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おっさんの毒りんご

 少し鼻の頭を赤くしたライザが、照れくさそうに顔を上げた後。

 俺とイサトさんは、エリサに現状を確認してみることにした。


「んー……大人連中が昨日からずっと話し合いを続けてるみたいだけど、なんかあんまりうまくいってねーみたいだな」

「そうかー」


 やはり黒幕のマルクト・ギルロイがいなくなったからといって、いきなり話がスムーズに進み出すということはないらしい。


「その話し合いにはギルロイ商会側の人間も着てるのか?」

「ん? ああ、まだ誰が継ぐのかとかその辺あっちも混乱してるみてーだけど」

「ふむ」


 うまくいっていない、と言う言葉を聞いていたはずなのに、イサトさんは何故か満足そうに頷いている。訝しげに首を傾げた俺に、イサトさんはちろっと視線を持ち上げて笑った。


「話し合いがうまくいってないみたい、ということは現在進行形で話し合いが続いている、ということだろう? ギルロイ商会側の人間も来ているこの状態で、速攻話し合いが決裂してない分マシだと思って」

「あ、確かに」


 あれだけ散々獣人のことを虐げ、暴利をむさぼっていたギルロイ商会である。

 そのギルロイ商会と獣人が、間にレティシアが入ったからといって話し合いが続いていること自体が、お互いに和解の意志がある証明なのかもしれない。

 ……とは言っても、落としどころがなかなか見つかってないようだが。


「どうする、イサトさん。顏、出してみるか?」

「何か出来ることがあるかもしれないしな。それに、状況だけでも知っておきたいところ」


 と、いうわけで俺とイサトさんは議題の踊る会議室に足を踏み入れることにしたのだった。














 そこは教会の奥にある談話室だった。

 広さとしては、学校の教室程度だろうか。

 

 ギルロイ商会側を代表して参加してるのは、40代前半と思われる身なりと恰幅の良い男性と、その腰巾着じみたひょろりとした男。そして、あの日の晩、獣人チームを率いていた商人二人の合計四人だった。

 それに相対する獣人側は、狩りチームを含めたこの街にいる成人獣人全てといった感じだ。ざっと数えた感じ、30人から40人といったところだろうか。

 それだけの人数がいると、わりと広々としていたはずの談話室が手狭に感じられてくる。その二つの陣営が、向かい合う形でまんじりともせずに睨みあっている様は、テレビの画面越しに見た企業の謝罪会見だったり政治家の謝罪会見のようだ。まあ、実際意味合いとしては似ているのだろうけれども。


「…………」

「…………」


 エリサが細く開いた扉の隙間から覗いた光景に、俺とイサトさんはちらっと顔を見合わせた。言葉にせずとも、お互い顔に「うわあ、行きたくない」と書いてあるのがわかる。扉の隙間から、カゲアミ効果を背負った重苦しい空気がうねうねと這い出て来ているのが見えるようだ。一歩中に足を踏み入れれば、半ば固形化しかけた空気によって酸欠になるのは必至、というような惨状に見える。

 こんな泥沼修羅場に足を踏み入れるぐらいなら、まだヌメっとした人型と対峙していた方がまだマシなように思えてくるのは、俺が戦闘脳の前衛だからだろうか。

 

 が、ここまで来てやっぱりやめときます、とも言えるはずもない。


 俺はごくりと喉を鳴らして覚悟を決めると、そっとその部屋の中へと滑り込んだ。まずはしばらく壁際でこっそり話し合いの様子を見守り、何でつまずき、どこで折り合いがつかなくなっているのかを確認したい。口を挟むならそこからだ。話し合いの進展具合によっては、特に口を挟まず様子を見るだけでも良いかもしれない。そんなことを思っていたはずなのだが……そんな俺の目論みは談話室に入って数秒で潰えた。

 その場にいた全員の視線が、まるで吸い寄せられでもしたかのようにザッと俺たちに集中したからである。

 

