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魔法少女おっさん



 いつもよりはるかにトばしている甲斐もあって、やがて俺たちの向かう先に黒の城(シャトー・ノワール)の影がぼんやりと浮かび上がった。月明かりの下、黒々と浮かび上がる城影はまさにヴァンパイアキャッスルといった風情だ。ゲーム内だと、飛行タイプの騎獣に乗ってもここまで実際に高く飛べるわけではなかったこともあり、こうして上空から黒の城(シャトー・ノワール)を臨む、というのは随分と新鮮だ。そもそも、日本から出たことのない俺にとっては、洋風の城そのものが珍しいということもある。俺が思わずその光景に目を奪われていると、腕の中でぽつりとエリサが口を開いた。


「……なあ、アキラ、イサト」

「ん?」


 城影がぐんぐんと近くなる中、エリサの声には緊張と同時に何故か申し訳なさそうな苦い響きが含まれていた。俺はゆるりと首を傾げて、エリサの様子を窺う。俯き加減のエリサの表情は、背後にいる俺からは隠れてしまっているものの、エリサが何か大事なことを言おうとしていることはわかった。


「どうした、エリサ」


 なるべく優しく聞こえるように、続きを促す。

 

「……オレ、オマエたちが助けてくれるって言った言葉がすげー嬉しくて、ここまで甘えちゃったけどさ」

「うん」


 エリサはぽつぽつと言葉を続ける。


「…………ごめんな、こんなことに巻き込んで」

「おい」


 これは俺たちが望んだことだ。

 エリサに巻き込まれたわけではない。

 俺たちが、首を突っ込んだのだ。

 勘違いしてほしくなくて訂正の声をあげかけた俺を遮るようにして、エリサが言葉を続ける。

 

「わかってる。オマエらはこんな風に謝られたくねーってこと、ちゃんとわかってる。けど、やっぱり、さ。黒の城(シャトー・ノワール)なんて洒落になんねーだろ。いくらオマエらがすげー冒険者でも……怪我、とか」


 ひくり、とエリサの喉が震える。

 本当は、「怪我」ではなく「死」についてを言及したかったのだろう。

 けれど、きっとエリサはこの状況で「死」についてを口にすることが怖くて、避けた。口にすることで、本当になってしまうかもしれないという可能性を、きっとちらりと考えて、少しでも俺たちから死を遠ざけたかったのだ。だから、「死」を飲みこんだ。

 俺はエリサを安心させてやろうと口を開きかけて……、それより早く、それまで超特急でグリフォンを駆ることに専念していたイサトさんがふっと振り返った。


「エリサ」


 そう呼びかける声音は柔らかく。

 けれど、その底には確かな決意があった。


「私たちは、君や、君のご両親、そしてその仲間たちを助け出して見せる。そして――…そのためには犠牲を払うことも、覚悟している」


 エリサを見つめるイサトさんの瞳は静かに澄み渡っている。

 ふと、イサトさんの口元に笑みが浮かんだ。

 それは、とても儚くて。

 まるでその身を犠牲にすることを、すでに決意した聖女のようですらあった。

 

「イサト……?」


 エリサの声に不安が滲む。


「大丈夫だ」


 イサトさんの言葉には、エリサを安心させるためにというよりも、むしろ自分自身に言い聞かせるような響きが秘められていた。

 そして、それから視線をエリサから俺へと移す。

 夜空に輝く月と同じ色をした瞳が、どこか助けを求めるような色を帯びている。

 けれど、イサトさんにはわかっているのだ。

 俺がどうこう出来る問題ではないのだと。

 だから、先ほどまできらきらと輝かせていた金色を諦念に昏く染めて、イサトさんは目を伏せる。伏せられた睫毛の下の双眸は、どこか遠いところを見ているような、それでいて何も映していないかのような――…簡単にぶっちゃけると死んだ魚の眼だった。どんより曇っていて、目を合わせるのが躊躇われる。ふっと口元に浮かんだ笑みも儚さを通り過ぎて虚ろだ。怖い。

