第2話
私が父の話をしようとすると、母は必ず話を遮ろうとする。父はいないと言っているのに、二歳の頃に撮られた写真には、私を抱く男性が写っている。私の手元にある唯一の家族写真。写真が撮られてからもう何年も経っているのに、未だ母に写真を持っているということを言えずにいる。
私の顔のパーツは、母親よりも写真に写る男性のほうに似ている。この人が私の父じゃないならば、一体誰なんだろう。
*
母が起床してくる前に、静かに部屋を出て小さなダイニングチェアに腰かける。ずっと昔からあり続けるテーブルと椅子。あらゆる箇所に傷が付き、汚れが目立っている。目の前には母が座る椅子もあるが、顔を見合わせながらご飯を食べたのは、一年前の母の誕生日が最後。今年も二人で誕生日パーティーが開ければいいけど・・・。
二時間の仮眠から目覚めた母。華美な服装に着替えて部屋から出てきた。パートから帰宅したときよりも化粧が濃くなっている。
「お母さん、今日も仕事で遅くなるから」
「うん」
「これ、好きな時にレンチンして食べて。冷蔵庫に入れておくから」
保存容器に入れられた、母手作りの料理。陽気の蓋を開けるまで、どんな料理が入っているのか何か分からない。
「分かった。ありがとう」
「あとこれ、買ってきたから飲んでいいよ。ゆず奈、この乳酸菌飲料好きでしょ?」小さな冷蔵庫から取り出された乳酸菌飲料の缶。こういうことをされると、母のことを少しだけ許したくなる。
「あぁ、うん。ありがとう。早速飲もうかな」
「うん」そう頷いて、シルバーのイヤリングを耳元で光らせる。
母が愛用しているブランドのイヤリングは、蛍光灯に照らされて眩しいくらいに輝きを放つ。壊れては同じものを買い続けているようだが、逆に言えば、これ以外のイヤリングを身に着けている姿を一度も見たことがなかった。そして、私は一度もイヤリングはおろか、そのブランドの物なんて触ったこともなかった。高校生の私には手の届かないブランド。社会人になって身に付けることを憧れている。
「じゃあ、行ってくるわね」
「うん。いってらっしゃい」
玄関から出ていく母の背中を、キンキンに冷えた缶を片手に、どこかうら寂しい気持ちで見つめる。
また一人になった。こうして私は、いつものように部屋にこもり、受験勉強をするだけだ。
母は私が三歳の頃から、昼はパートをしながら、夜は加水様というスナックで働くという生活を送っていた。
昼のパートは、近所にあるコンビニでのレジ打ち、スナックに近いドラックストアでのレジ打ち、商店街にあるパン屋での販売員など、事あるごとにコロコロと働く場所を変え続け、週五日、朝から働きに行っていた。今は安定し、近所にあるスーパーで総菜や弁当などの調理をしている。
夜は、昔からの知り合いだという山下海さんという方がママを務めるスナックで、接客の仕事をしている。この仕事は母の性に合っているのか、私が物心ついたときからずっと、変わらずに働き続けている。
そういう環境におかれ続けた私は、母を含めた誰からの愛情もろくに感じぬまま、大人になろうとしていた。そんなある日、私はある存在に出会った。これは突然のことで、今でも不可思議な現象だと思える出来事だった。