魂鏡一四、ナオイ覚醒
︎︎食堂の中は静かで、一般職員たちが息を殺すように待っている。
︎︎外では、雨音に混じって、たまにガラスが割れる音、ネットランチャーの発射音などが響いている。
︎︎元来、センタービルはスペースシャトルの離発着場、及び、確保した『ムーンディスク』の研究所としての機能を併せ持つビルだが、物々しい警備が敷かれている訳ではなく、せいぜいドローンによる電撃だとか、警棒とシールドといった程度の武器しかない。
︎︎覚醒者の暴走といった事態が起こったことで、自作のネットランチャーが使われるようになったが、射程は十メートル程しかない。
︎︎ビル内部の造りは頑強で、テロ対策に迷路化しているが、それらは時間稼ぎにしかならない。
︎︎本来ならば、それで充分なビルだったのだ。
︎︎自衛隊のヘリなら二十分掛からず到着するし、警察だっている。
︎︎だが、八十名からなる特殊部隊の最新装備に対抗できるのかと言えば、答えは否と言わざるを得ない。
︎︎サイレンサー付きのスマートライフルや音波爆弾、暗い視界での行動を可能にするナイトヴィジョン、防弾・防刃・耐衝撃・絶縁マット付きのタクティカルアーマー、それらに対抗できる装備など、このセンタービルにはないのだ。
︎︎最初のガラスが割れる音以降、ビルのサイレンは消え、雨音だけが鳴り響く。
︎︎終わったのかと勘違いしそうになるが、頭のどこかで警鐘が止まぬまま、鳴り響いている。
︎︎おそらくは始まったのだ。
︎︎サイレンが消えたのは、警備室が占拠されたからであり、ネットランチャーの音がしないのは、撃つ前に無力化されてしまっているからなのだろう。
「大丈夫……大丈夫だからね……。
このビルはテロ対策で爆弾も効かないくらい頑丈だから……︎︎」
︎︎受付で案内をしてくれたお姉さんが、燈里たちに向けて、小声で呟く。
︎︎だが、それは燈里たちを安心させるためと言うよりも、自分自身に向けて言い聞かせているようにも思える。
「くそ……なんで今日に限って私は残業なんか……」
︎︎年配の男性が頭を抱えている。
「うん、やっぱり行ってくる……」
︎︎そう呟いたのは莉緒だ。
「だよな。俺も行く……燈里は……」
︎︎義己も腰を浮かせるが、燈里を見て言い淀む。
︎︎燈里はあまり戦闘向きの覚醒者ではないと思い直したのだろう。
「義己っち……馬鹿なこと言ったら怒るよ……」
︎︎燈里は冷めた目を向ける。
︎︎しかし、燈里は今まで義己が喧嘩することになっても参加しない〈もちろん、義己が勝つと思っているからだが〉ということを続けてきた。
︎︎義己がそれを不思議に思うのも仕方のないことなのだ。
「いいのか?ケンカどころじゃ済まないかもしれないぜ?︎︎」
「ああ、色々と吹っ切れたんだよ。
それに、ここで動かなきゃ、寝覚めが悪い︎︎」
︎︎土屋の言葉で、一度は言うことを聞こうと考えた三人だったが、自分たちは覚醒者だ。
︎︎普通の人間とは違う。
「それと、治安維持は風紀委員会の仕事だろ!」
︎︎燈里はそう言って立ち上がった。
「ちょっと、今、逃げ出すのは危ないわ……」
︎︎受付のお姉さんが燈里に小声で注意を促す。
︎︎義己は、いそいそと服を脱いで、持ってきたリュックに詰めていく。
「な、な、何を……」
︎︎ひたすら、おのが不運を嘆いていた年配男性もそれを見て驚き、大きな声を出しそうになって、慌てて自分の口を塞いだ。
「あ、すいません……これしないと、また服がダメになるもんで……」
︎︎義己がパンツ一丁で立ち上がる。
「もう、脱ぐなら言ってよ……まったく……」
「悪ぃ、悪ぃ……」
︎︎莉緒が目を隠して立ち上がる。
︎︎義己が呟く。
「直居覚醒……」
︎︎義己は残ったパンツも破きながら、ミノタウロスへと変異を遂げた。
「義己っち、何それ?」
「魔法の言葉。言葉にすると、ムーンディスクと繋がりやすくなるんだってよ」
「直居……」
︎︎これは直居教授が意図的に作った言葉であった。本来ならば直霊であるが、言霊で言えば直居は直霊に通ずる。
︎︎たまたま教授の名前が直居だった。しかし、これぞ天の配剤というものなのだろう。
︎︎現に、その名を口にした燈里にも、変異の兆しが見えたのが分かる。
︎︎普段ならば、それは忌むべきこととして、冷静に心を整え、遠ざけてしまう燈里だが、今は変異の時だ。
︎︎遠ざけるのではなく、受け入れる。
︎︎ポン、と音がするような感覚で、燈里の全身は白に包まれた。
︎︎一般職員たちは声にならない叫びを上げて、全力で遠ざかっている。
「ちょっと、まだなの?」
「ああ、浅黄、もういいぞ!」
︎︎義己の言葉に莉緒が目隠ししていた手を外す。
「ひゅっ……」
︎︎莉緒は燈里を見て、変な息の飲み方をした。
︎︎目が輝き、頬が朱に染まる。
︎︎しかし、それをどうにか抑えて、莉緒は義己を見上げた。
「直居覚醒だ。浅黄も言ってみろ」
「直居覚醒? んっ……なんか、来たっ!︎︎」
︎︎莉緒もまた変異する。青い鱗に包まれた青龍の龍人だ。
︎︎燈里は、一般職員に向けてお辞儀する。
「お騒がせして、すみません。
やれるだけのことは、やって来ますので、皆さんはこのまま、ここで隠れていて下さい!
では!︎︎︎︎」
「よし、行こうぜ!」
「これ、便利ね……」
︎︎一番、身体が大きい義己を先頭に三人が出て行く。
︎︎後に残った職員たちは、何も言えずに、ただ見送るしかできなかった。