 そんなイサトさんは、嫌そうに、本当に心底厭そうに、のろのろと俺へと手を差し出した。


「……アレを」

「…………」


 アレってなんだ、と考えたのは一瞬だった。

 この状況で、死んだ魚の眼をしたイサトさんが俺によこせと要求するようなものなんて一つしかない。

 俺は、インベントリから取り出したソレをそっとイサトさんへと渡す。

 イサトさんは心底厭そうな顏で――…それでもソレをぐっと握りしめる。

 

 ――その間にもグリフォンの力強い羽ばたきが夜の静寂を切り裂き、黒の城(シャトー・ノワール)がぐんぐん近くなる。

 

 イサトさんは覚悟を決めるようにふー……と息を吐いた。

 それから、未だかつて聞いたことがないようなこの世全てを呪うかのごとく鬱々とした声で重々しく口を開く。


「笑ったらぶちころがす」


 とんでもない重圧を感じた。

 いや本当。

 下手なこと言ったらこの場でブチ殺されそうである。

 はあ、ともう一度深い溜息。

 こくこく、と黙ったまま頭を上下に振った俺とエリサに、イサトさんはとりあえず満足したように視線を前に戻した。

 

 すでにグリフォンは黒の城(シャトー・ノワール)MAP内上空に侵入している。黒の城(シャトー・ノワール)MAPは、ダンジョンMAPの第一階層にあたる部分が地上に露出しているという珍しいタイプのMAPだ。通常ダンジョンであれば、深くに潜れば潜るほど遭遇するモンスターが強くなり、ダンジョンボスは最深部で待ち構えているものなのだが……黒の城(シャトー・ノワール)の場合、ダンジョンの本体部分めいた黒の城(シャトー・ノワール)を取り囲む庭園が第一階層に該当している。黒薔薇の咲き誇る生垣で造りこまれた迷路を突破して足を踏み入れる黒の城(シャトー・ノワール)の一階が第二階層、そして上に上がれば上がるほど強力なモンスターが出てくるという仕様である。黒の城(シャトー・ノワール)のダンジョンボスである不死王(ノーライフキング)は城の最上階にある謁見の間にてプレイヤーを待ち構えている。

 が、今回はどうやら城の内部には入らなくても済みそうだ。

 庭の片隅にて、ちらちらと灯りが揺れているのが見える。

 おそらく、それがギルロイ商会に率いられた狩りチームなのだろう。

 庭の一番端っこ、隅を背にすることで背中を守り、群がるモンスターを撃破しようとしているように見える。

 

「秋良」

「おう」

「先に行く。手綱は任せた。場合によっては君らが到着と同時に召喚モンスターを入れ替えるので、心の準備はしておいてくれ」

「お、おお?」


 先に行く、なんて不穏な言葉の意味を俺が理解するよりも先に、イサトさんはひらりとグリフォンの背から飛び降りていった。


「おいこらちょっと!!!!!!」

「ちょっ……!? イサトー!!!!?」


 いくらなんでもアグレッシブにもほどがあるってもんだろう。

 あの人、目スワってた気がしてならない。

 

 …………まあ、その気持ちはわからなくもないが。

 

 それだけ見られたくなかった、ということなんだろう。相当嫌がってたし。


「…………しゃらんら★だしな」


 そう。

 イサトさんが俺から受け取ったのは、飛空艇を撃墜させたあの日以降俺に押し付けられていた「まじ狩る★しゃらんら★ステッキ」である。その選択は間違っていない。黒の城(シャトー・ノワール)はアンデッド系のモンスターが多く存在するMAPだ。闇属性のアンデッド系のモンスターには、聖属性の攻撃が一番効果がある。もちろん、あのヌメっとした人型を相手にした時のように俺が振り回してもダメージは十分与えらられるだろうが、その場合どうしたって攻撃範囲は俺の手が届く距離に絞られてしまう。その点イサトさんの場合、広範囲の攻撃魔法に聖属性のダメージを上乗せすることで、一息に広範囲のモンスターにダメージを与えることが出来るのだ。護衛対象の範囲が大きいことを考えた場合、イサトさんのその選択は大正解だ。ただ、イサトさんがメンタル的に大火傷するだけで。


