とある国における「おバカな彼女」と「バカ者な私」が「死」にいたるまでのとりとめのないお話 後編
──その夜、約九十発の弾丸を全身にあびせかけられ、彼女は死んだ。
命令をくだしたのは私であったが、さすがの私も、その死体を正視することはでき
なかった。
いきづまっていたテロリストたちが、私の動向をさぐるべく送りこんできたスパ
イ、それが彼女だった。うらみかさなるテロ対策室室長の私を暗殺するよりも、裏
をかいて大規模な花火を打ち上げ、私のあわてふためくさまを見てやろう。連中は
そんな子供じみた発想しかもてない無能集団になりさがっていたのだ。少しでも頭
が働く者がいたなら、やつらは私を殺したはずだ。殺すべきだった。私ならそうし
た。
彼女には私を殺す機会がいくらでもあったはずなのだから。彼女自身、私を憎ん
でいたはずなのだから。彼女は私が壊滅させたある町の生きのこりだったのだか
ら。ごく普通の育ちのよいお嬢さんであったはずなのだから。憎まれていて当然な
のだ。
「バカね」
彼女はよくそういった。アレも私に対する遠まわしな非難だったに違いない。私
の目の前でハデに転ぶという、いささか不自然であった彼女との出あい。そのパフ
ォーマンスを私は受けいれた。俳優さながら、恋に落ちたフリをした。なぜなら、
私たちには、すべてがわかっていたからだ。私は、彼女の過去を調査させ、逆に尾
行をつけて、彼女の組織の動きをさぐっていたのだ。そして彼女もまた女優だっ
た。あのそそっかしさも、実は演技であろうと私はどこかで考えていたのだ……。
あれは、アジトに集結したテロリストどもの全滅作戦であった。しかし、事前に
察知され、敵の多くは、ほぼ無傷で逃亡したと報告をあげた。大した成果もあげら
れなかった私に首相は、こんな日もあるさと声をかけてくれた。
「しかし、次はたのむぞ」
「わかってる」
むろん、そのつもりだよと私はこたえた。
ところが実は私は成功していた。作戦は成功だった。やつらに情報をリークした
のは私だったのだ。今回の作戦はそこそこの戦果をあげられれば、それでいいと考
えていたのだ。本日にかぎっては、テロリストどもの殲滅など考えもしなか
った。私は今日、敵の中に彼女がいる事実を知っていたのだ。まだ、彼女を死なせ
るわけにはいかないと考えた。独断ではあるが、まだ彼女は使える、そう判断した
のだ。
部屋へもどった私は、茫然とベッドに腰をおろした。今はプライベートだ。
考えまい、考えまいとしても意味不明な感情の渦が押しよせてくる。
適当に小競りあって、その後、連中は逃げられるはずだった。その計算だっ
た。そして、その通りになった。すべてが私の計算どおりにはこんだはずであった
のに……。
私はふらふらと立ち、冷蔵庫を開いた。決して強くはないが、酔いたい気分だっ
た。缶ビールを手にして──あ。 鍋が入っていた。私は鍋に手をのばし、
上蓋をはずした。見なくてもにおいでわかる、カレーだ。鍋いっぱいに作られ
たカレー。冷蔵庫で冷やされ、やや固形化したカレー。とてもマズくて食えない
カレー……。
カレーか、また長いこと、でかける気だったんだな。お前、どこで悪さする気だ
ったんだ?
「バカね!」
彼女の声が聞こえた気がした。なんとなくバカ……そんなこともいわれたっけ
な。外に一歩でると私をしかる人間などいない。私はつねに完璧でなければなら
ない。すべてを把握していなければならない、わかっているフリをしなけれ
ばならない。
だから……「バカ」っていわれるの、きらいじゃなかったんだぜ。お前にはわか
っていたのかな? 私が実力以上に背のびして、無理をしていたことを……。
ひとり食卓についた私は、いただきます、といって温めたカレーをいちおう、
口にしてみる。──予想どおりだった。
「マジぃんだよ! おバカやろう!!」
私は世界一マズいカレーを懸命にビールで流しこんだ。マズいんだよ……バカや
ろう……。そうしながらながら酒をグイグイあおり、皿も、鍋の底までペロペロな
めた。酸っぱいモノが咽までのぼり、吐きそうなくらいマズかった。
お前……本当は、どう思っていたんだ? 私のこと。やはり憎んでいたのか?
そうなのか? わからないなぁ……バカだから……私は、バカだから……。
彼女の最後の言葉は「バカね……」であった。
敵の女に対する発砲命令を、一瞬、躊躇した私への、それが最後の、私への
最後の彼女の言葉であった。
だから、心配だっていったろ? 夜は出歩くなっていったろ? 逃げられたはず
なんだ。なんであの場面で転ぶんだ、お前は!!
「そそっかしいにもほどがあるぞ! バカやろうっ!!」私は初めて彼女を罵倒
し、怒りをあらわにした。目の前にいるのなら、ぶん殴ってやりたかった!!
もう……いないけどな……。
私は酩酊し、彼女の夢を見た──。
翌朝、私は二日酔いで官邸におもむき、強引に辞表を提出した。
「月夜の晩ばかりだと思うな!!」
政府の内情、そのすべてを知りつくしている私に対し、首相がなにかいったよう
だ。
「わかってる」
癖でそうこたえたが、酒がかなり残っていたバカ者の私には、うるさい雑音
にしか聞こえなかった。
ひそかに尾行がつけられていたことですら、私はそのとき気づいていなかった。
(終)




