17年の走馬灯
初投稿なので変な所があっても許してください!
誰も泣いていない葬式だ。看板には2025年8月死去と書いてある。あぁ私は死んだのか。
私の人生を一言で表せと言われたら間違いなく「絶望」を選ぶだろう。それほどまでに私は筆舌に耐え難い17年間を過ごしてきた。この小説はその17年間の走馬灯だ。
これはまだ私が小学生の時のことだ、私は当時ワンパクな元気な男子であった。授業などろくに聞かずに友達と放課後遊ぶことだけを考え、ただ漠然と日々を過ごしていた。そんなある日両親が私をスイミングスクールに入れたいと言い始めた。
この時の私は水泳などには全くの興味がなく行きたいなどとは微塵も思っていなかったがここで私が否定しようものなら母はヒステリックに叫び声をあげ、父は私に行けと怒鳴りつけることは分かりきっていた、それに耐えれるだけのメンタルを持っていない私は作り笑顔を作り必死に自分の感情を押しつぶし「行ってみたい!」と元気に答えてみせた。
当時の私は両親が怖くて怖くて仕方がなく自分の意見や我儘などは言えない子供だったため何も文句も言わずに黙ってスイミングスクールに通い始めるようになった。
両親はこのとききっと私に良い提案をしてあげた。私が自分の意思で楽しんで通ってる。などと私の気持ちから大きくかけ離れたことを想像し、挙げ句の果てには自分はいい親だ、などの見当違いな優越感に浸っていたのだろう。
通い始めてからから私の人生は大きく変わってしまった。私の両親が無理やり通わせたところは先生が生徒に暴力と暴言が当然の昭和気質な場所だった。何が気に入らないのか分からなかったが私は特に目をつけられて、暴言はもちろんのこと暴行を受けて首まで絞められた。このことを両親に相談しスイミングスクールを辞めさせてもらおうとしたが私の両親は全く聞く耳を持たずに「昔はそれが当たり前だったんだから頑張りなさい!このぐらいに耐えれないなら社会に出る前に死ね」と言われ私を助けてくれる人は誰もいないんだと理解し、頭がガンガン内側から殴られ、巨人に宙に投げ飛ばされゆっくりグルグル回りながら落ちているような錯覚を起こすほどの深い絶望をしたことを今でも昨日のことのように覚えている。この「社会に出る前に死ね」と言う言葉が本当になるなんて当時の私は思ってもいなかった。
このことをきっかけに私は大人を信じるのを辞めた。自分の両親、学校の先生、たまに話しかけてくる気の良いおっちゃんなどなど今まで関わってきた大人の人を全く信じられなくなり、しまいには自分の両親にも敬語を使わないとまともに会話が出来ないほどまでに私は大人を信じれなくなりました。