 イサトさん、あなたの犠牲は忘れない。

 

 っていうか俺が超見たい。


「急ぐぞエリサ!」

「う、うん……!」


 俺はグリフォンの手綱をぐっと強く握りしめると、先に飛び降りたイサトさんの後を追うようにして急降下していく。

 

 そして――…視線の先でドリーミィピンクの閃光が炸裂した。

















 ★☆★

 

 

 

 黒の城(シャトー・ノワール)の裾野に広がる黒薔薇の庭園に足を踏み入れてからのことは、まさしく悪夢のようだった。

 

 一行の連絡役でもある鳥系獣人のデレクは、暗い空を見上げて深い息を吐く。


 獣人に獣にちなんだ特性が備わるというのなら、今こそ空を飛ぶ能力が欲しいとしみじみ思う。もしも空が飛べたならば、逃げることも出来ただろうし、もう少し戦力になることも出来ただろう。鳥系獣人の戦闘能力は人と比べても大差ない。こうして一向に加えられているのも、戦闘能力を期待されてというよりも、単純に連絡役としての役割を果たすためだ。鳥系獣人は、恋人間や夫婦間という限られたパートナー間で、という制約こそつくものの、互いの眷属である鳥を使って連絡を取ることが出来るのだ。例え相手がどこにいたとしても、鳥系獣人が使う鳥は決して迷わない。それが、鳥系獣人の持つ唯一の特殊能力だった。

 その能力を頼りに、最後にセントラリアから連絡が飛んできたのは、日差しが少しずつ赤みを帯び始めた午後過ぎのことだった。その連絡を受け取った直後、ギルロイ商会の人間は、街道からそれた草原で狩りを行っていた獣人たちを一か所に集めて、新たな指示を出した。

 

 今から黒の城(シャトー・ノワール)に行く、と。


 最初は、冗談でも言っているのかと思った。

 強力なモンスターを倒すことで、より良い女神の恵みが手に入れられるというのは、この世界に住む者なら誰でも知っていることだ。だからこそ、獣人の中でも一攫千金を夢見る者がハイリスクハイリターンを狙って自分の実力以上のモンスターを狙うことはままある。それでも、黒の城(シャトー・ノワール)は危険すぎた。人間より身体能力に優れた獣人とはいえ、この狩りメンバーに参加している者が全員モンスターとの戦闘に慣れているか、といったらそうではないのだ。むしろ、デレクのようにもともとは街で普通に生活していた者の方が多い。それでもこれまで狩りが成立していたのは、セントラリア周辺の比較的レベルの低い、格下のモンスターを相手にしていたからだ。


 その辺のことは、当然ギルロイ商会もわかっているのだと、これまでデレクは思っていた。


 ギルロイ商会がデレクらに無理をさせて得をすることはない。怪我でもされて狩りに参加できる獣人が減れば、それはすなわち手に入る女神の恵みの減少に直結するし、それを避けるために回復アイテムを使えばそれはそれで余計な出費となる。だから実際にギルロイ商会はこれまで、獣人の狩りチームに決して無茶をさせ過ぎることはなかった。手に入れられる女神の恵みの種類だけでなく、「いかに安定して狩れるか」も狩場を選ぶ上での重要な要素だったはずなのだ。

 

 それなのに、今回ギルロイ商会の連中は黒の城(シャトー・ノワール)行きを命じてきた。

 

 デレクら獣人たちを、全滅させようとしているとしか思えない。

 だから……デレクはこっそりと鳥を飛ばした。

 何かがおかしい。

 自分たちが知らないところで、何か状況が変わり始めていることを察したから、街に残した妻へと連絡を飛ばした。自分たちが黒の城(シャトー・ノワール)に向かうことになったこととを街に残っている他の獣人たちにも伝えるように、頼んだ。自分たちに何かあったとしても、せめて街に残った女子供だけでも難を逃れて欲しいと思ったから。

 

 返事は期待していなかった。

 

