祖父と里世 中編
「おじいちゃんが撮ったぁ~?!」
あたしは、思いきりすっとんきょうな声をあげてしまった。
「どこからでてきたんだい? この写真」
あたしは、たまたまがかさなり、骨董屋で手に入れたことを話した。もちろん元
カレの件はオミットしたけど。
あたしの話を聞いていた祖父は、ため息まじりで何度もうなずいた。そんな夢う
つつのような偶然が……とつぶやきながら。
「ね、おじいちゃん、ここどこなの? 町にこんな場所あったっけ?」
祖父は嬉しそうに笑った。
「あるさ。お前が一番よく知ってる場所だよ」
「あたしが?」
祖父はじっとあたしの目をのぞきこみ、楽しそうに微笑んでいる。
「あ、え? まさか!?」
あたしがいうと、祖父はいたずら小僧のような目をしてうなずいた。
「あたしの家!!」
へえぇー、昔はこんなに大きな桜の樹があったんだ……って!
「でも、ウチの敷地、こんなに広くないよ」
「売ったんだよ、戦後にね。いや、本当のことをいおう。騙されてね、奪われ
たんだよ、二束三文で」
「え!」
とっさにご近所の顔が思いうかぶ、どの家!?
「おいおい、おじいちゃんを騙したのは、悪徳不動産屋だよ。今、住んでる
人たちは誰も知らない話だ」
なんだ、そうか……でも、よかった。
「みんな、おじいちゃんが悪いんだ、なにもわからない青二才だったから……
あの当時、おじいちゃんには相談できる人が誰もいなかったしね」
「それこそ、ご近所さんをたよればよかったんじゃない?」
おじいちゃんは、少し困ったような顔をした。
「ご近所からは、疎まれていたんだよ。当時はね」
疎まれ……、あたしは、少なからずショックを受けた。
「どうして!?」
おじいちゃんは、じっと、あたしの顔を見る。真剣な目だった。
「お前、いくつになった?」
「十九、だけど……なぜ?」
「そうか……そうだよなぁ。高等学校も卒業して……もう十九か。おとなになった
もんだ。おじいちゃんがヨボヨボになるわけだ」
「やめてよ、おじいちゃん。なにいってんの?」
おじいちゃんはまた、あの写真に目をおとした。
「本当ならば、墓場までもっていかねばならない話だが、聞いてくれるか?」
あたしは、どうしてだか緊張した。こわい気もした。だけど、うんとこたえて
いた。祖父はひとつ深呼吸をする。彼も緊張しているみたいだった。
「一九四五年、なんの年だかわかるかな?」
「終戦の年?」
うなずく祖父。
「そう、昔は敗戦の年といったもんだが、その通り。だが忘れてはならんことは、
その年の三分の二は、戦争をしていたという事実だ」
そうだ、八月十四日までは、日本は戦争をしていたんだ。
「当時、おじいちゃんの家は旧い華族と縁故のある家系で……そこそこ
裕福な暮らしをしていた。いわゆる町の名士というものだ」
えー、華族? よく知らないけどえらそうな感じ。じゃ、なんで今、お父さんや
お母さんは、とも働きでキューキューしてるの?
