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夜ごとの敵 後編

 赤土の荒野にボクはいた。手にしているのは金属バット。


「今夜は逃げないでよね」


  辰浪爽子たつなみそうこの言葉が頭の中でリフレインする。ボクはあれから家にもどると


雨にあたって熱がでたと嘘をついた。母親は医者だ、薬だとやかましく騒ぎたて


が、少し静かに眠らせてくれというと、しぶしぶ納得してくれた。部屋に入った


ボクは、なにか武器になりそうな物はないかと探したが、そんなものがあるはず


もなく、中学生のころからほとんど使用したおぼえのない野球のバットを手にし


てふとんにもぐった。昨夜、一睡もしていなかったせいか、睡魔すいまはすぐに


おとずれたが、まだ眠るわけにはいかない。


「今夜」と彼女はいったのだ。どういう現象なのかはわからないが、辰浪爽子と


ボクの夢がなんらかの形で交差し、地つづきになっているようだ。そして、もっ


とわからないことは、なぜ、彼女はボクを殺そうと ──。


 なんのことはない。結局は睡魔に勝てず、眠ってしまったらしい。そして()()


は現れない。手持ちぶさたであったボクは、赤土の荒野の中でバットのすぶりを


してみる。これが当たったら痛いだろうな……と思いながら。


 だだっ広い荒野にボクひとり、なんだかもよおしてくる。けれど、ここでして


しまえば変人のうえに寝小便たれのレッテルまではられてしまうに違いない。


 今はまだ午後一番か、昼前であろうか? もしもヤツが辰浪爽子であるのなら、


予備校の授業を受けているころである。しかしもしも違うのなら、別の誰かであれ


ば、いきなり襲われる可能性だって──。


 ハッとして目がさめた。バットをにぎり、あたりを見わたす。荒野の中にいた。


ボクはふとんで眠り、夢の中でさらに寝ていたことになる。どこまでなまけ者なん


だ!?と自分につっこみを入れながらも、なんと晴れ晴れとしたいい気分なんだろ


うと不思議に思った。ここ一年ほど味わったことのない充実感……それは熟睡じゅくすい


 うわあ!! こんな簡単なことだったのか!! こんなんでいいわけ!? 


がぜん生きる勇気がわいてた!! 生きることは眠ることと見つけたり!


……冗談はさておき、今、何時なのだろう? 昼間、思いきり寝たら、夜は眠れな


いかもしれないな。でもそれもありかな。夜は勉強して、昼を睡眠にあてればヤツ


から逃げられるかもしれない。まともな浪人生にもどれるかもしれない。


辰浪爽子には、もう会えなくなるだろうけれど……。


 フッ! 右側、視界のはしになにかが見えた!!


「うわあああ!!」


 大ナタをふり上げた辰浪爽子が仁王立におうだちしていた!! ボクはかたわらの


金属バットを手にすると、転がりながら彼女の第一撃をかわした。


「辰浪! 待て、待ってくれ!!」


「大声ださないでよ! お母さんがおこしにくるわよ! 心配かけるわよ!」


 はあっ? なんでそんなことを!?


「わっ! やめろ、辰浪!」


 辰浪はナタをブンブンとふりまわして追ってくる。


「予備校でふと思ったのよ、もしかしてって! 家に帰って寝てみたら……アナ


タ、やっぱり逃げる気だったのね! 時間差睡眠なんて姑息こそくなマネを!!」


「違う違う違うって! ボクは夜まで待つつも──うわあ!」


ガキン!!  大ナタを金属バットが受けとめる!


「嘘よ! そうやってだまして、逃げて、裏切うらぎってぇ!!」


 わけわかんねー!! ガ、ゴン!  ナタの攻撃を受けたバットがボクのひたい


たたいた。つぅー……涙がでる。そしてちょっとムッとした。


「それをしたのは辰浪の元カレだろ!? ボクは関係ない!!」


 大きく目を見ひらき、動きをとめる辰浪爽子。


「それで男を刺したんだって? 精神病院に入ったって!?」


 ボクはひどいことをいっていた。しかし言葉がとまらない!!


