05 起床
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少女が二人、人混みを縫って歩いている。
飴を舐めている少女と鞄を背負った少女は空っぽのラムネをそれぞれ一本ずつ持ち、手を繋いでいた。普通は手を繋いだ状態で人混みを歩いて行くのは難しいが、飴を舐めている少女が引っ張られて縦一列になっているので、そこまで歩きづらそうではない。
「そんなに気になるのか? あんなもの、ただの爆弾だろうに」
「もう、ロマンの無いことを言わないの。どうせ見るなら、なるべくきれいな状態が良いでしょう?」
飴を舐めている少女の不満にも一切自分のペースを崩すことなく、鞄を背負った少女は歩いて行く。そういう自分勝手なところが飴を舐めている少女は嫌いではなかった。
唐突に鞄を背負った少女が道を逸れる。
飴を舐めている少女は腕を急に左に引っ張られ、思わず転びそうになる。人混みの中を進むことをやめ、山道を行くことにしたのだ。まあ、道と言うよりも、崖といった方が正しいのかもしれない。
藪に軽く引っ掛かりながら飴を舐めている少女は、ぶつくさと文句を言う。
「もう少し人間が通りそうな場所にしてくれよ。歩き難くって仕方が無い」
「あら? あなたにそんな注文を出されるとは思わなかったな」
鞄を背負った少女はそう言ってクスクスと笑うと、もう一言付け加えた。
「私だって辛いんだよー。なんたって走ること自体、ウンヵ月ぶりなんだから。現代っ子舐めちゃダメだよ」
鞄を背負った少女はまたクスクスと笑う。
飴を舐めている少女は苦笑するしかなかった。
かなり急な坂なので、少ししか走らなくても、息はすぐに上がり始める。当然、均されているわけもないので、ものすごく走りにくい。結果、体力はすぐに無くなっていった。
しかし、そんな状況でも全く速度を落とさず、鞄を背負った少女は走り続ける。飴を舐めている少女はまだまだ余裕があったが、鞄を背負った少女の様子が少し不安だった。
「おーい。大丈夫か? 歩いてもいいんだぞ」
「大、丈夫っ。もう、少し、だか、ら!」
全く大丈夫そうには見えないが、死にそうな訳でもないので、飴を舐めている少女もそのまま走り続ける。
少しの間無言で走り続けると、大分高い位置まで登ってきたことを、飴を舐めている少女は空気で感じ取った。
「もうちょっとだな。頑張れ」
「余裕、そう、な、のが、ムカ、つく! せりゃっ!」
息も絶え絶えになりながら、掛け声と共に藪を抜ける。ガサガサと掻き分けたときに少し傷ができたが、気にせず鞄を背負った少女は飴を舐めている少女に振り返った。
「ほらね! 間に合ったでしょ?」
視界が開けるとそこはせりだした崖の縁で、祭の様子が一望できた。眼下にある湖がイルミネーションの光を水面に映し出している。
飴を舐めている少女が思わず目を奪われると、横で鞄を背負った少女がニヤリと笑った。
「悪くないでしょ」
何となく、素直に返すのが悔しくて、飴を舐めている少女は返事をしなかった。飴を舐めている少女はそのまま崖ギリギリにドサッと座り込むと、顔を上げて夜空を眺める。
(ああ……これは……)
「綺麗だね……とても、とても」
いつの間にか横には鞄を背負った少女が座っていて、同じように夜空を眺めている。
飴を舐めている少女がはっきりと言うことができなくて、心の中で呟いた、ああ綺麗だ、という言葉と共に――
夜空に大きな花が咲いた。
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「兄ちゃん! 起きてよ、お昼になるよー!」
夢うつつの状態の恭平の頭に蒼の声が鳴り響く。
「あと少し寝かせて……五分、だけでいいから」
「もう十時過ぎだよ? いい加減起きなきゃ駄目。ぐーたら寝てたら頭に黴が生えちゃうよ?」
「……それは困る」
しぶしぶといった様子で上体を起こす恭平は、とても眠たそうだ。あくびをしながら、寝癖だらけの頭を手で撫で付けている。
そんな兄が起きる様子を見て、満足した蒼は、兄を見ながらニコニコしている。
「ねぇ、兄ちゃん。今日が何の日かわかる?」
「えっと……七夕?」
「そんなわけないでしょ」
蒼は兄のすっとぼけた答えにすかさず突っ込む。どうでもいい事は覚えない恭平にとって、どうやら七夕はさほど重要な行事ではないようだ。
予想が外れた恭平は真剣に悩む。
「んー……ごめん、わからないや。
何の日だったっけ?」
本気でわからない様子の兄に、少し膨れっ面をして蒼は答えた。
「僕の誕生日なんだけど」
「……マジでか」
大事な弟の誕生日を忘れていた事に、茫然とする恭平。慌ててカレンダーを見ると、確かに今日の日付に星印をつけている。
「これは……その、なんというか……決してどうでもよかったとかではないよ! ただちょっとド忘れしていただけというか!」
自分でも自分の性癖をわかっているが故に、恭平は軽くパニック状態に陥る。
必死に兄が言い訳をするのを見て、蒼は苦笑する。蒼はどうせそんなことだろうと予想してたからだ。
