おっさんのお怒り
先ほどの騒ぎですっかり人目を引いてしまった俺たちは、エリサとライザおすすめの屋台とやらでサンドイッチを購入した後、少し離れた広場で食事にすることにした。そちらの方が人通りが少ないから、というエリサとライザの言葉に案内は任せる。
その道すがら、エリサとライザは無言だ。
二人とも、悄然と項垂れて地面を見つめてしまっている。
いや、二人とも、というよりも主に原因はエリサだ。
まだ付き合いは短いものの、こんな風に落ち込んでいるエリサというのは珍しい……気がする。エリサは嫌なことがあっても、それを「哀」ではなく「怒」にもっていくタイプに俺には見えていた。なにくそーっと発奮して、その怒りでさえトラブルを乗り越えるための原動力にするタイプだ。昨日俺が泣かしてしまった時だって、わんわんと泣いた後はわりとけろりとしていた。
そのエリサが、沈んでいる。
ぼんやりと視線を伏せ、黙りこくり、思い詰めている。
ライザはおろおろと、姉の様子を心配そうに窺うばかりだ。
「…………」
「…………」
俺とイサトさんもそんなライザと同じくで、二人視線を交わすものの、何と声をかけたらいいのかがわからず結局無言のままになってしまう。
下手に突くとパァンと弾けてしまいそうな不安定さを感じる静けさに、今はとりあえずそっとしておこう、と俺は周囲へと視線を流す。
中央の噴水広場に多くの屋台が集まっていたのと引き換えに、この辺りは人どおりもまばらで静かだ。広さも、噴水広場の半分程度だろうか。
どこか寂しげな広場を見渡して、俺は気になるものを発見した。
広場のほぼ中央に飾られた、小鳥を呼ぶ少女の像。
どこかで見た覚えがあるような気がする。
「秋良青年、どうした?」
「いや、あの像見覚えがあるような気がして」
「そりゃそうだろうな」
「へ?」
「ここ、買います広場だぞ」
「あ」
俺はポンと手を打った。
「ここ、買います広場か」
「うん」
イサトさんの言葉に、俺は納得したような声をあげる。
ゲームの中で見ていた二次元の街並みと、実際に目でみている三次元の街並みとがイコールで結ばれるアハ体験に、俺は物珍しげに周囲へと視線をやる。
言われてみれば、確かにこの広場も俺は知っている。
セントラリアには街のほぼ中央に三つの広場が横に並んでいる。
中央の噴水広場を挟んで、左右対称にある広場のことを、ゲーム内では左を「売ります広場」、右を買います広場と呼んでいた。
別に公式が定めたわけではないのだが、いつ頃からかユーザーの間でそういう風に呼ばれ、特定のものが欲しいユーザーは「買います広場」で欲しいものと買い取り価格を提示して売り手を待ち、アイテムを売りしたいユーザーは「売ります広場」で店を開設して看板を掲げていた。
もともとはごっちゃだったのだが、同じ商品名を書いていても、「売りたい」のか「買いたい」のかがわかりにくくて揉め事になることが多く、その結果広場が三つあるなら分ければいいじゃん、ということになったらしい。
ちなみに中央の噴水広場は、もっぱらPTメンバーを探したり、待ち合わせに使われることが多かった。
「よく気づいたな、イサトさん」
俺は言われるまで気づかなかった。
少女の像に見覚えがあるな、と思った程度だった。
感心した俺に、イサトさんはふっと視線を遠のかせる。
そしてしみじみと呟いた。
「ほら、私右と左をよく間違えるから」
「…………」
悲しい沈黙が落ちた。
「だからまあ、左が『売ります広場』で右が『買います広場』だとわかっていても逆に行って首をかしげることが多かったので、像で今自分がどっちにいるかを判別つけていたんだ。ちなみに『売ります広場』の方には弓を背負った狩人風少年の像があるぞ」
「なるほどな」
流石は方向音痴だ。
「男の人はアレだろ。土地感覚が俯瞰図でイメージ出来るんだろ?」
「まあ、大体イメージ出来るな」
今も、俺は実際に歩きながら脳内にあるゲームの中でのセントラリアの地図と、実際の感覚とを一致させている最中だ。
