Kの花燭
自分の胸の中のどこかに、もやもやと
濁っているものがあるような気がしていけません。
──太宰治──
Kは微睡んでいた。麗かな、小春の宵のことである。
Kには、恋仲の佳人があった。その佳人は、実に麗しい女性であり、Kは彼女をヴィーナス、と称していた。ヴィーナスは、幾度かKに花を贈ったことがあり、花を貰う度にKは、再三ひしゃげた鈴のようにひどく歓喜した。先日には、錨草、南天などが拘束せられた花束や、五輪の薔薇の花束を受け取った。二束の花束には、それぞれ同じく、
「私の心。」
という言葉が一葉の紙で添えられていた。
そんな生を送るKであるが、先刻目を醒ましてから、今もなお狼狽えている。骸のように、青白い顔を身に付けている。かのヴィーナスとの「ランデヴー」の存在を、あろうことか忘れ去り、うとうと眠りに落ちていたのである。
Kは外套を羽織り、まっすぐに走りだした。街燈。爆音。月。葉。信号。風。小路。あっ!
行く先のビルヂングが、瞳に映る。それを、一瞬間目にした。「ダス・ゲマイネ。」
ナイフで、苺を切り分ける。毒蛇は、梨を、ナイフ一本で、口へとかっこんだ。
給仕の男が、
「良いのですか? お待ちにならなくて」
「ご心配なく。きっと、そろそろ彼は来ますわ」
閑古鳥の鳴くレストランに、ナイフの音が、響き渡る。
然れば、かのKであるが、今しがた椅子に座している。卓上には、八代草を描いたテーブルクロス、三色菫柄のタペストリー、一輪草を挿した花瓶、紅灯緑酒。窓辺の佳景には、燭。
無常に浮世、──漂ひたり。