流れ星の帰る場所
深い夜空の下。町から少し離れた岬にある、ボロボロの小さなお屋敷の庭の外で、少年が星を見上げていました。
「ねぇ、ノフィ。なにしてるの?」
「……星を見てるの。流れ星」
「星……?」
その隣には、不思議そうな顔で座りながら首を傾げる少女。
「星が流れるの?ホント?私、見たことない」
「先生が言ってたんだ。流れ星はお願いを叶えてくれるって。……嘘だと思うなら、自分で聞いてきてよ」
不貞腐れたように応えるノフィ。少女はそれに慌てたように隣に寝転んで、一緒に星を見上げます。
「そっか。じゃあ私もお願いしてみよっかな。ノフィはどんなお願いをするの?」
「……いいでしょ?別に。なんでも」
むっとした視線を向ける少女に、ノフィは顔を背けました。すでに空から落っこちた、海に映る星を数えながら小さく呟きます。
「一人で見ればいいのに」
「なんでよ。ノフィも見るんでしょ?星のこと教えてよ!」
「シャラには関係ない」
悲しくなったノフィは、逃げるように立ち上がりました。そしてシャラという少女にも、思わず乱暴に言ってしまいます。
「ノフィ?どこ行くの!それに……お姉ちゃんって呼んでって言ってるじゃん!」
「イヤ」
さらに冷たくなる返事。ノフィはちょっと歩いて、言いなおしました。
「だって……シャラはお姉ちゃんじゃない」
「だけど……私は年上の家族はお姉ちゃんなのです!」
「家族なんかじゃない!」
お道化たように笑ったシャラに、ノフィはとうとう大きな声で言い返します。ポカンとするシャラ。シャラにはどうして、ノフィが怒っているのか解りませんでした。
「捨てられたんでしょ!僕も……、シャラも!ここにいる皆は!だから……家族なんかじゃない……。シャラは……家族なんかじゃない……」
そしてノフィも、シャラが家族に捨てられたからここにいるのに、新しい家族を作ろうとすることが理解できません。
ビックリして起き上がったシャラでしたが、だんだんと目に涙が溜まります。
「……酷い」
絞り出すような声。でもそれは、直ぐにすすり泣く音に変わりました。
「酷いよ、ノフィ……。どうしてそんなこと言うの……?」
「だって……家族なんていらない……」
その言葉に、シャラは俯いてしまいます。そして
「いじわる。大っ嫌い」
そう言うとお屋敷に、今は孤児院として使われるそこに
「大っ嫌いなんだから!!」
泣きながら入ってしまいました。
「……僕も、大っ嫌い」
家族なんて。しかし、その言葉は詰まって声に出ません。シャラを隠した扉から目を離し、再び星を見上げ、流れ星を探します。思い浮かべた願いは、今度は詰まることなく口から洩れました。
「……会いたいよ。お父さん、お母さん……」
◇◇◇
次の日の朝。
「ノフィ。ちょっとおいで」
庭の端っこに蹲るノフィに、お爺さんの先生が声を掛けます。その優しそうな顔を、今は困ったように歪めていました。
「ノフィ。隣に良いかな?」
「……うん」
「そうか。ありがとう」
そう言って、先生はノフィの隣に座ります。
「シャラと喧嘩をしたんだろう?何があったのかな?」
「星を見てた。そしたらシャラに……邪魔された」
「それは……シャラはイジワルがしたかったのかな?」
「しらない」
覗き込もうとする先生に、ノフィは俯いて目を逸らしました。
「でも、邪魔した。なのにシャラが怒っただけ」
「そうか……。ノフィは今日も星を見るのかな?」
「うん……。お願い、まだできてないから」
お爺さんは、ノフィのお願いを知っています。お父さんに置いていかれたノフィが、一人ぼっちで待っていたことを知っています。お母さんに置いていかれたノフィが、誰も帰らない家で泣いていたのを知っています。
「……そうか。……ノフィ。流れ星を見たらしっかり祈るんだよ。ノフィの願いはきっと叶うから。そしたら先生にも教えてくれるかな?シャラのことも、赦してあげてもらえるかな?」
「……うん」
ノフィはシャラに怒っていたわけではありません。ただ、シャラが家族になるのが怖かったのでした。家族になったシャラや先生や友達が、またノフィを置いて行ってしまうのが怖かったのでした。
◇◇◇
