魂鏡三九、毒対猫
莉緒は追いつける自信があった。
逃げるおじさんは、おじさんの割には走れるようだが、バタバタとした走り方はどこか無理をしているようで、今にも息が切れて止まってしまいそうな危うさがある。
「ひぃぃぃ〜、関係ないって言ってるでしょう〜」
「な・に・と、関係がないのよ!」
「だから〜『マナ……』あぶっ!
な、なんで分かるんだ〜!」
「分からいでかー!」
おじさんが逃げながら、小さく呟く。
「分かるなら、追って来るなよ……ガキが……」
全速力で走る莉緒だが、それでもおじさんには追いつけない。
何故だ、と思えば、おじさんの下半身がダチョウになっていたからだ。
バタバタは、いつしか、バダダダダダダに変化して、尻尾が生えて、それが伸びて来た。
ドスッ、と地の底を這うように伸ばされた尻尾が莉緒の太ももに刺さったかと思えば、おじさんの走るスピードに追いつけなくなって、抜けた。
莉緒は足をもつれさせて、転ぶ。
同時に後方でシャッターが落ちる音がする。
「お前、俺のことバカにしてたろ?」
「……。」
莉緒は何とか立ち上がろうと藻掻く。
「この姿はギルタブリルって言うらしい。
サソリ人間だとよ」
ダチョウの羽の間からサソリを象徴する二本のハサミが伸びる。
「最初は戸惑ったけどな。
足は早いし、ハサミは怪力で、サソリの尻尾は他人を黙らせるのにうってつけだ。
俺をバカにしてたやつは、みんないなくなる。
最高だろ?」
おじさんはサソリのハサミを、ガチガチと合わせて、笑った。
莉緒が片足を引きずりながら立ち上がる。
「私がバカだったのね……少し考えれば、これが罠だってすぐに分かるはずなのに……でも、私はおじさんみたいに、卑屈にならない!
バカのフリして、バカにされるのは当たり前でしょ。
だからってそれを暴力で解決するんじゃ、本当のバカになるじゃない!
何かを守るために暴力が必要な時もある。
でも、それは自己満足を得るためじゃない!
それくらい、高校生の私にだって、分かるわ!」
「はあ?
難しいこと言って、ケムに巻こうとするんじゃねえよ!
俺をバカにするやつには、お仕置きしてやる!」
「それが本当のバカだって言ってんの!
思い知りなさい!
『直居覚醒』!」
莉緒が龍人へと変身する。
「智器照臨、【水神の咆哮】!」
龍人となった莉緒の周囲を水の膜が覆う。
その水の膜から放たれる水撃を、莉緒は細く細くと望んだ。
あの河童星人が使った高圧水流のように、全体に圧力を掛け、引き絞るように放つ。
「バカが! 遠距離なら勝てるとでも思ったか!」
おじさんのサソリハサミが水流を弾く。
莉緒の試みは確実に威力を上げていたが、まだ全てを切り裂くには足らなかった。
ダダ、とおじさんのダチョウ脚が地を蹴り、一瞬で距離が詰まる。
「片足で足らないなら、もっとだ!」
莉緒の頭上から、サソリ尻尾が降って来る。
莉緒は片足に力が入らないまま、どうにかソレを避けようと上体を逸らす。
莉緒の肩口にサソリ尻尾が刺さる。
剣道ならば無効打だったかもしれないが、肩口から回った毒が莉緒の動きを縛る。
「くっ……」
「おらぁ!」
怪力だと自慢していたサソリハサミが水の膜を破って、莉緒に叩きつけられる。
龍の鱗も衝撃を消してくれる訳ではない。
莉緒は風に舞う落葉のように、右に、左に揺らめく。
「ははは、立っているだけで、どうしようってんだ?
俺をバカにするから、そういう目にあうんだよ!
