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変人と悪魔  作者: 仁崎 真昼
赤:変人と悪魔
14/20

14 Lady?

「……よくもやってくれたな」

「いえいえ、このくらいお安い御用ですよ」

 フー、フー、と荒い息を吐きながら、悪魔は視線で殺そうとでもするように恭平を睨みつけた。

 窓枠に手を掛け教室に入ってきた悪魔は平気な振りを装っているが、顔を殴られたことに対するダメージは大きいようで、鼻からは地のような体液を垂れ流している。しかし、恭平が期待していたような落下に対するダメージはほとんど無いようだ。おそらく地上に落下しきる前にその大きな翼で飛んだのだろう。

 気の弱い人ならば小便でも漏らしそうなその圧力を前にしても、恭平は気圧される様子は見せない。にへらと笑みを浮かべて悪魔を罵倒する。

「それにしても君って本当にどうしようもないやつだよね。こんなかわいい女の子を付け回しては、嫌がらせをするだけなんて……この変態」

 お前なんて怖くない、とでも言わんばかりの恭平の態度に、悪魔は強い怒りを感じた。

 自分は舐められている。怖れられていない。人間に侮られている。悪魔は恭平の態度にそう感じ、またそれを放っておくことは悪魔のプライドが許さなかった。

「かわいい女の子? 何を言っているんだ? そいつは人間ではないし、私にとってはただの獲物だ。それにそいつを生かしておいてやっているのは、私が偶々そういう気分だからだ。お前がそう望むのならば今すぐ殺してやろうか?」

 いくらこの人間が異常(・・)であっても、相手は自分のことは何も知らない。ならばこの脅しは有効だろう。恭平はちょっと異常なただの人間だと、悪魔はそう侮った。

「だから……できないんでしょ」

「……!」

 相手を挑発するのではなく確信を持ってそう言い放った恭平に、悪魔は驚きのあまり言葉に詰まる。

「……何を言い出すのかと思えば――」

「もう、そういうのは要らない。確証が欲しいわけでもないし」

 悪魔に苦し紛れの言葉を無視して、恭平はつまらなそうに呟いた。お前のことなど取るに足らないとでも言わんばかりに。

 ここにきてやっと悪魔は気付いた。恭平のことを侮っていたことを。

 恭平はただの人間ではない。未知の敵と相対したときの闘志も、死が目の前に迫っているときの胆力も、相手の言葉の意味を深く観察する冷静さも、普通の人間は持っていないということに今気付いたのだ。

 悪魔の心の隅にちろりと恐怖が産まれる。それは悪魔と目を合わせた恭平がにたりと笑ったときに、それははっきりと顔を出した。

「ねぇ……」

「……何だ?」

 微かに硬くなっている声を聞き、恭平は小さく笑いながらひとつの提案をした。

「勝負をしない?」

 予想外の言葉に悪魔は絶句するが、それも一瞬のこと。すぐさま気持ちを立て直し、恭平を睨み付けた。

「……何をふざけたことを言っている? そんなことをして私に何の得がある?」

 隠そうとはしているが明らかに動揺している悪魔を見て、恭平は更に笑みを深めた。そして、つらつらと理由を語り始めた。

「君は魂が欲しいんだよね。けれど、君がまつりちゃんにわざわざ誓わせていたところを見ると、君は魂を無理矢理奪い去ることができないんだろうね。……その上、まつりちゃんと君の会話を聞いている限り、君たちは人間を殺すことができないんじゃないのかな? 殺してやろうか? 死にたいのか? 疑問形ばかりで全く殺意を感じれない。僕が殺されると、まつりちゃんの得になる。つまりは人間を殺すことで君に何らかの(ペナルティ)があるってことだろう」