「ノフィ……。昨日はごめんなさい……」
その日の夜も、ノフィはほしを見上げていました。そこにシャラが来て、頭を下げて謝ります。
「……べつに」
ノフィはいつものように、素っ気ない返事で応えました。しかし、シャラは知っています。もうノフィが怒っていないこと。ノフィは素っ気ないけれど、本当は優しいことを知っていました。
「ねえノフィ。隣に座っていい?」
「……うん」
「……!ありがとう!」
そういってシャラは、ノフィの隣に座りました。ノフィは避けるように座り直しますが、本当は場所を作ってくれたことにシャラは直ぐに気付きます。
「……あのね、先生が教えてくれたの!来週ね、流星群があるんだって!流れ星がね、たくさん降るんだって!」
嬉しそうに教えてくれるシャラに、ノフィは思わずその目を見つめました。
「一緒に見よう!ノフィのお願い、きっと叶うよ!」
「……うん!」
その時でした。ノフィの見つめる、シャラの瞳に一本の白い線が映ります。それと同時に、シャラが指をさして叫びました。
「光った!!」
咄嗟に振り向いた先で、誰かの願いを叶えた星は小さく消えてしまいました。
「もう一つ!」
今度はノフィにも見つけれました。
「ノフィのお願い!」
シャラの叫びを聞きながら、ノフィは手を伸ばします。もう一度だけで良い。お父さんとお母さんに会いたいと。
(神様。神様、お願いします。どうか家族に会わせてください)
そして流れ星は、ノフィの手の中で消えました。
◇◇◇
「ノフィー!早く起きなさーい」
お母さんの呼ぶ声に、ノフィは慌てて飛び起きます。
「ごめんなさい!すぐ起きる!」
急いで部屋を飛び出ると、お母さんがご飯を作って待っていました。
「あらあら。そんなには慌てなくても良かったのに。お誕生日おめでとう。温かいうちに食べてしまいなさい」
ホッとしながら席に着くと、温かいスープとサラダのパンが並べられます。ノフィが食べている間に、お母さんは寝癖を直してくれました。そうしているうちに、お父さんも起きてきました。
「おはよう。おめでとうノフィ。今日は雪がすごいな。外で遊べるぞ」
「ほんと!?」
ノフィが外に飛び出すと、辺りは一面真っ白でした。雪もまだ、チラチラと待っています。
しかし、直ぐに真っ暗になってしまいました。お母さんが頭から、大きな上着をかけたのです。
「ノフィ、風邪ひいちゃうでしょう?ちゃんと暖かくしないとね?」
「うん!」
ノフィがみんなの雪だるまを作っていると、やがて暖かそうな服に身を包んだお父さんとお母さんが出てきました。だけど雪だるまは、まだ小さな一つしかできてません。
「ノフィ?お母さんたちは買い物に行ってくるね。それとも一緒に行く?」
「……一緒に行く!」
本当はお父さんとお母さんの雪だるまも作りたかったのですが、離れたくもありません。
雪だるまを作る代わりに、ノフィはお父さんとお母さんの手を握ります。お父さんは冷たくなった手にビックリして、お母さんは暖かくなるようにギュッと握ってくれました。
◇◇◇
ノフィたちは大きなレストランに来ていました。ノフィは大好きなハンバーグと誕生日ケーキを食べました。それからまた遊んで、その帰り道。もうすぐ太陽が沈むころ、家に帰る途中でお父さんとお母さんは足を止めました。
「ノフィ。お父さんたちはちょっと出掛けてくるから、先に帰ってお留守番してくれるかな?」
「お夕飯までには帰るから、それまで家で待っててほしいの」
ノフィがお留守番をするのは初めてではありません。だけど、この日は凄く寂しく思いました。
「……やだ」
そう言って、お母さんの服に縋りつきます。
「どうしたの?ノフィ」
「行っちゃ、やだ……」
そう言って、不思議そうなお父さんの手を握りしめます。
「……仕方ないな。ならノフィも一緒に行こう」
「あら、良いの?」
「ノフィのプレゼントなんだ。驚かすのも良いけど、自分で選ばせよう」
そう言ってお父さんはノフィを抱っこします。
「大きくなったなぁ」
「こんなに甘えんぼなのにねぇ」
そう言ってお父さんとお母さんは笑います。それが嬉しくて、悲しくて、ノフィの心はぐちゃぐちゃでした。
