魂鏡四、学校再開
「えー、そういう訳で、お前たちに日常を取り戻させる一貫として、学校が再開されることになった。
ただ、よく考えて欲しい。
本土とは交流できず、復興作業の人手も足りていない。資材や食料の不足という問題もある。
俺だって、まだ支援住宅暮らしをしている。
つまり、本来ならお前らにかまけている時間などない。
今回のことで出て来られなくなった先生もいる。
俺が言いたいのは、甘えるな、ということだ。
問題を起こさず、文句を言わず、規律に従って生活しろ。
それが嫌なら、こんな学校なんぞ︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎辞めて、復興作業の手伝いでもしろ。
いいな。以上だ……︎︎」
︎︎疲れた顔をした丸岡先生は、元々物分りのいい、友達みたいに生徒に接してくれる教師だった。
︎︎多少の贔屓や体制批判などはあったが、三十代という若さもあって、学校内での人気は高い方の教師であった。
︎︎しかし、それは余裕があった頃の話だったのだろう。
︎︎ひと皮剥けば、と言っては失礼かもしれないが、状況が人を変えてしまったのかもしれない。
「はい、質問です!」
︎︎こんな状況で元気よく手を挙げたのは、橙山明里だった。
︎︎その勇気に思わず燈里は、前の席の義己と目を見合わせた。
︎︎既に出席簿を閉じて、職員室に戻りそうな態度を取っていた丸岡先生は、煩わしそうに「なんだ?」と視線を向けた。
「部活はできますか?」
「できる訳ないだろ。部活は禁止だ……」
︎︎丸岡先生はほんの小さく「馬鹿が……」と付け足した。
︎︎その声は普段なら聞こえない程度の囁きだったはずだが、丸岡先生の豹変ぶりに面食らった生徒たちには、やけに大きく響いた。
「先生……受験対策教室は?」
︎︎おずおずと声を上げたのは、難関大志望だと今の時期〈燈里たちは高校二年生である。〉から表明している猿渡亨だった。
︎︎学校内では二年生から受験対策教室という時間外の特別授業を選択できる。
︎︎丸岡先生は受験対策教室の受け持ちでもある。
「ちっ……本土に渡ることもできないのに、お前はどこを受験するつもりだ?
いいか、政府は俺たちを見捨てたんだ!
訳の分からない未知のウイルスなんてでっち上げを作って、化け物が蔓延るこの浮島を見捨てたんだよ!
それなのに、何が受験だ?日常なんて戻って来ないんだよ!クソが!︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎」
︎︎今回の学校再開に反対しながらも、ギリギリのところで持ちこたえていた丸岡先生がキレた。
︎︎出席簿を教壇に叩きつけながら、罵声を浴びせた。
︎︎はあはあ、と荒い息を吐いて、スンと無表情になった丸岡先生が、もう他に面倒くさいことを言うやつはいないな、と辺りを見回す。
︎︎猿渡は頭を抱えていた。
「嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、ウソだ、ウソだ、ウソだ、ウソだ、ウソだ、ウソだ、ウソダ、ウソダ、ウソダ、ウソダ……」
「猿渡くん……」
︎︎明里が呟いた。
「ア、ア、ア、アアアァァァッーーー!」
︎︎猿渡が変化していく。
︎︎皮膚が黒くなり、爪が伸びて、髪は抜け落ち、耳が伸びていく。
︎︎身体が膨れ、制服を破ってコウモリのような翼が見えた。
︎︎それは中世西洋建築に見られる『ガーゴイル』のように見える。
︎︎一瞬で教室はパニックになった。
「マルオガセンセー……ナンデ……ナンデ、ソンナゴトオオオッ!」
「ひ、ひぃっ……化け物……」
︎︎丸岡先生は慌てて教室から逃げ出した。
︎︎それを見て、他の生徒たちも教室から逃げて行く。
「猿渡っ!
