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『高カロリー聖者の福音 〜120キロの脂肪を燃やして限界集落を救ったら、恋も一緒に燃え尽きた〜』

作者: 渡部安恵
掲載日:2026/04/26

【県境のハウスに光は降りた】


 東京・奥多摩。

 西へ進めば山梨、北へ進めば埼玉。そんな都の最果てに位置する土井中村どいなかむらは、深い緑と急峻な斜面に囲まれた、文字通りの「隠れ里」である。


「……ふぅ、今日も湿気がえげつねぇな」


 午前6時。神代豊かみしろゆたか(27)は、県境の尾根に近い高台のビニールハウスで独りごちた。

 都心なら「エモいキャンプ地」ともてはやされる絶景も、ここで暮らす豊にとってはただの険しい作業場でしかない。175センチ・120キロの巨体は、朝の涼しい空気の中でもエンジンを吹かした重機のように熱を放っていた。


「お兄ちゃん、またそんなに汗かいて。暑苦しいんだけど」


 ハウスの入り口からスマホを片手にそういうのは、夏休みで帰省中の神代家の末っ子――豊の妹の明里あかりだ。

「ここは東京なんだから、もっとシュッとした農家を目指せば?ほら、このインスタの『アーバン・ファーマー』みたいにさ」


「都会の東京と一緒にすんな。ここは土井中村だぞ。それより見ろよ、このトマト」


 豊が指差したのは、今年の異常な猛暑と山からの冷たい風がぶつかり合う不安定な気候で、すっかりへたってしまったトマトの苗たちだった。

 この村の特産として売り出すはずだった神代家の自信作が、収穫を前にして命の灯を消そうとしている。


(……頼むよ。俺の大好きなキンキンに冷やした丸かじりトマトを今年も食わせてくれよ)


 豊は祈るように、最も弱った苗にその肉厚な右手を添えた。

 その瞬間だった。


 耳の奥で、カラン、と澄んだ鈴の音が響いた。

 次の刹那、奥多摩の深い谷底から吹き上げてくる風が止まり、世界から音が消える。


――『抱擁せし豊穣の福音グラース・ド・ランブラス』――


「な……んだ、これ……っ?!」


 右腕から、土井中村の朝焼けよりも眩しい「黄金の奔流」が溢れ出した。

 光は生き物のようにハウス内をのたうち回り、枯れかけたトマトの茎を、葉を、根を、強烈な生命力で塗り替えていく。


ギチ、ギチギチッ……!


 ハウスが内側から押し広げられるような異音が響く。

 萎びていた苗は一瞬で太い大蛇のような幹へと成長し、そして、ルビーの原石を散りばめたような、艶やかに輝く真っ赤な実を次々と結実していった。


「パパ!ママ!来て!お兄ちゃんが、お兄ちゃんが爆発した!!」


 明里の絶叫が山々にこだまする。

 しかし、当の豊には驚く余裕すら残されていなかった。


「あ……が……っ」


 胃袋が裏返り、全身の肉が内側から削ぎ落とされるような凄まじい衝撃。

 120キロを誇った「脂肪の貯金」が、目に見える速さで光に変換され、消えていく。


 視界が急速にセピア色に染まる中、豊は自分の手首が生まれたての小鹿のように細くなっているのを見て――完熟したトマトの香りに包まれながら意識を失った。


 ――数分後。

 駆けつけた両親と祖父母が見たのは、「最高級のトマトがジャングルのように生い茂るハウス」と、その中心で「豊の服を着た見知らぬガリガリの美青年」がトマトの蔓を枕に事切れている光景だった。



★★★



【強制給餌と禁断の味】


「豊、豊!死ぬな!ほら、この特大おにぎりを飲み込め!」


 土井中村にある神代家の居間。

 運び込まれた豊の枕元には、洗面器一杯の白飯と、山盛りの「シカ肉のしぐれ煮」が積み上げられていた。


「パパ、落ち着いて。喉に詰まらせたら本当に死んじゃうから。……ほらお兄ちゃん、ママが作った『背脂入り豚汁』だよ。冷ましておいたから飲みやすいよ」


 明里あかりが手際よく(しかし目はスマホのカメラに向けたまま)豊の口に栄養を注ぎ込む。120キロあった巨体は、今や見る影もなく骨格の美しさが際立つ「儚げな超絶イケメン」へと変貌していた。


