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気の毒なレストラン

 どうしました? ずいぶんとくらい顔をして? え? 死にたい? それはいけ


ませんな。そう、ふられた? それは気の毒なことだ。では、そんなあなたにひと


つ、とびきり気の毒な男の話をお聞かせしましょうか。まあ、しょぼくれ()()()


たわごとだと思って聞いてやってくださいな。


 もう何十年も、むかし、むかしのお話ですがね……。




 そのレストランのシェフは悩んでいた。悩んで、悩んで悩みつくし、自殺すら考


えたほどであった。自身の存在価値を、どうしても見いだすことができなかった。



 そのレストランは、華美(かび)でなく地味でなく、落ち着いた雰囲気(ふんいき)が熟年層のみなら


ず若いカップルにも評判で、都会のかくれ家的な要素も手伝い、予約客だけでつね


に満席であった。むろん各地の厳選素材のみを使用した見事な料理の味が人気の的


であったことはいうまでもない。


 ところがオーナーシェフが心臓発作で急逝(きゅうせい)し、レストランはピンチにおちいっ


た。それまでシェフの下でサポートしていたスーシェフ、シェフの息子であった彼


がシェフに昇格したのであるが、同じ材料、同じレシピであるにもかかわらず、同


じ味にならない。それどころか、ハッキリとまずい料理をだす店になってしまった


のだ。


 理由は実に簡単なことであった。幼いころ、父親の職場であるレストラン厨房で


ひとり遊びをしていた彼は、大量のハバネロをなぜだか口にしてしまい失神した。


死ななかったことこそが正に()()であったのだが、そのせいで、彼の味みかくは


完全に破壊されていた。味かく障害のシェフ。味見ができないシェフ。当然、客足


は遠のき、予約はパッタリと入らなくなった。


 彼が努力しなかったわけではない。彼は、閉店後の店に居残り、毎日、毎日、そ


れこそ血のにじむような思いで料理の勉強にはげんだ。先代シェフ、父の残した店


をなんとしても守りたかったのだ。でていこうとした従業員を引きとめ、給料は借


金をして払いつづけた。そして新たなシェフを募集したが、すでに評判が地におち


た店にきてくれる者はいなかった。つまりは彼がふんばるしかなかったのだ。彼が


やめてしまえばレストランはおわる。彼はさらにさらに、努力を重ねた。ついでに


借金も重ねつづけた。



 ふたたび、()()がおこった。店に昔の活気がもどってきたのだ。予約客がつめか


け、店はつねに満席状態となったのである。


 よくがんばったからな……彼は、ときおり、客でにぎわう店内をのぞいては涙


した。非常に満足していたが、ひとつ不明な点があった。客席に呼ばれるというこ


とが一度もなかったのだ。先代シェフ、彼の父親は日に何度も呼ばれては、おいし


い料理をありがとう。などと直接、客に礼をいわれていた。先代からの従業員たち


に一度、たずねてみたが、逆に説教されてしまった。


「はやってるとはいえ、まだまだ先代にはおよばないと心えてください。いいです


か? 呼ばれもしないのにシェフは店内をウロチョロしてはなりません。シェフの


戦場は厨房の中なのです」


 先代からつかえてくれている老かいな支配人を筆頭に、ほぼ全員にそういわれて


は、シェフもいうことを聞かざるおえない。はい、わかりましたとスゴスゴ厨房へ


と退さんしていくしかなかった。店は繁盛しているのだ、そう気にする話でもない


のかもしれない。


 レストランに取材の申し込みがあったと聞いた。その店で食事をすると美しくな


ると口コミで評判になっているのだという。美しくなる? 意味不明ではあるが、


彼としては宣伝にもなるし、喜ばしい話であった。


 ところが、オーナーシェフである彼になんの相談もなく、老支配人が取材を断っ


ていた。それも一度や二度の話ではないらしい。バイトの皿洗いの青年に聞くまで


彼はまったく知らなかったことである。これにはさすがの彼も腹を立てた。


 オーナーは()()なのに!! さらに彼を激怒させる出来事できごとをバイト君か


ら聞かされた。レストランは完全予約制になっていたのだ。 しかも紹介者がいない


場合は、予約すら断っているというのだ。つまりは一見(いちげん)さんお断りというわけだ。


 京都の老舗(しにせ)か、この店は!? 予約など一組もない時期、きてくれたお客様が


どれだけありがたかったことか!? つねに厨房内に押しこまれていた()()の知ら


ないところで、そんな好き勝手をされていたなんて!! 彼はふんぜんとして従業


員ひかえ室にとびこんだ。


「いったい全体どういうことですか!?」


「なんの話でしょう?」


 老支配人はタバコの煙を吐きだしながら笑った。シェフは、怒りを必死でおさえ


ながらいった。


「開店、一時間前なんです。タバコはひかええてください」


「ああ、コレですか?」


