシアの様子は、厳格な祖父に叱られる孫娘といった風だ。

 それは同時に、お互いがそれだけ気心が知れた仲であるという風にも取れる。苦い口調で小言を漏らしながらも、仕立て屋の主人がレティシアに向ける目はどこか優しい。


「えっと……その、アキラ様、イサト様、こちらは私が子供の頃からお世話になっている仕立て屋のレブラン氏です」

「子供の頃からって……」


 俺は思わず首を傾げてしまった。

 レティシアはトゥーラウェスト出身で、ここはセントラリアの店だ。


「元々はトゥーラウェストで店をやっていたのですよ。そこを息子夫婦に任せて、私はセントラリアにやってきました」

「ああ、なるほど」

「その時も、レティシア嬢の御父上にはだいぶ力添えを戴いて」

「父が、レブランさんにまた外套を仕立てて欲しいと言ってました」

「おや、息子では力不足かな」

「いえ、たぶんレブランさんが懐かしいんだと思います」


 わざとらしく皮肉げを装ったレブラン氏の言葉に、レティシアはひょいと肩を竦めて言い返す。それにしても、普通なら店を増やすにしても息子の方に新店舗を任せそうなものだが、本店を息子に譲って自ら新天地開拓に来てしまうあたり、このレブラン氏もなかなかにアグレッシブだ。


「それで……私に頼みたいというのはこちらのお二人の舞踏会用のドレスということで良いのかね?」

「あ、はい。急なお話で申しわけないのですが……リサイズで間に合わせられそうでしょうか」

「……ふむ」


 レブラン氏は双眸を細めると、改めて俺とイサトさんへと視線を流した。

 

「失礼、立っていただけますか」

「あ、はい」


 俺とイサトさんが揃って立ち上がると、レブラン氏は視線だけで寸法を測るように、俺たちの周囲をぐるりと一周した。妙に緊張する。


「まあ、それほど規格外のサイズというわけでもないようですからな。見本で仕立てた服のリサイズでも充分に見栄えは誤魔化せるでしょう」

「良かった……」


 どこか不満げなレブラン氏と対照的に、レティシアはほっとしたように息を吐き出した。どうやらこのレブラン氏という職人さんは、普段はあまり既製品のリサイズは行っていないらしい。本人が最初に言っていたように、きちんと客の寸法をとり、一人一人のために型紙を起こし、布を選んで、という拘りの強い人物なのだろう。


「すみません、急な依頼になってしまって」

「いえいえ、お客様のためにこの腕を存分に振るえないのは残念ですが……しっかり仕上げさせていただきますので」


 そう言いつつレブラン氏は大きな本棚へと向かう。「現在倉庫に見本のあるのは……」などと呟きながら、一冊のスクラップブックに手をかけようとしたところで、ふと何気なく口を開いた。


「そういえば……事情を聞いたら絶対引き受けたくなる、と言っていたがその事情をまだ聞いていないな。いや、なんにしろレティ嬢の頼みとあらば引き受けるしかないが」

「ふふ」


 レブラン氏のその問いかけに、レティシアはちいさく楽しそうに微笑んだ。まるで、悪戯を目論む子供のような笑みだ。俺達の前では淑女然としているレティシアにしては、少し珍しい。


「実はですね、レブランさん。こちらのお二人が、飛空艇から私たちを助け出してくれた方なんですよ」

「な」


 レティシアのその言葉に、レブラン氏の動きが見事に止まった。

 その手元から滑り落ちた本が、ガン、と重そうな音をたてて床に落ちる。本というよりもスクラップブックに近かったのか、どぱさーっとその拍子に幾枚ものスケッチの描かれた紙が床へと広がっていく。


「うわあ」

「あわわ」


 慌ててそれを拾い集めようと屈む俺とイサトさん。

 その肩にがしっとレブラン氏の骨ばった手がかけられた。


「レティ、その舞踏会まであと何日だ?」


 レブラン氏、目がスワっている。

 というか口調が変わっている。

 レティシアに対する呼びかけも、先ほどまでは客である俺たちの手前一応「嬢」がついていたというのに、それすらすっとんで愛称に変わってしまっている。


「後七日ですね」

「七日か…………………………よし、間に合うな」


 何らかの計算が目まぐるしくレブラン氏の脳内で行われた模様。


「レティ、通りの向こうの宿に息子夫婦が泊まってるはずだ、今すぐ呼んで来い」

「はいっ」

「その間に寸法を測る。まずはあんたからだ、ちょっとこっちに来い」

「えっ」


 がしっと襟首を引っ掴まれて、そのまま引きずられかけた。

 何が起きているのかが全くわからない。


「ちょ、ちょっと待った! ちょっと待って! 何がどうなった!?」


 イサトさんも床に広がったスケッチを拾いかけた姿勢のままポカンと固まっている。そんな俺に向かって、レブラン氏がええいまどろっこしいっとばかりに怒鳴った。


「息子一家の命の恩人相手に既製品なんて着せられるわけがないだろうが!」

「え」


 息子一家の命の恩人?