「女はそれが苦手なんだよな。私も地理感覚が苦手な人代表だ」
「存じ上げております」
「存じられてた。まあだから目で道を覚えがちだ」
「それはそれで凄いと思うけどな。地図を覚えるんじゃなくて、経路を覚える分記憶力が試されそうだ」
一枚絵で地図を覚えて脳内で運用するよりも、経路を目で覚える方が大変そうだとごくごく自然に思える俺はやっぱり男なのだろう。
イサトさんは、俺の言葉に少し困ったように目を伏せる。
「目で覚えるから、ちょっとでも様子が変わるとわからなくなるぞ。看板が変わっても困るし、最悪昼か夜かでも迷いかねない」
「おおう…」
思わぬところで迷子の仕組みを知ってしまった。
そんな少しの変化で道がわからなくなってしまうとは…道理でよく迷子になっているわけである。
そんな会話を交わしつつ、広場の端っこの方に無造作に並べてあった丸テーブルと椅子の方へと皆を誘導した。
ゲーム時代だと、こういった席にもプレイヤーが座って、「買い取ります」の看板を出して賑わっていたものなのだけれども……ここもまたがらんとすっかり人気がなくなってしまっている。
「あそこで座って食べるか」
「そうしよう。ほら、二人もおいで」
イサトさんはエリサとライザを招いて、椅子に座らせる。
そして丸テーブルを4人で囲んで、買ってきたサンドイッチの包みを開いた。
塩漬けされたハムと野菜と、ちょっとよくわからないソースのかかったサンドイッチである。ツンとする香りがほのかに漂っているので、おそらくビネガーの類いだろう。
「んじゃ、いただきます」
「いただきます」
俺とイサトさんは手を合わせて、がぶりとサンドイッチにかぶりついた。
塩漬けされたハムはそれなりに厚く、歯ごたえがある。その肉汁が、しゃきしゃきと新鮮な野菜と合わさってなかなかに美味しい。ソースは予想通りのビネガーで、ツンとした味わいが良いアクセントだ。シンプルなサンドイッチだが、そのシンプルさが素直に嬉しい。惜しむべくは、ここまでの道のりの間に野菜の水分を吸ってパンが少しべしょっとしてしまっていることだろうか。
焼き立て、作り立てだったらきっともっと美味しかったことだろう。
「んん、なかなか美味いな」
「本当本当。オリーブが欲しくなる」
「え、イサトさんオリーブ平気なの?」
「私は平気。もしかして君、駄目か」
「あんまり得意じゃないなー」
「じゃあ君の分のオリーブは私が担当しよう」
「まかせた」
俺とイサトさんはそんな会話をのんびりと交わしながらサンドイッチを頬張る。
その一方で、エリサがのろのろと緩慢な仕草でサンドイッチに手を伸ばした。それを見て、ライザもサンドイッチを手にとる。そして、エリサはサンドイッチを一口食べて……。
ぽたり、と涙が一雫、テーブルに落ちた。
「お姉ちゃん……?」
ライザの気遣わしげな声が響く。
俺とイサトさんは、二人で顔を見合わせる。
エリサが、何か思い詰めているのはわかっていた。
けれど、どう水を向けていいのかがわからなくて、ここまで俺とイサトさんはエリサに声をかけることが出来なかった。
そして今、エリサは泣いている。
静かに、悔しそうに、ひくひくと喉を震わせて。
昨日出会った時のような、耐えて耐えて糸がぷつりと切れてしまったような号泣ではなく、まるで涙が内側からしんしんと湧いては零れるといったような、静かな涙だった。
「エリサ…」
名を呼ぶ。
エリサは顔を上げず、俯いたまま小さく呟いた。
「本当は、もっと、美味しいんだ」
嗚咽に震えた声だ。
ぽた、ぽた、とテーブルの上に水滴が落ちる。
「焼き立ては、パンがほかほかで、ぱりってしてて、野菜がしゃきしゃきで、本当に、美味しいんだ…っ」
「うん」
「だから、オマエらにも、食べさせたかった…っ」
「そうか、ありがとうな」
「なのに、なのに、そんなこともオレ、できなくて…っ」
うぇえええ、と感極まったように嗚咽が大きくなる。
