追憶のレイ③
店舗はもともと酒場だったもので、薬草魔女は改装工事だけ依頼したあと数年もの間放置していたらしい。
聖都にやってきてお店を開く予定だったようだが、体力的にも無理だと判断していたようだ。
あろうことか薬草魔女は私に無償で店を譲ってくれたのである。
メルヴ・メイプルの面倒を見ることと引き換えだったが、精霊との契約なんてご褒美でしかないだろう。
メルヴ・メイプルはよく働き、私の調合の補佐だけでなく、薬草石鹸の生産も担ってくれる。
店番の他、夜間の薬局の警備もするのだ。感謝してもしきれない。
そんなわけで私はメルヴ・メイプルとドライアドと共に〝薬草魔女の薬局〟をオープンさせた。
この辺りでは魔法薬はギルドを介さないと入手できないので、競合店はなかった。
けれども魔女のお店という怪しさからか、薬局にやってくるお客さんはいなかったのである。もう少し店名を親しみのあるニコニコ薬局とかにしておけばよかったのだ。
しばらくはギルドに魔法薬を売って生計を立てていたのだが、そんな毎日に変化が訪れた。
「お店にお客さんがやってくるきっかけは、イエさんとの出会いかしら?」
薬局を開いて一ヶ月後くらいだったか。帰ろうと店から一歩出た路地に人が倒れていたのだ。
ボロボロになった外套を布団代わりに被り、凍えるように身を縮めていた。
すぐさま大丈夫かと声をかけたら、弱々しく「少し休んでいるだけですので、お気になさらず」という反応があったのである。
頬は痩け、曇った眼鏡から覗く瞳は虚ろで、肌は土色だった。明らかに体調不良で今にも息絶えそうな男性を放っておけず、薬局の商品である栄養剤を分け与えたのである。
最初は遠慮していたものの、放っておいて何かあったら夢見が悪くなると訴えたら、受け取ってもらえた。その場で栄養剤を口にすると、みるみる元気になる。
効果に感激した男性は、薬局に通ってくれるようになった。
その後、ちらほらとお客さんがやってくるようになる。倒れていた男性があっという間に元気になった瞬間をいろいろな人に見られていたようだ。
それが宣伝となったのだろう。売り上げはどんどん右肩上がりとなった。
「その倒れていた男性がイエさんだったってわけ!」
「そんなことありましたっけ?」
「ありましたとも」
あんなふうに道で倒れるほど忙しくしているなんて、いったいどんな環境で働いているのか。聖務省で働く文官であることは間違いないだろうが。
そんな出会いを果たしてくれたイエさんは、特大の恩返しをしてくれた。それは聖務省で利用する薬草石鹸を一ヶ月に百個ほど購入してくれるようになったことだ。
そのおかげで薬局の経営は潤い、また職場で薬草石鹸を使ってよかった、という人達がお店にやってきてくれるという結果になったのである。
「あのとき、薬草石鹸の契約がどれだけありがたかったか」
「お役に立てていたようで、何よりでした」
ちょうど石鹸の仕入れ先の汚職が発覚し、新しい商店を探しているところだったらしい。
「店主さんがくれた試供品の薬草石鹸がとってもよかったから」
イエさんのおかげで、薬草石鹸は薬局の看板商品となったのだ。
それからというもの、私は魔法薬を調合し、素材を集めに森に出かけ、店に立つという毎日を過ごす。
その間もライマーのために毎日料理を作り、家事をし、彼の活躍に耳を傾けることを続けた。
そんな暮らしに変化が訪れたのは、いつからだったか。
ライマーが昇進試験が近いからとか、仕事の付き合いだとかで外泊を重ねるようになったのである。
休日も出かける日が増え、私と過ごす時間はぐっと減った。
けれども私はそれらの行動を、出世に必要なものだと信じて疑わなかったのである。
「そして彼、ライマーは報告があると私に言ってきたの。それを私はいい報告――ついに出世できるものだと確信していたのよ」
期待と共に帰宅したのに、迎えた現実は残酷なものだった。
「ライマーは聖女スイと一緒にいて、彼女の専属護衛騎士になるだけでなく、結婚すると言ったの」
聖女の護衛騎士というのはこの上ない名誉。誰もが羨むような出世道だろう。
