魂鏡六、放課後
︎︎その日の放課後。
︎︎義己は、妹である仁美のお見舞いがあると先に帰っていった。
︎︎燈里も素直に帰っても良かったのだが、義己や仁美のことを調べたいと思い、図書室へと向かった。
︎︎図書室は部活と違い図書委員たちで運営されている。
︎︎図書委員は生徒会の下部組織なため、生徒会の肝入りで放課後でも利用ができるのだった。
︎︎燈里の父は宇宙考古学と考古学を繋げる研究をしている学者だ。
︎︎父は文献資料の大切さを燈里に解いていて、ネットで調べた資料の脆弱性を危ぶんでいる。
︎︎そんな父の薫陶を受けた燈里は、知識は文献から得るのが一番と考えているため、図書室へとやって来た。
︎︎ただ、燈里が父と違うのは、ネット検索も鵜呑みにせずに活用しているというところだろう。
︎︎さらり、と検索すれば、牛頭人身の神話が幾つかあることに気づく。
︎︎目立つところで、ギリシア神話のミノタウロスか仏教で言う牛頭天王辺りだろう。
︎︎浮島第一高等学校は宇宙開発公団に近いこともあって、宇宙考古学関連や宇宙関連、物理や古典などの蔵書が充実しているため、その図書室はかなりの大きさを誇る。
︎︎しかし、今の時勢、せっかく生徒会の肝入りで放課後の開館を許されても、閑散としていた。
︎︎節電のためか、図書室内は全体的に薄暗い。
︎︎人気の小説、大学受験コーナー、宇宙考古学関連などは照明が着いているが、そこまでだ。
そこ︎︎を通り過ぎて、さらに奥、哲学、心理学、神話などが集まるコーナーまで何とか辿り着く。
︎︎そこまで来ると、背表紙が何とか読める程度の光量しかない。
︎︎借りるだけなら困らないので、燈里は無理に図書委員に灯りをつけてくれというのは、はばかられる気がした。
︎︎すると、さらに奥から囁くような声が聞こえる。
「や、やめてください……」
「ふへへ、静かにしろよ、すぐ済むから……」
「おねがい……やめて……」
︎︎文言から察するに、婦女子を襲う暴漢の声だが、最近のラノベやアニメでは、これが勘違いだった、という展開も良くある話だと、燈里はダメな妄想を捗らせながら、息をひそめて近づくことにした。
︎︎何か踏んだ。学校指定のシャツやブラウスによく使われるボタンだった。
︎︎燈里は、瞬間、頭に血が昇りそうになるが、必死に自分を抑える。
︎︎燈里は喧嘩をしない。いつでも自身が冷静であろうと努める。
︎︎それは燈里に刻まれた自己防衛の術だ。
︎︎棚に身を隠すようにして、そっと状況を見極める。
︎︎女の子が襲われていた。
︎︎ブラウスが引きちぎられ、中のブラジャーが見えてしまっている。
︎︎男に後ろから押さえつけられ、スカートを脱がせる脱がせないの攻防をしている。
「……やるしかないか」
︎︎燈里は小さく呟く。それから自分自身に、もう一度、熱くならない、冷静に、と呪文のように語りかけた。
︎︎無体を働く輩への怒りは腹の底で、ぐつぐつと煮込まれている。
︎︎手近にハードカバー、五百頁の哲学辞典があるので、借りることにする。
︎︎音を立てないように、棚を裏から回る。
︎︎哲学辞典を振り上げる。巨漢の大男だ。
「何してんねーん!」
︎︎言うと同時に哲学辞典を振り下ろした。
「おごっ!」
︎︎男が戸惑い振り向くのを無視して、女の子の手を取って男から引き剥がす。
︎︎女の子は吹田葵だった。
︎︎葵は明里の剣道部の後輩だ。
︎︎いきなりの出来事に葵は目を見開いて燈里を見ている。
「葵ちゃんっ!? いや、そんな場合じゃなかった、逃げ……︎︎」
︎︎全てを言う前に、燈里は肩口を捕まれ、引き倒された。
︎︎さらに、パンチが飛んで来る。
「てめえ、死にてえらしいな、クソ野郎!」
︎︎燈里は何とかガードを上げたが、痛いものは痛い。
「先輩っ!」
︎︎葵が叫ぶ。それに大男が気づく。
「なんだよ、黒木の金魚のフンじゃねえか!」
︎︎さらにマウントを取った大男からパンチが降ってくる。そこで燈里もようやく気づく。
︎︎男は高桑亮吾、瓜生の腰ぎんちゃくだった。
︎︎騒ぎに気づいたのか、図書室全体の照明が点けられた。
「お前、本読むタイプじゃないだろ」
「ははっ、狩りをするなら獲物がいるところに決まってんだろが!」
︎︎そう笑って、亮吾の拳がさらに追加されようとしたところ、一冊の本が亮吾を仰け反らせた。
「先輩を放して!」
「くくっ……いいねえ……気が強い女も嫌いじゃない……」
︎︎言って、渾身の一撃が燈里の胸に落とされた。
︎︎それは本来ならば、そこまでの打撃にはならないはずだ。
