マルクト・ギルロイの日記
若干気持ち悪い描写があります。
ぱらり、ぱらぱら。
ページをめくる。
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今日から、日記を書こうと思う。
ロザンヌが言うには、息子の成長を記録するのは私の方が相応しいらしい。
あれだけ細かい帳面がつけられるなら、貴方の方が向いてるわ、とのこと。
何か押し付けられたような気がしないでもないが、こうして日記まで贈られてしまっては仕方がない。
いつか■■■[名前は塗りつぶされている]が大人になった時に、この日記を見せてやることが出来れば、良い酒の肴になるかもしれない。
隣で見ているロザンヌが書けと煩いので仕方なく書くよ。
ロザンヌ、■■■、愛しているよ。
……恥ずかしいな、これ。
……中略……
『女神の恵み』が手に入らなくなり始めている。
長年商いを続けているが、こんなことは初めてだ。
獣人の冒険者は比較的安定した商品の供給をしてくれている。
これからは獣人の冒険者との取引をメインに置くべきかもしれない。
だが、彼らは彼らなりのルールで動いている部分も多いと聞く。
私のような商人と組んで貰えるだろうか。
誠意を見せれば、話し合いのテーブルぐらいにはついて貰えると信じたい。
一体何が起きているのか……。
不安は募る。
ロザンヌはいざとなれば田舎に引っ込めば良い、なんて笑っている。
どうしてそんな呑気でいられるのか私にはわからない。
だが……■■■と遊ぶロザンヌの姿を見ていると、どうにでもなると私まで思えてくるのだから不思議だ。
家族のためにも頑張らなければ。
■■■がお休みのお歌を強請っている。
まったく、今日は何回歌わせられるのやら。
■■■が風邪を引いたらしい。
昼ごろから熱っぽいとロザンヌが言っていた。
今日は早めに寝かしつけるとしよう。
……いつもならまだ眠くないと愚図るのに、今日はさっさと眠ってしまった。
やはり具合が悪いんだろうか。
何度もせがまれると面倒臭くもあるが、こうも聞き分けが良くても拍子抜けしてしまう。
早く良くなると良い。
■■■は未だ風邪引きさんのままだ。
昼間は元気にしているのだが、夜になると熱が高くなる。
医者に見せたところによると、流行り病かもしれないと言われた。
この病には特効薬がないと言われた時には焦ったが、安静にしていれば自然と良くなるとのこと。
ほっとした。
栄養をつける必要があると言われたので、今日は『女神の恵み』の林檎を闇市で購入してきた。
……本当は良くないんだが、可愛い息子のためだ。
商人ギルドの連中に見つかったら口うるさく叱られてしまうな。
■■■の熱が下がらない。
夜のうちだけだった熱が、朝になっても下がらなくなった。
再び医者に診せるものの、やはりどうすることも出来ないと言われてしまった。
栄養をつけ、病が癒えるのを待つしかないらしい。
だが、年寄りや子供の中にはそれまで体が持たない者もいる……、と。
■■■……
ロザンヌが泣いている。
どうしたら、■■■を助けられるだろう。
今日も闇市に寄って林檎を買った。
阿呆のように高いが、■■■のためなら仕方がない。
早く『女神の恵み』の供給が安定してくれると良いんだが。
■■■がご飯を食べなくなってしまった。
食べられるのはおかゆが少しと、擦り下ろした林檎ぐらいだ。
せめて少しでも栄養価の高いものを、と今日も闇市に寄った。
あまり金のことは考えたくないが、最近毎日のように『女神の恵み』を買っているせいか生活費が心もとなくなってきている。
だが■■■に少しでも栄養のあるものを、と思うとそれしか方法はない。
いくら街全体で獣人から『女神の恵み』を買い上げる額を定めたとしても、供給量が需要に追い付かなければ今度は我々が札束で殴りあうだけだ。
獣人から直接買おうと思えば闇市しかない。
すっかり闇市の常連になってしまった。
エスタイーストから来た商人から、良い話を聞いた。
黒の城にいる薔薇姫から得られる『女神の恵み』はとても栄養価が高く、同じ病に倒れた子供がその『女神の恵み』のおかげで持ちこたえたことがあるらしい。
薔薇姫の蜜、か。
セントラリアは広いんだ。
手を尽くせば、一つぐらい手に入るかもしれない。
商人ギルドの連中にも声をかけてみよう。
■■■、もう少しの辛抱だ。
もう少しだけ、待ってておくれ。
薔薇姫の蜜が手に入らない。
なんでだ。どうしてだ。
金ならいくらでも出す。
この屋敷を売ったっていい。何でもするから誰か■■■を助けてくれ。
■■■はもうベッドから出ることすら出来なくなってしまった。
早く。
早く。
誰か。
獣人の冒険者たちに金を積んだものの、誰一人として黒の城に行こうと言うものは現れなかった。
このままでは■■■が。
いっそ私が行くか……?