「そんなわけで、十五、六の学生までが戦場にかりだされて、お国のために戦って
いるというのに、なにかと優遇されていてな……おじいちゃんには赤紙がこなかっ
たんだよ。もう十九になっていたのにな。……赤紙、わかるか?」
「召集令状でしょ?」
そのくらいは、いくらあたしでも知っている。
「おじいちゃん、心苦しくてなぁ……ところが、戦局の悪化で優遇もクソもなくな
ったんだろうねぇ、一九四五年の春、とうとう赤紙がおじいちゃんのところにも送
られてきた。ああ、やっときた!! これでようやくお国のために戦える! 嬉し
かったなぁ」
「バカじゃないの!?」
あたしは思わず、叫んでいた。けれど、そんな時代だったのかも……。
「バカじゃないの?」
あ……。
「ごめんなさい!」
あたしは、あわてて頭をさげた。さすがにいいすぎだった。
「昔、同じことをいわれたよ……この女にね」
おじいちゃんは目を細めて写真の女性を見つめていた。
「え?」
「この女は、おじいちゃんの恋人だったんだ」
「恋人!?」
たまげた。
「この写真はね、おじいちゃんが出征する前の日に、どうしてもと彼女にたの
んで撮らせてもらった写真の一枚なんだよ」
「何枚も撮ったの?」
おじいちゃんは、恥ずかしそうにうなずいた。
「ああ、なかなか笑ってくれなくて、たくさん、たくさん撮ったよ。桜が……美し
かった。この女も、日本の桜も見おさめかもしれんと思ったら、おじいちゃ
ん、ふいに涙がでてな。そしたらこの女、ぎゃくに気丈になって、懸命に
笑ってくれた」
なんだか、この女性の気持ちがわかる気がした。
「おじいちゃんたちは、くるったように舞いおどる桜吹雪の中で、何時間も抱きし
めあった。たがいの体温が、血潮がとけあって、そのまま、桜の花びらに埋も
れてしまいたい……そんな風に思った」
あたしにも見える気がした。あまりにもロマンチックで、儚い、その光景
が……。たまたま手にいれた写真に、そんな歴史があったとは。しかもあたしのお
じいちゃんと恋人!? でも、パズルの最後のピースが欠けている。この女性の顔
がわからない。祖父の腕が悪いのか? カメラの性能が悪いのか?
「この人って……おばあちゃん?」
祖母は、あたしが産まれた時期と同じころに亡くなったと聞いている。まるで生
まれかわりだと、子どものときはよくいわれたものだ。祖母の顔ならアルバムで見
て、知っているが──。
「おばあちゃん……うん、そうなんだが……そうでもない」
なにそれ?
「おじいちゃん?」
祖父は笑った。
「おじいちゃんが戦争にいって、二ヶ月後、とんでもない誤報が町にもたらさ
れた。それは、おじいちゃんが、名誉の戦死をとげたというものだった」
「マジ!!」
「そして、さらに二カ月後、日本は降伏し……戦争は、終わった」
それで? それで、どうなったの?
「敗戦の日、町の人々は小学校の校庭に集められて、ラジオの放送を聞かされたの
だそうだ。ほら、お前も通っていた、あの小学校だよ。放送の内容は──」
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、でしょ? 知ってる。それで?」
あたしは、なんだかじれていた。先を聞くのがこわい、でも、知りたい。知らな
きゃいけない! そんな気がした。
「そう、玉音放送だ。当時の人、誰もが畏れ敬った神の声。神は告げた、
戦争は終わったと」
おじいちゃんはここでひとつ、深い深いため息をついた。
「ところが、こともあろうにこの女は、放送なかばに立ちあがって叫んだの
だそうだ」
「なんて?」
「こんな──」
──こんな中途半端でやめられてたまるか! 今、やめるなら、あの男は、
あの男の死はまるっきりむだ死にじゃないか!? 犬死にじゃないか!!
冗談じゃないよ! やめられてたまるか! 戦え! この国が滅びるまで戦え!!
「おじいちゃんの戦死の誤報、それが伝わった時点で、すでにおかしくなって
いたのだそうだ……痛ましい……悔やんでも、悔やみきれない」
祖父は、ゴツゴツとした骨と皮ばかりになっていたこぶしをブルブルとふるわせ
た。
「聞くのがつらいかい?」
あたしは首を横にふり、そして、写真の彼女を見た。
「それで、どうなったの? この人」
「死んだよ。この、最後の思い出の桜の樹にガソリンをふりまいて、自分自身にも
ふりまいて」
言葉がでてこなかった。そんなバカな、そんなバカげた話ある!?