 痛い。

 視線が痛い。

 視線に物理的な圧力が伴っていたならば潰れるのではないかというほどの圧を感じる。


「アキラ様、イサト様……!」


 ほっとしたような声でレティシアが俺たちの名を呼び、睨み合う両陣営の間をすり抜けて俺たちの元へとやってきた。

 その白い顏にも、疲労の色が色濃く浮かんでいる。


「……まずアレだ。空気だ。空気を入れ替えよう。窓開いてるはずなのに滅茶苦茶空気澱んでないかここ」


 イサトさんがげんなりした顔で呻きつつ、エリサを振り返った。


「エリサ、何かタライとかバケツとかあったら持ってきてくれないか」

「わかった、幾つぐらい必要なんだ?」

「3、4つあれば。なければあるだけ持ってきてくれ」

「お姉ちゃん、僕も手伝う!」


 エリサとライザがたったかと駆けだしていくのを見送る。

 二人はすぐに、それぞれバケツとタライを持って戻ってきた。

 バケツが2個、タライが一つだ。

 イサトさんはそれらをそれぞれ窓辺に設置すると、「氷結」の魔法スキルを発動させる。これは最近手に入れた生活魔法の一つで、空気中にある水分を凍らせる魔法、であるらしい。バケツやタライの中に、どん、とでかい氷の塊が生まれる。湿度が減った分、少しだけ空気の澱みが取れたような気がする。

 そこにさらに続けて、イサトさんは「空流調整」の魔法スキルを追加する。こちらも生活魔法の一種で、空気の流れを操ることが出来るスキルだ。本来ならば地下ダンジョンや、密室、空気が薄い山頂などで呼吸をサポートするためのスキルだ。

 今は窓から風を呼び込むのに使ったのか、氷の冷気を含んだ風がさあっと部屋の中に吹きわたっていく。

 

 まるで人間家電だ。

 一家に一台イサトさん。

 

 息苦しさを感じていたのは途中参加の俺たちだけではなかったのか、獣人たちやギルロイ商会側の人間も、ほっと人心地ついたように息を吐いている。


「これで少しは呼吸がしやすくなった」

「さんきゅ、助かった」


 空気が澱んだ中でいくら話し合ったって、良い考えなど出ないのである。

 いや本当。

 環境が不快であればあるほど、本来折衷案に向けて発揮されなければいけないはずの我慢度や寛容度がそっちで浪費されてしまうのだ。そうなれば、当然折りあいなどつくはずもない。


「ええと……なんぞ話し合いが難航しているという話を聞いて顔を出してみたんだが。でもアレだ、お前らは引っ込んでろ、という話なら私らは退くけれども」

「いえ、そんなことは!」


 イサトさんの言葉に喰いつくレティシアが必死だった。

 きっとこれまで相当困っていたに違いない。

 俺はぽりと頭を掻きつつ一歩前に踏み出し、周囲を見渡して口を開いた。


「それならちょっと聞かせてもらいはするけど……基本的に俺とイサトさんが部外者だってことは忘れないで欲しい」

「そうだな。私たちはあくまで部外者だ。意見を言うことはあっても、その取捨選択をするのは君たち自身だ。そこだけは間違えないでくれ」


 俺たちに言われたからそうしました、ではダメなのだ。

 自分たちで考え、自分たちでより良い生活を勝ち取るための努力をしなければ意味がない。そうでなければ、俺たちがいなくなった後、再びまた立ちいかなくなってしまいかねない。

 全員が頷いたのを見た後、俺はレティシアを促した。


「それじゃあ話を聞かせてくれるか?」

「は、はいっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レティシアから話を聞き終えた俺は、思わず息を吐いてしまった。

 別段レティシアの話が下手だったり、わかりにくかったわけではない。

 むしろ逆だ。何故折り合いがつかないのか、およびその難易度ががあんまりにもわかりやすかったために、かえって溜息が漏れてしまったのである。


「イサトさん、どう思う?」

「どっちも泥をかぶりたくない、って話だからな。そりゃあまあ、折り合いは付きづらいだろう」

「……だよな」


 お互いに「和解したい」という目的に関しての同意はほぼ取れているのだ。

 問題は、そこで誰がどれだけ痛みを抱えるか、という傷の押し付けあいだ。

 

