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夏だぜ! みかん 後編

「なにか気になる話ね」


 実は──と、翌々日の帰りがけに、偶然みかんに出あった話を鷲尾わしお女史にだけ


していた。俺自身が判然としなかったからだ。


「あの子、約束やぶって連絡もしてこない子じゃないもんね。酒井さかいならありえるけ


ど」


 酒井とは今の事務の女の子である。こわいこわい。


「みかんの携帯、聞いてないの?」  


 俺は首をふった。鷲尾女史はハッハと笑う。


「だから女ができないのよ」  


 大きなお世話だ。


「仕方ないわね……」


 鷲尾女史はいったん落としたPCの電源を立ちあげて、みかんの住所と電話番号を


プリントアウトしてくれた。


「悪いね」  


 俺は女史をおがんだ。


「鉄は熱い内にうつべきよ」  


 そういって片目をつぶる女史。ああ……とあいまいにこたえる俺、まだどうする


べきなのかをまよっている。俺自身の気持ちが実はわからないのだ。


 みかん。数日前まで、完全に忘れていた女性なのだから。


渡瀬わたせさん、もと同僚として、みかんの安否の確認、お願いするわよ」


「お、おう」  


 するどい人だ。大義名分をあたえなければ、コイツは動くまい。瞬時にそう判断


したに違いない。


「渡瀬さん、私、個人情報流出に、かたんさせられたのよねぇ? まいった、まい


った」  


 はぁ?


「はいはい、なにかおごりますよ」  


 女史はニッコリと微笑ほほえんだ。


「それとね……」




 即日、俺は大義のために(?)みかんの家へ電話を入れた。でたのは彼女の父親


であった。べつに彼氏彼女の関係ではない。うろたえる必要もないのだが、俺はた


ぶんビビっていた。そして、看病づかれのせいなのか、彼女の父親の言葉には覇気はき


がなく、声も小さく、半分も聞きとれなかった。結局、たがいに要領をえないまま


ではあったものの、俺がもとの同僚であることと、みかんに会いたいむねを伝える


ことだけはできた。親父さんは、明日、○○市立病院の605号室にきなさい、とボ


ソボソとした口調でいうと電話をきった。……なんだか、とてもつかれた。




 翌日、俺は仕事を早退し、○○市立病院、605号室をたずねた。


 みかん、よくもデートをすっぽかしたな!! 入るなりそういってやろうかと思


ったが、お袋さんの病室だろうし、親父さんがいるかもしれない。俺はひとつ深呼


吸すると病室の扉をノックした。


「どうぞ」  


 親父さんの声。やっぱりだ。しばし、みかんを外に連れださないと話もできん


な、こりゃ。


「こんにちは」  


 昨夜は突然のお電話で失礼しました、などとあいさつをしながら室内へ。声のと


おりの印象、彼女の父親はくたびれはて、自身こそが病人のようであった。


 ベッド上には点滴やさまざまなチューブにつながれた老女がひとり。バサバサに


ひからびたような長め白髪が散乱し、目はおちくぼみ、タオルケットからはみだし


ている腕は無ざんなほどに生気がなくせこけている。老女はピクリとも動か


ない。そして、病室にみかんの姿はなかった。仕方ない、しばらく待つ──!!  