︎︎燈里は腕でガードしているし、胸は骨によって守られている。
︎︎しかし、興奮した亮吾のパンチは赤熱したかのように威力を増して、燈里のガードごと胸を押し潰した。
︎︎肺の空気を一度に全部持っていかれ、燈里は激しく咳込む。
︎︎そんな燈里を無視して、亮吾は葵を睨め付けるように立ち上がった。
「せ、先輩にヒドイことしたら、許さないんだからっ!」
「へえ……じゃあ、イイコトさせてくれんのかよ、子猫ちゃん……」
︎︎葵の怯えを感じ取って、亮吾はいやらしい笑みを浮かべる。
︎︎しかし、その顔はすでに元の顔ではない。
︎︎頭には二本の角が生え、牙が伸びている。
︎︎瞳は魔物化を物語るように、爛々と黄色く光を放ち、全身が赤く染まり、ゆっくりと服が破けていく。
「グヘヘ、たっぷり可愛がってから、頭から食ってやろうか?」
︎︎亮吾は赤鬼として覚醒した。
「ひっ……」
︎︎葵は震えた。それでも、気丈に立っているだけマシかもしれない。
「図書室内では静かに……ひぃぃぃっ!」
︎︎様子を見に来た図書委員が、赤鬼に腰を抜かし、這う這うの体で逃げていった。
︎︎燈里は幼い頃、よく父の発掘に連れて行って貰っていた。
︎︎あれはどこだったか覚えていないが、発掘員たちの真似をして、父の近くの土を掘り返して遊ぶのが好きだった。
︎︎その日も、小さなシャベルを手に、土を掘り返す。
︎︎しかし、その日の土はやけに硬かった。
︎︎父は全体の指揮を取っていて、発掘された土器を検分したりと忙しそうにしていた。
︎︎燈里は始め、父のテント内にいたが、硬い土を避けて、柔らかい土壌を探して動き回っていた。
「望月先生、この石鉢は……」
「ああ、見つけたかもしれん……」
「竹簡です!大量の竹簡が!︎︎」
「何っ!すぐ行く!︎︎」
︎︎何らかの大発見。だが、幼い燈里はまだ大発見ができずにいた。
︎︎沸き立つ発掘チーム。それを尻目に、燈里もようやく大発見をした。
︎︎柔らかい土だ!
︎︎しかし、熱中していた燈里は、おむすびころりんよろしく、山中の坂を転げ落ちてしまう。
︎︎山中には小さな祠が建っていて、何故かその祠の前で燈里は見つかった。
︎︎その日から、燈里は熱を出した。
︎︎綺麗な着物を何枚も重ね着した女の人が、燈里の手を取って懇願している。
︎︎燈里はため息を吐いて、了承した。
︎︎それから、御簾越しの男性が、なんだかふざけたことを言ったような気がした。
︎︎燈里は満月を見上げて、とても切ない気持ちになっていた。
︎︎そんな夢を見るようになった。
︎︎お医者さんからは『夢遊病』ですと診断された。
︎︎そうして、しばらくして、燈里は自分の肉体の変化に気づいた。
︎︎『夢遊病』で変な夢を見ると、手足が土で汚れていて、たまに白い綿毛がついていた。
︎︎怪我をすると、すぐに治った。
︎︎『夢遊病』は小学校低学年で治ったが、興奮すると、腕や足、時には胸や背中に白い毛が生えてきた。
︎︎それは燈里にとって警告みたいになっていて、冷静に心を落ち着けると引っ込んでしまうのだ。
︎︎燈里は夢を見た。
︎︎自分が一匹の獣になって、野山を駆け回る夢だ。そして、夢の最後は必ず月を眺めて終わる。
︎︎多分、親にもバレていないと思う。
︎︎父はしょっちゅう発掘調査で家を開けていて、母はパートで家計を助けていた。
︎︎燈里は坂を転げ落ちてから、父に連れられることはなかったし、自分のことは自分でやるのが当たり前になっていた。
︎︎だから、夢から覚めて、自分の顔が兎になっていた時も、叫ばなかった。
︎︎どちらかと言うと、もっと狼とかかっこいいのが良かったと思うくらいだ。
︎︎それから、努めて冷静に心を落ち着けると、元に戻った。
︎︎たぶん、祠で何かに祟られたんだろうというのが燈里の見解だった。
︎︎だが、『魂降りの災禍』から意見が変わった。
︎︎よくよく記憶を思い返してみると、祠にぶつかって、祠の扉が開いて、中から何かが落ちてきたように思う。だが、それは影も形もなくなっていた。
︎︎そして、それは父が探し求めていた『アースディスク』なのかもしれないと思い始めていた。
︎︎月に運ばれた『ムーンディスク』。
︎︎運ばれなかったのか、残されたのか、もっと古い時代に何かあったのか、地球にある『アースディスク』。
︎︎しかし、燈里はまだそのことを父に言えてない。
︎︎はた、と意識が戻る。
︎︎がたんっ!︎︎と音がして、葵が小さな悲鳴と共に壁に突き飛ばされていた。
「おっと、強すぎたか?