 きっと、時間切れだ。

 デレクの放った鳥がセントラリアにいる妻にメッセージを伝えるのは日暮れギリギリになったことだろう。それからでは、もう鳥は飛ばせられない。


 あれが最期になるのなら。

 多少気恥しくても、愛してるの一言ぐらい書けば良かった。

 

 そんなことを、暗い空を見上げてデレクは思う。

 漆黒に塗りつぶされたような夜空に、金色のお月様がぽっかりと浮かんでデレクらの悪あがきを見下ろしている。

 月のまわりをたなびく雲が煌々と明るくて、真っ暗なはずなのに不思議と明るいような気すらしてくるから不思議だ。


「ああクソ」


 毒付きながらも、手元に伸びてきた蔦をダガーでぶった切る。

 夜が深まるにつれ、闇が濃くなるにつれ、一行を取り囲むモンスターの数は増えていくばかりだ。戦闘慣れしたメンツが前衛を務めなんとか侵入を防いではいるが、その死角をついては音もなく植物の蔦が獲物を絡めとろうと伸ばされて来ている。獣人側のリーダーでもあるクロードの判断で、早めに黒薔薇の庭園を囲む壁の角を背に陣取ったのが良かった。おかげで今のところは前方にだけ注意を向ければ済んでいる。これで四方を囲まれていたら、もっと早く詰んでいただろう。いや、今でも充分「詰み」と言ってもおかしくない状況ではあるのだが。


「お、おいッ、早くなんとかしろ!!」

「手を抜くな……!!」

「うるせェ、なんとか出来たらとっととやってるっつーの!!」


 動揺しきった声で叫ぶギルロイ商会の男に、デレクは口汚く怒鳴りつける。

 夜になればモンスターがより活性化するから危険度が増す、せめて朝まで待ってはどうかと進言したクロードの言葉を無視して、暗くなり始めた黒薔薇の庭園に突っ込むように指示を出したのはこいつらなのだ。出来ることならば、さっさと放り出してモンスターの餌なり囮なりに使ってやりたい気持ちは満々だ。


「あんまりうるせェと俺がぶっ殺すぞ!」

「ひ……ッ」

「貴様私たちにそんな口をきいて……ッ」

「だからうるせえつってんだろうが!」


 こいつらは本当にわかっているのだろうか。

 あくまでデレクらのお目付け役として同行している彼らには、戦闘能力はないに等しい。基本的にはデレクらが狩りを行う様を監督しているだけなのだ。つまり、デレクらがモンスターにやられれば、彼らも同様に死ぬ。どうもこのウスラトンカチどもはその辺のことを理解していないようにデレクには思えて仕方ない。

 

 ……わかってなかったんだろうな。

 

 情けなく震えあがりながら、早くなんとかしろと怒鳴り続ける商人に、デレクはふっと呆れたように目を細めた。戦うのは獣人の仕事で、自分たちはただ獣人どもがサボらないように見張っているだけで良い、とそう思っていたのだろう。だから、戦っていた獣人たちが万が一にでも全滅した場合、自分たちがどうなるかなんて当たり前のことにも考えが及んでいなかったのだ。

 

「デレク! 怪我人を後方に!」

「ッ、了解した!」


 前衛から響いた鋭い声に、デレクはそんな思考を振り切るように声をあげて前に出る。鋭い刃物で斬りつけられでもしたのか、腕を押さえてよろよろと下がってきた仲間に肩を貸してやりながら、後方へと運んでやる。そこにはすでに何人かの先客がいて、それぞれ痛みに耐えるように蹲っていた。傷口に障らないように、そっと運んできた男を座らせてやる。


「大丈夫か?」

「……今んとこはな。でももう戦力にはなれそうにない」

「…………」


 そう言った男の利き腕からは、今も鮮血が滴り落ちている。顔色も悪い。戦力にならないどころか、このまま放っておけば命すら危ないだろう。


「とりあえず止血しよう」


 鼻先を掠める濃厚な血の香りに顔を顰めながら、デレクは自分の着ていた服の裾を豪快に引き裂くと、それを怪我人の腕にきつく巻きつけていく。どこまでも簡単な応急手当でしかないが、それでもしないよりはマシだろう。


