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亜珠理綺譚(あじゅり きたん) 後編

「あの女が一分いちぶすきもなく天使を演じたらおちない男はいないって意味です」


「演じる? なんの話です?」  


 刑事はボクの目をじっとのぞきこんだ。


「私の話を聞いたら、あなた、また気絶しますよ。きっと」


 単なるおどしには聞こえない。そんな口調だった。


「大丈夫です。刑事さん、亜珠理あじゅりのなにを知ってるんです?」 


「………」 


「刑事さん!」


「あの女、今は柾木亜珠理ですか。ありゃあ、天使の皮をかぶった悪魔だ。私は


ね、もう五年もあの女を追いつづけているんです」  


 理解できない。


「私、刑事は刑事でもコチラの県警の者ではないんですよ。あなたと同じ東京の人


間です」


「亜珠理が……なにをしたと?」  


「……結婚詐欺(さぎ)三件、保険金詐欺(さぎ)二件、そしておそらくは殺人教唆さつじんきょうさ。われわれ


がこぼしているであろう雑件をふくめれば星の数ほど、それこそ犯罪と名のつく


モノ、ありとあらゆること」  


「そんなバカな!!」


「信じられないのも無理はない。美しい、本当に美しい女だそうだからね」


「顔、亜珠理の顔、見たことないんですか?」  


 刑事はくやしそうにうなずいた。


「残念ながら。あの女は写真を残さない。あなたは? もっていますか? 柾木亜


珠理の写真」


「いや……」  


「ほら。恋いこがれてプロポーズするほどの方ですら写真一枚もってない。デジタ


ルの画像や動画なんかもないのでは?」  


 その通りだった。 


「ついでにいうと本名すらわからんのです」 


「そんな……戸籍こせきは?」 


「あんなモノ、いくらでも売り買いできるんですよ。……実はね、私、あなたを助


けたいと思っているんです」  


「助ける?」


「あの悪魔がことをおこしたあとは死屍累々(ししるいるい)、ペンペン草もはえやしない。利用


され、あやつられ、そして消される。しかも証拠はいっさい残さない。犠牲になっ


た方々はね、あなたくらいの若い男が多かったんですよ。診療所で話を聞いてピン


ときたんです。今回はあなただと」


 ボクの方はいっこうにピンとこなかった。刑事は、先ほどの焼けこげた亜珠理の


写真をもう一度とりだした。


「ここいらはいなかですからね、放火ってだけで住民がピリピリしてしまいます。


だから、そう、警察も消防も、柾木さんは逃げおくれての焼死で片づけたがってま


すね」


「放火じゃなくて火事、ですか?」  


「ええ」


「からかってます? 亜珠理は殺されたっていったじゃないですか!?」


 刑事は写真を指さした。


「見てください。顔なんか原型とどめてないでしょ? 木造アパートでしたから


ね、よくよく燃えたらしく、ぐうぜん柱かなにかにつぶされたようで歯形すらとれ


ない始末でして。それと、そう、指紋、これもまた、ぐうぜん熱くねっせられたな


にかに手をついてたようで、採取不可能でした」  


 そう、それがボクも感じていた違和感の正体。必要以上に顔形がつぶされてい


る。そう見えた。


「ぐうぜん、またぐうぜん、本人と特定できる材料がなくなっている遺体がひと


つ。しかも、同じアパートの他の住人は全員、避難できてるんですよ。こりゃ怪し


いですよね?」


 本当に引っかかるいい方をする男だ。  


「なにをいいたいんです?」


「私は、あなたの仕業しわざだと思ってたんです。あの悪魔にそそのかされたあなた


のね。あの女のすすめで禁煙されたといいましたね? あの女はそうやってはかっ


てたんですよ。どのていど、あなたをあやつれるのかをね」  


 無性に腹が立つ。  


「わけがわからない!!」


「柾木亜珠理と名のった女は今も生きている。私はそう思ってます」


「じゃあ、この死体は誰なんです?」


「さあねえ、あの女なら自分と背かっこうの似た若い女をたぶらかすくらい、雑作(ぞうさ)