 老支配人は困ったような顔をして、タバコを灰皿に押しつけた。


「ありえない! タバコのにおいをふりまきながら、お客様に料理の説明をするん


ですか? 先代のころからそうだったんですか? 支配人!!」


 そこへ、若いソムリエがわりこんできた。


「アンタね、においだなんてえらそういいえる──」


 若いソムリエを押しとどめる老支配人。


「まあまあ。はい、確かに先代のころならば、まずタバコなど禁じておりました。


申しわけありません、(ぼっ)っちゃま」


 坊っちゃま。 そうだ、あのとき、大量のハバネロを口にして気を失ったとき、


懸命に吐きださせてくれたのが、この支配人であった。坊っちゃま! 坊っちゃ


ま! こときれかけていた()()を必死に呼びもどそうとしてくれた彼の声、今も


心に残っている。しかし……いわなければならない。聞かなければならない。


 ──オーナーは()()なのだから。


「取材をすべて断っているそうですね、支配人、あなたが。()()になんの相談も


なく」


 場の空気が一瞬にして硬直(こうちょく)する。老支配人は、しかし笑顔を見せた。


「坊ちゃま、いえシェフは、あのような三流低ぞく雑誌の片すみに、お顔をのせた


いのですか?」


「宣伝になるじゃないか」


「裸の娘のページや、芸能ゴシップの間にあって、はたして宣伝効果がえられるで


しょうか?」


「裸……どんな雑誌なんです?」


「週間○○とか●●などでしたか。我々も買ってみましたが、とんでもなく下品な


雑誌でした」


「調べたんですか?」


「はい、その上でシェフに知らせる必要はないと判断いたしました」


 ぐうの音もでないシェフ。しかし……。


「で、では、予約客しか店に入れないのはどういうわけなんです!?」


「現在、店は予約でいっぱいなんです。申しわけない話ですが、一見(いちげん)のお客様の


入る余地はございません」


「しかし、紹介者がなければ予約もできないというじゃないか!」


 彼は自分の店の話をしている気がしなかった。自分の店をまるでひとごとの


ように語る自分に、そうしむけけた老支配人に、むしょうに腹が立った。


「オーナーであるボクにひと言の相談もなかったのはなぜだ? 紹介だ、一見(いちげん)


って、それはなんだ! 料理の前ではみな、平等じゃないのか?!」


  心の中でふりあげてしまったこぶし。彼は、おろしどころを見うしない、激昂(げきこう)


した。


「支配人、違うか!?」


「アンタの料理の前じゃ、人は平等にならないんだよ」


 先ほどのソムリエだった。


「どういうことだ?」


 シェフはソムリエにつめよる。


「きちんとした紹介者から説明を受けたうえ、そうとうの覚悟がなければ、アンタ


の──」


「やめないか!!」


 支配人がソムリエをさえぎった。


「いってやった方がいいんですよ!」


「だからなにをだ!?」


 ソムリエの胸ぐらをつかみかからんとするシェフ。ふたりの間にわって入る老支


配人。そして、ことのしだいを不安そうに見ている他の従業員たち。丸味をおびた


老支配人の手をふり払うと、シェフは全員の顔を見わたした。そして、完全に孤立


していることを知った。雇用主と従業員の関係だからではないことは明白だった。


「ちゃんと教えてくださいよ……()()自身になにか問題があるなら改善する努力を


するからさ」


 誰もこたえてくれない。そうさ、努力をするからさ、本当のことを……。


「お願いします」


 シェフは心から頭をさげた。 知らなくてはならないのだ。


「…………」


 ソムリエが、他の者らが老支配人を見る。支配人は苦渋(くじゅう)にみちた表情を見せた


あと、内ポケットから一通の封筒を取りだした。


昔日(せきじつ)より常連の渡部(わたべ)様が、新規のお客様にむけてお書きになった当店の推薦状(すいせんじょう)


です」


 渡部氏とは、先代のころからなにかと世話になっているいわば店の恩人である。


実は苦しい時期の借金も、渡部氏にたのんだものだ。シェフは、ものもいわずに


支配人の手から封筒をうばい取ると、手紙をひろげた。


 あたりさわりのないい時候(じこう)挨拶文(あいさつぶん)。そしてそのあとの文面がシェフをこおり


つかせた。


『世にたぐい(まれ)なる料理を召しあがっていただけること、私がうけあいます。各地


より取りよせた高級食材、油や調味料を使い、これほどマズい料理を作れるシェフ


は、他におりません。かおり高きものを台なしにし、濃厚な深みやコクが売りの材


料を見事なまでに無味乾燥な味に仕立てあげるさまは、まさに芸術的ですらありま


す。以前、話題にものぼりましたが、完食すれば美しくなるというお話。あるモデ


ル嬢が、こちらの料理を食べたあと、四、五日は食べ物を見たくもないといいだ


し、ダイエット効果が得られると定期的に通っているといううわさ、いささか(まゆ)


