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苦手な方はご注意ください。

イタチの短編小説

降車ボタンを押したら死ぬ

作者: 板近 代

 シュレディンガーの猫について調べていたら気持ちが哀しくなった。だから私は殺し屋になったのである!(8月17日 殺し屋の日記より)




「へぇ、それでコードネームがノンシュガーなわけだ」

「そうそう。そうなの! 似てるでしょうノンシュガーとシュレディンガー」

「いや、似てないと思う」

「はぁあ? やっぱ殺そうか?」

「そっちが死ねば」


 三時間前、上海発ロンドン行きのバスに十五人の殺人経験者が乗車した。依頼人が不安病(・・・)をこじらせた結果、一人のターゲットに対して十四名もの殺し屋を雇ってしまったのである。


 現在生き残っているのはノンシュガーと名乗るナイフ使いと、マンチニールの異名を持つ爆破好きの二人。そして、不安病患者が殺したがっているターゲットのみであった。


 余談だが、ターゲットはこのバスの運転手である。


「ナイフと爆弾、どっちが強いか教えてあげようか?」


 ノンシュガーは多分、十五歳か十六歳。一応、戸籍のついた家の生まれではあるが、愛してくれなかった両親とともに過去を葬り去ってしまったため、生まれた年を確かめることができないのだ。


「爆弾だよ。爆弾はね、意思の拡大装置なんだ」


 マンチニールは三十七歳、本名も煤鹿(すすじか) 言葉(げんご)と明確だ。彼女は殺し(・・)をやりすぎて居心地の悪くなった日本から逃げるために、このバスに乗った。つまり、彼女にとって運転手はターゲットではないのである。


「なら爆発させてみなよ! 爆弾魔って自己紹介したくせに、銃しか使ってないよねぇ!」


 上海を出る前日に、マンチニールは爆弾を仕掛けていた。仕掛けた場所は――――シルクロードを走行中の――――このバス。


「私は、できれば死にたくないから」 

「なら殺してあげるよ! 他のやつみたいにさぁ!」

「私のほうが多く殺したけど」

「そういう話をしてるわけじゃない!」


 他の殺し屋は全て、この二人が殺してしまった。死体は窓から放り捨てたので、席は選び放題だ。


「何度も伝えた通り、私は逃げているだけで、仕事のためにこのバスに乗ったわけではない。殺し合う理由はないはずだけど」

「十人撃った人間がそれ言う?」

「君は、自分に危害を加えようとした人間だけを排除した。私も同じ、だから殺し合わなかった。だから協力できた。違う?」

「そう、だけど」


 ノンシュガーは右手に血まみれのカーボンナイフを持ったまま、照れくさそうに答えた。


『次はアメリカ、アメリカ。お降りの方はボタンを押してください』


 これは録音の再生で、バスの運転手の声ではない。


「なんでシルクロードにアメリカがあるのかな。まあ、夢を掴むには良い土地だけど」

「ねぇ。マンチニールは、アメリカで降りるの?」


 ノンシュガーが少し寂しそうな顔で尋ねた。


「降りないけど、降車ボタンは押したいよね」

「押せば?」

「降りないから」

「降りなきゃ良いじゃん」

「そういう悪戯は、良くないと思うよ」


 フロントガラスの向こうに自由の女神が見えた。嗚呼、行く先はやはりアメリカなのだ。


「十人も殺したのに?」

「これでもね、同乗者に子どもがいたらボタンをすぐに押さずに待ってあげられるくらいは、できる大人だったんだよね。ほら、子どもって降車ボタン押すのが好きでしょう? だから、先に押したら悪いと思って――」

「それ、嘘だと思う」

「嘘?」

「うん。子どものころからの癖でしょ? そういうことさせてくれないお母さんだったんでしょ?」

「よくわかるね。君は殺し屋をやめて、心理学者になった方がいいよノンシュガー」


 ノンシュガーは頬を赤く染めて、恥ずかしそうに顔をそらして外を見た。霧の向こうに見えたのは、エンパイア・ステート・ビル。


「ねぇ、マンチニール」

「なに?」

「私も、逃げちゃおっかな」


 高層ビルは、時として少女に夢を抱かせる。


「私と?」

「そうそう。殺し屋やめて、アメリカで心理学者を目指すってのも――」

「いいんじゃない」

「えへへ」


 ノンシュガーは嬉しそうな顔で、降車ボタンを押した。


『ピンポーン、次、停まります』


 バン。銃声とともに歪な放射模様を描いたのは窓のヒビと、脳混じりの血液。


「やっと隙を見せてくれたね、ノンシュガー」


 マンチニールが、ノンシュガーの、銃弾に破壊されていない方の目を、優しく、閉じた。


 それから。


 席を離れ、悪路に揺れる車内を歩き、運転を続ける男の隣で立ち止まる。


「お金」

「…………」

「ちゃんと約束どおりの額? 信頼するよ?」


 マンチニールはこの場で、スーツケースの中身を確かめたりはしない。


「まもなく、アメリカ。アメリカ」


 それは、録音ではなく今しがたマンチニールに報酬を払った男の肉声であった。


 バスを降りたマンチニールはキャデラックを購入し港を目指した。彼女は喜望峰に墓を建てるつもりなのだ。初めて仕事として殺した、恥ずかしがり屋の少女の墓を。

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