いや駄目だ。人間の私では『女神の恵み』は手に入れられない。どうしてこんなことに。どうして。
ロザンヌがいなくなった。
ロザンヌ。ロザンヌ。
近所の人が、東門から出ていくロザンヌの姿を見たと言っていた。
ああロザンヌ、なんて無謀なことを。
無事に戻ってくれ。
ロザンヌは帰らない。
私は最低の人間だ。
ロザンヌが思い詰めているのは知っていたのに。
私は息子と妻を天秤にかけた。
少しでも可能性があるならとロザンヌを止めなかった。
商人の妻でしかないロザンヌにモンスターと戦って『女神の恵み』を得る術などないとわかっていたはずなのに。
私はロザンヌを止めなかった。
すまないロザンヌ。
すまない。
■■■が、水しかうけつけなくなってしまった。
どんどん細く、小さくなっていく■■■を見ていることしか出来ない。
私は■■■の父親だというのに、何もしてやれない。
ぼんやりとベッドに横たわる■■■の傍にいてやることしか出来ない。
ああ女神よ、私の命と引き換えで構わない。
どうか■■■を救ってくれ。
お願いだ。
もう何日も寝ていない。
■■■。
逝かないでくれ。
私を独りにしないでくれ。
■■■が、小さな声でねだった。
おうたをうたって、とねだった。
泣きながら歌った。
お前が望むなら何度でも。
何度でも歌ってやる。
だからお願いだ。
逝くな。
どうか、
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■[何度も同じ言葉を重ねた結果真っ黒になって読めなくなったページが続く]
■■■の傍らで呆然としているところに、一人の男が現れた。
見覚えのない男だ。
黒いローブを着たその男は言った。
■■■を救えると。
男は教えてくれた。
獣人が全て悪いのだと。
獣人が『女神の恵み』を独占しているからこのような悲劇が起きるのだと。
獣人から『女神の恵み』を解放することで、■■■を甦らせることが出来るのだと言っていた。
………………馬鹿らしい。
私はまだ正気だ。
そんな馬鹿な話が信じられるはずもない。
■■■は逝ってしまった。
ロザンヌもきっと逝ったのだろう。
私も、同じところに逝きたい。
今はただそれを望むだけだ。
そう告げると、男は何か黒い種のようなものを、■■■の口に含ませた。
獣人を殺し、その血を与えることにより、これまで独占されていた『女神の恵み』が■■■の身体を巡り、生気となって甦らせることになるらしい。
胡散臭い話だ。
胡散臭い男だ。
そんな話、誰が[この後はべったりと赤黒い血に汚れている]
どうしてこんなことに。
どうして、ああ女神よ、私を助けてください。
罪深い私を許してください。
先日、借金取りが屋敷までやってきた。
■■■に食べさせたくて、『女神の恵み』を無理に買い漁った結果だ。
待って欲しいと言ったものの奴らは容赦なかった。
しこたま殴られて殺されると思った。
そのうちボロ雑巾のようになった私を、そいつらは思い切り突き飛ばした。
そして嘲笑った。
金も力もないから子供を死なせるようなことになるのだと、そいつらは私を嘲った。殺してやりたい。目の前が真っ赤に染まった。
ただ、死ねばいいと思った。
生まれて初めて、殺人衝動に限りなく似た憎悪を抱いた。
気づいたら火かき棒を握っていた。
後は、覚えていない。
ぐしゃり。ぐしゃり。
何度も何か硬いものを叩き潰したような気がする。
手が痺れて、腕が重くて、へたりこんだ時にはもう周囲はひたすらべったりと赤に塗れていた。ぐずぐずとしたぬかるみの中、私は呆然と座り込んでいた。
■■■
■■■
どうせ殺してしまったのならあの男の言った言葉を試してみても良いだろうか。
こんな愚かな父をお前は嗤うだろうか。
■■■。■■■。
もう一度お前に逢えるなら。
「……、」
火かき棒から滴る血を口に含ませた■■■は、ほっそりと息を吐いた。
アレは本当に■■■なのだろうか。
■■■と同じ姿をしたアレは動きもせずただじっとこちらを見つめている。
まるで■■■の姿を借りたバケモノのようだ。
私はとんでもないことをしてしまったのではないだろうか。
ロザンヌ、私は間違っていたのだろうか。
私は、どうしたら良い……?
