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中:これがあるから生きていける

 いつまでもふさぎ込んでいてはいけないと一念発起いちねんほっきしたアタシは、近所のスーパーで働き始めた。貯金はあったが、人と繋がる事で夫をうしなった悲しみを紛らわすのが目的だった。実際、職場の先輩方や常連さんはとても優しく、心にいた穴は少しずつ埋まり始めた。

 しかし――職場一番の古株で“ボス猿”とかげで呼ばれた人に、相性が合わないという理由だけでキツく当たられ、仕事のミスや些細な考えの違いに対してお客様から浴びせられる無分別なとがてには、傷のえない心を鋭くえぐった。アタシの中で負の感情がおりとなって堆積たいせきし、それがヘドロと変わりその重みで心が段々と沈鬱ちんうつな気分へ引き込まれるのを肌で感じていた。

 夫に、会いたい。叶う筈のない衝動に掻き立てられる。実現不可能と分かりながら、無性に心が欲していた。

 いや……その渇望かつぼうを満たす方法を、アタシは知っている。スマホを手に取ったアタシは、導かれるようにある電話番号を呼び出した――。


「お久し振りです。この度はご用命をたまわりまして、真にありがとうございます」

 仕事が休みの日、指定した時間の五分前に現れた相手はうやうやしくお辞儀をしながら感謝を述べた。微笑みを浮かべ顔を上げたのは――フロウ。

 リビングへ案内しお茶を出したタイミングで、フロウは切り出した。

「本日は“夢の浮橋”をご所望と承りましたが、間違いございませんか?」

 フロウの確認に、はっきりとした声で「はい」と答える。すると、フロウはかばんから一枚の紙を取り出し、アタシの前へ差し出してから説明を始める。

「こちらの商品は成分が濃くなるごとに睡眠時間が増えていきます。ただ、製法の都合上含有(がんゆう)量の多さに比例して価格が上がること、一度ご利用されますと耐性が付く為に次回以降は望んだ効果が得られないこと、その場でご利用される関係上現金即払いのみ、以上三点ご留意下さいませ」

 渡されたカタログには、商品の画像と睡眠時間・金額が記載されている。一番安いのは三十分・千円、次は一時間・五千円といった具合で、最も高額とされるのは一日・五百万円だ。

 アタシが目を通し終えたタイミングでフロウは問い掛ける。

「先日は十分じゅっぷん試供しきょう品でしたが、本日は如何なさいますか?」

「では、三十分の物をお願いします」

「畏まりました。それから、依頼主様がお休みされている間は体調の異変等が無いか御側おそばで見守らせて頂きますが、眠っている事を悪用し私が依頼主様へ危害を加えたり金品などを盗らない旨の宣誓せんせい書にサインをお願い致します」

 スッと出された宣誓書にはフロウが述べた事に加え『利用後に違反を発見した場合は名刺と共に警察へ通報・最低一千万円以上の違約金を支払う』と書かれていた。信用が前提の商売だけにしっかりしてると感心し、サインした宣誓書と共に千円札を渡した。

 記名の確認と金額を確認したフロウは、宣誓書を返却し丁寧な口調で告げる。

「取引成立になります。それでは、御安らぎ頂ける場所へ移動願います……」


 この日を境に、どうしても精神的に辛い時は“夢の浮橋”を利用する生活が始まった。最愛の夫と確実に会えるのは何物にも替えがたく、まるで幸せへの往復切符だった。夢の中の逢瀬おうせがあるからこそ人生の励みとなり、我慢の限界を迎えた際は辛く苦しい現実の逃避とストレス解消に活用した。いつしかアタシが生きる上で欠かせない“心の特効薬”となっていた。

 回数を重ねるたびに出費はかさんだが、その分だけ夫と会える時間が増えるので惜しいとは思わなかった。たくわえは充分あるので必要経費と割り切れた。

 しかし――夫の死から約一年半、ある問題に直面した。最高額で最長時間の“夢の浮橋”を利用し、使い切ってしまったのだ。残数ざんすうの減少は意識し節制すべく頑張ってみたけれど、ストレスフルな状況に負けてしまった。最悪の事態を想定し一度だけ試しに同じ含有量の物を利用したものの、夢を見るどころか眠気すら起きなかった。一時間粘ってもダメだった事から「今回は特別」とフロウは半額返金してくれた。耐性が付くと忠告されていたにも関わらず破ったアタシに非があるのに、返金へ応じたフロウへの申し訳なさが強く印象に残った。

 心の頼みを失ったアタシは精神的に自立すべく奮闘した。お客様の理不尽な暴言にも耐性が付き、仕事にも慣れ頼られる事も増えてきた。それでも“ボス猿”の嫌がらせは収まるどころか悪化していた。無視・嫌味は日常茶飯事、業務の必要事項を伝えない、休み希望の日に仕事を入れる等……最早イジメである。アタシが酷い目に遭っている事は皆知っていたが、“ボス猿”の機嫌を損ね自らに危害が及ぶのを恐れて誰も助けの手を差し伸べてくれなかった。夫を喪った傷は完全に癒えてない中での精神的加虐(かぎゃく)で、アタシの心は決壊寸前な程に追い詰められた。

 一縷いちるの望みにすがる思いで、フロウへ連絡する。アタシの求めに応じて訪問してくれたフロウへ、単刀直入に聞いてみた。

「無理を承知でお訊ねします。“夢の浮橋”を、また利用させてもらえませんか?」

 憔悴し切実な声で訴えたアタシに、フロウは明らかに逡巡しゅんじゅんの反応を見せる。長く考え込んだフロウは、悩みに悩んだ末に複雑な表情で言葉を絞り出した。

「……ここだけの話になりますが、現在限界とされる効能を上回る品がございます」

 声を潜め明かした内容に、アタシは嬉しさで小躍りしたい気分だった。ただ、フロウの歯切れの悪さは何か理由があるのだろう。「ただ……」と前置きした上で、続ける。

「元々稀少(きしょう)な成分を従来より多く使用しているのに加え、治験が行われておらず人体へ与える影響は未知数です。価格も法外な額、しかも作用も不明な品をお客様へ提供するのは当方としましても些か――」

「買います」

 渋るフロウを制するように、ハッキリと宣言する。

「人体実験でも構いません。後遺症をこうむってもいいです。お金なら幾らでも払います。どうか、私の願いを叶えて下さい」

 そう言い、深々と頭を下げる。今のアタシにとって、天から垂らされた一本の蜘蛛くもの糸を掴んだ思いだ。夫に会いたい、その一念で妄進もうしんする他なかった。

 形振なりふり構わぬ懇願に、困り顔のフロウも根負けしたように応える。

「……畏まりました。但し、今回に限り『全てを承諾した上で依頼主様の御意思で使用した』旨の一筆いっぴつ・署名・捺印なついん・日付を頂戴致します」

 念書の提出を求められたアタシは「はい」と即答した。危険性のある取引を持ち掛けたのはアタシで、免責の証左を求められるのは当然だと理解していた。

 直筆で一文(したた)拇印ぼいんを押した念書を受け取ったフロウは、必要事項を確認し鞄へ大事に仕舞う。

「確かに、頂戴しました。では後日、御希望の日時に改めてお伺い致します」

 丁寧な口調で述べたフロウは辞去じきょした。一人残ったアタシは再び夫へ会える喜びで天にも昇る心地だった。

 早くその日が来てほしい。今のアタシを例えるなら無敵状態で、どんなに辛く苦しい事も乗り切れる自信に満ちあふれていた。


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