「ったく、一体何にやられたらこんな怪我するんだよ」

「『庭師』、だな」

「あー……」


 デレクは顔を顰めつつ納得する。

 『庭師』というのは黒の城(シャトー・ノワール)の城主である不死王(ノーライフキング)が黒薔薇の庭園を美しく保つために創りだしたと言われている存在だ。見た目は青白い肌をした華奢な青年の姿をした人形で、手には巨大な剪定鋏を携えている。普段は薔薇の生垣の手入れをしているらしいのだが、人の気配を感じるとシャキンシャキンと鋏を鳴らして追いかけてくる厄介なモンスターだ。今も耳を澄ませると、シャキンシャキンと鋏を鳴らす音が、暗闇のあちこちから響いている。


「ああクソ」

「本当に、クソ、だな」


 はは、と小さく笑いあう。

 もう笑うことぐらいしか出来なかった。

 笑っていなければ、恐怖から叫びだしてしまいそうだった。

 周囲に立ち込める仲間の血の匂い。

 暗闇から響くシャキンシャキンと鋏を鳴らす音。

 そして――…

 

 はら、り。

 

 デレクの目の前に、ビロードのような手触りの布が落ちてきた。

 大きさは掌ほどだろうか。

 誰かが怪我人の手当てに使えと放ってくれたのか、なんて思いながらデレクはそれを手に取る。しっとりとすべらかなそれは、手に取るとふわりと場違いなほどに甘く上品に香った。まるで貴婦人のハンカチのようだ。夜に香る鮮やかな薔薇の――……


「―――」


 ごくりとデレクは息を呑んだ。

 そんなはずがない。

 そんなはずはない。

 

 薔薇の香り。貴婦人。

 それらのキーワードから思いつくモノがこの黒薔薇の庭園には存在している。

 

 だが、そいつが前衛をすり抜けてこんな場所まで侵入してきているはずがない。

 だからきっとこれはデレクの妄想だ。

 闇に怯えてそんな怖い思いつきを閃いてしまっただけだ。

 頭の中で必死に否定しながら、ぎこちない仕草でデレクは顔をあげる。


「ひ」


 悲鳴は喉の奥で潰れた。

 顏をあげたデレクの眼前数㎝の距離に、能面のように整った女の顏があった。

 綺麗に結い上げられた栗色の髪に、美しく化粧の施された表情のない顏。

 その女は、壁に直角に貼りついたまま無表情にデレクを見つめていた。

 前衛をすり抜けてここまで到達したのではない。

 この女は、壁を伝ってデレクらの背後に回ったのだ。


「う、うわああああああ!!」


 叫ぶ。

 叫びながら、我武者羅に腰から引き抜いたダガーをその顔面に叩きつける。

 刃は通らず、何か硬い陶器でもぶん殴ったような感触がデレクの腕に伝わった。

 したたかに顔面を斬りつけられたというのに、女の表情は変わらない。

 いや。

 表情が変わらないどころか、女は瞬きすらしていなかった。

 その代わりといったように、壁に垂直に立つ女の足元を重力に逆らい慎ましく覆い隠すドレスの裾がふわりと持ち上がる。美しくも巨大な薔薇の花びらを幾重にも重ねたようなドレスの内側に、ぬめぬめと肉色に光る口が裂けるのが見えた。ぎざぎざと波打つ白は柔らかなレースなどではなく、獲物を引き裂くための牙だ。

 

 ――『薔薇姫』。

 

 美しいお姫様めいた姿をしたいるが、その正体は巨大な薔薇のバケモノだ。ドレスに見えている部分が本体で、お姫様めいた人型の上半身は獲物を油断させるためのデコイに過ぎない。

 かぱあ、と大きく開かれた巨大な口がデレクを捕食しようと大きく開かれる。

 生暖かい湿った風が、デレクの頬を撫で――…終りを意識した時、どこか遠くで鋭い猛禽の鳴き声が響くのを聞いた。

 