「いくら人間宣言をされたとはいえ、昨日まで神と崇められていた方を罵倒した
んだ……ようやく故郷に帰還したおじいちゃんにも、まわりの人はどこかよそよそ
しくてな、おまけに、家屋敷もすべて焼けてしまって……華族を気どっていた両親
をかかえて、おじいちゃん、これでも苦労したんだぞ」
そうか……それで、騙されて土地を手ばなしたのか。
「でもな、おじいちゃん、一生懸命、働いてがんばったから、だんだんとまわりの
人もうちとけてくれて……嬉しいもんだぞ、人に認めてもらえるってのは」
わかってる、おじいちゃんにほめられたくて、あたしは自転車をこいだんだ。
「おじいちゃんなぁ、お前が生まれたとき、嬉しかった。お前が成長していくのを
見守るのが楽しかった。なんでだかわかるかい?」
あたしが首をふると、祖父は写真をかざすように持ち、あたしと見くらべた。
「お前が、この女の、孫だからだよ」
「えぇ!!」
だ、だって! え? じゃ、おばあちゃんは?
「この女はすでに、おじいちゃんの子、つまりお前のお父さんを産みおとして
いたのだそうだ。かなりの早産だったそうだが」
「でも、だって、じゃ、おばあちゃんは!?」
「この女の妹だよ。姉のしたことで、やはりこの町での居場所をうしない、
乳飲み子をかかえて路頭にまよっていたのを、おじいちゃんが引きとった」
信じられない……。
「ふたりして、この子も両親も捨てて、どこかよその土地で暮らそうか? そう話
したこともあった。でも、できなかった……しなくてよかった」
そうなっていたら、あたしは、この世にいなかった。
「はぁ……ばあさんにはずいぶんと苦労をかけた。本当の子でもない伜を、
本当の子のように愛してくれた。いくら感謝しても、しきれないよ」
それはおばあちゃんが、おじいちゃんを愛していたからだよ。おじいちゃんの気
持ちがお姉さんにあることを知ってても、愛していたからだよ……わかってる?
女心! おじいちゃん!!……男って……ったく! どいつもこいつも!
「また、泣いてるのか? ゴメンな、つらい話、聞かせてしまって」
あたしは鼻をすすった。 違うよおじいちゃん、つらくて泣いてるんじゃない
よ!!
「お父さん、このことは……」
「知らんはずだ。戦後のドサクサにまぎれて戸籍も書きかえたからな……近所に
も、いわんように頭をさげてまわったし……知らんと思う」
そっかー、お父さんも、愛されてたんだね!
「あたし、いっちゃおうかなー」
「こ、これ! お前!!」
「嘘、いわないよ」
「──まったく、心臓に悪い。お前のそういうところ、この女にソックリだな」
祖父は写真の女を見つめ、嬉しそうに笑った。
「あたしと、その人、似てるの?」
おじいちゃんは、今度、ジィっとあたしの顔を見つめ、いった。
「ああ……ソックリだ。本当に……美しい」
「いやだ、おじいちゃん。それって、あたしが美しいっていってる? まあ、当
然といえば当然だけど」
もちろん冗談だ。
「そうだよ……お前は、里世の生きうつしだ、美しい……」
サトヨ? あの人、サトヨっていうんだ。
「お前には、迷惑な話かもしれないが、おじいちゃんは、お前に恋をしていた」
「──はぁ!?」
「日に日に里世に似てくるお前が、いとおしくてたまらなかった。お前は、おじい
ちゃんの生きがいだった、宝だった。お前が生まれてくれたから、ばあさんが死ん
だあとも生きていられたんだ。ありがとう、生まれてくれて、ありがとう。元気に
育ってくれて……ありがとうな……」
祖父は、ボロボロと涙をおとした。スマン、スマン、といいながら……。
それにしたって恋? あたしに、恋!?
(後編につづく)