バカにしやがって! バカにしやがって! バカにしやがって!」
莉緒の身体は立っているだけで奇跡と言ってもいい程に、全身にギルタブリルの毒が回っている。
痺れがやがて麻痺になり、身体が動いているかどうかも分からない。
正直、左半身は殴られても痛みすらない。
これはしくじった、と莉緒は心の中で歯噛みする。
そして、もしかして、もう終わりなんじゃないかと思う。
ただサンドバッグのように殴られ、右から感じる痛みも薄れてきた。
『死』が迫っている。
麻痺に合わせて、心までも痺れてきたように感じる。
悔しくても何もできない自分。
気力だけで立ち続けている。
あれ? なんで立っているんだっけ? と次第に全てが麻痺していく。
鼻の奥に、ツン、とした刺激臭を感じる。
それが、涙なのか、なんなのかも分からない。
ジュクジュク、とした音が莉緒の身体を叩く肉の音と合わさって、これが『死』の音なのかな、とか思う。
「義己ちゃん、投げるニャ!」
「マジか……どうなっても知らねえぞ! こんのっ!」
ああ、叶和の声だ。それに黒木くんの声も。
走馬灯にしては変な取り合わせだな、と思う。
だが、そんな莉緒の感覚とは裏腹に、シャッターに空いた小さな穴。
その腐食毒に塗れた穴を弾丸のように、猫人間と化した叶和が抜けて来る。
「莉ー緒ー!」
ミノタウロス化した義己に投げ槍の要領で投げられた叶和が、ギルタブリルと化したおじさんにクロスチョップを見舞う。
「おぐっ……」
おじさんが尻もちをついた。
おじさんは、一瞬で息が詰まったのか、バタバタと藻掻いている。
「莉緒、今、助けるニャ!」
叶和が莉緒に駆け寄る。
そこは砂漠地帯だ。
彼女は雄大なる川のようにそこにあった。
普段は流れるままに踊りを楽しみ、時に氾濫して全てを押し流すように爪を振るうが、その本質は妻であり、母なのだ。
汚れを洗い流すように、人々に癒しを与える。
喉の乾きを潤し、灼熱の暑さから庇護する。
「親器君臨……【癒しのナイル】!」
叶和の掲げた両手から噴水のように癒しの水が噴き出した。
踊るように、くるくるとターンすると、癒しの水が莉緒に降り注ぐ。
莉緒は涼しげな風を感じる。
身体中に溜まった熱が、癒しの水によって冷まされる。
身体は痺れるが、少しずつ感覚が戻って来た。
「何しやがる、ガキ!」
立ち上がったギルタブリルが怒りに顔を赤く染める。
「次は私が相手ニャ。
勇器来臨! 【殺戮者の顔】」
叶和の頭上に赤い玉が浮かぶ。それも紅玉のような透き通った物ではなくて、赤い絵の具を固めたようなピンポン玉くらいの小さな赤い玉だ。
それと同時、叶和の手にはケペシュと呼ばれる鎌形の剣身がついた二本の剣が生み出される。
反りを抑えたハテナマークのような形の剣だ。
ケペシュは両刃で、外側の刃は投擲武器として、内側の刃は近接武器として使うという風変わりな剣である。
叶和は二本のケペシュを手首で回して、その使い心地を試した。
猫人間と化した身体はケペシュの使い方を覚えているが、叶和はそれに任せた剣を振るうつもりはない。
どう動かすかを天性の勘で見つけていく。
「こういうことニャ!」
剣を回転させながら、自身もターンして、剣舞のようにケペシュを振るう。
ギルタブリルがサソリハサミでどうにか剣を受け流す。
「熱ッ!」
ギルタブリルのサソリハサミ、その甲殻が煙を上げる。
叶和のケペシュの剣身は、頭上の赤いピンポン玉によって、熱を持っていた。
「ヒートソードって感じだニャ。
しかも、投げられるニャ!」
慌てて距離を取ったギルタブリルに向けて、ケペシュの一本を投擲する。
ギルタブリルの上半身、おじさんの肩口にケペシュが突き刺さる。
ジュワッ、と肉が焼ける。
「ぎ、ぎぃやあああ!」
ギルタブリルが後退りしながら、剣を抜こうとするが、剣に触れれば肉が焼ける。
「熱い! 熱い! 熱い!」
おじさんの両手の皮が、べろべろになって、どうにかケペシュを抜き捨てたが、おじさんは既に弱気になってしまっていた。
「く、くくく、来るな……。
来ないでくれ〜!」
叶和は壁を蹴って、右に左にフェイントを入れながら距離を詰める。
急角度でおじさんの正面に姿を表す叶和。
しかし、おじさんの狙いはこの時だった。
ギルタブリルのサソリ尻尾。
意識が正面に集中している時、頭上から襲い来るサソリ尻尾は、この上ない奇襲となる。
だが、叶和の持つ闘いへの天性の勘は恐るべきものがある。
叶和は少しだけ首を傾けた。
叶和の動きに合わせて、頭上の赤いピンポン玉がズレる。
ゴウッ! と赤い玉に刺さったサソリ尻尾が炎上した。
おじさんは驚きに目を剥いた。
そして、その顔のまま、叶和のケペシュに何度も斬りつけられて、全身から血を噴き出して倒れたのである。
「浅黄さん、藍沢さん!」
ようやく、人ひとり通れるくらいまで溶けたシャッターの穴から燈里が走って来る。
「もう終わったニャ」
おじさんの返り血で顔やら制服やらを真っ赤に染めた叶和は、妖艶に笑うのだった。
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今、書き溜めが五話くらいしかないです。
がんばれ、自分!




