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亜珠理綺譚(あじゅり きたん) 前編

「少しお話をうかがいたいのですが」  


 刑事がひとり、ボクの家へとやってきた。そして、ボクを驚かせるには十分な


ニュースをもたらしてくれた。


 亜珠理(あじゅり)が死んだ、しかも殺害された。刑事はそういったのだ。


柾木(まさき) 亜珠理(あじゅり)さん、ご存じですよね? 彼女が亡くなったこと、知らなかった


んですか?」


 もちろん知るわけがない。誰からも連絡はなかった。ひきこもりのボクには横の


つながりがまったくないのだ。


 いっけん人のよさそうな初老の刑事は、しかし目だけはするどかった。ボクの


驚愕(きょうがく)ぶりが本物なのか、芝居なのか、見さだめようとしているのだろう。


「柾木さんとは半年前にわかれたそうですね?」  


「わかれたもなにも、厳密にはつきあってもいないです」


 そう反論したボクは、亜珠理がいつ死んだのかをたずねた。


「五日前です。テレビニュースでもやってましたよ」  


 ボクの部屋にはテレビもラジオもない。若い女性が殺されたとなればワイドショ


ーでも取りあげられたかもしれない。


「どんな、その、死にかただったんですか?」


 刑事は古い革製のカバンから、写真を一枚ぬきとった。  


「見ますか?」  


「なんです?」


 受けとったボクは、うっ!と声をあげてしまった。けし(ずみ)のような物体がうつ


っていた。


「柾木亜珠理さんです。みごとな()げっぷりでしょ」  


 ボクは気分が悪くなり写真を刑事につきかえした。  


「火事……放火ですか?」


 ボクはたずねたが、それにしても……その写真にはなにか違和感をおぼえた。


その間、刑事は、キョロキョロと室内を見わたしている。  


「タバコ?」  


 ボクがいうと刑事は大きくうなずいた。茶だんすから灰皿をだし、刑事の前にお


く。彼は嬉しそうに頭をさげ、タバコに火をつけた。


「あなたはやらんのですか?」  


「前は……でも、やめました」


「そうですか、今はみなさん、そうだ。私ら片身がせまいですよ」  


 刑事はうまそうに煙を吐きだす。  


「柾木さんはタバコは、どうでした?」  


「吸わないと思いますが」


「そうですかねえ……吸わないのかなぁ? 本当かな?」  


 ボクはイラッとした。


「なにをいいいたいんです? だいいちボクに禁煙をすすめたのは亜珠理なんで


すよ」


 ほうほうとつぶやきとながら、刑事は内ポケットからメモ帳を取りだした。


「あなた、一年前まで東京の大手企業でバリバリ働いていた、いわゆるモーレツ


社員だった。で、よろしいですか?」  


 モーレツ? 死語だよ!  


「なんでボクの話になるんだ!?」


「亡くなった柾木さんのつとめ先であった村の診療所でですね、あなたが柾木さん


にフラれたことを根にもってたんじゃないか?と患者さんたちや、ただひとりしか


いない先生の間で、もっぱらのうわさだったものでしてね」  


「はぁ!?」  


「いなかの方々は東京ものに容赦(ようしゃ)ありませんな。もうあなた、犯人あつかいでした


よ」  


「なんだって!?」


 なるべく興奮はさけたかった。都会での激務の中で神経をすり減らし、いわゆる


病気になったボクはいなかの村へ、それも誰ひとり知る者のいない過疎地を選んで


ひきこもったのだ。さいわい、たくわえもあったし、東京では考えられないくらい


安価な木造の一軒家をかりることができた。外界とはなるべく接したくなかったの


でテレビはおかなかったが、最低限の情報をえるためにネットだけはつなげた。そ


して買い物にも不自由な場所だったので、業務用の大型冷蔵庫を入れた。これのお


かげで食料の買いだしは月に一、二回ですんだ。


「まあまあ、そうたかぶりますと体にさわりますよ」  


 刑事がいった。つまり、ボクの身上や履歴など調査ずみということか。  


「くだらないうわさを聞いてボクのところへきたわけですか」  


「それもあります」


 それも? も、とは? 引っかかるいい方をする男だ。


「なにしろね、診療所とはいっても、患者は老人と子供ばかりでしょ? そんな


方々にあなたを調べろって口々にいわれたら、そりゃこないわけにいきませんよ」


 そういって困った顔なんかしてみせる。このタヌキ親父め。


「みなさん、泣いてましたしね。柾木さん、みなさんにしたわれ、愛されてたん


ですね。一様にいってました。天使のような子だった、あんなに心のきれいな娘さ


んは他にはいなかった、とね。まあ、こんなさびれた寒村にみずから進んで医療補


助にやってくる若い娘さんなんて今どきそうそういませんからね」  


 そのてんに関しては大いに同感できる。確かに亜珠理は天使。白衣の天使そのも


のだった。


「で、このたびの事件でしょ? みな、悲しみと怒りのほこさきを誰かにむけずに


はいられなかったようです」  


「冗談じゃない!」


「はい、お怒りはごもっとも。なのですが、ここは協力してください」


「刑事さんもボクが殺したと思っているんですか?」  


 刑事はうーん、と頭をかいた。


「どうですかな? まずは話を聞かせてくださいな」  


「ボクはやってない!」


「なにをですか?」  


 オトボケも大がいにしろ!!


「……もうなにも話す気がなくなった。帰ってください」  


 ボクがいうと、刑事はタバコを灰皿に押しつけた。


「容疑を認めるわけですか?」  


 なんでそうなる!?


「容疑ってのは、いなか者のたわごとのことですか!」


 ──胸が苦しい。動悸(どうき)が激しくなる……まずい、まずい! 