どうにも力が溢れて止まらねえんだ、グハハハハッ!︎︎」
︎︎亮吾は誇示するように指を一本立てて笑っていた。
「望月先輩……」
︎︎葵は片手でどうにかブラウスを押さえながら、涙ぐんだ。
「高桑、亮吾!」
︎︎燈里はハンドスプリングで立ち上がると同時に相手の名前を呼んだ。
︎︎普段なら、飛び上がるように立ち上がるハンドスプリングなど到底できない燈里だが、何故かこの時はできるという確信があった。
「はあ? もう復活したのか、ゴキブリ?︎︎」
「ああ、昔から怪我の治りだけは早いんだ」
「フハッ、お前が死んだら、黒木のやつ、どんな顔をするだろうなあ!」
︎︎赤鬼と化した亮吾の巨体で腕を振り回せば、本棚など簡単に倒れてしまう。
︎︎倒れた本棚は将棋倒しの要領で、広い空間を作った。
︎︎そして、亮吾は突進する。
︎︎ダンプカーが走ってくるようなものだ。
「怖いなあ……簡単に死ぬとか言うなよ」
︎︎燈里は身体を沈み込ませ、ジャンプの要領で亮吾の顎にアッパーを見舞った。
「ぐぶっ……」
︎︎亮吾がもんどりうって倒れる。
「かってえ!手ぇ無くなるかと思った……︎︎」
︎︎燈里の手は、いつのまにか白いもふもふに覆われていた。
︎︎服が破けるほどの変異ではないからか、表向きには分からないが、おそらく足も変わっているのだろう。
︎︎燈里は痛そうに手を振った。
︎︎その手はぐちゃぐちゃだった。硬い鉄板に容赦なく拳を振るえば、おそらくこうなるだろうという、ぐちゃぐちゃ具合だ。
︎︎燈里が反対の手で指を伸ばす。どうにか元の形を取り戻そうとでもいうのだろう。
︎︎そして、その手は、しゅうしゅうと煙を上げながら瞬間的に治っていく。
「デメエッ、殺しテヤル……」
︎︎亮吾が、フラフラと立ち上がる。
「マサカ、デメエも『ムーンディスク』に選ばれてイルとはな……」
︎︎『ムーンディスク』でいいのだろうか、いや、たぶん似たようなもんだろ、と自問自答してから、燈里は胸を張った。
「ああ、たぶんな!」
︎︎これまで隠して生きて来た。
︎︎だが、化け物が自分だけではないと知って、燈里の中で何かが吹っ切れた瞬間だった。
「ダが、半端だ……半端な覚醒しかしてないヤツに、人を殺したこともないヤツに、俺が負けるかーーーっ!」
「なんだよ、その人を殺したことがあるような口振りは?」
︎︎亮吾のパンチを燈里は難なく躱す。
︎︎まさしく鬼のように硬い皮膚、身体を倍加させるほどの筋肉、だが、遅い。
︎︎しかし、亮吾は当たるまで殴ればいいとでも思っているのか、腕を振り回し続ける。
︎︎無限のスタミナでもあるかのようだ。
「グハハハハッ!知らねえのか?
覚醒は人を殺して、初めて完成する……︎︎︎︎半端者じゃねえ! 俺は半端者じゃねえんだよぉぉぉ!︎︎」
︎︎亮吾の言葉は途中から悲痛な叫びのようにも聞こえる。
︎︎燈里は何となく理解してしまう。
︎︎十年以上、覚醒を抑え込んで来た経験がある。
︎︎強い感情、それが覚醒を促す。もし、燈里が感情を制御せずにトラウマや快楽に溺れでもしたら、それを引き金に覚醒状態を引き出すのは簡単だと考えていた。
「もしかして、誰かに吹き込まれたのか?」
︎︎亮吾の言動は自分を騙しているように思えて、裏に誰かの意志があるのを燈里は感じていた。
「違う! 俺は自分で決めたんだ!
そうだ……俺が選んだ、あの人に認められるために!︎︎︎︎︎︎」
︎︎爛々と黄色く光っていた亮吾の瞳が淀む。
︎︎それは必死に自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる。
「悲しいな、お前……」
︎︎燈里は右、左とジャンプを繰り返して、勢いをつけると、もう一度、亮吾の顎を狙って腕が砕けるほどのパンチを見舞った。
「俺を憐れむんじゃ……ね……」
︎︎ガクリ、と亮吾は膝から崩れ落ちた。
「あいててて……やっぱ、これ以上、無理だわ……義己っちみたいにはいかないや……」
︎︎燈里は、もう一度、ぐしゃぐしゃになった拳が治るのを待って、葵に手を伸ばす。
「葵ちゃん、逃げよう!」
︎︎葵は何と答えればいいか分からず、ただ頷いて、燈里の手を取った。
︎︎まだ少し、もこもこが残った燈里の手は葵にとって温かかった。
︎︎図書委員はすでに逃げた後で、燈里と葵は何も考えずに逃げ出したのだった。




