魂鏡八、傷病者リスト
︎︎葵を燈里が助けてから数日後のある休日。
︎︎あの日の傷病者リストというのがネット上に拡散された。
︎︎リストの意味というのは、直居教授が公開したように、『ムーンディスク』の体内吸収時に人体破損の可能性があると示されたことで、傷病者リストがあれば、『ムーンディスク』保持者、もしくは保持疑いの者を特定できると考えた人がいるということだった。
︎︎これに対して、直居教授はすぐさま可能性があるだけで、それが全てではない、今も研究中であると反論を行ったが、傷病者リストの拡散を止めることはできなかった。
︎︎もちろん、傷病者リストの拡散は賛否両論で、リスクヘッジのために必要なものだという意見もあれば、個人情報保護違反だという意見もある。
︎︎しかし、結局のところ、このリストを誰がどういう意図で拡散させたにしろ、いらぬ差別意識を『浮島区』内に生み出したことには違いなかった。
︎︎もっとも、それはまだ潜在的なものに過ぎなかった。
︎︎政府発表は未知のウイルスということになっているので、『浮島区』は『浮島区』であるというだけで、国家ぐるみの差別を受けていることになる。
︎︎ただし、全て政府が悪いともいい切れないのは、政府が『浮島区』に充分な支援をしていて、困ることと言えば、流通がない、メガフロートから出られないというのが精々だということだろう。
︎︎通信がある以上、何に困って、どうして欲しいかを伝えることはできるし、陸路は封鎖しているが、空路を使って上空から支援物資を落とすことはできる。
︎︎ただ、ここまでで店の品揃えは限られてきたし、生活の余裕のなさなどは、追い詰められた感を増していて、次第に街の雰囲気が変わってきてはいる。
︎︎『浮島区』としては、それまで建設予定地だった場所を一時的な農業区画にしてみたり、メガフロート地下の工場で生活必需品を生産してみたりと、改革が進んでいるが、細かい部分での不便は顕在化の一途を辿っていた。
︎︎休日は学校が休みということで、浮島区民にとってはマンパワーが一時的に増大する時、という意味である。
︎︎『浮島区』は未来型循環都市ということで、様々なものがオートメーション化されているが、足りない物は自分たちで作るしかない。
︎︎畑仕事である。
︎︎政府と区長の間でどのような取り決めがあるのかは分からないが、区長は封鎖が決定された段階で、すぐさま動いた。
︎︎建設予定地を農地に変えるため、マンパワーがいる。
︎︎動ける者は親でも使えとばかりに高校生という括りで島の端まで駆り出された。
︎︎ヘリから落とされた農業用の土を、トラックの上でひたすら開封する。
︎︎建設予定地は鉄板で覆われたプール状のブロックが地下数メートルに埋め込まれていて、そこにコンクリートやらアスファルト、ビルを建てるというものだが、今はそんなものはなく、ただ鉄のプールが何ブロックも続いている。
︎︎そこにトラックで運び込んだ土を落とし、人海戦術で均していくのだ。
︎︎燈里は慣れないネコ車〈一輪車〉に土の袋を載せて、運んでいく。
︎︎坂道を登ろうとすると、途端にバランスが難しくなる。
︎︎重労働だ。
︎︎それでも、まともな生徒たちは手を抜かない。
︎︎これが自分たちの明日のご飯になると知っているからだ。
︎︎それにアルバイト代も出る。
︎︎いい加減疲れてきて、燈里はバランスを崩しそうになる。
「おっと、大丈夫か燈里。親方も言ってただろ、事故を起こす方が怖いから、適度に休憩を挟みながらやれって」
「義己っち……うん、そうするよ……」
「これは俺が運んどくから、燈里は一回、休憩な」
「すまぬ……」
︎︎とりあえず、とばかりに燈里はその場にへたりこんだ。
「ねえねえ、ちょっと見てよ、望月君、黒木君!」
︎︎二人に元気よく話しかけたのは猿渡だった。
︎︎猿渡亨、学校再開初日にガーゴイルとして覚醒、義己に鉄拳制裁された男だ。
︎︎猿渡は、あの日以来、燈里と義己に良く話し掛けてくるようになった。
「いくからね、ちょっと待ってよ……くそっ、瓜生も高桑も藤居までサボりやがって……僕らが団結しなきゃならないって時なのに、ふざケヤガッテ……」
︎︎猿渡が、いきなり恨み言を呟き始める。
︎︎それは猿渡の嘘偽りなく思っていることなのだろう。
︎︎猿渡の変異が始まる。
「お、おい、猿渡……」
︎︎燈里が思わず声を掛ける。
︎︎同時に猿渡の変異を目撃した他の生徒たちもざわつく。
︎︎だが、当の猿渡、いや、ガーゴイルはというと、嬉しそうにポージングをして見せた。
「ドウ?ホら、ここにはいない人に怒りをぶつけることで、理性を保ちながら変身デキるんだ!