「……んぐ……はぁ……う、うまい……」


 豊は意識が朦朧とした状態で、本能が求めるまま差し出される飯をがつがつと食らい始めた。

 どんぶり茶碗三杯、五杯、十杯。

 シカ肉を咀嚼し、豚汁で流し込み、米の甘みが血肉に変わる。


「――ふぅ。助かった。って、え?!俺の腹、どこ行ったんだよ?!」


 ようやく正気に戻った豊が叫ぶ。腹筋がバキバキに割れ、顎のラインが彫刻のように鋭い。

 だが、家族はそんな「奇跡のビフォーアフター」など二の次だった。


「豊、そんなことよりこれを見ろ」


 父――幸四郎が、そうゆたかに差し出したのは、ハウスから収穫してきたばかりの「あのトマト」だ。

 居間いっぱいに、清涼感のある、それでいて濃厚な完熟したトマトの香りが広がる。


「……これ、俺がやったんだよな」


「そうだ。お前が倒れた後に収穫した。――食ってみるぞ」


 家族全員が固唾を呑んで見守る中、幸四郎が包丁でトマトを割った。

 断面から溢れ出す果汁は、まるでルビーの雫。

 まずは祖父――邦彦くにひこ、次に幸四郎、家長《二人》が手に取るのを見届けると皆が次々と手を伸ばし、一口。


「「「…………っ!!!」」」


 ――静寂。そして明里が絶叫した。

「何これ?!トマトじゃない!究極のスイーツだよ!糖度がいくつあるのこれ?!インスタに上げたらサーバー飛ぶよ!!」


「うますぎる。土井中村の歴史が変わるぞ、これは」

 幸四郎の手が震えている。

 しかし、その目はすぐさま、まだガリガリの豊へと向けられた。


「豊。お前、さっき何をした。もう一回、ここで再現してみろ」


「えっ、まだ体がだるいっていうか、力が出ないんだけど……」


「丁度いいことに、そこにある死にかけのサンスベリアにあるし試してよ」

 弟の大知が、オタク特有の素早さで「検証用」の観葉植物を差し出す。


「まじかぁ。……分かったよ。えーっと、さっきの感覚で『グラース・ド・ランブラス』!」


カッ!!


 黄金の光が居間を包む。

 次の瞬間、ひょろひょろだったサンスベリアが、猛烈な勢いで肉厚な葉を茂らせ、天井を突き破らんばかりに巨大化した。


「「「確定だああああ!!!」」」


「……あ、アブ……脂が足りない……」

 豊は再び、ズズズッと内側から「中身」を吸い取られる感覚に襲われ、畳に突っ伏した。


「なるほどね。兄貴の脂肪は『高純度のバイオ燃料』なんだ。使えば使うほど痩せるけど燃料切れで死ぬ。……面白いじゃん。兄貴、次は養鶏場に行くよ」


 大知が、倒れた豊の腕を掴んで引きずる。

「待て……大知……俺は家畜じゃない……」


「何言ってるのお兄ちゃん。土井中村の希望なんだから、ガンガン食べてもっと光ってよね!」


 明里が笑顔で、次の特盛おにぎりを豊の口にねじ込んだ。

 豊の不憫な「能力検証マラソン」が、今、本格的に幕を開ける――。



★★★



【枯渇の果ての抱擁】


「ほら、サクッと行くぞ兄貴」


 大知やまとの無慈悲な号令の下、豊は軽トラの荷台に積まれ、土井中村の斜面に建つ養鶏場へと運び込まれた。すでに服はブカブカ、顔は「彫刻のような美形」を通り越し、少し風が吹けば飛んでいきそうなほど儚くなっている。