 どういうことだ。

 助けを求めるようにレティシアを見る。

 言われた通り息子夫婦を呼びにいくつもりなのか、店を出掛けていたレティシアが俺達を振り返ってにっこりと笑みを浮かべた。


「あの時、あの飛空艇にレブランさんの息子さんご一家も乗ってたんです」

「あ……」

「もしかして」


 ぱ、っと頭の中に思い浮かぶ映像がある。

 たくさんのモンスターに襲われ、高度を下げつつあった飛空艇の窓から助けを求めるような視線をこちらに向かって投げかけていた一家がいやしなかったか。

 俺が飛空艇に乗りこみ、扉を通して『家』に入って欲しいと乗客たちを説得していた際に、怯え、立ち竦む人々の中でレティシアに続いて耳を傾けてくれた家族が。

 あの家族が……レブラン氏の息子一家?


「……私の様子が気になるというんで、服飾の勉強も兼ねてしばらくこっちに滞在することになっていたんですよ。貴方達がいなかったら、私は家族を失うところだった」


 俺の襟首を引っ掴んだまま、レブラン氏が俯いたまま呟く。

 その声が少し震えているのは、きっと気のせいではないだろう。


「――ありがとう」

「……はい」


 と、しんみりした空気が流れたのは一瞬のことだった。


「というわけで行くぞ、さっさと寸法をとって型紙書いて布地を選ばないと」

「ええええええだからちょっと待ったっ、オーダーメイドじゃ間に合わないって言ってなかったか!?」

「間に合わせる」


 超強引だなこのおっさん!!

 俺は襟首を引きずって連行されながら、最後の頼みの綱としてイサトさんへと視線を投げかける。


「ドナドナドーナー」


 歌われた。

 全くもって頼りになりゃしねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後。

 息子夫婦到着後、解放された俺と入れ違いにイサトさんがレティシアと奥さんの二人に両脇を固められて奥の部屋へと連行されていった。


「やめてっ、ちょっ、そこのサイズはやめっ……ええええそんなとこまで測るのか! いや数字は聞きたくない! ひーあー!」


 珍しく翻弄されるイサトさんの悲鳴を聞きつつ、俺は仕返しのようにドナドナドーナーを口ずさむのであった。

 

 ちなみに戻ってきたイサトさんは、真っ白に燃え尽きていた。


「わたしはもうもうおよめにいけない」


 何があったし。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして寸法が出たあたりで、ドレスやら礼服のデザインを決めることになったわけなのだが。俺もイサトさんも、その辺に関しては全くの門外漢である。フルレングスやらウェストコートやらプリンセスラインがどうこう、と謎の単語が飛び交うあたりになると、完全に傍観者だった。レブラン氏およびその息子夫妻とレティシアが白熱しているのをぐったりと椅子に腰かけたまま眺める。

 もはやどうにでもしてくれ、とばかりに俎板の上の鯉状態である。ただしカボチャパンツだけは絶対にお断りだ。


「そういえば、秋良」

「ん?」

「君、踊れるのか?」

「え。踊らなきゃ駄目か」

「舞踏会だからさすがに踊らないわけにはいかないんじゃないのか」


 二人で顔を見合わせる。

 舞踏会に参加するのも初めてならば、当然ダンスなんてものとも縁のない生活をこれまで送ってきている。


「イサトさんは踊れるのか?」

「ワルツぐらいならなんとか」

「何故」


 意外と芸達者なイサトさんだった。

 リアルでも謎なスキルを持ち合わせているとは、なかなか油断ならない。


「職業柄。昔ダンスシーンを書かないといけないことがあってね。それでちょっとだけ齧ったことがあるんだ」

「なるほど」

「本当基本の足型だけだけども」

「あしがた?」

「ええとダンスのステップ的な動きのことを、足型って言うんだよ」


 そこまで言って、イサトさんがちょろっと俺を見上げた。


「アレだ。良かったら教えようか。私も復習しておきたいし」

「え、いいのか?」

「君が私のパートナーだろう?」

「あ」

 