「……そうとは限らないだろう」

「いや、間違っていないと思うんだけどね。君はこれまで接して来た限りかなり短気な性格だ。それがわかった上で僕は挑発続けてきたのに、君は実際に僕を殺していない。頭の軽い少年のように、殺す殺す、と繰り返すだけでね。君の様子を見ていると殺さないんじゃなくて、殺す気が無いように見える」

 悪魔は何も答えない。

「そもそも魂が欲しいならさっさと殺して食ってしまえばいい。それこそ、昔話の悪魔のようにね。それをしないのには、人の魂を奪い取ることに対してルールがあるのかもしれない。けど、死んでしまえば魂を奪うもなにもないし、それは邪魔な僕を殺さない理由にはならない。何より君はまつりちゃんの家族で脅したとき、殺すではなく、苦しめるといった。君は言っていることが無茶苦茶なんだよ」

 悪魔はむっつりと黙り込み恭平を睨みつけている。しかし、睨みつけているだけで言葉を発することはしなかった。

「君は僕を殺せない。そして、僕は死なない限り君の邪魔をし続ける。僕はどんな苦痛にも負けるない。例え腕をもがれても、目をえぐられてもまつりちゃんを殺させない。僕が生きている限りずーっとだ」

「……何が言いたい」

 ぽつりと低い声で悪魔は恭平の真意を問う。その声は相手を脅そうとしているのではなく、自分の心を必死に押し隠そうとしているようだった。

 その問いに対して、まるで待ち望んでいたかのように恭平は高らかに告げる。

「だからゲームをしようと言っているんだよ。正直僕は痛いのは嫌いだ。それに、ずっと気味と顔を突き合わせていないといけないというのは辛すぎる。君だって人を延々といたぶるだけって言うのは退屈だろう? なら、ゲームで勝敗を決めて、勝った方が負けた方に従うっていうのはスパッと決めれて良いじゃないか。それとも君は怖いかい? 人間ごとき(・・・・・)に負けるのが」

 恭平の自信満々な提案に、悪魔は顔には出さなかったが逡巡する。恭平の笑顔はあまりに嘘くさく、話を素直に信じることは危険な気がしたからである。

 しかし、このままでは場が膠着したままだということは、恭平の決意に固まった目を見ればはっきりとわかった。

「種目を言ってみろ。それがわからなければ何とも言えん」

 悪魔の言葉は恭平の推測を認めたことに他ならないが、そこを追求していては話が進まないので、恭平は簡潔に種目を示した。

「鬼ごっこって言うのはどうだい?」

「鬼ごっこだと?」

「ああ、ほんとは運試しとかが良かったんだけどねー。さすがにそれじゃ君が納得しないでしょ? だから鬼ごっこ。どう?」

 悪魔は少しの間恭平を見つめると先を促した。

「ルールは?」

「君が鬼、僕が子。期限は夜明けまで。大体四時間くらいかな? してはいけないことは特に無し。逃げ切れたら僕の勝ち、捕まえれたら君の勝ち」

 恭平の告げたルールはこの上なくシンプルだった。しかし、恭平のルールでは確認しておかないといけなかったこと幾つかがあった。

「捕まえる、というのは具体的にどうしたら良い? 触れただけでいいのか?」

「んー……僕に捕まったって言わせたら良いっていうのは?」

「それじゃ今の状況と変わらないだろう。駄目だ」

「んじゃ、君が僕の体を掴んで、捕まえた、って言ったら良いっていうのは? これくらいならそこまで難しいことじゃないんじゃないかな」

 フム、と悪魔は軽く考え込む。その様子から見ると、得に異論は無いようだ。

 少しずつルールを固めて行く恭平に、悪魔はさらに細かく確認をする。

「夜明けというのは? 場所によって時間は微妙にずれるだろうし、誰が確認したら良いのだ?」

「どっちか一方が日光を浴びる。これなら公平だろう?」

「成る程。してはいけないことは特に無いんだな?」

「ああ、僕と君の間ではね」

 悪魔の質問に対して恭平は淡々と答えてゆく。その様子はまるで思いつきで言っているかのようで、悪魔はそこが少し不可解だった。

 そもそも身体能力で考えればこのゲームでは圧倒的に悪魔が有利だ。無策の状態で挑めば恭平に勝ち目は無い。そんなことは恭平にだってわかりきったことであるにも拘らず、恭平がまるで何も考えていないかのように振舞っていることが腑に落ちなかった。

