聖女の事情
「いったいどうしてそんなことを? あなたはお金に困っているような女性じゃないでしょう?」
「ええ、そうなんですけれど、あなたのように自分で稼いだお金でライマー様を支えたくって」
「自分で稼いだお金って……」
聖務省に納品していた薬草石鹸は一ヶ月で百個。私はメルヴ・メイプルがいたから続けることができたが、聖女スイにそんな能力があるのか。
「聖務省にいくつ納品しているか聖女様はご存じなの?」
「把握していないけれど、多くても五十個くらい?」
「いいえ、倍の百個よ」
「まあ、意外とたくさん作っていましたのね」
一ヶ月で百個も作れるのかと尋ねると、聖女スイは人差し指を顎に添えて小首を傾げる。
「百個も作ったことなどありませんので、わかりませんわ」
「使い魔とかいればできるかもしれないけれど、神聖獣にそんなことさせるわけにはいかないでしょう?」
神聖獣というのは聖女にのみ仕えることを可能とする、最高位の使い魔である。
プライドが高く、聖女以外の者の訴えには耳を貸さないようだ。
「たしか聖女様は白いカーバンクルを使役していたわよね?」
「あーー、あの白い子、いなくなってしまいましたの」
「え!?」
なんでも一ヶ月ほど前から忽然と姿を消してしまったらしい。
「いったいどうして?」
「わかりませんわ。たぶん、反抗期ではないのかしら?」
神聖獣の反抗期とはいったい……。
そんなことは今はいいとして、今は石鹸について話さないといけない。
「聖務省への石鹸の納品については、私に仕事を斡旋してくれた人がいるの。その人を通してもらわないと」
「どなたですの?」
「彼は――」
そう言いかけた瞬間、床に白い魔法陣が浮かび上がる。
転移陣だと気付いた次の瞬間には、純白のベールを被ったシスターが登場した。
「聖女様、ここで何をされていらっしゃるのですか!」
「あら、見つかってしまいましたわ」
シスターから何をしていたのかと聞かれ、ライマーと結婚するための資金集めに奔走しているのだと聖女スイは答える。
「ライマーというのは誰なのですか!?」
「わたくしの専属護衛騎士ですわ」
「そのような者が専属護衛騎士に指名されたなど、存じません! いつ、そのような不届き者の接近を許したというのですか!」
なんと、驚いたことにライマーが専属護衛騎士というのは聖務省的には非公式だったらしい。思わず笑いそうになってしまい口元を押さえる。
「聖女様が結婚するのはどこぞの馬の骨ではなく、クレーブルク大公家のご子息様なんです!」
「クレーブルク大公家って、枢機卿のおじさま?」
「いいえ、次男で聖騎士隊長のイエルン様ですよ」
「聖騎士隊長って、あの怖そうな板金鎧の?」
「閣下は怖いお方ではありません! 神聖国ハイリヒの英雄です!」
「そうは言いますけれどあのお方、人前では兜をお外しになりませんし、本心がまるで見えなくって」
クレーブルク大公家の次男と言えば、私の故郷にワイバーンを討伐にきてくれた聖騎士だろう。まさか聖女スイとの結婚話が浮上していたなんて。
十一年前、会ったときにも彼は結婚話が出ていると話していたが、そのときは結婚を回避できたのだろうか?
神聖国ハイリヒの大英雄と聖女の夫婦だなんて、お似合いとしか言いようがないのだが。
「わたくし、彼とは結婚しません!」
「わかりましたから、帰りましょう」
「いいえ、わたくし、薬草魔女とお話しすることがございますの」
「いいから帰りますよ」
シスターは強い口調で言うと聖女スイの腕を掴んで転移魔法を発動させる。
あっという間に魔法が発動され、二人の姿は消えていった。
「……嵐が去ったわ」
はーーーー、と盛大なため息が出てくる。
薬草石鹸を聖務省に納品している話がどこから漏れたのか、と考えるも、思い当たるような人物は一人しかいない。
「ライマー、余計なことを聖女に言ってくれて」
本当にあの人は余計なことしかしない。
それはそうと、ライマーの専属護衛騎士の件が非公式だったという情報は収穫かもしれない。
まさか聖女スイ以外、誰にも認められていないことだったなんて。
周囲に誰もいないのを確認したあと、ついつい口にしてしまう。
「ざまあみろだわ!」
聖務省は聖女スイとクレーブルク大公家の聖騎士を結婚させるつもりだという。
その二人こそ真なるお似合いの二人となるだろう。
ただ、あの自由奔放な聖女と、清廉潔白なクレーブルク大公家の聖騎士が結婚するのは気の毒に思ってしまうが……。
まあ、私には関係のない話である。
嵐は去ったことだし、お店の整理整頓でもしようかなと思っていたところにふと気付く。
聖女スイのシルク泡石鹸がカウンターに置き去りになっていたことに。
手に取ってみると純白の石鹸は表面がつるりとしていて、花の芳香を思わせるいい香りが漂っていた。
貴族女性に人気の、泡がモコモコ泡立つタイプの石鹸なのだろう。
こういう品は私が作る薬草石鹸よりも材料や手間が多いので原価が高くなる。薬草石鹸と同じ値段で取り引きを行うというのは難しい話だろう。
「それにこの石鹸……」
どうしたものかと考えていたら、薬局にお客さんがやってきた。
「あら、イエさん、いらっしゃい」
「どうもこんにちは」
なんでも私が心配になってわざわざやってきてくれたらしい。
「このとおり、元気よ」
「お顔を見て安心しました」
なんて優しい人なのか。胸がじーーんとなる。
「でも、うじうじ悩まずに復活できたのは、あの日、イエさんが話を聞いてくれたからなの。本当にありがとう」
「お役に立てたようで幸いです」
なんて紳士なのか、と心の中で思ってしまった。
「それはそうと店主さん、その石鹸は新しい商品ですか?」
「あーーーーー……」
聖女スイが持ちかけた話は胸にしまっておこう、と思ったものの、イエさんには話しておいたほうがいいかもしれない。
「実は、聖女様がお店にやってきて、私に交渉したいと訴えてきて」
「交渉、ですか?」
「ええ。なんでも薬草石鹸と引き換えに、彼女が作った石鹸を聖務省に納品したい、と言ってきたの」
「なっ、いったいどうして!?」
珍しくイエさんが感情を露わにする。少し怒っているようにも見えた。
「なんでも、ライマーとの結婚資金を貯めたいようで」
「結婚資金ならば実家に頼ればいいだけの話でしょう。しかし彼女は――いいえ、なんでもありません」
イエさんの言うとおり、貴族に生まれた娘の結婚資金は親が用意するものだ。聖女スイが直々に結婚資金を稼ぐなんて、あってはならないことだろう。
「そもそもの話、ライマーとの結婚は周囲の人達に認められていないどころか、聖女様ご自身は別の人と婚約しなければならないようで」
「認めていません」
「え?」
「いいえ、なんでもありません。こちらの話です」
イエさんの顔色が悪い。なんて観察していたら、ぐーーっとお腹が鳴った。イエさんの特大のお腹の虫だった。
「もしかしてイエさん、お昼、食べてない?」
「あ、はい。休憩時間になった瞬間に、職場を飛びだしてきたので」
そんなイエさんに提案をしてみる。
「今日からランチ営業を始めたの。よかったら食べていかない?」
「魔女の気まぐれランチ、ですか?」
「ええ、そう」
イエさんは嬉しそうに「ぜひ!」と言って頷いてくれた。