大丈夫だよ、サンドイッチ美味いよ、と言いかけて気づいた。
きっと、エリサはサンドイッチがふやけてしまったことが悲しくて泣いてるわけじゃないのだ。エリサの心の中に溜まっていた辛いことや、苦しいことが、ふやけたサンドイッチが最後の一滴となって溢れ出してしまった。
「もう、やだよ、オレ、がんばってるのに全然、うまくできない…っ、父さんも母さんも帰ってこないし、ライザのこと、まもらないといけないのに、ぜんぜんなにもできないし、ぜんぜん、アキラや、イサトみたいにうまくできない…っ」
じわじわとエリサの目から滲んだ涙が、ぽたぽたとテーブルに染みを落とす。
エリサの震える声には、哀しみや悔しさを通りこして絶望めいた怒りが静かに籠っていた。
理不尽なことで罰金を取り立てようとする悪徳騎士への怒り。
獣人を蔑みながらも利用しようとする狡賢い商人への怒り。
自分たち兄弟を置いて行って留守にしている両親への怒り。
病弱で足手まといな弟への怒り。
エリサがどうしても解決できなかった困難を、いともあっさりと解決して見せた俺やイサトさんへの怒り。
それらは理性では制御できない感情だ。
けれど、エリサは幼子のようにそれをそのまま表に出すことが出来ない。
ずいぶんと早く大人にならざるを得なかった彼女は、それが八つ当たりに過ぎないことを知っている。
わかって、しまっている。
だからエリサは、そんなことに怒りを覚えてしまう自分自身に絶望してしまっているように見えた。
轟々と渦巻く怒り、恨み、辛みを、ひたすらその小さな身体の中に押し留めようとしている。
まだ、子供だろうに。
本当なら、まだ親に甘えて、駄々をこねるのが許される年だろうに。
エリサは大人であることを求められ、本人をそれを望むが故に、己の子供じみた癇癪を扱いかねて、ただただ抑えて、そんな自分へと無力感を膨らませている。
両親から留守を任されたはずなのに、弱い弟を理不尽な騎士や狡賢い商人から守ってやれない自分自身が、姉として不甲斐なくて情けなくて嫌いで腹が立って仕方ないのだ。
「アキラやイサトみたいにうまくできない」という言葉がつきりとささやかな痛みを伴って俺の胸に突き刺さった。
それは俺の抱える無力感にとても良く似てる。
『普通の人が出来るあたり前のことが俺には出来ない』
人に出来ることが自分には出来ない無力感に苦しむ気持ちは、昨日の今日だけあって痛いほどによくわかった。
「なあ、エリサ」
俺は、そっとエリサに声をかけた。
エリサが、怯えたように小さく肩を震わせる。
「手、出してみ」
「手……?」
エリサは迷うように、逡巡しながらもおずおずと俺に向かって手を差し出した。
その手に、俺は自分自身の手を重ねる。
手首を揃えると、エリサの手の先は俺の指の第二関節に届くか届かないかというほどの大きさしかなかった。小さな手だ。子供の手だ。
「俺の手、でかいだろ」
「……うん」
「俺は、男で、大人で、お前より年上だ」
「……うん」
「だから、お前より出来ることが多くたっていいんだよ。むしろ、そうじゃない方が困る」
少し、冗談めかして肩を竦める。
エリサは困惑したように瞳を揺らしながらも、顔をあげて俺と重ねた手を見る。
男と女。
大人と子供。
そんな差異に、手を重ねることで改めて気づかされる。
「でも」
エリサは悔しげにくしゃりと眉を寄せて、重ねた俺の手のひらをカリと爪でひっかいた。比較を拒むように、拳を固める。
「オレは、ライザを守らないといけないんだ」
大人とか子どもとか男とか女とか関係なく。
エリサは弟のために、強くなくてはならないと自分に責任を課している。
「……うん、知ってるよ。偉いよな」
俺は、そのままぎゅっとエリサの手を掌の中に包み込んだ。
「お前は、頑張ってる。お前がライザより年上で、お姉ちゃんだからだろう?」
「そうだ。オレはライザより大きいし、ライザより年上だから、オレがライザを守ってやらないといけないんだ」
