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変人と悪魔  作者: 仁崎 真昼
赤:変人と悪魔
11/20

11 仲良くしよ

 恭平達が現在住んでいるのは、お世辞にも都会とは言えない田舎町。若者の人口は年々減っており、それに反比例して老人は増えている。見渡す限り田んぼしかないということはないが、自転車を十分も走らせればあっという間に山しか見えなくなる。無理矢理都会に近づけようとした節がある町並みは、活気があまり無くちぐはぐな雰囲気がした。

 簡単に言うと、日本ならばどこにでもある田舎町、といったところだろうか。

 しかし、いくら過疎化が進んでいると言っても、休日の午後――それもその地域の中心地ならば、そこそこに人通りもある。

(あー……予想外に人が多いな。これだけ人が多いと、少し危ない気がする)

 まつりは変な形をしたオブジェ(地域のシンボルマークを模したものらしい)の前で、何をすることもなく突っ立っていた。いや、正しくは人と待ち合わせをしていた。

(全く、早く来いよな……と言うより、誘った相手を待たせるなんて何考えてるんだ? 知り合いに会ったらこっちは困るというのに)

 まつりが人が通る度に顔を伏せながら待つこと二十分。未だ待ち人は来ない。

 ここはまつりがいた地域とは少しばかり離れているので、知り合いに会う可能性は少ない。しかし、その可能性はゼロではないので、他の人からは挙動不審に見えたかも知れなかった。

 ぶつくさと心の中で文句を言いながら、ひたすら待つ。こういった時間にする趣味など持ち合わせてないので、待つ以外にすることなどないのだ。

 顔を伏せながらさらに十分ほど待つ。待ち合わせ時間を五分ほど過ぎた頃、やっと相手が来た。

「やっほー、まつりちゃん」

「遅い。お前は自分がした約束も覚えてられないのか?」

 伏せた顔の上からかけられた声に、不機嫌そうに返すまつり。明らかに怒っている声のトーンだった。

 しかし、相手はまるで気にしてない。嘘っぽい言い訳を楽しそうにしゃべり始める。

「いやぁ、道端で困っている小学生を見かけてね。手助けをしてたら遅れちゃったんだ。ごめんね」

「困っている人ね……」

「本当だよ? 遅れた言い訳とかでは、決して無く」

 まつりはひとつ溜め息を吐くと、顔を上げて相手――恭平を軽く睨んだ。

「で、何をするんだ? 呼び出したんなら何か理由があるんだろ。なるべく楽で、早く済んで、金のかからないことにしてくれ。そしてさっさと返せ」

「ロマンチックさなんて、欠片もないね……もっと楽しもうよ」

 まつりの厳しい条件を聞き、苦笑しながら恭平はその言葉を告げる。

「今日はデートなんだから」



 このようなことになったのには理由がある。言うまでもなく昨日の件が原因だ。

 あの後、小学生? 関係無い無い、とでも言いたげな、全力(マジ)のお仕置きがあった。恭平によって行われたそれは、あまりの容赦の無さにまつりが怒りを忘れるほどだった。

 十分ほど続いたそれが終わる頃には、小学生達は完全に抵抗する気を失っていた。

 小学生達曰く、

「もう二度とする気は起きないです嘘じゃないです本当です信じてくださいごめんなさい」

 だそうだ。

 そこまでは良かった。問題はその後だった。

 小学生達が反省し、帰っていったのを満足そうに眺めると、恭平はまつりに笑いかけた。

 まつりはぎゅっとお守りを握り締めると、きっちりとお礼を言ったのだが、そこで少し油断した。お守りを見せてくれと言われて、恭平に渡してしまったのだ。

 それを手にした恭平は「んじゃ、明日一時に図書館横の広場で」と告げると、すたこらさっさと逃げていった。もちろん、まつりのお守りを持ったままで。

 呆気にとられたまつりは追うことも出来ず、状況についていけなかった。

 お守りを盗られ、人質(?)にされたのだ、と気づいたときには手遅れで、追跡は不可能だった。まつりは結局、相手の言うことに従うしかない、と結論を出した。

 そして今に至る。

「はあ? デートだと?」

「うん、そうだよ。大丈夫、お金はかけないようにするから」

 まつりは仏頂面をして睨み付ける。

「面倒くさいから嫌なんだが……」

「いいじゃん、きっと楽しめるよ。と、いっても、町をぶらぶらと散策するだけなんだけどね」

 ぬけぬけと言いながら笑っている恭平に、まつりは軽く殺意が湧いてくる。ぶん殴って取り返そうかなとも思うが、やはりお守りを取り返してもらった恩もあるので、なんとか拳を抑える。

