シチューを一緒に
ここの薬局はもともと酒場で、料理にも力を入れていたお店だったらしい。そのため、お店の奥には立派な厨房がある。
もっぱら工房代わりに使っていて、ここでは簡単な料理しかしていなかった。
ただ最低限の調味料はある。小腹が空いたときにいろいろ調理していたのだ。
厨房の棚には調味料より調合道具のほうが多く詰め込まれていた。
数少ない調味料を吟味する。
「塩、胡椒と……」
食べかけのパンもあった。一昨日購入したパンでカチコチになっているが、薄くスライスしたらシチューに浸して食べることができるはず。
よく切れるナイフを手に取り、ギコギコせずにスーッと刃を入れてパンを切り分けていく。
『レイ、何ヲシテイルノ?』
背後から幼い少女のような声がかかる。
振り向いた先にいたのは、二足歩行をする大根――ではなく、この子は草精霊のメルヴ・メイプルだ。
額に花飾りがあって愛らしい姿をしている。この子は私の二人目の師匠である薬草魔女と契約関係にあった。けれども師匠が薬草魔女を引退するさいに契約を引き継ぐ形になったのだ。
「シチューの仕上げをして、ここで食べようと思って」
『ソウナノ』
夜に薬局にやってきて食事をするなんて不審でしかないのだが、メルヴ・メイプルは追求しなかった。
『レイ、裏口、ナンカ荷物タクサン、アルノ』
「ああ、そうだったわ」
ライマーが私の私物を薬局の裏口に運んだと言っていたのだ。
『コレ、一ツダケ、持ッテキタノ』
そう言って私にワインの瓶を差しだしてくる。それは十年前、婚約が成立したときに思いきって購入した高級ワインだった。
今、このワインを購入しようとしたら、金貨十枚積んでも買えないだろう。
きっとライマーは価値なんか知らずに、私が料理用に購入した安物のワインだと思って突き返してきたに違いない。
大事に取っておいたワインだが、今の私にとっては無意味なものだった。
「いいわ、このワインをシチューにぶち込んでやりましょう!」
メルヴ・メイプルからワインを受け取ると、調味料とカトラリーを持ってお店に戻る。
ドライアドは再び眠っていたようで、ぷうぷうと鼻風船を膨らませながら眠っていた。
「お待たせ! ちょっと待っていてね、仕上げをするから」
私がワインの栓を豪快に引き抜き、鍋にドバドバ注いでいる様子を見てイエさんはギョッとしていた。
「あの、店主さん、そのワイン、とてつもなくいい品なのでは?」
「いいの! 元婚約者が出世したときに飲む予定だったんだけれど、もう必要ないから」
本来であればワインは材料を煮込む前に入れなければならないが、まあいい。魔法で加熱すればそこそこおいしく仕上がるだろう。ワインは半分くらいに止めておいた。
鍋に触れ、呪文を唱える。
「――ことこと煮立て、加熱せよ!」
料理に便利な生活魔法を用いてワインの酒精を飛ばし、シチュー自体を温める。
ものの一瞬でシチューはぐつぐつ煮立った。
「店主さんは火属性の持ち主なんですね」
「ええ、そう」
火属性だけでなく草属性もある。なんでもふたつの属性を持つ人は大変珍しいらしい。
持っていても氷と雪とか、花と草とか、似たような属性であることが多いようだ。私みたいに、かけ離れた属性を持つ者は稀だという。
それに加えて〝太陽の手〟と〝緑の指先〟という祝福を持っていたために、初代の師匠である色欲魔女から魔女としてスカウトされたのだ。
それから数年、私は色欲魔女の弟子としてお金稼ぎをしていたのだが、いろいろあって引退し、今は薬草魔女として薬局を経営している。
おたまでシチューをぐるぐる混ぜていたら、メルヴ・メイプルが椅子を運んできてくれた。
ここは酒場を改装したお店で、ここの台はもともとバーカウンターである。メルヴ・メイプルが持ってきてくれたのは酒場時代に使われていた椅子なので、高さなどちょうどいいだろう。
『ドウゾナノ』
「わあ、精霊さん、ありがとうございます」
イエさんはメルヴ・メイプルのことを一目で精霊だと見抜いた。おそらく魔法の知識があるのだろう。いろいろ喋り過ぎないようにしなくては、と思う。
シチュー用の皿なんてないので陶器のカップに注いだ。木製の匙を挿してイエさんに差しだす。
「どうぞ召し上がれ」
「ありがとうございます、いただきます」
匙でシチューを掬うと、とろとろになるまで煮込まれた肉が出てきた。
ライマーが出世報告するものだと思って、いつもよりいい肉を買っていたのだ。
イエさんはぱくりと食べると、ハッと肩を震わせる。
「おいしい!」
立ち上がって感想を言ってくれる。
「こんなにおいしいシチューを食べたのは初めてです!」
「そ、そう? よかった。たくさんあるから、どんどん食べてね」
「ありがとうございます」
感謝されてふと気付く。そういえばライマーから料理をおいしいと言ってもらったことなど一度もなかったことに。
彼は非常にわかりやすく、口に合わないときは「外で食べてくるわ」と言い、おいしかったときは無言でモリモリ食べるのだ。
その中でもシチューは何度もおかわりするので、好物なんだろうなと思っていた。
「肉はとろとろで、舌の上でなくなってしまうくらい柔らかくて……シチュー自体もコクがあって味わい深く、非常に美味でした」
「そんなにおいしかったのね」
私もシチューをカップに注いで食べてみる。
「本当! たしかにおいしいわ」
きっと高級ワインを惜しみなく注いで仕上げたからだろう。
「きっとこのワインのおかげだわ」
「それもあるでしょうが、店主さんの愛情もたくさん込められているからでしょうね」
その言葉を聞いて、たしかにそうだったかもしれない、と思った。
ライマーのためにと思って、時間をかけてシチューを仕込んだのだ。
その愛情は一瞬にして冷め切ってしまった。
今は彼に対しての愛なんて欠片もない。
十年もの間、心にあった愛がこんなにも一瞬にしてなくなるものなのか、と自分のことながら不思議に思ってしまう。
ただ、心の中にいくら燃やしても消えない燻りのような物は残っていた。
誰かに話さないと、気持ち悪くて眠れそうにない。
私はありったけの勇気をかき集めてイエさんに問いかける。
「イエさん、私の話、本当に聞いてくれるの?」
「ええ、もちろんです」
「長くなるけれど」
「付き合いましょう」
ここでメルヴ・メイプルがワイングラスを運んでくる。
ソムリエールみたいに上品な仕草でワインを注いでくれた。
こんな話、酒でも飲んでいないと語り尽くせないだろう。そう思って一気に飲み干す。
するとイエさんも同じようにワインを飲んでくれた。
「店主さん、私は酒に弱いんですよ。一晩経ったら、きっと忘れるでしょうから」
「イエさん、ありがとう」
これから話すことは忘れるだろうから、存分に打ち明けてくれ。暗にそう伝えたいのだろう。
イエさんの優しさに甘える形で、私はライマーとの出会いから語り始める。
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