 獣人側としては、ギルロイ商会から解放されたい。

 それに関してはギルロイ商会側も納得している。ただ、そこで問題になるのはこれまでに獣人側がギルロイ商会からしている借金についてだ。それらの借金を全部なかったことにした上に獣人を手放したのでは、ギルロイ商会が立ちいかなくなる。これがギルロイ商会が潰れてそれでおしまい、という話ならばその方向で話を通しても良かったのだが……獣人と人間の『女神の恵み』の流通を束ね、管理していたギルロイ商会が潰れたともなると、セントラリア全体に混乱が広がりかねないのだ。そうなれば、混乱の原因として獣人に対するアタリがますますキツくなる可能性が否定しきれない。

 

 感情論としては、これまで痛みを獣人に押し付けた結果の繁栄であるのならば、痛みのしっぺ返しでセントラリアが混乱するぐらい受け入れろと言ってしまいたくはなる。だが、それでは結局獣人と人間側の距離は開くばかりだ。


 だからといって、いくら労働条件を見直すからといっても獣人側に借金を盾に今後もギルロイ商会の下で働けと言うのは酷すぎる。妄執に取り憑かれたマルクト・ギルロイの犯行とはいえ、今この部屋の中にいる獣人の中には、親族や家族、友人を失ったものも決して少なくはないのだ。

 

 そういったところで、話し合いは暗礁に乗り上げていたらしい。

 

 レティシアが提案した仲裁案としては、一度レスタロイド商会がギルロイ商会から獣人の債権を買い取り、獣人の身柄を引き取るというものがあったらしいのだが……。こちらも条件が上手くかみ合わず、話し合いが進んでいないようだ。何でもギルロイ商会側としては債権を買い取るのならば、分割ではなく綺麗に全額買い取った後の引き抜きにして欲しいと主張しており、レスタロイド商会としては全員分の債権を全額まとめて買い取るのは額の大きさとして難しく、獣人側的にはギルロイ商会からレスタロイド商会に乗り換えるにしても全員一緒でなければ嫌だ、ということらしい。

 

 これまたどちらの言い分もわかるだけに難しい。

 

 トゥーラウェストのレスタロイド商会に獣人が引き抜かれるということは、それだけ今後ギルロイ商会を含めセントラリアの商人ギルドが苦戦することになるのだ。それならば、せめて先立つものがない限り手放せない、と主張したくなる気持ちはわかる。一方レスタロイド商会としても、何度かに分けてなら債権を買い取るだけの力はあるものの、さすがに全額をまとめて最初で払うというのは厳しい。こちらも、言っていることはおかしくない。獣人側の方の言い分だって、これまで街を出た獣人が実は皆殺されていたなんていう衝撃的事実が明らかになった直後であることを考えれば、団結を第一にしたいというのは当然だ。

 

 まさに三竦み。

 あちらを通せばこちらが通らない。

 お互いに妥協点を探り合うこと一日ちょっと、ということであるようだ。


「うーん、こういうとき俺らのとこだと国が出てきたりするんだが……そういうことってないのか?」


 こそっとレティシアに聞いてみる。

 俺もそんなに経済に詳しいわけではないが、確か日本では国の管理する銀行がそういったトラブルのフォローに回ったりしていたはずだ。


「……はい。それで、今あそこにギルロイ商会側の方にいるのが、貴族院から派遣されてきたカネア侯爵とネパード侯爵子息です」

「貴族院から?」


 聞き慣れない響きを口の中で繰り返しながら、俺はレティシアが流した視線の先を追いかける。そこにいたのは、ギルロイ商人側の人間だと思っていた恰幅の良い中年男性と、その御付きっぽいひょろ長い男の二人組だった。おそらく中年男性の方がカネア侯爵、ひょろ長く若い方がネパード侯爵子息だろう。


「ギルロイ商会の人間じゃなかったのか」

「っていうか……ちゃんと国だったんだな」

「……確かに」


 イサトさんの今更すぎる呟きに、つい同意してしまった。

 RFCというゲームの中において、国というのは五つの都市国家は特色の違う東西南北に位置するエリアについた名前といった感覚でしかなかったのだ。俺たちは冒険者としてギルドに属し、モンスターを討伐し、ダンジョンを探索し、冒険や物語を楽しんでいく。ゲームの中においても、俺たち冒険者というのは、国家の枠組みの外側にいた。

