4.それは出来ません
次の日。
レオンは久しぶりにハインツ邸を訪れた。
野良着で案内されたのは、商会の主アウレールが待つ応接間。
金の装飾だらけの壁に絨毯張りの床。
レオンはフーゴと共に、執事の開ける扉から入る。
体の大きい、恰幅の良い黒ひげの男が二人を出迎えた。
「よく来た。さあ、こっちへ。フーゴ、聖堂とイシュタル邸の図面は持って来たか?」
「はい、アウレール様」
全員席に着くと、フーゴが図面を広げて見せた。
「以前おっしゃっていた通りに花を使うとすると、かき集めるにしても少し足りません」
「そうか。ならば、間隔をもっと開けて花飾りを設置しよう」
「それがいいですね」
レオンは何もすることがなく、黙っている。
ここに来る前にフーゴは言っていた。
「アウレール様は、お前に式で使うブーケと一番大きい花器に活ける花を担当して欲しいそうだ。お前の腕を、随分気に入ったらしい」
豪商の主アウレールに認められたと言う事実だけで、レオンは舞い上がった。
同時に、今まで味わったことのない重圧が彼を襲っていた。
フーゴが事務所で見せてくれた、ハインツ商会から持ち込まれた披露宴で使用されるという、子どもの体ほどもある豪奢な花器。
あれに花を詰めるとなると、花というより木を用意しなくてはならない。
「……で、だ。レオン?」
話題がこちらに降って来て、レオンは顔を上げた。
「は、はい」
「君の腕を見込んで話がある。披露宴に使う花のことだが」
これが、彼がアウレールと初めて交わした会話だった。
「はい」
「食堂の前にあったようなね、赤い百合で彩りたいのだよ」
「はい……」
「あれよりもっと大きく活けて欲しいんだ。出来るか?」
レオンは首を捻り、率直に言った。
「出来ません」
隣で、フーゴがこちらを睨んだのが分かる。
アウレールは意外にも、それを見て笑った。
「出来ないと言うのか」
「はい。あれが最大級です。あれ以上背の高い百合は存在しません。あれより大きいものをご所望であれば、花ではなく木を詰めることになります」
「ふーむ、木か……」
「木を詰めるのも悪くはありませんが、式場全体のバランスを考えると、かなり野性的になるのではないかと。あと、もう少し突っ込んだ話をすると、花を多く使い過ぎると花嫁の存在感が霞みます」
「ほう」
「全体に散らばせるより、花をポイントポイントで大きめに使って行った方がよろしいかと。それにイシュタル商会はアイゼンシュタット最大の商会ですから、壁がここよりも豪華なはずです。きっと絵画も壁を埋めるように飾ってあるでしょう。そこに花をバラバラと押し込めると、花が絵より目立ってイシュタル商会のメンツが」
フーゴが慌てて話を遮った。
「馬鹿!アウレール様にそこまで意見する奴があるかっ!」
レオンは我に返って自身の口を押さえた。
すると。
「いや、彼の言う通りだ」
アウレールは口ひげを撫でながら、大きなレオンを上から下まで眺めた。
「この、レオンという奴はぼんやりした見た目に反し、かなり強固な自分の意見があるのだな。いつも黙っているから分からなかったが」
レオンは過ぎたことをした、と恥じ入り真っ赤になった。
「いや、いいんだ。男はそれぐらいでなければいかん。私はお前を気に入ったぞ、レオン」
レオンはおっかなびっくり顔を上げた。
優しい視線。
アウレールは慈悲深い瞳でレオンの心の奥を探るように見つめて来る。それをぼうっと受け止め、青年は今まで出会った大人と全く違ったタイプの御仁であると思った。
レオンの奥底には、いつも人間不信があったのだ。特に、大人の男には。
レオンの心に滓のように溜まった嫌な記憶が蘇る。
幼い日、父親に殴られ続けた毎日。父親に逆らえない兄弟たち。
そこから逃げるようにこの都会の庭師として働きに出て来たのは、正解だったようだ。
レオンはアウレールの瞳から、それを全て溶かしてくれるような、暖かい信頼の視線を感じたのだった。
(……やっぱり、巨大な組織を動かすような人は違うな)
レオンは感心する。
「では、どのような花器が向いていると思うかね?」
「そうですね……食堂の前に会った大きさの、素朴な花器がいいと思います」
「装飾は不要、と?」
「はい。主役は花嫁ですから」
「うーむ、今一度壺を発注し直さなければ」
レオンはほっとした。相手の気分を害せず、自分の意見を余すことなく伝えられたからだ。
「ふむ。今日の話はここまでだ。フーゴ、職人を食堂へ連れて来い。今日は食事を用意してやろう」
三人は応接室を出ると、食堂へと歩いて行く。
その時。
向かい側から、イルザとディアナが連れ立って歩いて来た──