6.無口な庭師
それ以来、再びあの庭師の青年がハインツ邸にやって来るようになった。
ディアナはそれを二階の窓から見つけると、そそくさと裏庭に下りて行った。
いつものアイアンベンチに座り、じっと彼の仕事ぶりを眺める。
彼はバラの剪定をしていた。
やはり彼は、ディアナに目を向けてもくれなかった。
ディアナは勇気を出した。
「あの」
その声に手を止め、ふと彼の鈍色の瞳が彼女に向けられる。
「庭師さん、お名前は……」
すると彼は何も聞こえなかったかのように、ブリキバケツに道具をがしゃがしゃと入れて立ち去ってしまった。
「あ……」
声が小さすぎて聞き取れなかったのだ、とディアナは思う。
(今度はもう少し大きな声で話しかけてみよう)
他方、庭師のレオンは。
(お嬢様がいきなり話しかけて来た!緊張したぁー!)
少し震えながら、バケツを振ってのしのしと歩く。
(名前を聞かれた……)
しかし、彼には答えられない事情があった。
あれから。
アウレールとの会食後、事務所に戻って来た彼は、フーゴにこう言われてしまったのだ。
「さっきも言った通り、お嬢様と話すのは基本、禁止な」
レオンは頷いた。
「植物について聞かれたら、答えてもいい。だが、ほかの私語は禁止。特にお前自身の話はするんじゃねーぞ。アウレール様も……少し、気になさっていたようだったから」
「……何をです?」
レオンが尋ねると、フーゴは言いにくそうにこう告げた。
「この際だからはっきり言っておこう。アウレール様はお前のことを、〝いい男だ。女が放っておかないだろう〟と」
レオンは冷や汗をかいた。
遠回しに、危険だと言われたのだ。
「だから俺は〝そうでしょうか〟ってとぼけておいてやったぜ。お前は花を扱うのが上手い。仕事もさっさと終えるし、俺は誰よりもお前を連れてハインツ邸へ行きたいんだ」
フーゴの目は真剣だ。
「そして、いずれはお前をあの屋敷の担当にしたいと考えている。アウレール様には悪いが、俺にだって造園業の親方としての将来がある。お前みたいなセンスのいい奴に、この一番人に見られるいいところを担当させたい……お前にも、分かるだろ?」
レオンは頷いた。
「そういうわけでアウレール様は俺が説得しておくからよ、お前はお嬢様を上手いことかわして、今まで通り仕事を続けてくれ。頼んだぜ」
このように言われてしまい、レオンはそのようにするしかなかった。
仕事に関しては、アウレールからは確実に信頼されている。
しかし仕事を続けるには、女たらしではないことを証明しなければならない。
(植物の話以外、しない)
レオンは心の中で繰り返した。
(あの辺境に帰っても何もないんだ。退路はない。俺は絶対にこの都会ラトギプで生きて行く)
それ以来、ディアナが来るとレオンは目も合わさずに仕事を続けることにした。
まるで彼女が目に入っていないように。
「庭師さんは、どこにお住まいなの?」
心苦しいが、無視を決め込む。時たまアウレールも来ることがあるので、気が抜けない。
近づかれたら、なるべく遠ざかる。
話しかけられたら、わざと音を立てて片付ける。
そのたびに、彼女は寂しそうな顔をした。
(ごめんなさい、お嬢様)
レオンは幾度となく、心の中で令嬢に詫びる。
しかし一体どうして、この令嬢は一介の庭師のことなどそこまで気にするのだろうか。
暇を持て余しているだけなのか、はたまた──
レオンは自惚れる頭を振った。
(馬鹿なことは考えるな。この屋敷の担当になれるように、頑張らないと)
そんなある日のこと。
いつものようにディアナがやって来て、彼にこう尋ねたのだ。
「この前活けていた赤い百合──私の部屋にも、欲しいのですが」
レオンは初めて飛んで来た〝植物の話〟に、すぐさまこう答えた。
「すぐにお持ち出来ますよ。ブーケにして、お持ちしましょうか?」
ディアナの瞳が、ぱっと輝く。
「……是非!」
「でしたら明日、裏庭にお持ちします」
レオンはようやくほっとして、にこりと笑った。
ディアナの顔はみるみる赤くなった。