それなのに、とエリサが言葉を続けるより先に、俺は口を開いた。
「じゃあ、エリサより年上で、エリサより大きい俺がエリサを守ってやりたいって言うのは駄目か?」
「……っ」
エリサの、暗紅色の瞳がぽかんと丸くなる。
「なん、で」
「守ってやりたい、助けてやりたいって思った」
「なんで、なんで、なんで、だって、関係ない、だろ」
「そうだな、関係ないな」
俺はただの通りすがりだ。
通りすがりに首を突っ込んでいるだけの無関係な他人に過ぎない。
でも。それでも。
「俺はわるものだから、したいことをしたいようにする」
「なんだよ、それ」
「俺とイサトさんのモットーだな」
「…………悪いことなんか、できねー癖に」
ちょっと拗ねたようなエリサの言葉に、思わず小さく笑ってしまった。
悪意故の悪いこと、は確かに出来ないかもしれない。
けれど、俺やイサトさんのいた元の世界には「小さな親切余計なお世話」なんていう名言が存在するのだ。
その余計なお世話を、俺たちがそうしたいからという理由だけで押し付ける俺たちはきっと「わるもの」でいいのだ。
ちらり、とイサトさんを見ると、イサトさんは穏やかな笑みを含んだ眼差しで俺とエリサのことを見守っていた。なんだか無性に恥ずかしくなる。
俺は気恥ずかしさにぽり、と頭をかきつつ、エリサへと問いかけた。
「俺とイサトさんは、お前たちのことを放っておけない。だから、お前が嫌がってもたぶん何とかしようとする。それはまあ、『俺たちがそうしたい』からだ。
でも……」
へにゃ、と俺は眉尻を下げて笑う。
「お前が、助けて、って言ってくれたら……お前が望んだ上で助けられたら一番良いとは思う」
善意を押し付ける気は満々ではあるが。
どうせなら望まれた上で応じたい。
そんな俺の言葉に、エリサは小さく息を呑んだ。
「ぁ……」
小さく、唇が震える。
本当にその言葉を言っていいのか、俺たちを信用しても良いのか迷うように、何度も唇を開きかけては、こくりと喉が鳴る。
泣きごとを言わないようにしていたのであろうエリサにとって、その言葉を口にするのがいかに難しいのかが、見ている俺にも伝わってくる。
エリサは一度視線を下に向け、涙を振り切るように顔をあげた。
つ、っと涙が頬を滑る。
そして。
「助けて、ほしい」
涙を浮かべたエリサの言葉に。
「まかせとけ」
俺は力強く言い切った。
その後、イサトさんが濡らしたハンカチで泣いたエリサの目元をそっと拭って冷やしてやったり。
ライザが、お姉ちゃん昨日から泣いてばかりだね、なんて余計なことを言ってエリサに足を踏まれたり。
そんな賑やかな諸々があってから、俺たちは再び落ち着いてテーブルを囲んでいた。四人で、先ほどよりもさらにべしょっとしたサンドイッチを齧る。ふよふよになったパンが若干気持ち悪いが、まあサンドイッチに罪はない。
そうしてサンドイッチを齧りながら、改めて俺たちはエリサやライザの置かれている状況について話を聞く。
「あー…、ものすごーく素朴な疑問から始めてもいいかな」
「うん。何?」
「昨日からやたら聞くんだが、『ルーター』って何なんだろう」
「実は俺も気になってた」
昨日からやたら街中で聞くし、気になってはいたのだが、あまりにも知ってて当然という空気で使われるせいで、タイミングを逃して意味を聞けずにいたのだ。
一応どうやら、それが獣人や、エルフといった人間以外の種族を差しているようだぞ、というところまでは検討がついているのだが。
俺たちのの疑問に、エリサとライザは二人して顔を見合わせてる。
「イサトも、アキラも、本当に知らないのか?」
「知らないな。私たち、セントラリアにはつい先日着いたばかりだから」
「…そっか。知らないなら、そのまま知らねーままでいられた方が良かったんだけどな」
そう悲しげに呟きつつも、エリサは俺たちにルーターの意味を教えてくれた。
「ルーターっていうのは、略奪者って書くんだ」