「金さえもらえば娘を捨てた男を許す親だって!? それからロリコンビデオに売


られ──」


 バシィ!!  ボクは平手でなぐられた。そして辰浪爽子は顔をグシャグシャにし


て泣いていた。うたれたほおの何倍も痛い泣き顔だった。


「刺してないわよ!! 捨てられて、ただ泣いてたわよ!! 毎日、ひとりで!」


「あ、そう」


「引きこもって泣く私に、お父さんも、お母さんも、どうして?とは聞いてくれな


かったわよ! ただ心理カウンセリングを受けなさいといっただけだったわよ! 


子どものころから両親ともども浮気と仕事で家に帰らないから、私はずっとひとり


ぼっちでさみしかったわよ! だから、父親みたいに愛してくれた男にすがってし


まったわよ! 体にあきられたら終わりだなんて思わなかったわよ!! 文句あ


る!?」


「ありません……」


 ボクはなぜだか “きおつけ” の姿勢をとっていた。そのまま “まわれ右” を


してダッシュしたかった。


「ロリコンビデオになんか出てません!!」


「はい!」


 かんべんしてくれぇ~。


「精神病院じゃない!! 心理カウンセラー!!」


「はいぃ!!」


 辰浪爽子はハッキリいってかわいい、頭もいい。そして、これまでの立ちまわり


からさっするに運動神経にもひいでているのだろう。ねたみ、そねみ、羨望せんぼうの裏がえし


から、うわさ話にくだらない オヒレハヒレがついたのは想像にかたくない。


「私はアナタがにくらしかった!!」


「はぁ?!」


 憎まれるほど、したしくないし!!


「カウンセリングの帰りにアナタを見たの。アナタはご両親と一緒だった。ご両親


と一緒にカウンセリングを受けにきていた。私がどれだけうらやましかったか、


アナタにわかる!?」



「…………」


「なのにアナタは、お母さんにいったのよ!!」


 な、なにを!?


「くるなよ! 恥ずかしいよ!」


「い、いったかも」


 ふつうに。


「お父さんにもひどい言葉をはいた!!」


 嘘ぉ!?


「父さん、仕事いってよ。ボク、大丈夫だから!!」


 (ひど)くないし!!


「あんなに心配してくれるご両親に対して、どうして、あんなことがいえるの? 


信じられない!!」


 辰浪は体をかがめると、ふたたび大ナタを手に持った。


「待て待て、待って! 辰浪!!」


「アナタがにくい!!」


 辰浪爽子は大ナタをふり上げた! が、勢いがつきすぎたらしく、そのまま背中


から赤土の大地へとあお向けに倒れこんだ。


「だぁー!!」


 ボクは大ナタの柄の部分をけって、辰浪爽子の手からはなした。辰浪は声をださ


ずに、ただ涙を流している。


「それで……ボクを……」


 殺そうとしたの?


「それだけじゃない……」


「うん?」


「私、疲れていたの。くる日も、くる日も、この赤土の荒野をさまよう夢を見る。


ときには走ってみたり、どこまでも歩いてみたり……夢だとわかっているのにあが


いて、もがいて。目がさめたとき全部おぼえていて、ちっとも疲れがとれなくて」


  それ、すごくよくわかる。


「そんなとき、天から声が聞こえたの。憎い男を殺せ! 夢の世界から脱出するに


はそれしかないって!」


  ボクは自分の顔を指さした。──憎い男?  コクンとうなずく辰浪。


「でもさ、この場合、ふつう、元カレを思うと思うけど! ふつうボクじゃないで


しょ!?」


 彼女はギロリとボクを見た。


「どうせ、ふつうじゃないわよ」


「あ……」


 そういう意味でなくて!!


