魂鏡三一、逃亡者
「自主練くらいいいじゃないですか!」
ある日の職員室、放課後でのことである。
剣道部の面々である明里、叶和、莉緒、葵が揃って職員室内で直談判している。
職員が不足している現状、明里たちの交渉相手は担任を越え、武道館の鍵を持つ体育教師を越え、教頭が相手をしている。
「橙山さん、周りを見てください。
残っている教職員は全体の三分の一ですよ。
この状態で誰があなたたちの面倒が見られると言うんです?」
「ですから、自分たちの面倒は自分たちで見ます!
場所だけ貸してくださいとお願いしてるんです」
「場所を貸したら、責任というものが……」
「今さらじゃないですか?
『ムーンディスク』保持者の暴走に関しては、生徒会に一任して、学校で責任は取ってらっしゃらないですよね?」
「それは生徒会長の楠木君が任せて欲しいと言ったからで……別に学校側で責任を取らないと言っている訳では……」
「同じことじゃないですか。
学校側に責任を取れとは言ってないですし、責任は自分たちで、しかも、自主練でいいとお願いしてるんですけど?」
「はあ……もう分かりました。
根負けですよ。剣道部の自主練を許可します……」
「「「やったー!!!」」」
「……ただし、休みの日は認めませんし、時間は夕方六時まで、いいですね!」
「はい、もちろんです!
先生方にご迷惑をおかけしませんので!」
「鍵は職員室に必ず戻すように」
「はい。ありがとうございます!」
「苦節四か月。久しぶりの板の間はさぞや冷たかろうて……」
叶和が全員を脅すように言う。
「それでも、待ちに待った部活の再開だからね!
気合い入れてくよ!」
莉緒も嬉しそうに発破をかける。
「今日は掃除ですね。
あ、明日から道着持って来なきゃ!」
葵も嬉しそうだ。
「では、鍵お借りします!」
明里が言って、四人が意気揚々と職員室を出ていった。
「教頭、よろしかったので?」
「仕方ないじゃないですか。
こう連日、交渉に来られては、認めない方が疲れます。
僕が残りますから、いいですよ」
教頭が疲れたように言うが、その顔は少しだけ晴れ晴れとしていた。
ところ変わって、武道館。
がちゃり、と鍵が開いて、それまで閉じられていた重い扉が、ガラガラと開かれる。
淀んだ空気が開かれた扉の手前で滞留する。
「けほっ、けほっ……失礼します……」
それでも礼儀だけは欠かすまいと、明里はひと声掛けて、武道館の内扉をさらに開け、武道館の奥に向かって一礼してから、中に入った。
「葵、上の窓、開けて。叶和、私とまずはモップ掛けしよう」
莉緒が仕事を割り振り、それに合わせて全員が動き出す。
空気を入れ替え、ほこりを落とし、モップ掛けをしてから、雑巾掛けをする。
かたん。
その音を全員が聞いた。
誰もいないはずの教員待機室。
小さな音だが、たしかにそこから音がしたのだ。
「竹井先生のお高い竹刀でも倒れたかな?」
叶和が首を傾げた。
剣道部顧問の竹井先生は、教員待機室にお気に入りの竹刀を置いている。
今はその竹井先生も諸般の事情とやらで学校に来ていないので、お高い竹刀もそこにあるはずだ。
なんとなく、掃除をすることで武道館全体に空気の流れができたし、彼女たちが動き回ることで武道館に振動が伝わった。
だから、竹刀が立て掛けてあったなら、倒れてしまうのも有り得ることのように思える。
「高い竹刀って何が違うんでしょう?」
叶和のひとり言を聞いていた葵が疑問を口にする。
「ん〜……バランス?
後は持ち手が本革とか、良い竹を使ってるとか……ああ、振ってみれば分かるじゃんね!」
ポン、と手を叩いて叶和がいたずらっぽく笑う。
「え!? あ、いや、でも……」
葵は腰が引けている。
「まあまあ、後学のためにも、ちょっとだけね!
それに倒れっぱなしというのも、後味が悪いじゃんね」
そそくさと叶和が職員待機室の扉を開けた。
まるで忍びのような身ごなしだ。
「失礼……しま〜す……」
かちゃ、と扉を開ける。
目が合った。
「え……」
怯えたような顔をした竹井先生が、恐怖に顔を引き攣らせている。
「ひっ……ひえええええええ……」
叶和の気の抜けたような声が武道館に響いた。
「どうした?」「叶和、なに?」
全員が何事かと集まった。
「あ……」
竹井先生は口を、パクパクさせるだけで、何も言えないでいた。
「竹井先生……」
明里が呟く。
竹井先生が職員待機室にいる。
竹井先生は武道館の鍵を持っているのだから、おかしなことではない。
しかし、諸般の事情で長期休暇を取っている竹井先生が学校にいるのはおかしなことで、その上、まるで隠れるように職員待機室で蹲っているのも、おかしな話だった。
「と、とりあえず教頭先生に……」
莉緒が弾かれたように駆け出そうとしたところで、竹井先生が慌てたように声をあげる。
「ま、待て! 話を! 話を聞いてくれ!」
明里たちは、竹井先生の話を聞いた。
「……つまり、先生は『ムーンディスク』保持者になって、暴走の危険性があると思って休職、休職中に高桑が犯罪行為をしているところを見つけて、指導しようとしたら、返り討ちにあって、瓜生の『マナガルム』に拉致されて、仲間になれと脅された末、逃げ出して今は使われていない武道館に隠れていた、と?」
「……そ、そうだ」
竹井先生の話は飛び飛びで、理解するのに時間が掛かったが、明里たちはどうにか概要を掴んだ。
「例えば、区役所とかMD研究室とかに保護を求める訳にはいかなかったんですか?」
莉緒が当然のことのように言った。
「うっ……それは……その……私は教育者として、それに有段者として、自分を律しなければならないんだ。
ゆえに、瞑想もしたし、修行に没頭して、自分を律して……暴走だけはすまいと、厳しく修行に没頭して……だから、アレは違うんだ……私の意思ではなく……半ば強制というか、いや、私の望んだ姿ではなく……違うんだ……」
支離滅裂、というのだろうか。
同じような文言を繰り返し、反省しているような、他者に罪を被せたいのに、被せられないといった、憤りを感じる。
莉緒はなんとなく義己のことを思い出していた。
人を殺してしまったという事実、それと向き合う難しさ。
もしかしたら、竹井先生も同じような目にあったのかもしれないと、ピンと来るものがあった。
「もしかして、保護を求められない理由があって、それのせいでここに隠れていたということですか?」
「そ、そうだ……」
「……最近、似たような話をしていた人がいまして、その人にある人が言っていた言葉があるんです。
自分の罪を自分で裁くのは大変だ。だから、僕たち大人はそういう時、背負うことにしている、と。
生きながら、時折、振り返って繰り返さないように戒める。でも、人は楽しく美しく生きる義務があるって……」
「……。」
竹井先生は何も答えず、ただ沈黙を選んだ。
誰もが何も言えず、重苦しい沈黙が辺りを支配している。
そんな中、明里がいきなり明るく声を出した。
「あ、竹井先生、お腹減ってませんか?
おやつ代わりに買っておいたパン食べませんか?」
言って、更衣室に置いた鞄からパンを持って来る。
それは、たったひとつのあんぱんだったが、竹井先生はがっつくようにそれを食べたのだった。




