暗闇の中で
アリッサは両手を広げ、白目を剥き、血の涙を流しながら呪文を唱えている。
もしかしたら自らの命さえも投げ打つような魔法なのかもしれない。
「――っ!!」
早く彼女を止めなければ。そう思った瞬間、鋭い荊に全身が貫かれているような激痛が走る。
それだけでなくその場から動くこともできなかった。おそらく身動きが取れないよう、影を魔法で縫い付けているのだろう。
断末魔のような叫びがいたる場所から聞こえてくる。
屈強な聖騎士でさえ術の重圧に耐えきれずに、悶え苦しんでいた。
イエさんはこのような状態になっても剣から手を放さず、アリッサを止めようと駆け出していたが、彼女に向かって剣を振り下ろそうとした瞬間、異変に襲われる。
黒い鎖がヘビのようにイエさんの体を這って全身に巻き付き、あっという間に動きを封じる。その鎖はイエさんの魔力を吸い取り、存在感を増していく。
アリッサは恍惚の表情を浮かべてイエさんに言葉をかける。
「私があなたのことで思い通りにできるのは、〝死〟だけのようですね」
「な、何を――げほっ!!」
イエさんの足下に鮮血が散る。魔力を大量に奪われ、血を吐いたのだろう。
このままではいけない。
そう思った瞬間、メルヴ・メイプルが私の口に葉っぱを詰め込んでくれた。
『大丈夫ナノ!?』
「え、ええ」
メルヴ・メイプルの葉は最強クラスの薬草で、体の嫌悪感や目眩、全身の痛みなどすべて取り除いてくれた。
全身にまとわりついていた荊も払ってくれたのだろう。いつの間にか体に自由が戻る。
「イエルン、天界で新婚生活をやり直しましょう。今度はきっと幸せに――」
「させるものかーーーー!」
そう宣言しながら、アリッサとイエさんの間に割って入る。
「邪魔するな!」
そう言ってアリッサは手のひらに直接刻んだ魔法陣を私の顔面に押しつけようとした。
目の前に迫った瞬間、それが即死魔法だと気付く。
なんて危険な魔法を手中に収めていたのか。恐ろしい女性だと改めて思う。
ただ、私にも〝奥の手〟が残っていたのだ。
「止まりなさい――〝アリッサ・ダークネス〟!!」
それは聖女スイから聞いていたアリッサの魔女としての真名。
魔女同士明かすことのない、最強の呪文ともなりうるものである。
アリッサの体は銅像のように動かなくなった。なぜそれを知っている!? という目で見てきたものの、教えてあげるわけがない。
アリッサの動きは封じた。あとは彼女が展開しかけているこの禍々しい暗黒魔法をどうにかしなければ。
どうすればいいのか、不思議と理解していた。
聖杖を思いっきり地面に刺す。すると、大地に緑が戻ってきた。
土の奥底に眠っていた草木は欠伸をするように芽吹き、どんどん広がっていく。
アリッサが造り出した巨大な魔法陣は、若芽が突き破って消失させた。
高く伸びた草木から雫が滴る。それに触れた人々は苦しみから解放されていった。
魅了の魔法も解けたようで、正気を取り戻した聖騎士達は慌てた様子で剣を拾い、鎧を着込む。
クレーブルク猊下は身動きが取れないよう、綿毛のような植物に囲まれていた。
この奇跡を前に、呆然としている。
イエさんは私の隣に並んで、腰を支えてくれた。
実は術の反動が大きくて、体が吹き飛ばされそうだったのだ。
イエさんのほうを見ると、優しく微笑みかけてくれる。
ああ、この人のことが本当に好きなんだ、と改めて思ってしまった。
アリッサの体を大きな葉が包み込む。
禍々しい気を払い、まるで抱きしめるかのように傍に寄り添っていた。
アリッサにも雫が滴って苦しみから解放されたのだろう。
頬に涙が伝っていったのを見てしまった。
最後にメルヴ・メイプルが世界樹へと近づき、煤を払うように触れた。
すると樹皮に艶が戻り、葉が芽吹いて、あっという間に元の姿を取り戻す。
辺りは柔らかな太陽の光に包まれ、清々しい空気が流れる場となった。
術はこれで終わったのだろう。安心した瞬間、膝から崩れ落ちそうになる。そんな私の体をイエさんは支えるどころか、横抱きにして抱えてくれた。
そこまでしなくても大丈夫、と訴えようとしたのと同時に、これまで気を失っていたカーバンクルが目覚めたのに気付く。
『真なる聖女が戻ってきたのか……?』
カーバンクルは不思議そうに周囲を見渡す。
私が握っている聖杖に気付くと、ギョッとしながら叫んだ。
『それは、五十年前に紛失したとされる聖杖ではないか!?』
「あら、そうだったの?」
『ならば、真なる聖女というのは――!?』
どうやら私だったらしい。まったく自覚はなかったけれど。