 取り返してもらった後、今度はそいつに盗られては、本末転倒だという気もするが。

 暫し見詰め合う二人。ぐるぐるとまつりの頭の中を、様々な考えがよぎるが、結局譲歩してやることにした。

「……わかった。今日の半日の間だけ付き合ってやる。だから終わったら返せよ、あれ」

 恭平はぱあっと顔を輝かすと、勝手にまつりの手をとった。

「それじゃ、行くとしますか。といっても、行き先は決まってないんだけどね」

「は? 決まってないのか? 何だその適当さは。っておいっ、ちょっ……」

 まつりの手を引きながら歩き始めた恭平に、文句を言いながらまつりも歩き始める。恭平は少し歩幅を狭くとり、まつりは少し早歩き。

 こうして半日だけのデートが始まった。

 とりあえず、二人は人の多い場所を抜け、歩き始める。

 川沿いの道を通り、坂を下る。川は静かに流れていて、太陽の光をキラキラと反射している。今時珍しく川の水は澄んでいて、たまに何かが水音をたてていた。

「いい天気だね。晴れてくれて良かったよ」

「そうか。で、どこに向かっているんだ?」

「どこだろう?」

「知るか」

 特にお互いの顔を見るわけではなく、前を向いたまま二人は会話する。

 坂を降りきると体育館があった。何かの大会をしているようで、元気な掛け声が聞こえてくる。体育館の駐車場には、色とりどりの車が止まっていた。

 響いてくる声に耳を澄ましていた恭平が、ポツリと呟いた。

「うーん、掛け声の様子から考えると……バレーかな」

「わかるのか?」

「球技によって特徴があるからね。案外わかるもんだよ」

「……お前はくだらないことに気がつくな」

 体育館の横を通り抜けると、そこからはまさに田舎の風景が広がっていた。

 遠くまで広がる田んぼの所々に、古い民家のような建物がある。少し視線を上げれば山があり、視界をザクザクと区切っている。

 古びた線路を渡り、畦道へと道を逸れる。太陽の熱を全身で受けながら、のんびりと、歩く。

「日向ぼっこがしたくなってきたなぁ」

「勝手にしていろ」

「青い空の下の昼寝は気持ちいいぞぉ。大自然の中って感じで」

「……良かったな」

 民家で飼われている犬に吠えられ、住宅地に響く笑い声を聞き、また線路を渡り、市街地へ。二人は当て所なく歩き続ける。

 屋根のついている商店街。踏むと滑る点字ブロック。迷路のような小路。高い塀。また小路。

 だらだらと目的もなく、ただ歩く。それはまつりにとって珍しい体験で、いつの間にか不満の声は止んでいた。

(…………こんなことをしていていいのだろうか)

 ふと、頭に疑問がよぎる。

 しかし、小路を抜けるとまた陽の光が当たり、体が暖まる。それと同時に思考も緩くなってゆく。

(まぁ、いいか……)

 大丈夫だろうと、思うことにした。

 まつりが坂を登りながら歩いていると、良い匂いがしてきた。と、同時に茉莉のお腹が鳴る。

「あ」

「……ええっと、お腹が空いたの?」

 にやにや笑いながら質問され、まつりは言葉に詰まった。

 答えづらい質問にまつりが黙りこくっていると、恭平はそれ以上質問はせずに、少し開けた空き地のような場所に入って行った。引き際が肝心と学んでいたのである。

 からかわれてしまったことに、若干悔しさを感じながらまつりはその様子を眺める。

 小さな空き地に建っている店はあまり大きくなく、看板には大きく『たこ』と書いてある。雰囲気で言えば学園祭の模擬店のようなものだが、どうやらきちんと商売として毎日開いているようだ。儲かっているかは疑問だが。

