その聖騎士は……
〝彼〟が登場した瞬間、場の雰囲気が一変する。
温度がぐっと冷えきるというか、自然と背筋が伸びるような、緊迫した空気に包まれた。
私はすぐに彼がクレーブルク大公家の次男であることを察した。十一年前となんら変わらない姿だったからだ。
その聖騎士はあろうことか、私のほうへとずんずんやってくる。
「お、おい、レイ! どうしてあのお方がお前のほうへ来ているんだよ!」
「知らないわよ」
騒ぎを起こした罪として連行するとか?
それとも薬草石鹸を取り締まりにやってきたとか?
まったく心当たりなんてなかった。
ついにテーブルの前までやってきたのだが、ライマーが邪魔だったのだろう。
彼はライマーの頭をむんずと掴むと、ぽいっと捨てるように放った。
「どわっ!!」
軽々とやっているように見えたが、ライマーの体はぶっ飛ぶ。
お尻から落ちるという無残な着地を見せていた。
クレーブルク大公家の次男が私を見つめているのに気付く。
いったい何用なのか。思わず構えていたのだが、彼の手に薔薇の花があることに気付いた。
「その、何か?」
彼は薔薇の花を自らの胸の前に当てたあと、私の花瓶へそっと挿したのだ。
「なっ――え!?」
まさかの展開である。
突如として登場したクレーブルク大公家の次男が、私の薬草石鹸に投票してくれるなんて。
「どうして入れてくれたの?」
問いかけるも答えはない。黙ったまま、その場に立ち尽くすだけだった。
「えーっと」
困っていたら彼がまさかの行動に出る。
私の手を取って近くに引き寄せると、突然横抱きにしたのだ。
「えっ、ちょっと!」
何をするのかと思ったら、彼の足下に魔法陣が浮かび上がる。それが転移魔法だと気付いたときには、すでに魔法が発動していた。
移動した先は見知らぬ空間だった。
白亜の壁や天井に、輝く大理石の床、白で統一された家具――雰囲気から聖教会の内部であろうことを察する。
私を横抱きにしていたクレーブルク大公家の次男だったが、長椅子にゆっくり下ろす。
そして彼自身は私の前に片膝を突いた。
まるで姫君のような扱いに、どぎまぎしてしまう。
と、動揺している場合ではない。彼を問い詰めなければ。
「あなた、こんなところに連れてきて、どういうつも――」
「すみません」
一言謝罪したその声は、聞き覚えがありすぎた。
私は驚きつつも、振り絞るように言葉を返す。
「えっ、イエさん!?」
彼は控えめな様子でこくり、と頷いた。
体格がまるで違うと思ったのだが、立派な板金鎧をまとっているからだろう。
クレーブルク大公家の次男改め、イエさんが兜を外す。
そこから現れたのは、絹のような輝く銀髪に澄んだ青い瞳を持つ見目麗しい男性だった。
ギョッとしたのちに、すぐさま発言を撤回する。
「ごめんなさい!! 人違いだったわ!!」
クレーブルク大公家の次男の名は、確か〝イエルン〟だった。
イエさんと同じ〝イエ〟のつく名前だったので、彼は頷いたのだろう。
声がそっくりだったので、勘違いをしてしまったのだ。
「知り合いの声にそっくりで」
「いえ、その、人違いではありません……店主さん」
彼はいたたまれないような様子で言葉を返す。
「え……本当にイエさんなの?」
「はい」
「私の薬局に通っていた?」
「間違いありません」
クレーブルク大公家の次男がイエさんだったなんて。
それに素顔がこんなにもきれいだなんて聞いていない。
「信じられない……別人みたいだわ」
「ライマー卿に身汚いと言われましたので、久しぶりに、その、見目に気を遣ってみたのですが」
姿形は別人のようなのに、こうして言葉を交わしてみると間違いなくイエさんだとわかる。
「でも、どうしてあんな格好をしていたの?」
「見た目だけで好意を抱かれるのに疲れてしまいまして」
「確かに、その姿を見たら誰だってあなたに好感を抱くわ。だってみんな、美しい存在が好きなんだもの」
「店主さんもですか?」
「私は美しいものにはそこまで興味がないから、見た目だけで好意を抱くようなことはないけれど」
「それを聞いて安心しました」
イエさんは恵まれた容姿のせいで、これまで苦労したのだろう。
「別れた元妻が、私の顔にとにかく執着していて――」
「元妻って、アリッサさん?」
「ああ……出会ってしまったのですね」
「ええ」
イエさんは眉間に深い皺を刻み、苦しげな表情を浮かべる。
「会場に彼女もいたのだけれど、知っていた?」
「はい」
ライマーや聖女スイとの関与を知っていたので、私に婚約披露宴への参加をしないよう忠告してくれたようだ。
「彼女は厄介な人間です。目的を遂行するためには、なんでもするので」
イエさんは聖王の甥でなければ離婚もできなかっただろう、と苦虫を噛み潰したように言った。
「もう十一年も前の話なのですが」
すでに終わったことのようにイエさんは話していたものの、アリッサの執着は現在も続いている。それについては言わないでおいた。