 しかし、ここで悪魔は思考を切り替える。自分にとってこれは大きなチャンスなのだと。

 自分が有利ならば困ることは無い。相手が何か企んでいるならばそれを潰せば良いのだし、何も企んでいないならば好都合。

(それに――)

「ただし! この勝負の間君がまつりちゃんに何かするのは無しだ。僕が心置きなく逃げることができなくなるからね」

「……いいだろう。そんなことせずともお前を捕らえることなど造作も無いことだからな」

 恭平の刺した釘に悪魔は内心舌打ちをしたが、それをおくびにも出さず頷いて見せた。

「は! それはやる気があるってとっても良いんだよね? じゃ、始めよう」

 場の状況を理解できて無いかのように愉快そうな恭平に、悪魔は思わず苦笑する。

「お前は私が約束を破るとは思わないのか?」

「思わないよ。だって君、嘘吐かないでしょ」

 全く疑う様子の無い恭平に悪魔は思わず目を丸くする。そして、その瞳が全くそのことを疑っていないことに気付いたとき、悪魔は思わず笑い出してしまった。

「ははははは! そうだ、その通りだ! 私たちは嘘を吐くことはしない。『誓い』を破ることもな」

 不気味な声で呵呵大笑する悪魔を恭平はじっと眺める。悪魔は一頻り笑うと愉快そうに叫んだ。

「良かろう、最終確認だ。ルールと勝敗の条件、お前が負けた場合行うことを『誓え』」

 ノリノリの恭平に釣られたのか悪魔の口角も吊り上がってきた。悪魔が勝負に乗る気なのは誰の目から見ても明らかだった。

「とりあえず、『勝負の間はまつりを傷つけることは禁止』。『夜が明けるまでに、僕が君に捕まった』なら『僕の負け』。『僕が負けた』ら、『僕は君の言うことを聞く』。『君は?』」

 ――とく。

「うむ、『承諾した』。『夜明けまでに私がお前を捕まえることができなかった』ならば『私の負け』。『私が負けた』ならば『私はお前の言うことに従う』。あとは、そうだな……『勝負開始は誓いの成立から百秒後』。ただし、『勝負開始まで両者とも動くことはできない』。これで『良いか?』」

 ――とく。

「『それで良い』」

 ――どくん。

 恭平が悪魔に返事をした途端、恭平を取り巻く何か――そう、世界とでも呼ぶべきものが脈動した気がした。

 二人は無言のままその時を待つ。

 恭平は先程の現象が気にはなったが、『誓い』とやらに関係する何らかの合図なのだろう、と予測する。深く考えてもわからないものはわからない。いつもの如くそう諦め、ゆるゆると息を吐き出した。

 勝負開始まで、体感で後三十秒ほどになったとき、不意に悪魔が口を開いた。

「一つ訊きたいことがある。……お前を殺さなかったことに、お前が考えた以外の理由があるとは考えなかったのか?」

「もちろん考えたさ。けど、そんなこと考え始めたら限が無いよ。殺すタイミングが無かったから? 偶々殺す気がしなかったから? 星の巡りが悪かったから? 春だから? それとも、僕に死なれたら困るから? ……だから僕はこう考えることにした」

 そこで一度恭平は言葉を切り、自分の首を親指で切る仕草をして見せた。

「ならば今度も他の理由で殺されないかもしれない、ってね」

「ふん」

 楽観的。そう言われても仕方の無いその言葉を鼻で笑い飛ばすと、悪魔は小さく低く呟いた。

「時間だ」


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