 恭平は時折こちらを見ながら、店員と談笑している。そして商品が出来上がると、手早く商品の受け渡しをし、二つのパックを持って帰ってきた。

「お待たせ致しました。こちらたこ焼になりますー。……蛸は大丈夫だよね?」

 にこやかな恭平と何かを我慢している様子のまつり。

 無表情で受け取ろうとしないまつりに恭平は不安になり、嫌いだったのか? と慌てて確認した。

「金が無い」

「当然奢りだって。安心して食べていいよ」

 簡潔な回答に、恭平は苦笑しながらたこ焼を押し付けた。

 二人は近くの座りやすそうな岩に腰掛けると、たこ焼を食べ始める。六個入りで百十円。良心的なお値段なうえに、一つ一つが大きくて美味しい。

 モグモグと無言で食べていると、まつりが不意に口を開いた。

「なあ、これでお前は満足なのか? うろうろと歩き回って、飯を食って、それだけで満足なのか?」

「うん、満足だよ。のんびりと散歩して、美味しいものを食べる。それだけで幸せだと感じるし、誰かと一緒だとさらに楽しい」

 そう言ってにっこりと微笑む恭平から、思わずまつりは目を逸らしてしまう。何となく胸がモヤモヤしたのだ。

 まつりは再び無言でたこ焼を食べ、それが終わると恭平に言った。

「もう歩くのは疲れた。何か他のことをするか、そろそろアレを返して解放しろ」

「ん。じゃあ、休める場所に行こうか」

 恭平は立ち上がると、延びをひとつする。そして、ごみを店の横にあるゴミ箱に捨てると、まつりを促して歩き始めた。

(まあ、もう少しだけなら付き合ってやるか……)

 満腹感により少しだけ寛容になったまつりは、もう少しだけ付き合ってやることにした。

 まつりもごみを捨てると、恭平の後ろを歩き始めた。

 歩道を歩き、横断歩道を渡り、赤信号で立ち止まる。

 今度は行き先が決まっているだけあって、道が分岐する度に、立ち止まって決めるようなことはしない。ただただ、目的地に向かって歩くだけだ。とはいっても、恭平はそれさえも楽しんでいるようだった。