「略奪者?」
エリサの口にした物騒な言葉に、思わず眉間に皺が寄る。
「人間以外の種族=略奪者」というのは一体どういうことなのだろうか。
「なんでまたそんな風に呼ばれるようになったんだ?」
「……女神の恵みが、手に入りにくなったのはオマエたちでも知ってるだろ?」
「ああ、それは知ってる」
カラットの村でも聞いた話だ。
この世界では、モンスターを倒してもドロップアイテムが手に入らない。
最初からそうだったのではなく、いつからか手に入らないようになったのだとカラットの村長は言っていた。
「オレたちは、それが今でも手に入れられるんだ」
「「へ?」」
エリサの声に、思わず俺とイサトさんの間の抜けた声がハモる。
「それって、エリサとライザだけが特別ってわけじゃなく……」
「違う。獣人は、今でも女神の恵みを手に入れることが出来るんだ。イサトも、そうなんじゃねーのか? イサトは、黒き伝承の民の先祖帰りだろ?」
「うーん……まあ、私が先祖がえりかどうかはさておき、まあ女神の恵みが手に入れられるかどうか、ってことに関しては否定しない」
実際のところイサトさんは先祖がえり、というか黒き伝承の民そのものである。
どこに出しても恥ずかしくない立派なダークエルフそのものだ。
「女神の恵みを手に入れられなくなってから……最初のうち人は、何か女神を怒らせるようなことをしてしまったんじゃないか、って皆教会で懺悔して、祈ったそうなんです」
「でも、それでも人は女神の恵みを取り返せなかった」
「だから、人は獣人から女神の恵みを高額で買い取るようになりました」
「おかげで獣人は儲かったみてーだな」
エリサとライザが交互に語る。
「確かに…需要と供給のバランスが一気に崩れたんなら、儲かりそうだな」
荒稼ぎしようと思えば、いくらでも出来ただろう。
だが、そのイメージが今目の前にいるエリサやライザに繋がらない。
それなら獣人は特権階級になっていてもおかしくないはずなのに、現状はむしろ逆だ。エリサもライザも、裕福なようには見えない。
「……人は、団結することで、獣人に対抗したんです」
「団結?」
「……談合か」
イサトさんが、ぽつりと呟く。
「人は協定を結び、女神の恵みを定額でしか買い上げないようにすることで、力が獣人に集中することを避けようとしたんじゃないのか?」
「なんでわかったんですか?」
「それぐらいしか、人の対抗手段はなさそうだからな」
いくら獣人しか女神の恵みを手に入れられなくなったからと言って、人々がそのために金を積み続ければ、富が獣人に集中することになってしまう。それを避けるために、人は決まった額でしか女神の恵みを買い上げてはいけない、というルールを作ったらしい。
「そのルールにより、獣人の生活も一旦は落ち着きました」
「……問題はその後だよ。オレらが生まれたぐらいの頃から、だんだん人の間でヘンな話が出回るようになったんだ」
「変な話って?」
「獣人どもだけが女神の恵みを手に入れられるのは、本来人にもあったはずの女神の恵みを略奪してるからだ、……そう、言われ始めたんだ」
「それで……略奪者か」
エリサとライザが、こくりと苦々しい顏で頷いた。
「最初は陰口だった。でも、どんどん差別は広がっていって、獣人どもは人から搾取しているのだからそれを取り返して何が悪いって言われるようになった」
「どんどん、女神の恵みを買い取る価格は下がっていきました。女神の恵みを売るだけでは生活できない獣人が増えて、冒険者を辞めようとするひとも多かったみたいです」
「……でも、人はそれを許さなかった」
「……だろうな」
人にとって、獣人種は女神の恵みを手に入れるための唯一のツテだ。
相手が略奪者であるということを理由に、不当に搾取することを正当化できる美味しい労働力だ。
そんな存在を簡単に手放すわけがない。
「冒険者を辞めた獣人をまっとうな仕事で雇うようなとこはなかった。人に恵みを還元する役目を放棄した裏切り者として、爪弾きにされるんだ」
