08 敵
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「ふはははは! 十連勝だよ、十連勝!」
やたら元気な少女が、心底楽しそうな声をあげる。上機嫌な様子で満足そうに、ふっふーん、ともう一人の少女を見た。
「……よかったな、楽しそうで」
それに対して、眠たそうな顔をした少女は、あくびをしながら御座なりに返事をする。目を擦っている少女は気だるそうで、勝負の結果など心底どうでも良さそうだ。
元気な少女はその手応えの無さに、少しムッとする。だが、強がりでは無さそうなので、からかうことが出来ない。
「つれないなあ。そこは盛大に悔しがって欲しかったのに」
「遊びで勝てないからといって悔しがるほど、私は子供では無い。お前とは違ってな」
眠たそうな少女はさらっと毒を吐く。それに悪意が籠っていないところが、微妙に厄介だった。
「何よ、悪い? こういうことに本気になってこそ、ティーンエイジャーでしょうが。私はどんなことでも全力でやる主義なの。もちろん、勝つ気でね」
元気な少女は堂々と断定的な口調で、典型的な負けず嫌いの台詞を吐く。そして、負い目などひとつも無いといった様子で胸を張って見せた。まあ胸なんてものはほとんど無いのだが。
その姿を見て、眠たそうな少女はフッと笑って見せる。
「本当かな?」
「ぬ!?」
眠たそうな少女に鼻で笑われ、元気な少女は野太い声をあげた。その声は何よりも雄弁に、心外だと語っている。
眠たそうな少女は挑発的な口調で、元気な少女をからかう。
「いや、何、深い意味は無い。ただ全力を出すのはとても疲れることであるし、人間には口先だけの奴が多いのでな」
「そんなこと無いよ! 私の座右の銘は有言実行だし、例えるならば私はウサギを狩るライオンなんだよ! 全力少女だよ! マックスガールだよ!」
「別にお前がそうだと言っているわけでは無い。そして意味わからん単語を使うな」
「もー、あなたの言葉には一々刺があるの!」
あくまでローテンションで眠たそうな少女に、元気な少女は嘆きの声をあげる。ストレスが溜まっているわけでは無さそうだが、それなりに困ってはいるようだった。
「あー、何か弱味を握ってやりたい! 何か無いの? これが苦手だ、とか」
元気な少女は直球で追及するが、眠たそうな少女は、秘密さ、とニヒルな笑みを浮かべるだけ。いつもの無表情とは違いある意味新鮮だったのだが、別に良い意味というわけでは無く、腹が立つだけだった。
「かっこつけんなー、潔く教えろー」
「飴が好きだ。あれは美味い」
「それは良かっ……じゃなくて、嫌いなものだって」
「苦いものは嫌いだ。特にあの黒いやつは泥の味がする」
「だーかーら! そーいうのじゃなくて!」
元気な少女がでこピンを打ち込みたくなるのを我慢していると、眠たそうな少女に質問をされた。
「……そういうお前はどうなんだ? 何だかいつでも自信に満ち溢れている気がするんだが」
無視してやろうかとも考えたが、それをすると会話が終わってしまう。元気な少女は仕方が無いので、軽く睨みながら答えてやった。
「……一応あるわよ。そっちが教えてくれるなら教えてあげるわ」
「あるのか……意外だな」
どこか楽しそうな顔をしながら、眠たそうな少女は呟く。そして、あると聞いた途端それが気になりだした。
「本当か? どんなものだ?」
「大したものじゃ無いわよ」
「それでも良い。その情報に見あった弱味を教えてやるから、さっさと話せ」
「…………いいわよ」
不敵に笑う眠たそうな少女に、渋々といった様子で元気な少女は了承した。自分の弱味を握られることの躊躇いより、相手の弱味への興味が強かったようだ。
こほん、と一つ咳払いすると、元気な少女は言った。
「私はね、音楽とかを聞いてたりすると、段々止まらなくなっちゃって、その……大きな声で歌い出しちゃうの」