 妻の愛鳥の声に、少し似ていたような気がした。

 でも、きっと違うだろう。

 あの子は夜目が利かない。

 こんな暗くなってしまっては、飛べない。

 でも最期に聞くのがそれで良かった。

 死を迎える瞬間、想うのが恐怖でも憎悪でもなく、妻のことであって良かった。

 

 刹那の間に、そんなことを思ったデレクの目の前を――薄桃色の雷が、貫いた。




 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★☆★

  

 

「うわあ」


 俺は思わずそんな声をあげてしまっていた。

 魔法少女なのに初手がいきなり物理攻撃というのは如何なものなのか。

 グリフォンの背から飛び降りたイサトさんは、ドリーミィピンクの光に包まれたまま眼下の獲物へと特攻をかけ――…城壁から生えた薔薇姫の細いウェストにはるか上空からドロップキックをぶちかましたのである。そのまま薔薇姫を地面に叩きつける形で、華麗に着地。

 

 それはなんだか、いっそ神々しさすら感じる光景だった。

 

 いつか言っていたように、イサトさんの全身はうっすらとした桃色の光に覆われている。グリフォンの背から飛び降りたところで何らかの魔法を使ったのか、イサトさんはあれだけ嫌がっていた魔法少女仕様だ。しゃらんら★と同じ色合いの、ドリーミィピンクのふあふあドレスは、意外にも思えるほどイサトさんによく似合っていた。ふぅわりと風を孕んだように揺らぐスカートのデザインは、前面から背面に向かって次第に裾が長くなるという不思議なデザインで、見る角度によって雰囲気が変わる。背面が長くたなびく様は、二股に分かれていない燕尾服の裾に似ているかもしれない。たっぷりと布を使っているように見えて、前面は意外と短く、形の良い脚が惜し気もなく晒されている。ナース服や赤ずきんの時にはぴったりとした黒革のブーツに覆われている脚が、今は薄手の白のニーハイソックスに覆われている。透け気味の生地を通して褐色肌がぼんやりと見えるのもたまらなければ、何より特筆すべきなのは太腿のガーターベルトだろう。白のレースと、小ぶりなパールで飾られたガーターベルトの魅力といったらない。アレだ。そっと恭しく脱がしてさしあげたくなる。


「イサトさん」

「何か余計なこと言ったらまじ狩る★直葬」

「…………」


 似合ってる、と褒めようと思ったのに。

 が、命は惜しいので大人しくお口にチャック。

 そんなイサトさんの足元で、びくりとわななくように薔薇姫が蠢いた。

 

 ダメージとインパクトは与えられたとしても、イサトさんの物理攻撃レベルでは薔薇姫を一撃では倒せないだろう。薔薇姫とイサトさんの間にはそれなりのレベル差が存在するが、イサトさんの専門は召喚であり、そしてその次に精霊魔法だ。物理攻撃ではそれほどのダメージは出せまい。

 実際、イサトさんの足元でのたうつ薔薇姫が本体であるドレス部分を擡げてイサトさんへと喰らいつこうとする。それがわかっているはずなのにイサトさんが動こうとしないのは……まあ、俺が動くことを知っているからなのだろう。この横着者め。

 グリフォンの手綱を操り、イサトさんへと襲いかかろうとした薔薇姫の本体部分を鋭い蹴爪で上空からぐしゃりと踏み潰させた。ぶわりっと濃厚な薔薇の香りが周囲へと立ち込め、巨大な花びらをはらはらと散らしながら薔薇姫が消えていく。最後まで残った花びらも、そのうち消えることだろう。

 

「エリサ、行くぞ」

「う……うん」


 俺はぎくしゃくと頷いたエリサの腰に腕を回し、ひょいと抱えるようにしてグリフォンの背から降りた。エリサが微妙に呆然としている……というかドン引いているように見えるのはイサトさんの蛮行――グリフォンからの飛び降りドロップキック――のせいなのか、それとも一撃で薔薇姫を倒して見せたグリフォンのせいなのか。

 ……両方か。

 

「エ、エリサ……?」


 呆然とイサトさんを見つめていた青年が、俺たちの方へとのろのろと視線を這わせ、ようやく我に返ったといったように声を上げた。その声に、エリサもはっとしたようにそちらへと駆け寄る。