 だから、今回のギルロイ商会の騒動でも国に改善を訴える、という手順がすっかり頭から抜けてしまっていた。


「……もしかして、国に訴えていたらもっと違ってたのか?」

「いや、どうだろう。見事に巻き込まれた感があるからな」

「それもそうか」


 俺達の方から何か仕掛けた、というよりも、降りかかってきた火の粉を打ち払っているうちにああなった、というのが正しい。


「でも……その辺どうなんだ? ギルロイ商会のやってたことについて、国に訴えたりはしてたのか?」


 こそっと耳打ちするようにエリサへと聞いてみる。

 エリサはくすぐったさそうにぴる、と一度▲耳を小さく震わせてから教えてくれた。


「何度か大人たちが状況を訴えてたみてーだけど……貴族院といえど、そう何でもかんでも口出しできるわけじゃねーからな。街全体に獣人に対する差別はするべきではない、ぐらいの法令はちょくちょく出してたみてーだぜ」

「……なるほど」


 それがギルロイ商会の抱える問題を把握した上でのポーズとして行われたものにしても、実際それだけの力しか持っていないにしろ、どちらにしろあまり頼りにはならなさそうである。


「で、貴族院は問題に介入してくれそうなのか?」

「……難しい、ですね。きっと最終的にはお金を出さざるを得ないところまで持っていくことにはなると思います。ですが、彼らが貴族院に話を持ち帰り、結論が出るまでは現状維持ということになりかねません」

「それは獣人側としては納得がいかないだろうな」

「……はい」


 貴族院が結論と共に金を出し、ギルロイ商会から正式に解放されるまで待つか。それとも今レスタロイド商会に移籍する順番を獣人内で決めてしまうか。それともこれまでの苦痛と引き換えに債権の帳消しを訴えて徹底抗戦するか。

 そんな考えが、ぐるりぐるりと頭を巡っているのだろう。


「…………」

「…………」


 俺とイサトさんは顔を見合わせる。


「イサトさん」

「はい」

「俺はなんだか面倒くさくなってきました」

「奇遇だな、私もだ」

「…………」

「…………」


 じっと見つめ合う。

 そんな俺たちの様子に、少し慌てたようにレティシアが口を開く。


「あ、あの、でも大丈夫です。私の方でも、貴族院に手回し出来ないか実家に話をしてみますし、その……っ、ですからっ」

「?」


 焦ったようなレティシアの言葉に首を傾げる。

 覗きこんだ碧の瞳には、置いて行かれることを怖がるような焦燥の色が浮かんでいる。


「レティシア?」

「あの、ですからどうか見捨てないでください……っ」

「えっ」


 見捨てる?

 ぎゅっと腕に抱きつくようにすがられてますます慌てた。

 胸。胸当たってる。

 何かこうふよりと柔らかな感触が当たってる。


「っ、レティシア落ち着け、見捨てたりしないから!」

「…………」

「イサトさんはによによしてないで助けるべき!」


 こういう時のイサトさんは本当に意地が悪い。

 俺が困っているのを見て、心底楽しそうにによりによりとしている。

 タチの悪いおっさんのようだ。

 実際おっさん(イサトさん)なのだが。


「でも、面倒臭くなったって……」


 じわっと明るい碧に涙が潤む。

 普段は楚々しつつも折れないレティシアにとっても、昨日からの殺伐とした泥沼のような話し合いの仲裁役はだいぶ荷が重かったらしい。

 そりゃそうだ。

 俺なら逃げている。


「あのな、レティシア」


 そっとレティシアの肩に手を置いて、さりげなく距離を置いた。

 ふわふわとした胸の感触に心惹かれないといったら嘘になるが、後でイサトさんにからかわれるだけだと思うと素直に堪能しているわけにもいかない。


「ギルロイ商会の獣人に対して持っている債権は総額いくらになる?」

「えっと……おおよそ一億エシルだったかと……」

「……いちおく」


 レティシアの言葉を、胡乱げにイサトさんが復唱した。

 眉間にうっそりと皺が寄っている。

 