静寂が部屋を支配する。
恥ずかしそうな元気な少女から目を逸らすと、眠たそうな少女はぼそりと呟いた。
「ふむ……つまらん」
「なっ! つまらないって何よ!」
聞き捨てならぬとばかりに目を尖らす元気な少女とは対照的に、眠たそうな少女は淡々と告げる。
「その程度では弱味とは言えん。こちらが出す情報は、私は喧しい奴は好きじゃないってことくらいだな」
「そんなの、薄々わかってたわよ! もっと弱味っぽいのを寄越せぇ!」
元気な少女は悔しそうに叫んだ。
ギャーギャーわめく元気な少女に、眠たそうな少女は一つの提案をする。このままでは静まりそうにないことを悟ったのだ。
「わかったわかった。ならば私が言うことをしてみろ。そうしたら私の弱味というやつを教えてやろう」
「……どんなことよ」
眠たそうな少女の提案に、元気な少女は警戒をする。気安く頷いてとんでもないことを言われては堪らないからだ。
眠たそうな少女は警戒されていることを知りながら、話を進めるために簡潔に告げた。
「歌ってみろ」
「え?」
「今ここで歌ってみろ。暇潰しになる」
意外なほど普通なお題に、元気な少女は目をしばたかせる。そして、その顔はだんだんと笑顔に変わっていった。
自信満々といった様子で、元気な少女は立ち上がった。
「言ったわね、やってやろうじゃないの。私の一番好きな歌を、美しい歌声で聴かせてあげるわ!」
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
射し込んでくる光を直に浴び、眉間に皺を寄せながらまつりは起き上がった。その拍子に肩に掛けていたコートが落ちてしまったが、少しも気にする様子がない。
「何か夢を見ていた気がする……」
ぼそりと声に出してみるが、思い出せない。それは喉に小骨が刺さったように、もどかしかった。
一分ほど頭を捻ってみたが、こういうものは大抵思い出せない。今回もそのようで、仕方なく諦めると、まつりは寝起きで朦朧とする頭を振り、現状確認に努める。
(あー、眠たい。……昨日はたしか遭遇はしなくて……あれ? お腹が空いてない? あっ、カレーを食べたんだっけ。……あれは美味かったな、焦げかけてたくせに)
昨日の出来事をあらかた思い出したまつり。予期せぬイベントにより食べられたカレーのことを思うと、口から涎が出そうになった。
垂れそうになった涎を拭おうと手を顔に当てると、目元が濡れていた。それにより、まつりはまた自分が泣いていることに気づく。
(またか……こんなにドバドバ流れて、塩分とか水分とかは大丈夫なのか?)
誰にも見られていないのはわかりきったことなので、まつりは慌てず淡々と涙を拭く。そして、ぼやけていた視界がクリアになると、改めて周囲を見回した。
(汚いなぁ。何で取り壊されてないんだろう)
そこはずいぶん前に住民のいなくなった民家で、はっきり言って汚い。蜘蛛の巣はあちこちに張っているし、床は埃だらけだ。家具はほとんどないが、割れた酒瓶や皿はたくさんあり、素足では到底歩けそうにない。
それでも、まつりがそこを選んだのには、いくつか理由があった。
第一に入りやすかったこと。この家は以前にも似たような目的で使われたことがあるようで、鍵が壊されていたのだ。
第二に外から中の様子が見えないこと。窓には全て分厚いカーテンが付いていて、家に入ってみないと中に何があるかわからない。隠れるにはうってつけだ。
第三にガラスが全て嵌まっていたこと。こういう場所は大抵ガラスが割られていて、すきま風が吹く。寒いのである。
(まぁ、臭くないからいいか)
まつりは先程まで横になっていたかび臭いベットから、ガラスを踏まないように慎重に降りた。そしてコートを羽織直すと、玄関に向けて歩き始める。
まつりが今していることは、ゴールのない持久走のようなものなのだ。正直なところ、体力よりも精神の方が辛い。それでも元気を出すために、まつりは明るい声を出す、その瞬間――