 十分ほど歩いていると、だんだん風が強くなってきた。それと共に気温は下がり、天候も悪くなってゆく。このままでは、雨どころか雪が降りそうだった。

 恭平がこれは少しまずいかなと思いながら歩いていくと、目的地に辿り着いた。そこは散歩の出発点――図書館だった。

「ここか……?」

「うん。市立図書館だよ。静かで暖かいし、椅子とテーブルがあるから、ゆっくり休むこともできる。まさに天国と言っても良い場所さ」

 二人が会話をしている間に、どんどん風は強くなる。さすがにそこで問答をするのは寒いので、逃げるように二人は図書館に入った。

 入ると同時にムッと暖気が二人を包む。暖房はしっかりと利いているようだった。

 ここはこじんまりとした図書館で、蔵書量はそこまで多くはない。しかし、その分利用者は少なく、恭平にとって憩いの場となっていた。

 窓際の端の四人席を陣取ると、座り込み一息つく二人。どちらも天候が決定的に悪くなる前に屋内に避難できて、安堵している。

「で、これからどうするんだ? 何をするのか聞いてないんだが」

「……えーっと、ほら、素敵な場所でしょ」

 恭平の歯切れの悪い返事に、まつりは目を尖らす。その形相に、思わず恭平は目を逸らしてしまった。

「つまり、何も考えていない、と」

「いやいや、そういうわけでは無い……と、思いたい」

「はぁ……いい加減にしろよ。いつになったら解放してくれるんだ? いくら恩人だからって――」

「わかった、わかった。だから静かにして」

 抗議を始めようとするまつりに、立てた人差し指を押し付けて黙らす恭平。ここは図書館、と身ぶりで表すと、まつりも少しは落ち着いた。

 しかし、まつりもいい加減疲れていたので、改めて、解放のための条件を問いただす。一応周囲に気を使いながら、今度は小声で。

「疲れた。今日、解放されるための条件をはっきりさせてくれ。もし、決めないだとか、明日も何かしろとかだったら……」

 その続きは恭平も聞かなくてもわかった。まつりの目が何よりも雄弁に、はっきり語っていたからだ。殴って奪い返すと。

 潮時かな、と感じた恭平は、条件を考える。本音を言えば、すでに相当満足していたのだが、折角なので、もう一つだけ条件を提示することにした。

「僕が本を読んでいる間だけ、横に座っててよ。遅くても閉館時間まで。ってのはどう?」

「座ってるだけでいいのか? というか、それは私が必要なのか?」

「まあいいじゃん。細かいことは気にしなくとも」

 まつりは顔に疑問を浮かべるが、無理難題というわけでもないので、軽く承諾する。ただ座っているだけというのは、まつりは平気なのだ。

 条件が決定すると恭平は立ち上がり、早速本を借りに行く。小説ならば大抵のジャンルは読める恭平は、図書館イコール宝の山、と言っても過言ではないのだ。

 まつりは机に頬杖をつき、窓の外を眺める。風は強くなっているが、雪は降っていないようだ。薄暗い外の景色は、窓際にあるヒーターの熱気で、少し歪んで見える。

(どうしようか。これから何をしていこうか。……何も思い浮かばないな)

 恭平が帰ってきて向かいの席に座った。その手には五冊ほどの小説が抱えられていて、その小説を選ぶ速度に感心する。

 恭平はまつりのことなど全く気にした様子もなく、ページをめくり始めた。

 しばらくまつりはそれを観察する。館内は屋外とは対照的にとても静かで、ページをの擦れ合う音さえ聞こえそうなほどだった。

 暖かい場所で何もせずに、ただぼーっとしている。それは、とてつもなく気持ちよいことっあり、思わず眠ってしまいそうになった。気を紛らすために、まつりは先日疑問に思ったことを再度問う。

「なあ、何で昨日のことはあんなに詳しかったんだ? 奴等が何であんなことをしたのかも、奴等の秘密基地の場所も知ってただろ?」

 痛いところを突かれたような顔をして、恭平は言葉に詰まる。しかし、黙ってるのもやましいところあるように思われると考え、話すことにした。

「あれはね、僕が考えた遊びなのさ。小学生の時にね」

 その言葉にまつりの眉がピクリと動く。危険を感じた恭平は慌てて付け加えた。

「っていっても、盗る相手は暇そうで元気そうなお兄さん方だけだったから、ほぼ毎回捕まってたし、その度にしこたま殴られてんだよ? それに、仮に成功しててもきちんと返しに行ってた」

 だからセーフ、と必死にアピールする恭平を、まつりは眠たそうに見つめる。その目が怒っていないのを見て、恭平は安心してまた読書に移った。

 アホなことをしてたんだなあ、と小さく呟くと、さらに質問を続ける。

「……何であの時カードを持っていた? あの事を予測していた訳じゃないだろう」

「あぁ……あれはただの偶然。最近酷い悪戯をしている悪ガキがいるって聞いたから、ちょっと嫌がらせをしようと思っていただけ」

「それがあいつらか。……あながち偶然というわけでもない、な」

「そっか。運が良かったね、まつりちゃん」

 話が途切れ、まつりはまた睡魔と闘い始める。

 しかし、今度はあっさりと負け、夢の中へと落ちていった。



■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 顔色の悪い少女の目の前に、一人の少女が横たわっている。

 その少女の腹部には穴が開き、そこから血が流れている。溢れたその液体はじわじわと地面を浸食し、大きな水溜まりを形作っていた。

 顔色の悪い少女は紅く染まる体を掻き抱き、必死に呼びかけるが反応はなかった。

 見る人が見れば手遅れだということを、瞬時に悟ったことだろう。いや、そういうことに対して、ズブの素人が見てもわかったかもしれない。しかし、顔色の悪い少女はそれを認めたくなかった。