「デレクさん! あ、……ギグさん、怪我……っ」


 エリサが泣きそうな顏で俺たちを振り返る。

 どうやらこの後方には怪我人が集められているらしい。 

 周囲からは、薔薇の匂いに混じって濃い血の匂いが漂っている。

 青年の傍らに蹲っている男性の腕は真っ赤に染まり、布地がたっぷりと血を吸って重そうに肌に貼りついていた。


「イサトさん!」

「まかせろ」

 

 俺の声に応じるように、イサトさんがしゃらんら★を優雅に振るう。

 ケェン、と高く鳴いたグリフォンの姿が霞むように溶け、代わりに紅蓮の焔が夜闇を赤々と照らすように燃え盛る。その焔は生き物のように形を変えていき、やがて一羽の巨大な鳥のシルエットを形作る。イサトさんの召喚モンスターの一つで、回復に特化した朱雀だ。

 

「朱雀、エリアヒールを!」


 イサトさんの指示に合わせて、朱雀がグリフォンに比べてもどこか優美な印象を受ける翼をはためかせる。焔の翼から散った燐光が、前線を含む獣人一行を囲むように広がり、円を描いた。何が起こっているのかが掴めていない前線の方でも、戸惑ったようなざわめきが起きている。エリアヒールは、そのサークル内にいる人間をまとめて回復してくれるという便利なスキルだ。その分瞬間的な回復量では通常のヒールに劣るが、怪我人が複数いる状態で、さらに戦闘が続行しているようなシチュエーションでは非常に心強い。


「お、おい、嘘だろ、怪我が……!」

「手が、動く……!」

「痛みが引いていく……!」


 イサトさんの周囲で痛みに耐えるように蹲っていた男たちが、自身の身に起きていることを信じられないといったように声をあげた。もう少しすれば、彼らの傷が完全に癒えるのも時間の問題だろう。痛みから解放された彼らは、まるで女神でも見るかのような眼差しを、朱雀を従えるイサトさんへと向けている。こうなるとうっすらとイサトさんの全身を包む薄桃色の光でさえ、神々しい演出のように見えるのだから不思議だ。


「さて」


 俺はそんな風に呟いて、イサトさんへと手を差し出した。

 別段エスコートが必要なほど足場が悪いというわけではないが、なんとなくそんな気分だったのだ。


「行くか?」


 に、と口角を釣り上げてイサトさんへと問いかける。

 わざわざ色んなものを犠牲にして魔法少女に変身までしたのだ。

 ここで大暴れしなければ、イサトさんの犠牲はまるっと無駄になってしまう。


「当然」


 くそ、と毒づきながらイサトさんが俺の差し出した手の上に、言葉とは裏腹に淑女めいた仕草でそっと手を乗せた。


「エリサ、前線は俺とイサトさんで引き受ける。とりあえずこの辺り一体のモンスターは狩り尽くすので、それまで皆には休んでもらいつつ事情の説明を任せた」

「わ、わかった」


 イサトさんの手を取ったのとは逆の手に、インベントリからずるりと幅広の大剣を引き出す。イサトさんも、自由な方の手にはしっかりとしゃらんら★を構えている。


「ではでは」

「参りましょうか」


 イサトさんの金色の双眸が、獰猛な獣のように爛々と燃えている。

 たぶん、俺も似たような顔をしている。

 これまでにたまった鬱憤、しっかり晴らさせてもらうとしよう。

 ついでに薔薇姫は、上位ポーションの材料をたんまり落としてくれると良い。

 そして前線に突っ込む寸前、俺はさり気なさを装って口を開いた。 


「イサトさん」

「ん?」

「それ、すごくいい」

「…………」


 やっぱり言わずにはいられなかった。

 返事は、わりと本気気味の俺の首を落とす勢いで振り抜かれたしゃらんら★スウィングだった。

 


ここまでお読みいただきありがとうございました。

PT、お気に入り、感想、励みになっております。


おかげ様で、ブクマが10000を超えました!

ありがとうございます。

これからもよろしくお願い致します。

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