「……多くの獣人たちが、それを理由にセントラリアを離れました。他のところはまだマシだって聞いてたから」
「でも、オレらは…」
ちらり、とエリサがライザを見る。
ライザは悔しそうに視線を伏せた。
「僕が…、僕の身体が弱かったから。他の街までの移動に耐えられないかもしれないから、父さんも母さんも、エリサも、この街に残ることにしてくれたんです」
「……オレたちだけじゃねえ。この街に残ってる獣人のほとんどが、そうやって街を離れられねえ理由があるんだ。…ギルロイ商会の連中は、そんなオレたちを良いように使ってる」
「……本人は差別対象である獣人種の保護をしてるとか言ってたけどな」
「保護なもんか…!オレらがどこにも行けないのも、他の仕事ができねーのも、全部ギルロイ商会が裏から手を回してんだ…!」
「あー…、なるほどな」
ギルロイ商会は、獣人種を囲い込んでいるわけか。
他で稼ぎを得ることの出来ない獣人たちは、買い叩かれているのがわかっていてもギルロイ商会の下で働き続けることしか出来ない。
「僕の、父さんと母さんも……ギルロイ商会の下で働かされてます。僕のせいで、ギルロイ商会に借金が出来てしまったから」
「……オマエのせいじゃない」
「僕の、薬代のせいでしょ?」
「それはそうだけど…っ!」
「父さんや母さんは、その借金を返すために……ギルロイ商会の言いなりになってるんです」
「具体的には何をさせられてるんだ?」
「……商会の連中に率いられて、狩りをしてる」
「女神の恵みを手に入れるために、か」
二人の話を聞いた上で、ギルロイ商会の男の言い分を思い出す。
『セントラリアにおいては、悲しいことに亜人種の方々を略奪者と呼び、差別するような風潮がはびこっております。差別の憂き目にあい、なかなか仕事にも恵まれないそういった方々を援助する活動を、ギルロイ商会は行っておりまして……こうして、亜人種の方が関わった揉め事のうち、罰金で解決できるようなものであればうちで処理をすることも多いのです』
滅茶苦茶イラッとした。
何が援助だ。
ただの搾取じゃないか。
それに騎士を使って俺たちに絡んだ手口にしても、今思えばそうやって借金を作らせることでエリサやライザの両親を絡め取ろうとしていたようにしか思えない。俺に対しても、イサトさんの身柄を寄越せば借金を肩代わりしてやる、と申し出たのは、ただのスケベ心ではなかったのだろう。イサトさんはダークエルフだ。ギルロイ商会からすれば、女神の恵みを手に入れることのできる金の卵に違いない。
ああ、滅茶苦茶腹が立つ。
「イサトさん、俺ものすげームカついてるんだけど」
「同感だ」
イサトさんの声も、心なしかワントーン低い。
「どうしてくれよう、か」
「なんとかしてギルロイ商会の連中に一泡吹かせたいよな」
「――…」
イサトさんが、少し意外そうにはちりと瞬いた。
長い睫毛が優雅にそよぐ。
「イサトさん?」
「秋良青年、君は…一泡でいいのか」
「え?」
「私は…私怨をこめて容赦なくぶっ潰す気満々だぞ」
「ぶ」
優雅さの欠片もない物騒な言葉が飛び出した。
そういえば。
イサトさんはもともとブラック会社務めだったとかなんとか言っていたっけか。
ギルロイ商会の行いや、エリサやライザの境遇に過去の自分の姿でも重ねているのかもしれない。
そりゃ私怨も籠るというものだ。
「ふふふふふふふ、ぶっ潰す(物理)でもいっそ構わない」
「構ってあげて。そこは構ってあげて」
俺はイサトさんが犯罪者として指名手配されるのは流石に避けたいぞ。
……ギルロイ商会は首を洗ってイサトさんをお出迎えする準備をした方が良い気がしてきた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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