「す、すみません。何年にもわたって少しずつ借金が嵩んでそれだけの総額になってしまっているみたいなんです。今すぐにレスタロイド商会が動かせる額となると、その三分の一、三千万エシル程度になってしまいます……」


 申し訳なさそうにレティシアは言葉を続けるが、イサトさんのそのリアクションは金額の大きさに驚いたり、戸惑ったからではない。

 イサトさんがちらり、と俺を見る。


「秋良青年、一億って幾らだ」

「…………」


 この人は何を言っているのだろう。

 ついイサトさんに向けるまなざしが可哀想なイキモノを見る目になった。

 イサトさんにはゲーム時代、「火曜日って何曜日だっけ」と口走った前科もある。


「違う、そうじゃない、こら、そういう目で私を見るんじゃないっ」

「いや、だってほら」

「私が言いたかったのはアレだ、ほら、一億って何Kになるのか、という話だっ」


 あ、なるほど。

 ゲーム内では「1000=1K」、「1000000=1M」でカウントして財産を管理していることが多い。そのため、一億、と言われてもそれがどれくらいのゲーム内通貨価値にあたるのかが咄嗟に換算できないのだ。確かに言われてみれば俺も自分の所持金額が通常計算で幾らになるのかは把握していない。


「ええと、ちょっと待てイサトさん、今俺も計算してるから」


1000→1K

1000000→1M

100000000→100M

なので。


「ええと一億っていったら100Mだな」

「100Mか。私の手持ちは……ぬ。60Mちょっとしかなかった」

「イサトさんは堪え性がないから……」


 変なアイテムや、スキルに散財しすぎなのである。

 

「私にしては貯めた方だと思う。秋良青年は?」

「ふっふっふ、700M近くある」

「金持ちだ!」


 前衛職はあまり金を使わないのである。

 プレイヤーの中にはレア装備に金をかける者も多かったが、俺は欲しいものは自分で手に入れる主義である。ドロップするまで狩り続ければいつかは出るものなのだ。おかげで経験値も入ってレベルもあがるしな。ゲーム時代はアイテムと一緒にエシルもドロップしていたため、お金は溜まる一方だった。


「というわけで、レティシア、皆が納得するようなら俺が獣人の債権を纏めて買い上げるよ」

「…………」

「おい、レティシア?」


 何か、レティシアの焦点が限りなく遠くで結ばれているような気がする。

 気絶しているんじゃなかろうな。


「おーい、レティシア。レティシアー?」


 ぱたぱた、とその眼前で手を振っていると、はっとしたようにレティシアが瞬いた。


「……す、すみません。一瞬気が遠くなってました」


 気絶しかけていたらしい。

 まあ元の世界の感覚で、いきなりポケットマネーで7億持ってます、なんて言われたら俺でもビビるだろう。

 ゲーム内のステータスを持ちこしているからこそ出来る真似である。

 ちなみにエリサとライザに関しては何故か「もう何にも驚きマセン」というような諦念の滲んだ顏で俺たちを見ている。

 ……解せぬ。


 俺は、一歩前に踏み出すとその場にいた全員に聞こえるように声を張った。


「と、いうわけで俺からの提案だ。獣人側の借金は俺が全部引き受ける。全額耳を揃えてきっちりギルロイ商会に払う。その後についてだが、別段金には困ってないので獣人から取り立てようとも思ってない。つまり……自由、ってことだな。このままセントラリアに残って新たに商人ギルドと交渉するも良し、レスタロイド商会と契約するのも良い。好きにしたら良いと思う」