「起きろよ。まだ間に合うはずだから」

 死人のように色の抜けた頬を叩きながら呼び掛ける。しかし、その声は届かない。重傷の少女は聴覚をほとんど失っているようだった。

 時が経つと共に重傷の少女の体温は下がってゆくことを、少女を支えるために触れ合う腕が感じ取った。

 死ぬかもしれない。そう思った瞬間、これ以上ないと言えるほどの恐怖に教われ、体が麻痺したように動かなくなった。

 指先が冷たくなり、足が強ばる。頭がじんじんと痛み、体が重くなる。顔色の悪い少女は自分の体さえ支えきれず、重傷の少女の体に被さるように倒れてしまう。

「もう、時間切れなのか……? ……でも、まだ、契約は……」

 顔色の悪い少女は限界を感じるが、それでも精一杯重傷の少女を助ける術を模索する。

 両手に有らん限りの力を込め、上体を起き上がらせる顔色の悪い少女。しかし、よし、と気合いを入れ直すと、服の袖を誰かに引かれた。

「もう、おわりなのかな……」

 うわ言のように呟く重傷の少女。それに返事をしようとするが、唇に冷たいものを当てられ、気勢を削がれる。当たったのは白く細い少女の指だった。

 重傷の少女は顔色の悪い少女の唇を撫でながら、しゃべり続ける。

「まだまだやりたいことがあるのにな……これから、しようと思ってたことがあるのになぁ……」

「しゃべるな。腹に穴が開いているんだぞ」

「だけどね、ひとつだけ……ひとつだけ、いっておきたいことが、あるんだ」

「黙れって! 助かるから……!」

 顔色の悪い少女は叩きつけるように断定する。それは自分に対してであり、少女に対してであり、世界に対してであった。

「あなたには、しんじられないかも、しれないけどね……」

「後でどんな話聞いてやるから、黙ってくれ……! お願いだから……!」

 五感がほぼ全てきかない状態で、それでもしゃべり続ける重傷の少女を、顔色の悪い少女は見てられなくなる。叫び声に、懇願の響きがが混じる。

「ゎ……は……で…………って……」

 ついに重傷の少女は声さえ満足に出なくなる。それでもしっかりと顔色の悪い少女に告げる。今の自分のありのままの気持ちを。

「……せ、よ」

 それを聞いた瞬間、顔色の悪い少女の体が、本能に従って勝手に動き始める。

 重傷の少女の言葉を聞き取った顔色の悪い少女は、それを無理矢理止めようとするが、できない。

 先程までの緩慢さが嘘のように背筋を伸ばすと、顔色の悪い少女の目が重傷の少女の顔を捉える。そして顔をガッチリと両手で押さえると、顔を近づけた。

 重傷の少女の手から力が抜け、飴が一粒転がり落ちる。

 見えてないはずの重傷の少女と顔色の悪い少女の目が、確かに交差した。

 最後に、重傷の少女は小さく微笑むと――



■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



「起きて、起きて、閉館時間だよ」

 まつりは肩を揺すられ、意識を現実に引っ張られた。

「へいかん?」

「寝ぼけてるの? 図書館が閉まるから出てくれって、司書の人が」

 恭平の言葉を聞き、ぼんやりとした目で辺りを見回すまつり。脳にその言葉が届き、意味を認識した途端に、急速に意識が覚醒していった。

 自分が眠ってしまっていたことに驚きながら、手早く身なりを整えた。

「ごめんね。途中で起こそうかとも思ったんだけど、あまりにも気持ち良さそうに寝てたから……」

「いや、いい。寝てしまった私が悪い」

 まつりいつ襲われるかもしれない状況で、居眠りどころか熟睡をしてしまった自分を戒める。まだ居場所は特定されていないと思うが、用心に越したことはない。

 言い訳など、誰も聞いてはくれないのだから。

 図書館を出ると、幸いなことに風は止んでいた。空を覆っていた雲も、いつの間にか晴れている。まだ、気温は低いままだったが。

「……まつりちゃん」

「何だ?」

 恭平が真面目な顔をして、まつりに話しかける。

 まつりの気分はあまり良くなく、胸の奥に何かが詰まっているような気分だった。そして理由はわからないが、とても嫌な予感がした。