死体からの腐臭が日に日に強くなる。
どこかに埋めるなり捨てるなりしなければならないとわかっているのに、人に見つかることを恐れて何もできずにいる。
ベッドの中の■■■は、またしても少しずつ弱っているように見えた。
喋らず、動かず、ただそこにあるだけの生きた死体。
それでも、少しずつその身体から生気が抜けていっているような気がした。
このまま■■■の姿を借りたバケモノと共に、ここで共に朽ちてしまおうか。
ベッドに横たわったままの■■■をそっと抱き上げて、腕の中に抱きしめた。
このまま。
このまま二人で。
その時だった。
何時の間にか部屋に、あの男がいた。
男は言った。
「また失うつもりなのか」と。
何を言っているというのか。
■■■は失われたままだ。
ここにいるのは、■■■の姿を真似たバケモノだ。
似てるのは形だけ。
そう言った私に、男は笑った。
「足りないからだよ」
足りない……?
男は楽しそうに教えてくれた。
私が言う通り、今の■■■はまだ完全な命ではないのだと。
獣人どもに奪われた命を、取り戻す必要がある、と。
男が懐から赤黒い液体の満ちた小瓶を取り出す。
鉄錆びにも似た生臭い匂いに、腕の中に抱いた■■■が反応した。
まるで、ジュースを欲しがった時のように懸命に腕を伸ばして小瓶を欲しがる。
男が与えると、■■■は口のまわりをべたべたに汚しながらも、美味しそうに飲み干した。
「美味しいかい、■■■」
そっと声をかけてみる。
ロザンヌがミルクを与えた後によくそう聞いていたように。
「……、……」
小さく、空気が震えた。
もしかしたら幻聴だったのかもしれない。
けれど、私には聞こえた。
聞こえたんだ。
■■■が、「ぱぱ」と呼ぶ声が。
涙があふれた。
もう尽きたと思っていたのに。
もう私の身体はカラカラに乾いてしまって、どれだけ絞っても涙なんか出てきやしないと思っていたのに。
腕の中に抱いた小さな身体が、「ぱぱ」と私を呼んだ。
ならばこの子は私の坊やだ。
可愛い可愛い、大切な私の坊や。
そうか。
きっとそうなのだ。
坊やが動けないのは、栄養が足りていないせいだ。
坊やが喋れないのは、栄養が足りていないせいだ。
坊やにご飯を与えなければ。
お腹いっぱい食べさせてやらなければ。
まずは屋敷に転がるあの汚らしい肉でも良いだろうか。
いつの間にか男の姿はなくなっていた。
けれど、そんなことは私にはもう気にならなかった。
坊やのお腹を満たしてあげることの方が大事だ。
幸い屋敷には坊やの食糧となりうる獣人の肉が二体分ほどある。
問題は肉が傷んでいることで坊やがお腹を壊してしまわないかというところだが……どうやら坊やにとっては些細な問題だったらしい。
坊やは好き嫌いすることなくぺろりと平らげてしまった。
流石は私の坊や。
ロザンヌの躾けが良いからかもしれない。
好き嫌いしない良い子に育っている。
「ぱぱ」
甘えるようにそう呼ぶ声が聞こえたような気がした。
さあ坊や、もっとたくさん美味しいものを食べさせてあげよう。
坊やのために生きよう。
坊やが食べ物に困らないように、私は力を尽くそう。
坊や坊や、私の可愛い坊や。
もう二度とお前を失ったりはしない。
だからお願いだ。
いつかまた、私を抱きしめておくれ。
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マルクト・ギルロイの日記はそこで終わっていた。