「さて、今日は何をしようかな――」
「私と遊ばないか?」
ゾクッ、と背筋を悪寒が走った。
まつりは誰もいないはずの家の中から声がしたことに、驚き思わず動きが止まる。そしてその声と内容が頭に入ったとき、咄嗟に声のした方と逆の方向に跳んだ。
瞬間、まつりがコンマ一秒前までいたところに、ナイフが音をたてて突き刺さった。
着地と同時にまつりは振り向き、身構える。
声のした廊下の方を、今いるリビングから凝視するまつり。その動きには何か起こったらすぐに対処する、という気持ちが籠められていた。
数秒間じっとしていたが、相手からの反応はない。しかし、何かがいるという気配だけは感じとれる。このままでは埒が明かないと思ったまつりは、相手の様子を探るために話しかけた。
「まだ諦めてなかったのか。しつこい奴は嫌われるしモテないぞ、ハゲ」
「こんな生きの良い獲物を諦めるわけないだろう? それに私は皆に好かれている」
返事が帰ってきたことによって、茉莉は相手の大体の位置を特定する。さらに相手の急な動きにも対応できるように、話を続ける。
それには、時間稼ぎの意味もあった。
「ふん、お前みたいな奴のことをナルシストって言うんだよ。そしてそういう奴は陰でバカにされるのさ。弱いものいじめしかできない、臆病者め」
「私の陰口を叩くような奴は、いない。それに弱い奴が死ぬのは自然の摂理だ」
「自然の摂理、ね。阿呆のくせに難しい言葉を使うな。意味を理解しているのか?」
「弱い奴は死ね。それが世界の掟、ということだッ!」
「……っ!」
まつりの方針が決まる前に、叫びと共に今度はフォークが三本飛んでくる。狙いはまつりの手足。右足のすね、左足の膝、右肩の三ヶ所だ。
まつりは左足を引き半身になり、しゃがみこむことによって、二本のフォークを避ける。そして右のすね目掛けて飛んできていたフォークを、空中で掴│ん《、》│だ《、》。
鮮やかに飛来する凶器をさばいて、安堵するのも束の間。空中から真っ黒な人影が襲いかかってくる。
「殺しはしない」
「殺せない、の間違いだろ」
脅しのような台詞をはく人影。腕を伸ばし掴みかかってくるのを目で捉えたまつりは、掴んだフォークを投げつける。
そのまま重力に従って落ちていれば当たっていたそれは、人影が空中で慣性の法則を無視して、かくんと真横にずれたため外れる。
しかし、フォークは当たらなかったが、人影が回避行動をとったことによるタイムラグを利用し、まつりはまた距離をとった。
(不味いな……やはり人が多いところまで逃げるしかないか)
人影に注意を向けながらも、素早く周囲に目を走らせるまつり。だがそう上手くはいかないようで、窓を叩き割って逃げるしかなさそうだ。
「威勢の良いことを言った割りには、逃げるだけで精一杯に見えるのだが」
相手がどこか嘲るような口調で、話しかけてくる。相手はこれを楽しんでいるようだ。
「いやあ、何せ私はか弱い女の子なのだからな。戦いなんぞ向いてないんだよ」
「ふははははは。どの口が言うのだ。それだけ美味そうな『匂い』をさせておいて、か弱いなどとのたまうか。まるで狂い姫のような『匂い』ではないか」
まつりはなんとか隙を作れないかと考えるが、全く思い付かない。それでも、時間を稼ぐために口を動かすことは止めない。
「……お前らはネーミングセンスが無さすぎるんだ。そういうところに教養の無さが滲み出るんだよ」
「素晴らしい称号ではないか。威厳に溢れ、率直に性質を表している」
「はぁ。最近流行っている病気だね。自覚がないってところが既に手遅れだ」
まつりはやれやれ、という仕草をして見せる。その動作に隙があると思ったのか、再度人影が突進してくる。
まつりは素早くテーブルの上の皿を手に取ると、相手の顔目掛けて円盤投げの要領で投げつける。中々に重量のある皿なので、直撃したらかなり痛いと思われた。