 そうか。

 舞踏会に参加することになった、というところで頭が止まってしまっていたものの、イサトさんと舞踏会に参加するということはそういうことだ。

 俺が、イサトさんをエスコートしなければならないのである。

 これはなかなかに責任重大だ。


「そうか、そうなるならちゃんと練習しておかないと。イサトさんに恥をかかせるわけにはいかないし」

「やめろ、プレッシャーをかけるな」


 イサトさんがぎゅっと耳を抑えて聞こえないふりを試みる。

 ちらっとレティシアを見る。

 絶賛プリンセスラインとベルラインの狭間で白熱した議論が行われているところだった。こっちに意識が戻るまで、もうしばらく時間がかかりそうだ。


「イサトさん、ちょっと脱け出さないか」

「そうだな。このままここにいてもやることなさそうだし」


 やろうと思えばやることはたくさんあるのだろうが、正直あのプロ集団の中に首を突っ込んでいく勇気がない。それよりはまだイサトさんにダンスを習った方が有意義というものだろう。

 

 というわけで、俺とイサトさんは一応レティシアに一声かけた後、レブラン氏の仕立て屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イサトさんと俺がやって来たのは、レティシアと再会するのに使った廃墟だった。入口を抜けた先には回廊があり、その内側には石畳の中庭が広がっているのだ。中央には、元は噴水であったのだろう瓦礫の山が残っている。

 ここならばダンスの練習をしていても人々に奇異の目で見られる心配はなさそうだ。


 ……とは言っても、今まで手をつけたことがない類いのモノであるため、その練習ともなると妙な気恥ずかしさを伴う。


「……上手く出来なくても笑わないでくれよ」

「君を笑えるほど私も上手いというわけじゃないからな。君の方こそ笑うなよ」

「心得ております」


 最初にそんなことを言い合って、それから石畳の上へと歩を進めた。


「ええと、まず最初に足型の前にポイズだな」

「ポイズ?」

「姿勢のことだよ。はい、秋良青年、気を付け!」

「おう」


 イサトさんの言葉に合わせて、びしりと背を伸ばす。

 剣道をやっていたので、それほど姿勢が悪い、ということはないと思うのだが。


「ここからちょっと特殊な感じになるんだけれども。親指の付け根あたりに体重をかけて、踵を浮かせられる?」

「……こう?」


 イサトさんに言われた通りに、重心を前に持っていく。


「そうそう。でも体はまっすぐな。前のめりにならないように。私がよく言われたのは、頭のてっぺんに紐を通されてぶら下げられている感じ、らしい」

「なるほど?」


 言われた通りにまっすぐ、を心掛けてみる。

 普段使わない筋肉を使っている感。


「後はそうだな。意識するなら足の内側の筋肉をきゅっと引寄せる感じだ」

「こんな……、感じ?」

「そうそう。流石だなあ。私なんて最初超ぷるぷるして全然ダメだったぞ」


 そんなことを言いながら、イサトさんも俺の目の前で同じようにすっと姿勢を正して見せる。本日ナース服だったイサトさんは、俺から見るとすでに十分高さのあるヒールを履いて持ち上がっていた踵が、さらに浮いた。

 イサトさんが言ったように、踵が浮いているにも関わらず体のラインはまっすぐだ。頭がつま先より前に来るようなことにはなっていない。


「すごいな」

「問題はあまり長続きしないことだなあ。私はあまり体力及び筋力がないので」


 その言葉通り、イサトさんはすぐにトン、と踵を下す。


「基本的に踊っている間は、その姿勢を保つイメージかな」

「へえ。結構キツそうだ」

「結構どころじゃないぞ、ダンスはスポーツだ。あれ超体力使う」


 しみじみと力説された。

 

「次にホールドだな」

「ホールド?」

「ええとポイズが姿勢なので……ホールドはいわゆる構え的な?

 ポイズを保ったまま、両腕を真っ直ぐ横に伸ばせる?」


 腕を左右に突きだす。


「そうそう。それで左腕は肘から先を軽く持ち上げて……、右腕は肘から先を軽く下げる」


 よいしょ、とイサトさんが実際に俺の腕に触れて角度をつけていく。

 なんだかマネキンにでもなったような気がしてくる。

 イサトさんはそうやって俺にホールド、とやらの構えを取らせると……その具合を確認するように、するっと正面から俺への距離を削った。いきなり懐に入って来られて思わず後ずさる。


「あ、こら。ポイズを崩さない」

「ご、ごめん」


 謝りつつ、もう一度ポイズからホールド、へと姿勢を取り直す。

 そんな俺の様子をじーっと観察しながら、イサトさんが改めてするりと正面から俺に接近した。持ち上げている左手の、緩く開いていた掌の中にそっとイサトさんの右手が重ねられる。そして俺の右手はイサトさんの腰へと導かれた。イサトさんの左手は俺の肩の上に添えられている。