ぱたり、と俺は本を閉じて、深々と息を吐く。
これはクる。
イサトさんが熱を出すのも頷ける。
マルクト・ギルロイは人間が「女神の恵み」を手に入れられなくなり始めた頃に、それを原因として家族を失った。
そこに謎の男が現れ……息子の死体に何かした。
それがきっかけで、あの子は無貌のバケモノへと成り果てたのだ。
……マルクト・ギルロイはその現実から目をそらし続けた。
いや、本当にそうだろうか。
ふと気づいて、俺はもう一度日記のページをめくった。
最初から最期まで、マルクト・ギルロイは執念を感じずにはいられないような丁寧さで息子の名前を塗りつぶしている。
そして、ある一時からその名前は出てこなくなった。
それ以降マルクト・ギルロイは、徹底して息子のことを「坊や」と呼び続けている。思えば、薔薇園で対峙した時も、マルクト・ギルロイは愛情深い父親のようではあったものの、決して子供の名前を呼ぼうとはしなかった。
「……わかって、いたのか」
アレが自分の息子ではないと。
マルクト・ギルロイは本当はわかっていたのではないだろうか。
それでも家族を失った悲しみを受け入れられず。
彼は心と現実を歪めてしまった。
それでも彼の心のどこかで、あの無貌のバケモノを息子の名前で呼び続けることに対しての抵抗を最後まで抱き続けていたのではないだろうか。
「……なんだか、なあ」
グラスの中に、少しだけ残った赤ワインへと視線を落とす。
もう最後の一口分ぐらいしか残ってはいないのだが、なんだかすっかり飲む気が失せてしまった。今口に含むと、そんなはずもないのに血の味がしそうである。
俺はベッドサイドのテーブルにグラスと一緒にマルクト・ギルロイの日記を置いて、べふりとベッドに倒れ込んだ。
ごろりと転がって天井を眺める。
マルクト・ギルロイを唆した『黒いローブの男』とは一体何ものなのだろう。
その男が、カラットの村や飛空艇で見たヌメっとした人型を造り出している元凶なのだろうか。
カラットの村を盗賊と一緒に襲ったり、飛空艇を襲ったり、マルクト・ギルロイを使って獣人を追いこんだり、一体何が目的なのだろう。
セントラリアに混乱を招きたい……のか?
「…………」
情報が足りていない。
俺は深々と溜息をついて、目を閉じる。
別段、イサトさんが心配してくれていたようなショックを受けたわけではない。
確かに読んでいて愉快な話ではなかったが、それに引きずられてしまうほど俺の感受性は豊かではない。
むしろ、納得、という感覚の方が近いかもしれない。
何故、マルクト・ギルロイが坊やと一緒に逝くことにしたのか。
何故、あそこまで容赦なく獣人を追い詰めることが出来たのか。
マルクト・ギルロイという男の生き様を、少しは理解することが出来たように思う。だからこそ……あまり後悔はなかった。
彼は、全てを坊やに賭けた。
俺は、それを止めたかった。
そして、止めた。
それだけの話だ。
ただ、それだけ。
ごろん、と寝返りを打つ。
「……早く朝になんねえかな」
なんとなく。
無性に、イサトさんの顏が見たいと思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
Pt,お気に入り登録、感想、いつも励みになっております。
前回は誤字指摘ありがとうございました!
そそっと直させていただきました!
これからもよろしくお願い致します。