「きちんと、屋根や壁のある場所で寝てるの?」

 どくん、と心臓が波打つ。

 その質問を聞き、表情を見ただけで、まつりは恭平が何を言いたいのか悟ってしまう。恭平の声には気遣いが込められ、目には心配が浮かんでいたのだから。

「……聞いたのか」

「確かに聞きはしたけど、何となくわかっていたよ。着てる服はずっと同じだったし、しっかりと休めてないようだったから」

 圧し殺した声で問うまつりに、恭平は咄嗟に蒼をかばう。蒼から直接聞いたわけではないが、口止めをされていたことは一目瞭然だったからだ。

「それにいくら無害そうだからって、ほぼ初対面の人間に着いて行くってのは、よほど切羽詰まっていないとしないでしょう? 空腹で倒れそうだけど、お金は無く家には帰れない、とか」

 つらつらと語る恭平に、まつりは低い声で呟く。

「成程、な。とっくの昔にわかっていたというわけか。……それで? 何が言いたいんだ?」

 まつりは不気味にニヤリと笑うと、暗い感情を宿した目で恭平を見つめた。

 恭平は静かに動機を問う。

「家出の理由は? 家族に何か不満でもあったの?」

 まつりは恭平の言葉を鼻で笑う。

「はっ、あいつらに不満? さあ? 特に無いかな」

 恭平はさらに問う。

「それじゃあ、何故? 家にいるのが辛いのかい?」

 びくり、とまつりの肩が動く。そして、僅かに目を逸らすと呟いた。

「……さあな」

 曖昧なはぐらかすような答え。しかし、その答えにははっきりと拒絶の意味が込められていた。

 絶対に帰らないと、そう全身で表しているかのようなまつりに、恭平は溜め息をついた。

「まつりちゃん何があったかは知らないけれど、君は家に帰るべきだ」

「……嫌だ」

 駄々をこねるかのようなまつりの答えに、恭平は諭すように続けた。

「まつりちゃん。君の家族は心配しているだろうし、君も気になってるでしょ? それに、このまま家出をし続けることができないのはわかりきってる(・・・・・・・)。……だから、意地を張っていても、良いことなんて――」

「嫌だ!!」

 唐突にまつりが叫ぶ。

 いつの間にかまつりは悪鬼のような形相で恭平を睨み付けていた。

 まつりの目に強い感情が浮かぶ。それは、憤怒のような、悲哀のような、歓喜のような、屈辱のような、よくわからないごちゃ混ぜの感情。

 恭平もそれに気づいたが、まつりの目を見つめながら、言葉を紡ぐ。

「いい加減に――」

「うるさい、黙れ!!」

 まつりは、自分でもよくわからない感情に支配され、口を動かす。

「家族? 私はそんな奴等と一緒にいたくない。帰りたいかって? どうでもいいだろそんなこと、関係ないだろそんなこと。こんな生活は長くは続かない? そんなことわかっているさ! お前なんかの忠告は要らない。ヘドが出そうなんだよ! 知ったかぶりは嫌いだ、殺したくなるくらいに! よく知らないなら適当なことを言うな。何も知らずに何かを言うな。腸が煮え繰り返りそうだ。そういうところが嫌いなんだよ、お前らは。ああ、うざったい。腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ!」

 狂ったように喋り続けるまつりを前に、さすがの恭平も絶句する。何も反応ができない。

「余計なことをしゃべっては、大事なことは仕舞い込む。伝えようと思ったときにはもういない。何て愚かなんだろうな! 喉をかっ切ってやりたいよ。舌を引きちぎってやりたいよ。口は災いは呼ばない。死を呼ぶんだよっ!」

 まるでそうしないと狂ってしまうとでも言うように、まつりは必死にしゃべり続ける。

 死にそうな程苦しそうに、叫び続ける。

「あぁ、本当に…………!」

 最後にまつりは何かをぐっと飲み込む。そして、くるりと恭平に背を向けると、全力で走り去って行った。

 嵐のように恭平に言葉を投げつけたまつりは、夕闇の町並みに消えて行く。

 恭平は今の出来事を、ただ、呆然と見ていることしかできなかった。


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