もないことでしょう」


「そ、その女を、ボクが殺したと? ボクは知らない! やってない!!」


 刑事はふるえるボクの両肩をつかんだ。


「落ち着いて! 落ち着いてください! 大丈夫、今、私はあなたを信用してい


ます。大丈夫ですから」


 いつの間にか、ボクの顔にはものすごい量の汗が吹きだしていた。


「すみません、刑事さん。落ち着きました」


「よかった……今日は、これくらいにしておきましょう。お疲れでしょうし」


「いや、ひとつ聞かせてください。亜珠理はなぜ、この村に? だって、真剣に医


療補助やってたようにしか見えなかったし!!」  


 刑事は少しだけためらいを目にうかべた。


「なぜでしょうな? 私も一昨日、コチラにきたばかりでハッキリしたことはわか


りません」


 嘘だとわかった。  


「捜査上の秘密ですか?」


「いや……まだハッキリしてないのは本当なんですよ。ただ、それ以上に、この


上、あなたの神経をたかぶらせるのはどうかと」  


「教えてください」


「いいでしょう。ただし、これはまだ想像の段階ですから」  


 ボクはうなずいた。


「誰にもいいません」  


「村に、御多倉みたくらという老人がいるのはご存じですかな?」


「診療所で名前を聞いたような……確か、大変な慈善家だとか?」


「ええ、そして大変な金もちです。悠々自適(ゆうゆうじてき)、家族もなく、たったひとり、


いなかでのんびり老後をすごしている。まったくうらやましいかぎりです」  


「はあ……」


「私もあの女が、なんの目的もなしに村人へつくすなど、あり得ないと考えまし


た。しかしこの村には、ひとり気ままに暮らす慈善家の金もちがいた」  


「…………」


粗末そまつな診療所でほぼ無償で働く、若く美しい天使のような娘のうわさが慈善を趣味


とする老人につたわらないはずがない。事実、つたわりました。女の目的は老人の


家に養女として入ることだったと思われます。誰にも疑われず、誰もが祝福するご


く自然な形で。いい話です。裏がなきゃね」  


「そんな! そんなまわり道……そんなに手間ひまかけてまで……」


「あの女ならやります。一、二年がまんすれば巨万の富が手に入るわけですから。


老人を死なせればね」  


「……亜珠理の計画はすすんでいたんですか?」


「御多倉氏の豪邸には出入りしていたようです。気にいられて」


「そうですか」


「ところがですね、少しばかり引っかかりまして。本当の慈善家なんて人はたいて


い貧しいんですな。で、御多倉氏の過去やら、登記やらを調べさせたのですが」


「なにかあったんですか?」


「二重三重に隠蔽いんぺいされてはいましたがね、やってましたよ。へたなヤクザより


たちの悪い、実に悪どい金もうけをね。まあ、こんなことでもなければ、とうぶん


あかるみにでることはなかったでしょうな」  


「亜珠理は……」


「当然、最初は知らなかったでしょう。あの悪魔も今度ばかりは上には上がいるっ


てことを、思いしったんじゃないかな?」  


「亜珠理は、それで……」


「詳細はわかりませんが、御多倉に接触し、取りいる内になにかしくじったんでし


ょうな。それで──」  


 ボクがいった。  


「殺されそうになった」  


「おそらく。で、死んで見せる必要に迫られたんでしょうな。まあ同情はできませ


んがね」


「まあ、そりゃ……」  


「いいですか? ここで同情すべきなのは、あの悪魔の身代りに殺された女性なん


です!! 柾木亜珠理を名のる女じゃない!!」  


「そうですね」


「御多倉の悪事もいずれ公表されるでしょうが、そんなことは問題じゃない!! 


なぜ私が、ここまであなたに話したのかわかりますか?」  


「いえ……いや」


「あの悪魔は生きている。そして追いつめられている。となれば、言葉は悪いが手


なずけた男、あなたのところへやってくる可能性が高いんです。悪魔は天使の微笑ほほえ


みをうかべて近づいてくるでしょう。しかし、そのときは思いだしてほしいんで


す。この写真を!! 悪魔の欲望を満たすためだけに顔をつぶされ、身体を焼かれ


たこのあわれな女性のことを!!」 


「刑事さん……」  


「いや、失礼。つい興奮してしまった。実をいいますとね、あの女にはいつも寸で


のところで逃げられてきた。これがくやしくてね。それと……そう、私もね、天使


のような悪魔の笑顔、一度おがんでみたくってね」


 帰りがけ、ボクは刑事に聞いてみた。


「初めはボクを亜珠理の仲間……飼い犬だと疑ってましたよね? なぜ信じてくれ


たんです?」


「簡単ですよ。あの女の命令をあなたは実行できない。その前に気絶です」


「なるほど……なるほどね……」



 

 ボクたちは笑顔で別れた。もし今後、亜珠理が現れたなら必ず知らせると約束を


かわして。


 ただ刑事さん。ボクはひとつだけ嘘をつきました。ボクの病気はね、本来、意識


がとぶと、狂暴性をはっきするってシロモノなんですよ。でなきゃ訴訟そしょうなんて話


にはなりません。だからいったでしょ? 本当に病気はよくなってるって。以前の


ボクなら刑事さんもあぶないところだったんですよ。  


 でも一昨日は……。ねぇ刑事さん、きたんですよ、亜珠理。かなり怒っててね。


何度もヤラせてやったのに、あのジジイ、ぶっ殺すとかわめいて、タバコなんかプ


カプカふかして。ボクにはなにがなんだか、信じられないような光景だった。  


だってあんなの天使じゃない。


──で、だんだん動悸どうきが激しくなってきて、汗が吹きだして……それで、気がつ


いたら……血のついた包丁を握ってたんですよ。


刑事さんは亜珠理の天使のような悪魔の笑顔、おがみたいといってたけど、無理。


だって亜珠理の笑顔は、永遠に天使の微笑ほほえみなんだから……。

 

 台所の()()()()()()()()の冷凍室をのぞきこむと、亜珠理の()は、一分いちぶすき


ない、完璧な天使の微笑ほほえみを、ボクにかえしてくれた。                


                                (終)

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