 ハッとした。俺はあらめて老女を見た、そして彼女の親父さんをふりかえる。  


彼は小さくうなずいた。


実夏みかです……娘です」  


 言葉にならない。


「妻は、アレは療養所へあずけました。正直、娘で手いっぱいでして」


 そんなバカな、そんなバカな!! だって、つい四、五日前に……。


「看病していた姉に死なれ、つづき母親の介護と看病、その母親も完全に痴呆状態


となって……精神的に追いつめられていたのでしょう。過食と拒食をくりかえすよ


うになりましてね……」  


 みかん、嘘だろう? みかん。


「お医者の話では、初期は現実逃避がいっぽ、すすんだ状態、自分のからに閉じ


こもった状態ということだったのですが、今では、このありさまで。一度、フラフ


ラと勝手に出歩きましてね、階段からころげおちて強く頭をうってしまった……も


う私の声も聞こえてるんだかないんだか、点滴で生きてるだけで……」


 植物状態? 嘘だ……みかん……。




「それとね……」  


 鷲尾女史はまた、ニッコリと微笑ほほえんだ。


「みかん、渡瀬さんのこと、こわいっていってた」  


 俺は赤面した。


「知ってますよ」


「でも、暑い夏はアイスで、寒い冬はホットで、みかんは毎日毎日、会社にもどっ


てきた渡瀬さんにコーヒーをだしてた。なぜだかわかる?」


「……性格がいいから、でしょ」  


 頭をかかえる女史。


「バカね、女は天使じゃないのよ。好意のもてない男なんて相手にしないわよ。ま


してやみかんは、そんな世界がいやでホステスやめた子なんだから」


「でも、コーヒーくらい、誰にでもだしてたし……」


「一日たりとも休まず、みかんのコーヒー飲んでたのはあんただけなの!!」


「…………」


「みかん、いってたよ。仕事でピリピリしてないときの渡瀬さんは、やさしいっ


て……」




 みかん、俺はやさしくなんかないよ。ごめん、ごめん、みかん……。


 彼女が目をとじていることが救いな気がした。俺はみかんの顔をまともに見るこ


とができ──待てよ、待てよ。みかん、だったら、あのときのみかん。おしゃべり


でそそっかしいみかん。ありゃなんだ? あれは、俺の知ってるみかん。ウチの会


社にいたころのみかん。


「……みかん」


 俺は、みかんの白髪にふれた。栗毛色くりげいろの髪をなびかせて、街を颯爽さっそうと歩きたいん


だな? こんな病室に閉じこもっていたらクサクサしちゃうんだよな? 


そうだな? みかん!


「みかん! 夏だぜ! ワクワクしないともったいないぞ!!」


 俺は、骨と皮になりはてた小さな頭蓋ずがいひたいからほおに両手をはわせる。


「デート、すっぽかしやがって! このままじゃ夏がおわっちまうぞ! いいの


か? みかん! いいのかよ……みかん……」


 俺のために毎日コーヒーをいれてくれた、ただそれだけの女。なんでこんなに心


がザワつく? なんでこんなに泣きたくなるんだ!?


「おまえ、ズルいぞ! おまえがデートにさそったんじゃないか! ズルいぞ、お


まえ!!」


 四十男の心をもてあそびやがって!!


「──ああ!!」  


 親父さんが突然、大声をあげた。


「え?」


 かすかに、ほんのかすかにではあるが、みかんの蒼白そうはくな唇が、まぶたが、頬骨ほおぼね


が、ピクピクと動いている!


「親父さん!!」


 彼女の父親は、ガタン!とパイプいすをひっくり返して立ちあがり、骨ばった指


で、おそろしく力づよく俺の腕をつかんだ。


「医者をよんでくる! 娘をたのむ!!」


 バターン! ガターン! ドンガラガッシャーン!!


 倒したパイプいすにつっかかり、一回転した親父さんはドアに激突しながら廊下


へとびだしていった!!  ぅおおおおぇ~!!  室内からも彼の雄叫おたけびが聞


こえてくる。

 

「…………」  


 俺はパイプいすを引きよせて腰をおろした。そしてみかんに笑いかけた。


「親子だなぁ、そそっかしいところ、ソックリだぜ。ナースコールでよべばいいの


に……」


 さすがは、みかんの父親だ。本当はあかるくて元気な人なのだろう。

  

「みかん。今年は無理だろうけど、来年はワクワクしような、夏しような。ふたり


でさ」


「ハイ!」  


 みかんが元気よくこたえた気がした。それは気のせいだったかもしれない。


けれど、みかんの口もとには確かに笑みがこぼれていた。そんな風に俺には見え


た。

            

 ──夏だぜ、みかん。

                                (終)


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