多少は腹がたちもするが、それも兄のあまりの正直さと慌てっぷりを見て、簡単に許せてしまった。
蒼は、まだアワアワ言っている兄の腹にパンチをいれると、にっこりと笑った。
「特別に、これで許してあげる。来年からは忘れないように」
「了解です、蒼大尉どの」
いつも通り心の広い弟に、感激する恭平。しかし弟は平気と言っていても平気じゃないことがよくあるので、何か弟を喜ばせたいと強く思った。
恭平が最初に思い付いたのは食べ物。弟は自分の料理をいつも美味しそうに食べてくれる。朝御飯の時間は過ぎてしまっているので、昼御飯と晩御飯は気合いを入れようと考えた。
しかし他にはと考えてみると何も思い付かない。 仕方無いので、直接訊いてみることにした。
「ねぁ、何か欲しい物ってない?」
兄の突然の質問に蒼は驚く。そして、それが自分を気遣っての事だと理解すると、顔を綻ばせた。
「んー。あるけど何だと思う?」
意地悪そうに問う蒼。
これは難問だ、と恭平は悩んだ。しかし思い付かない。結果、今自分の欲しい物を挙げてみることにした。
「図書館とか」
「壮大だね……」
あまりの発想に、呆れ気味の蒼を見て、恭平は予想を外したことを悟る。しかし、恭平は諦める気など更々無い。下手な鉄砲数打ちゃ当たるとばかりに、次々と挙げてみた。
「鰐」
「それは食用……なわけないよね。兄ちゃんだもの」
「八面ダイス」
「それは一体何に使うつもりなの?」
「ロケットエンジン」
「何故エンジンだけなのかが不明なんだけど」
「超能力」
「うん、欲しいけど無理だよね」
全て蒼に一言で片付けられ、当たりは出なかった。
欲しい物を挙げ尽くしてしまった恭平は、降参の意味を込めて両手を上げると、ベッドにボフッと倒れ込む。白旗代わりに枕カバーを振る兄を見て、ついに蒼は笑い出してしまった。
「ぷっ……あはははは! 兄ちゃんって可笑しいよ! ふふっ、そんな物欲しがっていたなんて、全然気付かなかったよ!」
いきなり大爆笑された上に、自分の欲しい物を挙げてた事を当てられ、ややふて腐れた表情をする恭平。
その様子が可笑しかったのか、蒼はさらに笑う。
「ばれてないと思ってたんだ? 残念ながら兄ちゃんの思考パターンは大体わかるんだよねー、単純だから。あー、可笑しい!」
弟の言葉が胸に刺さり、ノックアウトされた恭平。そんな兄を眺めながら、敬和は暫くの間笑い続けた。
ひとしきり笑うと満足したのか、蒼は屍となっている兄に呼び掛ける。
「兄ちゃん、生き返って。お願いがあるんだ」
お願いと聞いて、一秒で復活する恭平。彼は胸をどーんと叩くと、年長者らしく胸を張った。
「任せなさい。世界征服までなら叶えてあげよう。ゴキブリ退治はエヌジーだけどね」
「壮大な事を言っている割りにはカッコ悪さを微妙に隠せてないよ……ってそうじゃなくて!」
蒼は危うく兄のペースに乗せられるところだった事に、軽く戦慄する。そして話を進めるために強引に話を切った。
「僕は何かを買ってくれるとかより、久し振りにアレ《・・》が観たいんだ」
弟の言葉に首を傾げる恭平。何故弟がそんなものを求めるのか、とても不思議そうな顔をしている。
「あんなので良いのか?」
「あんなの、って滅多にやってくれないくせに」
簡単に言われて少し機嫌が悪くなる蒼。兄は何でも無い事のように言うが、敬和自身はとても気に入っている事なのだ。軽く扱われると多少腹が立つのは仕方が無い。
何を言っても意見を変えそうにない弟を見て、恭平は決めた。
「よし、いいよ。やってやる」
してくれると聞いた途端、蒼の顔がパアッと輝く。それを見て恭平もとても幸せな気分になった。
(あんな事で蒼が喜んでくれるなら、練習した甲斐もあったかな)
恭平が時計を見ると十一時を回っている。すると朝御飯を食べてないことを思い出した。
蒼は要らないと言ったが、やはり形のある物も渡したい。そう考えた恭平は、昼食の材料を買うためにも買い物に行く事を提案した。
「蒼。昼御飯の材料を買うために、一緒に買い物に行こう」
「いいよ! 行く行く、一緒に行こう!」
一緒にという言葉に反応し、喜ぶ蒼。その無邪気な様子を見て、やはり普段は寂しいのか、と密かに反省する。
恭平は今日一日、弟を目一杯可愛がる事を心に決めた。
「兄ちゃん、早く行こうよ!」
「わかったわかった。もう少し待ってて」
急いでパジャマを着替えた恭平は、コートを着て財布を手に取ると、弟の待っている玄関に向かった。
「お待たせー」
「ねえ、買うのは食材だけ?」
「いや、何か欲しい物があったら買ってあげるよ? そのくらいのお金はある……はず」
「嬉しいけど何か不安だなー」
不安と言いながらも嬉しそうな敬和。二人は楽しそうに、下らないことを喋り始める。
「そういえば今日はなんで休みなの?」
「振替休日だよー。昨日言ったじゃん」
「そうだっけ。最近物忘れが激しくって」
「お爺さんみたいだね」
「全くだよ」
蒼がふふふと笑い、恭平がため息を吐く。
兄弟は二人仲良く、買い物に出掛けた。