第36話〈最終話〉
いかがでしたか。
最後にひとつだけ、わたくしの口から、【過去への扉がひらくとき】を読んでくださった皆様に向けて、お伝えしたい、とある想いがございます。
わたくしは、小学四年生の頃から家に閉じこもる生活を始めましたが、そのとき、あることに気が付いたのです。それは、
『仲間外れにされるのは、必然的なことだ』
ということ。
人間は生きている間、何度も、何度も、自分以外の人間から好かれることも、嫌われることも、両方経験するのです。中には人に好かれてばかりの方もいらっしゃるでしょうし、人に嫌われてばかりの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、そんな方でも、好かれてばかり、嫌われてばかりの時代を経験されているのです。逆のことを言えば、人に好かれず嫌われ続けている方でも、一度は好かれてばかりの時代を経験されたり、そういった人生が今後訪れたりするはずなのです。
自分には無縁な話だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はそんなこともないのですよ。
どんなにイケメンな方でも、どんなに可愛らしい方でも、どんなに面白くて人気なお方でも、万人に好かれる、なんて方は少ないでしょう。人間生きていれば、誰かに好かれたら、誰かからは嫌われてしまうこともあるのです。人は、好かれても、嫌われても、生きる。という仕事を最前線にやられているのです。
ですが、好かれる、嫌われるのベクトルは、たった一つの行為によって変化することもあります。例えば、貴方が一方的に好意を抱いている方がいるとしましょう。その方が突然、貴方が苦手とする行為をしたとします。それを見た瞬間、貴方ならどう思いますか? 中には気になさらない方もいらっしゃるでしょうが、その行為一つで、一気に好きという感情から嫌いという感情へ変化する方も多いと思うのです。その逆もあり得ることでして、今まで嫌いだった人に、ある日突然、好きという感情を持ち始める、といった具合に。
つまりは、そういうことなのです。皆から好かれようとしていろいろな努力をされる方もいますが、わたくしは、その努力は必要ないのではないかと考えているのです。まぁ、努力をしている自分自身がお好きだという方は、努力してもらってもいいのですが。
わたくし自身も小学生時代は周りから嫌われ、避けられるようになってから、好かれようと必死に努力したこともありました。しかし、それが実を結ばなかったときの絶望は、今でも苦いほど覚えているのです。この経験があったからこそ、わたくしは二つのことに気付くことができました。
その二つというのが、
『無理をしてまでも、努力をしてまでも、頑張ってまでも、人に好かれようとしなくていい』
ということ、そして、
『好かれる努力よりも、好きになる努力を』
ということです。
嫌いという言葉は、その人のいい部分を見えなくすることもあるのです。好きという言葉は、その人のいい部分を輝かせることもあるのです。
好きになるには、まず自分自身のことを好きになってあげてください。自分自身のことを嫌っていると、本質的なことを見失うこともあるでしょう。そして、どんなことでもいいのです。自分自身を褒めてあげてください。そうすると、自然と好きという言葉の意味が分かってくるのですよ。
このことを実感するには、様々な苦悩を乗り越えなければならないこともあるでしょう。それに、人生は山あり谷ありです。この先、生きていて何が起こるかなんて、誰にも分からないのです。しかし、その苦悩を乗り越えた先に、山も谷も歩き続けた先にこそ、本当の『しあわせ』が貴方のことを待っています。その『しあわせ』に出合うために人は生きていると、わたくしは考えているのです。
長々とわたくし一個人が考えていることを述べてしまいましたが、この言葉が、過去への扉がひらくときを読んでくださった方の胸に響いているのなら、それほど嬉しいことはありません。
人間界、広いようで以外と狭い範囲で成り立っているのです。このお話は、現実で起きたことなのか、非現実で起きたことなのか、わたくし含め、誰にも分かりません。
人間というのは、生きている間は後悔という概念とともにあるようなものです。その後悔の念を晴らせるのは、紛れもなく貴方自身だけなのです。そのことに気付かれた貴方は、強いお方なのです。そしてこれから先の人生、きっとポジティブな気分で歩むことができると思いますよ。
過去への想いの抱き方は人それぞれです。戻られて幸せになった方もいれば、現状のまま生活をする方もおりますし、過去の世界でいきている方もおられます。そうしたお一人おひとりに笑顔になっていただくことこそが、わたくしの務めでございます。
まだまだお話したいことがあるのですが、過去に戻りたいと強く願う方がいらっしゃいますので、わたくしはその方の元へと飛んで往きたいと思います。次は貴方様の前に、わたくし、加能が現われるかもしれません。その節は、よろしくお願いしますね。
それでは、この言葉を締めの言葉・・・、いや、再会を願う挨拶として、失礼させていただきます。
あなたが抱く過去への怒り、哀しみ、苦しみといった感情を、わたくしがすべて、綺麗サッパリ洗い流してあげましょう。