「出世できたのは聖女スイのおかげで、私が十年傍にいてもできなかったことを、短期間で叶えてくれたと言っていたわ」
「それは違います。店主さんが支えた十年あっての出世でしょう。彼は店主さんの支援がなければ、聖騎士にすらなれなかったはず」
「そう、かしら?」
「絶対そうです! 間違いありません!」
普段のほほんとしているのに、珍しくイエさんは語気を強めて言ってくれた。
「きっとこの先、彼は後悔するはずです! こんなに素敵な女性を婚約破棄するなんて、酷いとしか言いようがありません」
「イエさん……ありがとう」
この先、ライマーが私との婚約破棄を後悔するとは思えない。イエさんは優しいので、こんなふうに言ってくれるのだ。
だって、相手は天下の聖女様である。
輝くような若さを持ち、美しく、地位のある女性だ。
この先、ライマーは聖騎士として苦労することなどないだろう。輝かしい人生を歩むことができるのだ。
「百年の恋も冷めたというか、私の男を見る目がなかったんだな、って思い知ったわ」
むしろ、結婚する前に気づけてよかったのかもしれない。
ライマーが私を金蔓として利用していただけだったのだ、と気づけただけでも儲けものだろう。
「こんなだったら、十八歳の初夏に出会った人と結婚していたらよかった」
「そんな男性がいたのですか?」
「ええ……顔や名前もよく知らない男性だったけれど」
その人との出会いは、ライマーと同じ社交界デビューの晩だった。
私の領地は秋になると毎年のようにワイバーンの襲撃を受け、家畜などが食べられて大打撃を食らっていたのだ。
父が何度も騎士を派遣してくれと陳情しても叶えてもらえることはなく、被害に涙していたのだ。
私は騎士に直談判しようと思い立ち、被害を書いた報告書と陳情書を胸に夜会へ挑んだ。
まずライマーに頼んでみるも、難しいと一蹴されてしまう。
彼は平騎士なので無理だったのだろう。
ただそれで私は諦めなかった。
夜会会場を見渡し、もっとも立派な装備をまとう聖騎士に勇気を振り絞って声をかけたのだ。
聖騎士は頭のてっぺんから足先まで鎧で覆われている。顔もわからない相手だったので威圧感がとんでもなかった。
けれどもこのような機会などないと二度と思い、聖騎士に直談判をしたのだ。
ライマーのように無理だと言われるのかと思いきや、「検討します」という返答があった。
それからしばらく経って、そのときの聖騎士が単独で私の領地までやってきてくれたのである。
「彼はたった一人でワイバーンを討伐してくれたの」
ワイバーンの返り血を浴びて白い甲冑を真っ赤に染めた姿は不気味で、領民達は恐れていた。
けれどもその聖騎士はワイバーンを倒してくれた英雄である。
感謝の気持ちを伝え、彼を屋敷に招いてもてなした。
聖騎士は甲冑を一度も脱ぐことなく過ごしていた。シャイな人なのだろう、と母が話していたのを覚えている。
「その聖騎士は言葉数は少ない人だったけれど、私の話をよく聞いてくれたわ」
嫁き遅れでこの年になっても実家にいる、なんて話をしたら、あろうことか聖騎士は「私と結婚しませんか?」と言ってきたのだ。
彼は王族の一員であるクレーブルク大公家の次男で、見ず知らずの女性と結婚させられそうになっていたらしい。その女性と結婚するよりは、一緒にいて気楽な私と婚姻を結びたいと言ってくれたのだ。
「申し出はありがたかったけれど、大貴族の血縁者の妻になる器じゃないと思ったから、断ったのよね」
「そう、だったのですね」
あのときクレーブルク卿と結婚していたら、私の未来は違ったものになっていただろうか。
「でももう、終わってしまったことよね」
「そんなことはないと思うのですが……」
「え?」
「いいえ、なんでもありません」
一通り話してみたら、改めてライマーは酷い男だってことがわかったし、絶対に許さないと思った。
かといって仕返しとかしたいわけでもなく、鬱憤だけが溜まっていたので、こうして話を聞いてもらえてスッキリした。
「暗い話は終わり! せっかくだから、ワインを飲んじゃいましょう!」
「そうですね」
そんなわけで、私とイエさんは酒盛りを開始したのだった。