「……大知……俺、もう指一本動かすカロリーも……」


「これを使え。母さん特製『揚げラードの蜂蜜漬けおにぎり』だ。一個5,000キロカロリーある」


「……うっぷ。……うぉぉぉ! 燃えてきたぁぁ!!」


 脂ギッシュな塊を無理やり嚥下し、豊は鶏舎へ向かって右手をかざした。

「『抱擁せし豊穣の福音グラース・ド・ランブラス』!!」


 黄金の光が炸裂する。

 直後、鶏たちが一斉に鳳凰のような鳴き声を上げ、産み落とされたのは宝石にしか見えない「黄金の輝きを放つ卵」だった。


「キター!一個一万円で売れるやつ!」と明里が叫ぶ横で、「よし、最後は県境の田んぼだ!」と父に軽トラの荷台に転がされた。


 土井中村と埼玉の県境に広がる神代家の棚田。

 夕暮れ時、そこにはもはや「人」ではなく「光る骨」のようになった豊が、ゆらゆらと立っていた。


「……これで、最後だ……」


 豊は最後の力を振り絞った。

 自身の生命《脂肪》の灯火を削り、土井中村の土へ、稲へ、力を捧げる。


ドォォォォン!!


 奥多摩の山々が黄金に照らされ、村中の住人が「何事だ?!」と外へ飛び出すほどの光。

 まだ実をつけずに青々としていた稲穂が、一瞬にして重く頭を垂れる最高級の米へと変貌した。


「やった……。神代家の、土井中村の勝利だ……」


 そう呟き、豊は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

 全身から脂肪が消え去り、もはや服の隙間から見えるのは浮き出た肋骨のみ。


「豊、豊ぁああああ!」

 駆け寄る家族。さすがにやりすぎたと、幸四郎の目に涙が浮かぶ。

「すまん豊、俺たちが欲張りすぎた……。今すぐ町の大きな病院へ……!」


「待った。その必要はないよ」

 大知が冷静に、軽トラの荷台から「一升炊きの炊飯器」と「業務用のマヨネーズ」を取り出した。


「兄貴は死なない。ただ燃料がゼロになっただけだ。……さあ、母さん、ばあちゃん、 兄貴に補給しょくじを頼む!」


 ――数時間後。神代家の居間。

 そこには、昼間の「絶世の美青年」や「光る骨」の姿はどこにもなかった。


 再び120キロの「相撲取り体形」に戻り、鼻提灯を出して爆睡する豊の姿があった。

 傍らには、空になった炊飯器と十数枚の積み重ねられて大皿が散乱している。


「ふぅ。一時はどうなるかと思ったけど、元に戻る速度も異常で助かったわね」

 母――めぐみが呆れたように笑う。


「それよりパパ、見てよこれ」

 明里がスマホを操作する。

「『土井中村に現れた黄金のイケメン』の動画、再生数が1,000万回再生を超えたの。でも、今のデブなお兄ちゃんを見せたら間違いなく詐欺で訴えられるね」


「ガハハ!いいじゃないか。野菜は売れる、米も卵も最高だ。豊が食う分くらい、いくらでも稼げるわい!」

 邦彦くにひこが、黄金の卵を贅沢にかけたTKG|《卵かけご飯》を食べながら笑う。


 ――翌朝。

「……んっ……んむぅ」

 豊は、首筋に伝わる「冷たい感触」で目を覚ました。


「お兄ちゃん、おはよ。お礼のお客さんだよ」

 明里がニヤニヤしながら指差した先には、豊の能力で進化した「完熟濃厚スイーツトマト」を食べて感動したという、近所の農家の娘さんが立っていた。


(……きた、俺の『春』が、ついに……きたっ!)


 豊は期待に胸を膨らませ、バッと布団から起き上がった。


「……あ、あの、昨日の、あの黄金の光の……シュッとした素敵な方は……?」

 娘さんが、目の前のパンパンに膨らんだ豊を見て、困惑の表情を浮かべる。


「あ、俺です!……あ、あの、ちょっと、リバウンド中っていうか……」


「……えっ?あ、すみません。人違いでした!」

 娘さんは、脱兎のごとく逃げ出していった。


 ――静まり返る居間。

 カラスの鳴き声が、土井中村どいなかむらの空に虚しく響く。


「…………」

 豊は、手元にあった冷めたベーコンを口に放り込み、空を仰いだ。


「なんでだよぉおおお!!野菜はあんなに可愛がってもらえるのに!!俺も、誰か俺をっ、俺を抱擁エンブラスしてくれぇえええ!!!」


 豊の血を吐くような嘆きと共に、土井中村にまた一つ新しい伝説が刻まれたのであった。



『土井中村編 完』

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