 そして……目の前が暗くなった。




 「──さん!ちょっと!!」  


 はっ! 気がつくと刑事がボクの肩をゆさぶっていた。


「ボクは……」  


 刑事は、ほぉおと深いため息をついた。


「ビックリしましたよ! 大丈夫ですか?」  


「気をうしなってました? ボク」


 うんうんとうなずく刑事。  


「どのくらいですか?」  


 あ? 頬が濡れている。泣いていたのか?


「ほんの一、二分ですが、いや驚きました。救急車、呼びますか?」


「いや、けっこう……もう大丈夫です。それより、ボク、なにかいってませんでし


た?」


 正直、聞くのは怖いが。  


「柾木さんの名前、呼んでましたよ。何度も」


「そう……亜珠理の名を……そうですか」  


 刑事は頭をふって立ちあがった。病気の男を変に追いつめて、死なれでもしたら


かなわんとでも思ったのだろう。


「待ってください」  


 ボクはいった。この男に亜珠理の話をしたくなった。いや、聞いてほしかった。


病気の自覚はある。だからつねに冷静、平静をたもとうと、つとめるくせがついて


いた。が、そんなものはとうにくずれていたし、亜珠理の話をもっとしていたかっ


た。


「なんでしょう?」  


「ごらんの通り、ボクは病気です」  


「養生してください」


「してますよ。そのためにこんな、いなかまできたんだ。だいぶよくなったんです


よ、これでもね。だから大丈夫です、なんでも聞いてください」  


「本当ですか?」


 疑わしそうな目をむけてくる刑事。


「興奮やイラだちはさけた方がいい。医者にそういわれてました。が、ボクには話


し相手が必要なんだ。お願いします」


 刑事は、またタバコをポケットからだすとテーブルの上におき、座布団に腰をお


ろす。


「無理はなさらないでくださいよ」 


「ええ、でも本当によくなったんです。東京にいたころなんて刑事さん、気絶じゃ


すまなかったですから」  


「というと?」


「上司やクライアントを相手に、ときには街中で、絶叫し、誹謗(ひぼう)の言葉を吐きつ


づけるなんてまね、ザラだったそうです。訴えられそうになったこともある」


「記憶には残ってないんですか?」  


 ボクはうなずいた。


「あの状態になると、なにも。だから、精神異常者を相手にしても仕方ない、そう


いう理由で、訴訟にはいたらなかったわけです……はは、いいんだか悪いんだか」  


「お仕事、そうとうなストレスだったんでしょうな?」


「そりゃもう。ただボクは、口はばったいようですが、かなり優秀な営業マンだっ


たし、頭も悪くない方でしたから、会社もボクの逆訴訟や醜聞(しゅうぶん)を恐れたのでしょ


う。退職金、いい額をだしてくれましたよ。まあ、ていよく追っぱらわれたんです


がね」  


「その金でコチラに?」


「はい」  


 刑事はふむふむと、しきりにうなずいていた。そのていどのことはすでに知って


いて、ボクの話に間違いがないか、頭の中で整理しているのかもしれない。


「で、コチラにこられて、柾木さんとはどのように?」


「家で食中毒をおこしましてね、下痢と嘔吐がとまらなくなりました。そして高熱


ですよ。そのまま死んでもいいような気もしたんですが、イザとなるとなかなか。


そこでタクシーを呼び、一番近い診療所にむかったわけです。というか、この辺り


にはあそこしかないんですけどね」  


「なるほど」  


「でも、どうも衰弱しきっていたらしくて、本当に死にそうだったみたいです」


 ボクが笑うと刑事は、笑ってる場合じゃないでしょといって、そして笑った。


「すぐ入院となったわけですが、入院たって村の診療所のことですからね、なにが


できるわけでもないんです」


「あの診療所ならそうでしょう。市内の病院に転院を希望しなかったんですか?」


「たまたま大雪になって、どうにもならなかったみたいです。でも、おかげでボク


は天使に出会えました」  


「柾木亜珠理さん?」  


「はい」  


「つづけてください」


「彼女は三日三晩、それこそ寝食をけずって、献身的な看護をしてくれました。


薬品がたりない分は、気合いでおぎないます! だからがんばって! そんなこと


をいって励ましてくれました。むろん患者はボクだけではないし、疲れていたは


ず。それなのに彼女はつねに笑顔で……。ぬきさしならない都会で長くすごしてき


たボクには、こんな女性が存在すること自体が、信じられない奇跡だったのです」


「天使ですね。まさに白衣の天使。で、回復されてプロポーズされた?」


 ボクは、いやいやと手をふった。  


「そんなにすぐではないですよ。そこまで単純ではないつもりです。その後も定期


的に検査通院をつづけましてね、それとなく彼女を観察しました。本当に本物の天


使なのかどうか」  


「どうでした?」  


「どう思います?」


 刑事はハッハと笑った。  


「ま、話の展開から想像するに、完璧な天使、だったってところですか」  


「あたりです、完璧でした。一分(いちぶ)(すき)もないほどに」


「なるほど、で、あなたはようやく恋におちた?」


「ふふ……初めからね、おちてはいたんです。しかし盲目にはなりたくなかった。


冷静でいたかったんです」 


「冷静でいられましたか?」 


「無理でした」  


「──でしょうな」


「でしょうな? ずいぶんとボクのことがわかるんですね」  


 軽い皮肉のつもりだった。


「いや、あなたのことは通りいっぺんにしかわかりません。わかっているのは彼女


の方で」


「どういう意味ですか?」  


 刑事は、もう一本、タバコをつける。


「あの女が一分(いちぶ)(すき)もなく天使を演じたら、おちない男はいないって意味です」


                             


                            (後編につづく)

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