しかし、今度は人影は避けようともしなかった。直進して額に皿の直撃を受けるが、全く堪えた様子もなく、そのままの勢いで突進してきた。
「くぅっ!」
予想外の行動に、まつりは回避が遅れる。が、頭から突っ込んできた人影を、紙一重でかわすことはできた。
まつりにギリギリでかわされ、相手はそのまま壁へと頭を突っ込む。
ドゴッ。
鈍い音をたてて崩れ落ちたのは人影ではなく、壁の方だった。
「おいおいこの石頭。そんなものが当たったら死ぬだろうが」
直撃していたら内臓破裂ではすまない威力だ。軽口を叩きながらも、まつりは冷や汗がどっと吹き出る。
「私ではお前は殺せないんだろう? ならばこれくらいは問題あるまい」
「そういう意味ではない。この脳筋が」
「ノーキン? 何だそれは」
「頭の味噌まで筋肉製だってことだよっ!」
これまでの攻防の中で、初めて茉莉が仕掛けた。酒瓶をひたすら投げつける。
頭に当たる、効果なし。喉に当たる、効果なし。鳩尾に当たる、効果なし。すねに当たる、効果なし。どこに当てても人影の表情は変わらない。
必死になって無意味な攻撃を繰り返すまつりに、人影は哀れみの視線を向けてきた。
「お前の方が馬鹿なんじゃないのか? お前は私に会ってから逃げることしか考えていない。単純すぎる」
「勝てないから逃げるのは、賢明って言うのだ、ぞっ!」
「勝機がないのに逃げ続けるのは愚かだ」
酒瓶の嵐をものともせず、人影はまつりに近付いていく。ゆっくりと慎重に来られては、まつりには対処の仕様がない。
手近な場所にあった酒瓶を投げつくし、まつりが新たなものに手を伸ばしたとき、風のように近づいてきた人影に捕まってしまった。万力のような力で手首を締め付けられ、まつりの顔が苦痛で歪む。
「さて、いい加減降参しないか? 今なら苦痛を感じずに済むぞ」
「っ……馬鹿らしい。お前は私を殺せない。そんな相手に降参してどうするんだ」
端から見てはっきりとわかるほど、苦し紛れの言葉。人影はまつりの抵抗の弱さに幻滅する。そして、心底哀れむようにまつりに語りかけた。
「はぁ、本当に残念だ。こんなにも脆いなんてな。どうやったらこんなに弱くなるんだ? 人間を殺しでもしたのか?」
自問自答をしながら考え込む人影。その何気ない一言が、何とか拘束を逃れようとしているまつりの動きを止める。
その様子を見た人影は、弱点を見つけたとばかりに、目を輝かせた。
「……本当に? 人間を、殺したのか? 能動的に自分の意思でか?」
「……うるさい」
「ああ、触れられたくないのか。当然か。致命的な失敗だからな。しかし、ならば何故……?」
「しゃべるな」
「まあ、嫌になるよな。あんなに強かったのに、そんなくだらないことなんかで――」
馬鹿にされた。
そうわかった瞬間、ぶつん、と音をたててまつりの何かが切れた。
「黙れえぇぇぇ!」
まつりは捕まれている左手を引き、敵を引き寄せる。予想外の力に相手の体が宙に浮く。
驚きのあまりまともに避けることもできなかった相手は、なす術なくまつりの右手で顎を打ち抜かれた。
硬いものを打ち付け合う鈍い音がして、反対側の壁に向かって吹っ飛ぶ人影。人間の大きさをしたものを、殴って水平に飛ばすなど人にできる芸当ではない。
彼はひとつ大きな勘違いをしていた。彼が見つけたのは弱点ではなく、逆鱗。弱点を攻めたのではなくて、逆鱗をいじってしまったのだ。
「死ね」
氷の彫像のような無表情で、まつりは人影を見つめる。彼女は崩れ落ちる人影にそれだけを告げると、壁に大きく空いた穴から去っていった。
薄暗い室内に人影が一つ残される。
人影は倒れ込んだまま動かない。
数分後、突如として飛び起きるように立ち上がった人影は、心底愉快そうに笑った。
(……まだあんなチカラが使えたとはな。やはり狩り甲斐のある獲物だ。だからこそ、必ず狩って見せる)
人影は一人次の段取りを練り始めた。