「さぁ、行こうか」
ノフィはお父さんにしがみつき、お母さんの手を握り、三人は川向こうの町まで歩き始めました。
◇◇◇
ノフィたちは川に渡された、小さな橋を歩きます。その足には新品の、綺麗な靴が履かれています。
「ノフィ、あまり走っちゃダメよ。落ちたら危ないんだから」
「はーい!!」
しかし返事も上の空で、ノフィは橋のあちこちを走り回ります。
「……!!うわぁ……お母さん!お父さん!こっち来て!すごくきれい!」
橋の欄干に駆け寄ったノフィはそこから川を眺めます。そこには激しい流れに逆らって、たくさんの星が浮いていました。水面に映る星は、右に左に大きく揺れて、たくさんの流れ星が泳いでいるみたいです。
「おぉ、凄いな。まるで流星群だ」
「ノフィは凄いわね。良く見つけたね」
お父さんとお母さんに褒められたノフィは、嬉しくなって身を乗り出します。もっと凄いものを見つけたいと思いました。
そのときでした。ベキッと音がして、足元から大きな柱が流れてゆくのが見えました。
「あ」
そしてフワッと体が浮いたかと思うと、バキバキと音を立てて、橋は流されてしまいました。
「お父さん、お母さん」
右も左も分からずに、クルクルとノフィは流されます。頭の上でたくさんの星が、ノフィを置いて流れてゆきます。
「いやだ。置いて行かないで」
そう思った途端、何かに強く引っ張られます。
「大丈夫。ずっとそばにいてあげる」
優しい顔で、お父さんが微笑みます。
「だからノフィも、置いて行っちゃだめだよ」
そう言って、お母さんが微笑みます。その時でした。
「いやだ。置いて行かないで」
ノフィは声を聴きました。
「お星さま。ノフィを連れて行かないで」
川の底から、シャラの声を聴きました。
◇◇◇
「ノフィを連れて行かないで。ノフィを返して。お星さま」
シャラだけではありません。孤児院のみんながお願いします。
「ノフィを連れて行かないで。どうか、私たちの家族を返してください」
それでもノフィは、お父さんから離れません。お母さんから離れません。
「だって、そしたらもう会えない。お願い置いて行かないで」
「それでもいいの。会えなくても近くで見てる」
「置いてはいかない。いつもすぐ傍にいる」
お父さんもお母さんも、すでに手は離してます。あとはノフィが手を離すだけ。
「お願いだよ、ノフィ。お父さんとお母さんからの」
「お願いノフィ。また幸せになったノフィのお話を聞かせてね」
そう言って、ノフィの指を外します。
「お願いノフィ。私たちの願いを叶えてね」
ノフィの小さな身体は、たくさんの星と流されます。川の底の夜空へと。
隣に流れる星たちは一つ、また一つと、願いを叶えに飛んでゆきます。そしてノフィにもまた、たくさんの願いが掛けられます。
(僕も行かなきゃ。叶えなきゃ)
お父さんとお母さんと、孤児院のみんなと、それからシャラの、たくさんの願いが掛けられます。
(みんなのところへ帰らなきゃ)
いつか自分がそうしたように、シャラの手を伸ばす姿が見えて———。
◇◇◇
「ノフィ!よかった、目が覚めた……」
心配そうに覗き込む先生と目が遭います。隣には泣きじゃくるシャラもいます。
「ごめんなさい!ごめんなさい!私が気づかなかったから……!」
「不思議なことだけど、怪我がなくて良かった。痛い場所は無いかい?」
「うん……へいき」
病院のおじさんに応えると、おじさんもホッとしたように頷きました。
「ねぇ、ノフィ……。見える?今日は流星群なんだよ?一緒に見ようねって言った日なんだよ?なのに……居なくなっちゃうの。凄く怖くって、だからね?みんなでお願いしたの。ノフィを返してくださいって」
シャラが開け放った窓からは時折、海に向けて落ちてゆく星が見えます。
「そしたらね?ノフィが帰ってきたの!お願いが叶ったの!」
「……うん。僕も叶ったよ」
見上げた空に手を伸ばすと指の隙間から星が零れてゆくのが見えました。それを掴もうとして、しかしノフィは手を開きます。新しい家族に囲まれたノフィの願いは、もう叶っているのですから。
とっくに独りではなかったノフィに、もう叶えたい願いはありません。