 うわあ。


 どうしよう。

 これなんかものすごい近い。

 正面から目が合わせられない。

 が、イサトさんはそんな俺のドギマギなど素知らぬ風に説明を続ける。


「これが組むときの基本の体勢だな。あ、あんまり力をいれてガチガチになっても駄目だぞ。肩、あがってる」

「え、あ、肩?」


 イサトさんは一度ホールドを解くものの、そのまま俺から離れる代わりに、軽く背伸びで俺の肩にぽんと両手を置いた。なんかこう。やばい。この体勢はいろいろやばい。なんというか。こう。キスシーン、ぽい。

 そんなことを考えると、思わず視線が説明を続けるイサトさんの唇に吸い寄せられてしまう。


「腕は上げるけれども、肩は上げないんだ。あくまで腕はまっすぐ横に出して、肘から先だけを持ち上げるイメージ。わかる?」

「わかる、気はする……けど、ちょっとタンマ」

「?」


 不思議そうに首を傾げるイサトさんから、そそっと距離を取って深呼吸。

 ダンス、恐るべし。

 求む、平常心。


「疲れちゃった?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど。ちょっといろいろ」

「あ、恥ずかしいんだろ」

「っ」


 いきなり図星を刺された。

 と言っても、恥ずかしさだけ、というわけでもないのだが。


「最初はちょっと照れくさいかもしれないが、そのうち慣れるよ」

「……そう、か?」

「慣れる慣れる」


 イサトさんは気軽に同意してくれるが、果たしてどうだろう。

 慣れるのかこれ。

 確かにイサトさんは全く気にしている様子はないわけだが。

 ここまで意識されていないと、なんとなくもやっとしてしまったりもする。

 もう少し。もう少しぐらい異性として意識してくれたりなんかしても、別に罰は当たらないと思うんだが如何か。


「ほら、練習するぞ秋良青年」

「…………」


 ふと、気づいた。

 今、イサトさん、俺のことを「秋良青年」と呼ばなかったか。


「…………」

「秋良青年?」

「いや、何でもない」


 レブラン氏が、俺達の前で「レティシア嬢」「レティ嬢」「レティ」と三種類の呼び名を使い分けていたように。

 イサトさんも、俺のことを「秋良」と名前で呼び捨てにしたり「秋良青年」と呼んだり場面によって呼び名を使い分けている。

 イサトさんは、気づいているのだろうか。

 秋良、と名前で呼ぶ時と秋良青年、と呼ぶときの使い分けの癖に。

 俺も、最初は全然気づいていなかった。

 単に気分で呼び分けているのだとばかり思っていた。

 けれど、違うのだ。

 イサトさんの呼び分けには基本的なルールが三つある。

 一つは、俺の注意を惹きたい時だ。

 何か大事な話を切りだしたり、俺をからかう時なんかにわざとらしくにんまり笑って、「秋良青年」と俺を呼ぶ。

 二つ目は、第三者が一緒にいる時だ。

 少しだけかしこまって、イサトさんは俺を「秋良青年」と呼ぶ。


 そして三つ目。


 三つ目は、イサトさんがちょっと俺と距離を置きたい時だ。

 内心照れたり、恥ずかしがったりしてるのを隠そうとするかのように、もしくは物理的な距離を自分から削る代わりに、精神的に少し逃げ道を作るかのように、イサトさんは俺を「秋良青年」と呼ぶ。


「イサトさんさ」

「ん?」

「地味に照れてる時俺のこと『秋良青年』って呼ぶよな」


 しれっと、顔には出さない癖に。


「そう、だっけ」

「うん」


 頷くと、イサトさんはかくりと首を傾げる。

 そしてこれまでの行動を思い返すような間が少々。

 どうやら心当たりがいろいろあったのか、ぶわっと一息に滑らかな褐色の頬に朱色が浮かんだ。


「そ、そういうの言うのいくないと思う!」

「いや、つい」

「これ、私まで照れたら全然練習にならないじゃないかっ」

「だってイサトさんだけしれっとしてるから」

「しれっとさせておいてくれ!」


 恥ずかしそうにイサトさんが地団太を踏む。

 だむだむ。

 可愛い。

 きっと赤らんだ目元で睨まれた。


「覚えてろ」

「…………はい」

 

 やり返すことが出来てわりと満足した俺だったが、その後の練習がかなりスパルタ気味になったことは特筆しておこうと思う。

 隣に立っての足型の練習までは良かったのだが、開き直りまくったイサトさんに、実際ホールドを組んだまま耳元でカウントを囁かれながら足型を踏むのは何か新手の精神修養のようだった。

 

 いーち・にーい・さーん、の掛け声が耳から離れなくなりそうだ。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

Pt、お気に入り、感想等励みになっております。


そういえばおっさんがついに累計の端っこに入ることが出来ました。

いつも応援してくださっている皆様のおかげです。

ありがとうございます。

これからもよろしくお願い致します。

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