 金銭面に関する痛みを、俺が一手に引き受ける形になる。

 といっても、100M払っても600Mは手元に残るので俺にしてみれば全く痛くもかゆくもないのだが。


「その金があれば……」

「自由になれる……!」


 ギルロイ商会や貴族院の人間、獣人たちの間にざわめきが広がっていく。

 自分たちが痛みを払わずに問題が解決できそうな案が出てきたのだ。

 それに飛びつきたくなると同時に、警戒するのも当然だ。

 俺の隣に、次いで前に出たのはイサトさんだった。


「ただ――…君たちも覚悟はすべきだ」


 低く、柔らかに通ったその声に、はっとしたように視線が集中する。

 イサトさんは、そんな視線の持ち主たちに向かって嫣然とした笑みを浮かべて見せた。白雪姫に林檎を差し出す魔女や、人魚姫に取引を持ちかける魔女はきっとこんな顔をしていたに違いない、というような、どこか毒を含んだ華やかな笑みだ。

 

「私たちに頼ることで、この場は乗り切れるかもしれない。けれど……私たちは決して正義の味方なんかじゃない。それだけは忘れないように」

「それって……」


 獣人の中から、掠れた声があがる。

 何か代償があるのかと怯えた声が問いかける。


「さっき、秋良青年がいったように私たちは借金を取り立てることはないし、それを盾に君たちを良いように操ろうというような思惑もない」

「なら……」

「逆を言うと、何もないんだよ」


 俺は途中から口を挟んで肩をすくめた。


「最初に言った通り、俺たちは部外者だ。何か思惑があるわけでもない。ただしたいことをするだけの『わるもの』だ」

「だから、私たちがしたいと思ったら、君らに求められるままに一億の金を出すことだって出来る。けれど、その結果に責任は取れないぞ」


 そうなのだ。

 俺たちの吐き出す一億という金は、本来この世界にはなかったはずのものだ。

 セントラリアや、この大陸に存在するその他の都市国家がどのように流通する金額を調整しているのかはわからない。が、普通に考えればそこに一億もの金額が突如加われば、多少の混乱は避けられないだろう。

 もしかすると、インフレやら何やら経済的な問題が起きる可能性だってある。

 レティシアやギルロイ商会、そして貴族院の男たちは俺たちが言わんとしていることを薄々把握したのかその表情に緊張の色を浮かべている。


 俺たちの差し出した甘すぎる果実を受け取るか、断るべきか。


 甘やかな、それでいてどこか脅すような笑みを浮かべて一同を見渡すイサトさんに、周囲は完全に怯んでいる。


 ……イサトさん、悪役がハマりすぎである。

 

 まあ、ここであまり怖がらせすぎても、せっかく助け舟を出した意味がなくなってしまう。


「まあ。俺たちは正義の味方じゃあないから、助けてもらって当然、みたいに『お前らのせいなんだから何とかしろ』なんて言われてもスルーかもしれないけど」


 ちろり、とイサトさんを見る。


「なんだかんだ困ってる人を見捨てられるほど薄情でもないからな。ね、イサトさん」

「…………」


 ぐむ、とイサトさんが少し御馳走を丸呑みした猫のような顏をした。

 それから悪ぶっているのを見透かさのが気恥ずかしいのか、やんわりと八つ当たりのように俺の足を踏みつつ口を開いた。


「貴族院――…というかこの場合は国か。国単位で市場を流通する金額の調整がしたい、というなら取引の用意はある。君らが金を積んででも欲しいと思えるような商品を提供できるはずだ。例えば――……飛空艇の再建に必要な素材とか」

「……!!」


 イサトさんのその言葉に、貴族院から来た二人が目の色を変える。

 やはりセントラリアとしては、飛空艇を喪った損害は大きいのだろう。

 わいわいがやがやと話し合う声が再び大きくなる。

 だが、今度の議題は誰に痛みを押し付けるのかではなく、俺が出す一億という金額をどう運用すれば獣人の犠牲なしにセントラリアを立て直すことが出来るか、という非常に前向きなものになっている。

 これならばあとは放っておいてもどうにかなるだろう。


「後は当事者に任せて、俺たちわるものは引き上げるとしますか」

「そうだな。薔薇姫の蜜も集めにいかないといけないし」


 そんなことを話しつつ、俺とイサトさんはそれぞれポン、と「後は任せた」と言う意味をこめてレティシアの肩を叩いてその場を引き上げたのだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

Pt、感想、お気に入り、励みになっております。

また、本日「おっさんがびじょ。2」が発売となりました。

機会がありましたら、御手にとっていただけると幸いです。

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