「あんな下衆げすのことなんて、思いもつかなかったのよ! ふつうじゃないの


よ、私は! ふつうじゃないからアナタを好きになっちゃったのよぉ!!!」


「──はぁああ!?」


「一年よ! まる一年もアナタのうしろ姿を追いかけてきたの! ちっともふり向


いてくれない男のことばかり考えてきたの! アナタをふり向かすことばかり考え


てきたの! いつもアナタのことばっかり!!」


 辰浪は、赤土の大地に顔をうずめるようにして、わぁあああと泣いた。


ボクは……。


「辰浪……」


「さわらないで!」


 のばしかけていた手をボクはとめた。すると突然、辰浪は土をけってダッシュ!


またもや大ナタを手中におさめ、ウフフ、と笑う。


「かかったわね」


 な、な、なんと! どこまで女の子は奥ぶかいんだ!?


「……というのは嘘」


 辰浪はジャッと音をたてて、赤土に大ナタを落とした。


「さよなら。もう、追いかけないから……」


「辰浪──」


「アナタのレベルに合わせて通ってた予備校も、やめるから……」


 辰浪! なんか引っかかるんだけど!!


「早くひとりで目をさましてよ! ひとりきりには、なれてるから」


 あ、目の前に白いかすみがかかり始めた。辰浪爽子の姿がボンヤリとした


影になる! ヤバイ!! 目がさめる前兆ぜんちょうだ! ボクは夢中で辰浪を抱きし


めた。やわらかな弾力(だんりょく)がボクを支配する。


「!?」


 驚いてはいたが、辰浪は抵抗しなかった。


「辰浪……ボクこのまま、ひとりで目をさましたくない。いっせぇのセッ!で、


ふたりで目ざめよう! ──それからデートしてください!」


「でも……」


「辰浪、キミはこんなに近いのに、しないんだ。柑橘系かんきつけいのかおり……」


「…………」


「辰浪のにおい好きなんだ、ボク」


「においとかいうな! はなせ!」


「だめ、はなさない。はなさないよ。辰浪」


 ──ピキッ!  頭の中で、()()()(こわ)れたような小さな音がした。




 あれから、赤土の荒野の夢を見なくなった私は、時おり懐かしく思いだす。あの


戦いの日々を。朝食時、私はテーブルの下でそっとタブレットのニュースサイトに


目を落とす。食事中にこれを見ることを()がきょくたんにいやがるからだ。


『心理カウンセラー逮捕』の見出しに私は目をとめた。治療としょうし、人体実験


をおこなっていた心理カウンセラーが逮捕された。容疑者は薬物や催眠療法にて、


およそ四百人にもおよぶ患者を、不眠症や、睡眠障害に追いこんだのだという。


ときには、自作の()()()()()を患者に埋めこむなどして、患者の


睡眠中の夢を操作するなど悪らつな──。


「アナタ、またニュース見てる!!」


 あはは……。私はだまって食卓の上に手をおいた。するとまだ三歳の娘が私の手


の甲にシッペをした。むろん痛くはない。そして、きゃっきゃと笑う娘。


 わが家は、少々エキセントリック気味な()の決めたルールにもとづいて運営


されている。食事のときには、テレビもネットも禁止。大切なのは家族の会話。


わかっているよ、爽子そうこ……。


「もう、次はないわよ、アナタ」


 はいはい。


「つりはたいだよ、あなた」


 娘の片ことに、私と妻は吹きだしてしまう。


「爽子。あの夢でさ、爽子に、(にく)い男を殺せって命じたヤツ、興味ないかい?」


「あら、私たちのなれそめでも語りあいたいの?」


 あまり語りあいたくはない。


「いいんだ」


「そ、どうでもいいことよ、今となっては」


 妻は笑った。


「そうだな」


 私もタブレットの電源を落として、妻と娘、ふたりの家族に笑いかけた。


                                 (終)


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