この身体なら、土袋くらい軽いもんさ!︎︎︎︎」
︎︎そう言って、ガーゴイルは土袋を下のパレットごと持ち上げると、ひょいひょいとトラックまで運んでしまう。
「お、おい、猿渡……お前、大丈夫なのか?」
︎︎他の生徒が、仕事をするガーゴイルにおっかなびっくりで声を掛ける。
「大丈夫、大丈夫!
一度コツを掴んでしまえば、この身体の維持も簡単だしね!︎︎
あ、君たちの分も僕が運んであげるよ︎︎」
︎︎リンゴをもぎ取る気軽さで、空いたパレットに土袋を詰むと、よっこいしょ、とパレットを軽々運ぶ。
︎︎瞬間、猿渡は皆のヒーローになった。
「うおおお!凄いぜ、猿渡!︎︎」
「俺たちにはできないことをやる、そこにシビれる、憧れるー!」
「猿渡に任せておけば、安心だわー」
︎︎しかし、燈里はその危険性にいち早く気づいた。
「なあ、猿渡。お前のソレって、瓜生とか高桑への怒りで変身してるんだよな?」
「うん、あと藤居もね!」
「それって、作業に参加しないヤツらへの怒りってことだろ?」
「そうだよ。皆で一致団結しようって時なのに、自分たちだけサボるとか、最悪だよね!」
「お前が皆の分の仕事を引き受けたら、皆は仕事がなくなって、結局サボることになるんだが、それは許せるのか?」
「うっ……それは……」
︎︎猿渡の変異が解けていく。
︎︎それまで猿渡を持ち上げていたやつらも、実は暴走の危険があったと知って、急に静まり返った。
「こ、こほんっ……さあ、仕事しようぜ!」
「人間、地道が一番だよな……」
「そうそう、コツコツ、やれる範囲でね!」
︎︎簡単に手のひら返しをするクラスメイトたちのノリだけの生き方に思うところがないでもない燈里だったが、となりの義己が、ふぅと肩の力を抜いたことで、少なくとも一人は自分と同じように危機感を抱いていた友がいる、と嬉しくなるのだった。
「ダメだなあ、僕は……いっつも望月君に諭されてばっかりだ……」
「そんなことないよ、俺だって猿渡が『直居覚醒』を使いこなして、皆の役に立とうとしたのは感動した。
『ムーンディスク』︎︎の平和的利用の第一歩だろ。
ただ、怒りで力を維持するって、あんまり平和的じゃないなって思って、猿渡の怒りの根源を冷静に考えたら、︎︎危ないと思っただけだ」
「冷静かあ……」
︎︎猿渡は遠く澄み切った空を見つめる。
︎︎そんな猿渡の横に立って、義己も同じように空を見つめた。
「そうだな、冷静さは大事かもな。
特に俺やお前みたいな︎︎、体の大きさが変わる『ムーンディスク』持ちは、変異の代償がでかい……ほら、使えよ」
︎︎義己はあえて猿渡を見ずに、首に掛けていたタオルを猿渡の顔の前に突き出す。
︎︎でかい代償、服が敗れ散るのは、色々な意味ででかい代償かもしれない。