つばめいていますが真実なのです。しかも食材は超一流の品であるため、よぶんな


添加物の心配もなく、栄養素は摂取できるというまさに、すぐれ物というわけで


す。覚悟は必要となります。覚悟なしでこちらの料理にのぞめば、たちまちトイレ


へ直行することとなるでしょう。しかしながら、完食のあかつきには貴女(あなた)様がまた


ひとつ美しくなれますこと──』


 文章はまだつづいていたが、シェフは読むことができなかった。幼いころのよう


に、気をうしないかけていた。


「渡部様は、先代のころより本当にこの店がお好きで……借金を重ねる坊っちゃま


をなんとか救おうと……」


 老支配人の言葉もシェフの耳には入ってこなかった。


 ──みんなやさしいんだね。最低な料理をだすダイエットレストラン。そんな風


に雑誌に書かれないように()()を守ってくれたんだね。そうか……タバコのにお


い、関係ないんだね。食材のかおりを台なしにしている料理をだすんだから。あは


は…なんの覚悟もない一見(いちげん)の客がボクの料理を食べたら、たちまち怒りだすか、


嘔吐(おうと)するんだろうね。 あはは、あはは、あはは。 あはははは。



 そのレストランのシェフは悩んでいた。悩んで、悩んで悩みつくし、自殺すら考


えたほどであった。自身の存在価値を、どうしても見いだすことができなかった。



 シェフは努力をしなくなった。どうせマズいのだから、適当だろうがなんだろう


が、大して変わらないだろ? もういい。どうでもいい……それが口癖になって


いた。


 こうして芸術的とまでうたわれた彼どくとくの料理のマズさは失われてしまっ


た。セールスポイントをうしない客足も遠のき、彼自身のやる気のなさに嫌気が


さした従業員たちもひとり、またひとりと去っていった。


 最後に残った老支配人が去ると、シェフはひとりきりになってしまった。もう


()()はおこらなかった。




 ひと組の老夫婦が店に入ってきた。若いころ、この店でプロポーズされたのよ、


老婦人がほほえむと、老紳士も照れたように笑う。なぜこの店が閑散(かんさん)としている


のか、これまでの店の経緯(けいい)などこの夫婦には知るよしもなかった。大切な思い出


のレストランに足を運んできた、ただそれだけのことであった。シェフはそのすて


きな思い出をぶちこわしにしてしまうことを恐れた。なによりも、父の店の思い出


をけがすことを恐れた。


 そして店は事実上、閉店しており、自分以外の店員もいないので、なんのもてな


しもできないと告げた。老夫婦は悲しげな表情をうかべ、ここで食事がしたいのだ


とくいさがった。シェフは(こん)まけした。というより、相手をするのが面倒(めんどう)だった。


 彼はオーダーを受けると厨房に入り、ため息をつく。……もういい、どうでもい


い。 最近おぼえた超手ぬき料理をチャッチャと作る。これは、それほどうまくも


ないが食べられないほどの料理でもないらしい。できあいの人工調味料を使うのだ


から間違いない。


 コース料理を一度にだすという暴挙のあと、ふたたび厨房にもどったシェフは、


死のう、そう口にだしていた。あの料理を口にした老夫婦は今ごろ、顔をしかめ


ているに違いない。怒りだしているかもしれない……。


 死のう、彼はそう決めた。そして棚を見あげる。実は、いつでも死ねるように


ネットで購入した即効性の粉末を用意していたのだ。毒物は他の従業員に見つか


らないよう調味料の小びんに入れて、他の物にまぎれてさせて保管してあった。


 ──ない! 調理台に目をうつす。先ほどの料理に使った人工調味料の小びん


が何本か、乱雑に置かれていた。


 ああ! まずい!! シェフは立ちあがり、厨房のドアを押しあけ、老夫婦が


食事をしている店内へ!! いきかけたが、足をとめた。


 ああ……どうでもいい……もう……なんでもいい……。




 気の毒なレストラン。シェフの物語は、これでおしまい。それからどうなったの


かって? これ以上は、それこそ気の毒で語ることはできませんや。どうです? 


彼にくらべたらあなたの苦しみなんて、吹けばとぶようなものではありませんか? 


女性にふられたくらいで絶望なんかしてはなりません。そりゃ生きていたっていい


ことなんか、ひとつもありませんよ。人生に()()なんてそうそうおこるもんじゃあ


りませんて。


 でもね、生きないと。──そう、()()のように。


                                (終)

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