魂鏡一〇、邪視
︎︎陸自防疫特殊班が来て三日後、防衛大臣の三成康一は、未知のウイルスを検知したとして、『浮島区』の封鎖続行を決定した。
︎︎『浮島区』側は独自調査の結果、未知のウイルスはなかったと反発したが、それは黙認された。
︎︎また、このことにより、『浮島区』の『ムーンディスク』保持者の怪物化が急増する結果となった。
「あれ、義己ちゃん、今日も休み?」
︎︎明里が燈里に声を掛ける。
「うん、詳しくは言えないけど、妹が入院してて大変らしいんだ……。
ただ、この二日くらい連絡もないから、ちょっと心配なんだよね……︎︎」
「そっか……最近、休みがちだったから、どうしたのかなとは思ってたけど、妹さん、大変なんだ……」
「まあ、義己っちから、お見舞いOKになったら教えるって言われてるから、それまではそっとしておくしかないかな」
「なるほどね、それなら、お見舞いOKになったら私も行っていいか聞いといて!
義己ちゃん、ガサツなとこあるし、女の子同士の方が話しやすいこともあると思うから︎︎」
「うん、仁美も明里だったら喜ぶかも」
「よろしくね!」
「OK!」
︎︎そんな会話をしていると、予鈴が鳴る。
︎︎二人はそれぞれの席に着こうと動いた時、教室の扉が、ガラリと開いた。
︎︎最近の丸岡先生はやる気をなくしているので、予鈴から五分くらい遅れることが多いのに、今日は早いな、と皆が考えてそちらを見る。
「政府が俺たちを見捨てたってのに、お前らは呑気に勉強してる場合か?
そんなんだから、島外のやつらにバカにされるんだろうが!︎︎」
︎︎そう叫びながら入って来たのは、全くの見知らぬおじさんだった。
「だ、誰だよ、おっさん?」
︎︎ちょうど近くにいた男子生徒が、緊張しながらも強気に発言する。
「誰じゃねえだろ!
礼儀も知らねえのか、ガキが!︎︎」
︎︎知らないおじさんは、いきなりその男子生徒の胸ぐらを掴んだ。
「うわっ……」
︎︎その瞬間、素早く飛び出して注意を引いたのは明里だった。
「すみません、どこのどちら様ですか?」
「あ、お前こそ、誰だよ!」
︎︎知らないおじさんが目を吊り上がらせて言った途端、周囲から声が上がる。
「すいません、さっきと言ってることが矛盾してませんか?」
「年上なら乱暴な言葉遣いが許されるんですかー?」
「いきなり入って来て、なんなの?」
︎︎それは輪唱のように広がっていき、皆が口々に文句を言い始める。
︎︎知らないおじさんは一瞬たじろいで、男子生徒から手を離すが、怒りに身体を、ぶるぶると震わせ始める。
「こんなんだから、テレビは俺たちばかり、悪しざまに言って……これ以上、国民ニ見放されタラ、ドウスルツモリダ……」
︎︎知らないおじさんの怪物化が始まる。
︎︎項垂れた頭は首が伸びていき、手足はサイかゾウを思わせるような厚い皮膚に包まれ、全体が死人のような青白い体色に染まっていく。
「皆、逃げて!」
︎︎明里のひと際大きな声に、生徒たちが反応して、悲鳴と共に逃げ出していく。
︎︎明里は皆が逃げる時間を稼ごうというのか、掃除用具入れからモップを取り出すと、それを剣道の要領で構えて、突っかかりに行く。
「イヤーーーッ!メーーーン!︎︎」
︎︎知らないおじさんの首はキリンのように伸びて項垂れているため、それは肩口を狙った打撃だが、綺麗に弧を描いたモップは、剣道なら一本、と呼びたくなる一撃だった。
「ナンデ俺ガ……善良ナ市民ナノニ……」
︎︎知らないおじさんだった怪物は、明里の一撃をまるで意に介さず、ぶつぶつと文句を呪文のように唱え続ける。
︎︎明里は動かない怪物に、連続して面を打つ。
︎︎怪物が頭を横に振った。
︎︎それだけで明里の身体は胴薙ぎにされ、ボールのように吹き飛んだ。
「明里!」
︎︎皆が逃げるのを見守っていた燈里は、明里が壁にぶつかる直前、脱兎の勢いで壁と明里の間に入った。
︎︎大きな衝撃音が響き、燈里から蛙が潰れたような声が漏れる。
︎︎しかし、そのおかげで燈里をクッション代わりに明里はそれほど大きな怪我はしなかった。
「と、燈里!」
「ぐ、は……あ……かり……逃、げ、ろ……」
︎︎頭から垂れる血に塗れながら、少ない酸素でどうにか燈里は呟く。
「ちょっと、しっかりしてよ……燈里……」
︎︎涙目になった明里が燈里を必死に抱き起こす。
︎︎燈里は痛みを堪えながら、腕を伸ばし、明里を少しでも廊下の方へと突き飛ばす。
「許さレナイダロ……皆ガコレホド辛イ思いヲシテイルノニ……ナニガ学校ダ……ナニガ青春ダ……ああ……ワカルゾ……声が聞コエル……智器照臨……【死を引き寄せる瞳】……」
︎︎怪物の顔が上がる。その顔は一つ目の牛だ。
︎︎魔獣・カトブレパスを擬人化した姿。それがこの怪物の『ムーンディスク』なのだった。
︎︎カトブレパスの瞳からビームのような光が、先程まで明里がいた場所に放たれる。
︎︎それはつまり、燈里に向けてだ。
︎︎燈里は動いた片手でどうにかビームを防いだ。
︎︎ビームが当たった右腕は、土になって、ボロリともげた。
「え……」
︎︎燈里は床に落ちた、元、自分の右腕だった土くれに目を落とす。
︎︎なんとなく右腕の形が残っているのが嫌だなと思った。
︎︎肘から先の感覚がない、と理解した。
︎︎全身が総毛立った。それは強い感情が呼び起こされる予兆でもある。
「う……あ、ああ……」
︎︎白いもふもふが燈里の全身を包むのが分かる。すでに首元までもふもふは侵食していて、瞳は真っ赤に染まっている。
───親器君臨・【精なる舞の泪】───
︎︎頭の中にイメージが広がり、声が響く。
︎︎イメージは白い服の女性が海面に立ち、月明かりの中、クルクルと泣きながら踊る姿だ。それは賛歌の舞踏のようでもあり、運命を嘆き波に揉まれる小舟のようにも見える。
︎︎イメージの終わりと同時にもふもふに包まれた右腕が生えてきた。
「はぁ、はぁ、はぁ……今のは……」
︎︎燈里は立ち上がる。
︎︎何故かイメージに見覚えがある。遠い昔の……と意識が過去を遡ろうとしたところで、現実が目の前に迫っていた。
︎︎カトブレパスは、変異し始めた燈里に近づいて、その長い首を振り下ろそうとしているところだった。
「うぉ……」
︎︎燈里がまずい、と思ったその刹那、誰かが腕をクロスさせて、その首を受け止めた。
「覚醒風紀委員会、浅黄莉緒、推参!」
「浅黄……」
「莉緒!」
「燈里くんも明里も無理しないでよね!
まあ、おかげで皆は逃げられたみたいだけど……︎︎」
︎︎明里の剣道部仲間である浅黄莉緒は、いつのまにやら『覚醒風紀委員会』に入っていたらしい。
︎︎それは、当然、理性を保ったままの変異を可能とした『ムーンディスク』保持者という意味でもある。
︎︎莉緒の袖まくりした腕は、青い鱗と鋭い爪でできていた。




