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イエの過去

 最初こそ一人でわいわい盛り上がって一気飲みをしていたが、酒瓶からワインがなくなった瞬間我に返ってしまう。

 空っぽの酒瓶を見て、まるで私自身のようだと思ってしまった。


「店主さん、どうかしたのですか?」

「いえ、私って結婚以外、人生に目的を見いだせない空っぽな人間なんだなって思って」

「そんなことないですよ」


 イエさんは否定してくれたものの、今、私はこれからどう生きたらいいのか、目標を見失っていた。


「これからどうしよう」


 王都で一人、生きていくには世間の目が厳しいものとなるだろう。

 薬局の常連さん達にも心配されていたのだが、そのたびに婚約者が出世したら結婚するの! と自信満々に答えていたのだ。

 まさかライマーから婚約破棄を突きつけられる未来が訪れるなんて、誰が予想できたのか。はあ、と盛大なため息を吐く。


「店主さん、結婚だけが人生のすべてではありませんよ」

「そうかもしれないけれど……」

「私なんて離婚歴ありますし、子どもの養育費も払っていますし」

「え!?」


 私生活がまったく見えていなかったイエさんの意外な状況に驚いてしまう。


「別れた妻との間に、十歳の娘がいるんです」


 今から十一年前、イエさんは国内の有力貴族の娘と政略結婚し、翌年には娘が生まれたという。


「私には継ぐべき爵位などありませんし、子どもが生まれたから夫として役割は果たしたと思ったのですが……」


 あろうことか、イエさんの兄と妻の不貞現場を目撃してしまったという。


「生まれた娘も私の子ではないかもしれない……そう思ったら愛情を持って接することができないような気がして」


 なんでも初夜の晩、イエさんは突然意識を失い、翌朝には妻から「初夜は無事に行われました」という宣言を一方的に受けただけだったという。


「今思えば、薬を盛られていたのでしょう」


 貴族の結婚は愛などないのは当たり前。政略的な目的を第一とし、婚姻を結ぶのだ。

 子どもを産むのは義務であり、回避しようだなんてありえないことである。

 イエさんの元妻はとてつもなく無責任で、狡猾こうかつな女性という印象を持った。


「ただ血が繋がっていないというだけで娘に対して優しく接することができない男なんて、父親である資格はありません」


 イエさんは父親に頼み込み、離婚を申し立てたという。

 妻は娘の養育費と慰謝料を払うことを条件に別れてくれたようだ。


「慰謝料って……。不貞を働いた側が払うのを請求するのはおかしな話だわ」

「女性が聖都で一人、生きていくのは大変なことですから」


 それに加えて別れてくれるのであれば、慰謝料でも養育費でもなんでも払ってやろうという気概でいたという。


「そんなわけで、私は愛のない結婚をした挙げ句兄に妻を寝取られ、血の繋がらないであろう娘の養育費をボロボロになりながら稼ぐ、惨めな男なんですよ」


 私がライナーにされたことなんて吹き飛ぶくらいの、壮絶な過去だった。

 イエさんがボロボロになりながらも働いていたのは、別れた妻と娘のためにお金を稼がなければならないからだったようだ。


「実は元妻との婚姻を結ぶ前に、結婚したいと思う女性がいたんです」


 明るくて、天真爛漫で、心優しくって、とても強くて……イエさんが持っていないものばかり手にしている女性だったという。


「どうして結婚しなかったの?」

「お断りされたんですよ」

「酷いわ!」

「そう、思いますか?」


 いつもは分厚い眼鏡で曇って見えないイエさんの瞳が、私を射貫くようにじっと見つめる。

 思わずドキッとしてしまった。


「え、ええ……」

「でも、結果的にはよかったんです。当時の私は周囲がまったく見えていない状況だったので、結婚してもその女性を大切に想うあまり軟禁するように屋敷に閉じ込めてしまいそうだったので」

「な、なかなか熱烈な想いを抱いていたのね」

「ええ、初恋でしたから」


 イエさんがそこまで大きな感情を抱くなんて、よほど素敵な女性だったに違いない。


「結婚なんて、結局足かせでしかないんです。底なし沼にはまって抜け出せないような状況に陥るんですよ。それに比べて今の店主さんは自由で、なんでもできるんです」

「なんでも……」


 実家に戻って甥や姪のばあやでもしようか、なんて思っていたのだが、まだ聖都でできることがあるのかもしれない。


「何か、新しいことでも始めてみようかしら?」

「いいと思いますよ」

「でも、何をすればいいのか」

「そうですね……。たとえばですが、薬局で料理を出してみるのはいかがですか?」

「料理?」

「ええ。このシチュー、とってもおいしかったので!」


 絶対に流行る、とイエさんは言ってくれた。


「そうね……。夜は調合とかしなくてはいけないから難しいだろうけれど、〝魔女の気まぐれランチ〟みたいなものを出しても、いいのかもしれないわ」

「魔女の気まぐれランチ、いいですね。おいしそうです」


 メニューは決まっていなくて、日替わりでいろいろ作って提供する。

 ちょうどここは元酒場で、飲食店をする土台は整っているのだ。


「カウンターを少し整理して、椅子を持ってきたら、五人くらいだったらお客さんが入れるかもしれないわね」

「外にテラス席を作るのは?」

「いいわね!」


 今の季節は寒くて無理かもしれないが、春先から初夏にかけては風を感じながら食事をするのもいいのかもしれない。


「ランチ営業、やってみようかしら?」

「ぜひ! 毎日通いますので」

「イエさん、ありがとう」


 最初は一日五食限定とか、予約制にしてもいいだろう。

 考えれば考えるほど、なんだかわくわくしてくる。

 ライマーに婚約破棄されて、私は空っぽになったと決めつけていた。

 けれどもそんなことはなくて、私の十年はきっと無駄ではなかったのだ。

 料理の腕だって、ライマーと婚約しなければ成長していなかっただろう。


「私、これから頑張ってみるわ」

「応援しています」


 私は独りじゃない。イエさんや、薬局に通ってくれる常連さんがいるのだ。

 彼らのために頑張ってみようではないか。

 そう、前向きな気持ちで一日を終えることができたのだった。

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