落ち着け!悔しい気持ちは分かる。
丸岡先生だって、状況がこんなだから、つい嫌な気持ちをぶつけただけだって、じゃなきゃ、他の先生みたいに、そもそも学校に来たりしないだろ!︎︎︎︎︎︎」
︎︎燈里は立ち上がって、必死に猿渡を宥めようとした。
「ウアアアアッ!」
︎︎猿渡が手近にあった机に拳を叩きつける。
︎︎轟音が響き、机の天板は割れ、鉄パイプは簡単にひしゃげた。
「きゃああああっ!」
︎︎逃げ遅れた女子生徒の悲鳴が響く。
「由香っ!」
︎︎明里が腰を抜かした女子生徒を助けようと走った。
「ウウウッ……ウガアッ!」
︎︎猿渡が子供のように、いやいやと身体を振った。
︎︎机や椅子が吹き飛ぶ。誰かのカバンや筆記用具が宙を飛んだ。
「猿渡、よせ!」
︎︎義己が両手を広げて猿渡の目の前に立った。
「グッググ、う……ガアアアアッ!」
︎︎一瞬だけ、猿渡の目に理性の光が戻ったかに見えたが、興奮した猿渡は義己にパンチを放った。
︎︎咄嗟に義己は両腕をクロスさせて自身を守る。
︎︎瞬間、義己のクロスさせた両腕が膨れ上がり、肩から袖を、びりびりにした。
︎︎ずどん、と肉と肉がぶつかる鈍い音が響くが、義己はそこに踏ん張っていた。
︎︎義己の両腕は、まるで獣のように艶のある茶褐色の短毛で覆われ、猿渡に勝るとも劣らない筋肉の巨腕に変化していた。
「義己っち!」
「は、はは……俺の身体……どうなってんだ……」
「いいから、猿渡を止めてやってくれ!」
︎︎燈里が叫ぶ。
︎︎その言葉で我に返った義己が、ヤケクソで叫ぶ。
「ちくしょー、猿渡、頭冷やせよ!」
︎︎義己のパンチが猿渡の顔面にクリーンヒットする。
︎︎猿渡はその一撃で足を、ガクガク揺らして尻もちをついた。
「グ、くろ、キ……」
︎︎燈里はすぐさま猿渡に駆け寄ると、臆することなくガーゴイルと視線を合わせる。
「猿渡、しっかりしろ。
俺が分かるか?︎︎」
「も、もち月……」
「大丈夫だ。今は丸岡も余裕がないから当たり散らしてるだけだ。
政府だって、この区の大人たちだって馬鹿じゃない。永遠に封鎖なんてできないし、︎︎ちゃんと考えてるはずだ。それに、世論だって許さないよ、こんなこと」
︎︎燈里の言葉にガーゴイルが小さく、コクコクと頷いてみせる。
「直居教授のSNSは見たか?
お前、祭りの日に怪我したんだろ。
直居教授が言ってた、直居覚醒ってやつだと思う。
猿渡……今は難しいかもだけど、まずは自分で心の整理をするのが最善かもな……︎︎︎︎」
「ド、どうやって……」
「いい大学に行くのが目標なのか、いい大学を出て、何をするのが目標なのか、自分がやりたいことをするために、いい大学に行く以外の道はないのか、とかさ。
まあ、猿渡より勉強ができない俺が言うことでもないんだけど……ははっ……︎︎」
︎︎燈里の言葉が効いたのかどうか、猿渡はだんだんと元の猿渡になっていく。
「望月……うん、考えてみるよ」
︎︎猿渡が、やはり頷いた。
︎︎そんな猿渡の前に、もう一人。義己が燈里に並んで座り込む。
「猿渡……とっさのこととはいえ、殴っちまって悪かったな……」
︎︎いつのまにか獣化した腕を元に戻した義己が、頬をかいて、申し訳なさそうな顔をした。
︎︎猿渡はかぶりを振って、義己をしっかりと見た。
「ううん……僕こそ、ごめん……。
それと、二人とも、ありがとう……︎︎」
︎︎猿渡は照れたように笑った。
︎︎そして、燈里は急に真剣な表情になって、猿渡に耳打ちする。
「ちなみに猿渡……今日、ジャージとか持って来てる?」
「いや、体育とかないし……」
「だよね。
︎︎義己っち、身体寄せて……」
「お、こ、こうか?」
「おーい、明里ー、何か着る物ない?」
「何よ、いきなり」
︎︎クラスメイトを庇っていた明里が、身体をねじって燈里たちの方に目をやる。
「わー、ばかばか、こっち見んな!」
「はあ? あ、はだ……か、きゃあっ!︎︎」
「え? はだ……あばばばば……︎︎」
︎︎猿渡の巨大化に服がついていける訳もなく、戻った時には、猿渡は裸族だった。
︎︎しかし、さっきまでの猿渡には、そんなことを気にする余裕などなかったのだ。
︎︎言われて気づき、慌てて隠す。
︎︎それでも、燈里と義己の人間バリアーによって、静かになったと教室の外から集まって来た、眺める人々からは猿渡の尊厳が隠されていた。
︎︎ついていなかったのは、教室内に、つまりあまり大声を出さなくて済む範囲に居たのが、明里だったということだろう。
「ちょ、そういうのは先に言いなさいよ、バカ!」
「どうしよう、僕もうお婿に行けないかもしれない……」
︎︎猿渡が情けない声を出す。
「大丈夫だ、猿渡。明里ならきっと頼りがいのある夫になるよ!」
「ああ、俺もそう思う……」
︎︎燈里の爽やかな笑顔に義己も賛同した。
「ふざけんな、誰が夫か、馬鹿ども!
ちょっと保健室に着替えがないか聞いてくる。
ほら、立てる、由香?あっちは見ないようにね、馬鹿が伝染るから……︎︎︎︎︎︎」
︎︎明里はそう言ってクラスメイトを連れて、保健室に行くのだった。




